つぼみ

 絢の帰宅は思ったよりも早く、いつも通り夕飯を終えた。

 ただ、いつもと違う事があるとすれば、絢の頬がほんのりと赤く既にほろ酔い状態という事くらいだ。


 それでも、あの日から何かが変わった。それを口にする事なく、二人は縁側に並んで庭を眺めていた。街灯の灯りと月明かりが庭を美しく照らしている。


 絢はコップを持つ都十夢ツトムの指先がささくれている事に気づいた。


「爪、また噛んでたでしょ」

「あ、うん」

都十夢ツトムは、私と違って綺麗な指先をしてるんだから」


 そう言うと絢はそっと都十夢ツトムの手を握りしめる。


「こうしていれば、爪を噛まなくてすむよね」

「……」


 都十夢ツトムは何か言いたげに唇を噛み目を伏せた。絢は辛抱強く都十夢ツトムの次の言葉を待つ。この仕草は、何か言いたいというサインだ。


「姉ちゃん……俺」

「うん?」

「俺は姉ちゃんにずっと、幸せでいて欲しい」


 絢は河野との事を言われているのかと思い、すっと都十夢ツトムの手を離した。急に都十夢ツトムとの距離を感じる。


―― もう私がいなくても……大丈夫って事?


 チクリっと小骨が刺さった様な感覚が毒の様に体中に広がっていく。


 コトっゴトゴト。

 冷蔵庫の製氷機の音が聞こえた。「寝よっか」と絢が言いかけた時、さっきまで繋いでいた手がぐっと引っ張られ、バランスを崩した絢は都十夢ツトムの腕の中へ倒れこむ。


 石鹸と汗の香りが絢を包み込んだ。

 ドドドド……都十夢ツトムの鼓動がうるさいくらいに聞こえて来る。


「ちょ、ちょっと」



「俺が……絢を幸せにする」

「えっ?」


 いくらか鈍くなった頭では、何が起きたのか理解できなかった。ぎゅっと都十夢ツトムに抱き締められ、唇を奪われる。


 力強く荒いキス。


 そのまま床に押し倒されそうになり、ようやく絢の頭が冷静さを取り戻した。


「ちょ、やめ……」

「ご、ごめん」


 絢は空き缶を片付けながら、何事もなかったように振る舞う。ふざけた子どものキスなら何度もある。


 だけど。


「俺……本当に、絢に笑っていて欲しいんだ。俺じゃ……ダメ?」

都十夢ツトム……」


 今にも泣きそうで叫びだしそうな都十夢ツトムを、絢は子どものころと同じ様にそっと抱き締めた。


「ありがとう」


 絢は小さく頷き、おでこをコツンっと合わせ優しく諭すように呟く。


「嬉しいよ。でもね」

「でも?」

「もっといい男になってからね」


「えっ? いい男って」

「そうね、まずは……脱いだものは洗濯機に入れるとか?」

「わかった」

「ゴミだしとかお風呂掃除とか、ご飯食べた後食器を片付けるとか」

「う、うん」


「あとね」

「ま、まだあるの?」


 絢は、ふふっといたずらっぽく子どものような笑顔を向けた。


「お義父さんとお母さんに話さなくちゃね」

「えっ」


 どぎまぎしている都十夢ツトムを横目に、絢は寝る準備を始める。


「ねぇ~それって……俺でいいってことだよね」


 絢は何も答えない。

 食卓には、絢が買ってきた白いバラのつぼみが2輪、寄り添うように飾られていた。



END



 

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つぼみ 桔梗 浬 @hareruya0126

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