#3 俺の秘密

「それでさぁ、親がほんとにうっさくてー」


 放課後、図書室で本の整理をしていると、ペアの図書委員であるクラスメイト・井村いむらが『はぁ〜』と憂鬱そうなため息をついた。


「顔合わせれば『勉強勉強』って。あーもう、ほんと嫌になるよ。もう受験生なんか辞めたーい。あ、そういえば水瀬みなせくんはどこ大受けるの?」


「あ、俺?今のところは南大」

「南大?!頭良すぎ!流石。え、学部は?」

「特にこだわりないけど…社会学部か経済学部」

「あー、水瀬くん、お父さんの会社継ぐんだもんね」


『将来安泰だね』と、井村は羨むように呟く。『…ん、まあな』と、秀作しゅうさくは曖昧に言葉を濁した。


「井村さん、今日塾の日じゃないの?」


 秀作が時計を見上げながらそう声を掛けると、井村は『あっそうだった!』と途端に慌てだす。


「後は俺がやっとくから、早く行きなよ」


「わー、ありがとう!助かる!」


『じゃあお願い!』とだけ言って、井村は慌ただしく図書室を後にした。


 彼女の姿が完全に見えなくなったのを確認し、秀作は大きなため息をついた。


 また、嘘をついてしまった。



【※※※】


「水瀬くん、今日は書かないの?


 秀作が空になった本の籠を返しに行くと、司書教諭・森本先生が、やたら愉しげな笑みを浮かべて近寄ってきた。


「そりゃあ、もちろん返事しますよ」


「うふふ。あの子、今日も楽しそうに水瀬くんへのメッセージ書いてたわよ」


「ああ、それは良かったです」


 秀作が素直にそう返すと、森本先生は『若いっていいわねぇ』と笑いながら、廃棄になる本たちを持って図書室を出た。


 秀作は周りに誰もいないことを確認すると、本棚の一番端―――いつもの場所から、赤色の日記帳を取り出した。


 あの日の放課後、いつものようにこの場所を訪れたら、窓際の机の上にこの日記帳が置いてあって――――


 誰かの忘れ物かな、と思って預かろうとしたら、中身が見えてしまった。


 そこに記されてあった内容に―――秀作は目が釘付けになった。

 

 昔から秀作は『大人っぽい』と言われることが多かった。『水瀬くんは、他の馬鹿な男子とはなんか違う』とも。


『大人』だったら、勝手に他人の忘れ物を覗き見たりしないだろう。ましてや、それを勝手にいじったりするなんてもっての他だ。


 だけど、気が付いたら図書室のボールペンを手に握っていた。


 衝動に駆られペンを走らせる自分を、秀作は止められなかった。こんなの、SOS以外の何物でもない。それを見たからには、放っておけなかった。


 流石に気持ちが悪かっただろうか、俺のあのメッセージで更に追い詰められたりしないだろうか。家に帰った頃には、そう後悔し始めていた。


 しかし翌日、また同じ場所に日記帳が置かれていて―――今度は忘れたんじゃない、わざとだ。秀作はすぐにそう察し、中身を見た。

 

 秀作が書いたメッセージの下に、こう記されてあった。



『そんなこと言ってくれるんだね。

 ありがとう。

 あなたは優しいね。

 良かったら、ここでまた私とお話してくれないかな。

 返事、待ってもいいかな?』



(て、言ってもなー…俺、この頃あんま話すことがないんだよな)


 高校三年生である秀作には、数か月後に受験が迫っている。


 元々これといって趣味らしき趣味は無いが、ここ最近は本当に毎日勉強しかしていない。


 秀作は彼女と直接会ったことはない。どうにもであるらしい彼女は、秀作が図書室で委員会の仕事をしている時間帯には、すでに下校している。


 聞いたら彼女が嫌がるだろうかと思い、お互いの個人情報もあまり教え合ってはないが―――唯一、学年だけは知っている。


 彼女は秀作の二つ下、まだ高校一年生だ。一年生相手に、受験や勉強のことばかり話したって、きっとつまらないだろう。


 とは言え、他に書くこともない。どうしようかと思いながら、秀介は日記帳を開き、彼女からのメッセージを読む。



『今日は「夢十夜」読んだ!面白かったけど、夏目漱石先生の本ってやっぱり難しいなー!

 そういえばこの「夢」じゃないけど、君は将来の夢とかってある?

 私はないんだよねー

 特に興味のある職業もないし…』



 へえ、意外だな、と思った。


 結構しっかりしてそうな子だから、将来の目標とかすでに決めていそうなのに。秀作は内心驚く。

  

 でも彼女、本が好きらしいし、図書館の司書とか、本屋の店員とか…あ、確か得意教科は現代文らしいし、新聞記者とかライターとかも向いていそう。


 秀作はそんなことを想像したが、それを日記帳に書くことはしなかった。


 将来の夢なんてものは結局、本人が決めることだ。外野が口出しても余計なお世話だろう。


「夢、か…」


 秀介はペン回しをしながら、彼女の質問に対しての返答を考える。


 ふいに、昔の記憶が蘇った。



【※※※】


『ねぇお父さん!僕、将来は学校の先生になりたい!』


 秀作が小学生の頃、夕飯の食卓でそう言ったことがある。


『お前には無理だ』


 しかし、父親から返って来たのは厳しい一言だった。


『教師という仕事は本当に大変だぞ。子供の命を預かる仕事だからな。もし、自分の持っているクラスの生徒に何かあったら、それは全部お前の責任になるんだ』


 脅すような低い声で、淡々とそう話した。その圧力に、幼い秀作は息を呑む。


『お前にその覚悟は無いだろう?』


 秀作が何も言い返せずに項垂れていると、『お父さんの言う通りよ』と、母親が言った。


 母親は諭すような口ぶりで続けた。


『だから、秀作はお父さんの会社を継ぎなさい。それはあなたのためにもなるんだから』



【※※※】


 そう、秀作の夢は、教師になることだった。


 どうしてそう思ったのか、なにか決定的な理由があったわけじゃないが――—ただ、漠然と『かっこいい』と思ったから。


 僕もあんなふうになりたい。と、強く思ったのだ。


 父親は厳格で、とてもじゃないが慈悲深い人物ではない。母親は、父親の言うことはすべて絶対だと思っているような人だ。


 あの発言も、父親からすれば悪意など一つもなく、単純に『本当』のことをありのまま語っただけだろうと、今では思える。


 それと、やっぱり息子に自分の会社を継がせたい、という願望もあったのだと思う。それで、わざと諦めさせるようなこと言ったのだ。


 だけどあれ以来、秀作はこのことを他言しなくなった。


 どうせ『お父さんの会社は?』と、しつこく尋問されるのだ。なら、初めからそう言った方が良い。


 そうすれば、周囲の人間は納得するのだから。

 


『俺さ、本当は教師になりたいんだ。

 昔からの夢でさ。

 子供の未来を作ったりするの、なんかヒーローみたいでかっけーなーって。

 でも俺、ずっと周りに嘘ついてたんだよ。

「お前には出来ない」って否定されるのが怖くてさ。

 親とか、先生たちの言うこと聞いてたほうが無難かなーって思って。

 その方が傷つかずにすむし。

 こんなダサいやつに教師なんか向いてないよな。』



 書いてから、『しまった』と思った。


 こんなことを言っても、彼女を困らせてしまうだけだろう。


『毎日顔を合わせるような人間より、顔も名前も知らない赤の他人の方が、かえって本心を打ち明けやすくなったりもする。』


 ―――と、どこかの誰かが言っていたような覚えがあるが、どうやらそれは本当だったようだ。


 子供だな。秀作は自分の綴った文章を眺めて思う。


 こんなことを言って、自分は何がしたいのだろうか。彼女に共感でもして欲しかったのか?


 彼女なら、『君なら先生になれるよ』と言ってくれるかもしれない、と、淡い期待でもしているのだろうか。


 馬鹿馬鹿しい。秀作は呆れた。


 他人に過度な期待をされる窮屈さも、を決めつけられる息苦しさも、自分自身がよく分かっているはずなのに。


 なぜそれを自ら、誰かに強要してしまうのだろう。


 それも、『明日が見えない』というほど、生きることに消極的な少女に対して。



【✎✎✎】

 

「おい水瀬」


 翌日、鞄を持って教室を出ていこうとした秀作を、担任教師が引き留める。


「お前、進路希望調査出してないだろ」


「あー…すみません、書いたんすけど、家に忘れて」


 嘘つき。と、自分の中の誰かが叫ぶ。


 今、背負っている鞄の中に仕舞ってあるだろう。真っ白な、用紙が。


「〆切、今週までだから早く持ってこいよ。クラスで出してないの、後お前だけだから」


「はい、持ってきます」


 それだけ言って、秀作は教室を出た。



【※※※】


「で?今日も書くの?」


 またやたらとニヤニヤ笑いながら、森本先生がそう聞いてきた。


「はい…って。俺が返事しないときなんか無いじゃないですか」


「うふふ、そうねぇ。…あ、そういえばあの子、今日はあんまり楽しそうじゃ無かったのよねぇ」


 森本先生の言葉に、秀作は耳を疑う。『え?』と思わず聞き返した。


「なんか、真剣?だったっていうか。やけに必死そうな顔しながら書いてたのよ」


『何かあったのかしら?』と、森本先生は不思議そうに首を傾げる。


 秀作は仕事をほっぽり出し、すぐさま走って、いつもの定位置から日記帳を取り出す。


 食い入るように前回のページを開くと、そこにはいつもの…小さくて丸くて、丁寧そうな字があった。



『あなたが初めて私にメッセージをくれたとき、私、思ったの。

「この人、凄いな」って。

 会ったことも話したこともない相手の気持ちを、どうしてここまで理解してくれるんだろうって。

 なんで私の「欲しかった言葉」が分かるんだろうって。


 いつだってあなたは、私がそのとき「一番欲しい言葉」を掛けてくれる。

 それって、誰にでも出来ることじゃないと思う。

 私、あなた以外でそんな人間見たことないもん。

 あなたみたいな人が担任だったら良かったのに、って何度も思ったことか。

 あなたが学校の先生になったら、救われる子たち沢山居ると思うよ。

 現に、ここに居るしね。』



 読み終わってもしばらく、秀作は微動だにせず、目を大きく見張っていた。


 秀作は自覚していなかった。自分が、無意識のうちに、彼女の求めていた言葉を渡していたことに。


 秀作は彼女の現状を理解した上で、彼女の負担にならない程度の言葉を慎重に選んでいた…つもりだった。


 秀作は精神科医でもなければ、専門的な知識もない、ただの一般人である。


 時に、かなり大胆な声掛けやアドバイスもしてしまい、後から後悔することも珍しくなかった。


 だから秀作としては、『助ける』というほど、大層なことはしていないつもりだった。


 正直、初めは単に『ほっとけない』という同情心で始めた。だが、やり取りをしていく上で、彼女の人柄が分かってきてからは変わった。


 彼女は、自分のせいで周りの人間に迷惑をかけているのだと、幾度となく話していた。自分が、両親や家族から笑顔を奪っている、とも。


 きっと、彼女はひどく優しく、心が綺麗な人間なのだ。真面目で誠実で、いつだって自分よりも周りの人間を優先してしまう。 


 彼女からの返事が、秀作の中で一番の楽しみになっていた。もっと話したい、彼女をよく知りたいと思った。


 この気持ちにどんな名前をつければいいか分からなかったが、もし仮に、とかいうやつだったとしても―――構わない、と思っている。


 他人に期待しなくなった秀作がここまで夢中になる人物など、他には居なかった。


 彼女を救いたいと思いながらも、実際は秀作の方が救われていた。


 ガサ、と鞄に手を無造作に突っ込む。貰ったっきり一度も出さなかった、進路希望調査を取り出した。


 あぁ、これから大変になるだろうな。秀作はそっと息を吐いた。


 この空白に『教育学部』と書いて提出したとき、担任はきっと驚くだろう。


 こんな時期に進路を変えるなんて、と、忌々しく説教を喰らう羽目になるかもしれない。


 まずは、両親の説得だ。あの人たちは、俺が今でもあの夢を追いかけているなんて、微塵も思ってないだろう。


 受験も間近に迫っている今、自分の会社を継がせる気満々の彼らを、短期間でどうやって説き伏せようか。


 ――――お前にその覚悟は無いだろう?

 

 秀作はふっと笑うと、昔は答えられなかったその問いに、はっきりと答えた。


「……あるよ」

 

 今なら、自信を持ってそう言える。


 だって俺は、もう既に。


 ひとりの少女を、救っていたのだから。



 

 


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交換日記 秋葵猫丸 @nekomaru1115

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