Step-by-trip 『旅』から始めよう

筑波未来

1.『城崎温泉』前編 『終わる』を感じたとき

「山の手線の電車に蹴飛ばされて怪我をした……」から始まる志賀直哉の名作、『城の崎にて』。主人公は城崎温泉での療養生活の中で「蜂」「鼠」「イモリ」の死から生きていることと死んでしまったことは両極端ではないことを知った……という志賀直哉自身の体験から実際に感じた事を描いている作品となっている。その舞台である城崎温泉は開湯1300年の歴史を持つ外湯めぐりと文学の街、そして関西屈指の温泉観光地である。



「別に私は山手線にもはたまた大阪環状線にも轢かれてはいないのですが。……ただ、そうなろうとしていた時期がありました。」

ここは高校、ただの高校ではない俺の母校だ。何故、俺は母校でこんなセリフを言っているのか。それは、少し時間を何年か前に戻る必要がある。




「君は小説家には向いていないよ。」

担当編集者に言われたときには絶望しかなかった。小さい頃から文章を書くことが好きだった。将来の夢は誰もが楽しく読んでくれる本を書きたい、だから小説家になる……と小学生の頃から目指してきた世界。しかし、現実とは非情なものだということを夢への一歩目で実感した。

「……もう嫌だ。」

都内どこかのアパートの一室で俺は膝を抱え、ただ壁を見つめていた。冬の夕暮れ、部屋の中はとても寒い。ただ、俺にはこの部屋の空気がなんとも言えないほどに落ち着きをもたらしていると感じているのだ。

『新人としてこんなに早くデビューするのはすごい事だ!』

『君はいずれ大物になれる素質がある!』

『早く次回作を読みたくなったよ!』

他の作家の卵たちはこのような言葉と共に新しい一歩を踏み出していた。彼らには才がある、力がある。それに比べて俺はどうだ。才が、力がだけ。そんな奴にかけられる言葉は無情しかないのだ。それを自分が書いた小説を間近で否定された時、私は空っぽの器なんだと実感した。


『君は何を伝えたいの、この小説で。ただ言葉だけを並べているだけで全く面白味が無い。はっきり言って……』


先ほどまで散々な評価をされた事を思いだし、吐き気を感じた。夢を持って上京してきた、無謀でもある事だと両親に否定されながらも夢の為にやって来たここはまさに地獄だと思える。カーテンの隙間からは刺すように夕陽が侵入してくる。鬱陶しいとは思いながらも、カーテンを閉める余力は無い。ちょうどその光が顔に差し掛かったとき、俺の心にさっきの言葉の続きが再生された。


『はっきり言って、この小説は。』


「……そうか。もう終わりにすればいいんだ。」

アハハ、アハハハハハハ………と静かだった部屋が一気に狂気がうずまく空間へと変貌していった。



「これで全部買えたな。」

次の日には、俺は近くのスーパーへ走り、必要な道具を揃えていた。ガムテープに練炭、火鉢にレターセット……。他に足りないものは部屋にあるもので代用すればいい。どうせ、今日で終わりにするから。そう思いながらレシートを近くのゴミ箱に捨てようとしたとき、下の方からレシートとは違う赤い紙切れが顔を覗かせた。

「……そういえば、くじ引きやっているんだっけ。」

いくらか一定の値段を購入すれば貰える、そんなのだったか。けど、今の俺には関係ない。そう思い、まとめて捨てようとぐちゃぐちゃに丸めたときだった。

俺の中で何が働いたのかは分からない。分からないが、

「せっかくだから引くだけ引いてみるか。」

そう思ったのは果たして偶然なのか、はたまた最後の晩餐程度にやるだけやってみようと思っただけなのか。とにかく俺はくしゃくしゃになった福引券だけ引き抜き、抽選会場へと歩いていく。


「……。」

俺は一体何をしてしまったんだ。別に抽選に並んでいる客を殴ってしまったという訳ではない。だからといって長い列にイライラして店員といちゃもんを言った訳でもない。ただ言葉が出ない、それだけだ。しかし、現実は目の前。抽選機から出たに輝く玉がそれを証明している。

「お、おめでとうございます!!こちらのお客様、特賞の大当たりで~~~す!!!」

カランカランカランと鳴り響くベルの音が、俺のこの買い物を全て無駄にしてしまうのではないのか。そのときはそんな不安を俺は覚えた。



『……終点です。この列車はこの駅までです。』

列車のアナウンスが聞こえる。船を漕いでいた俺はアナウンスの声にハッと目が覚めた。

「本当に何をしているのだろう。」

いくら呟こうが、既に俺は車両のシートに腰をおろしている。そしてもう終点の駅に着く。いくら言おうがこの列車を降りなければならない。膝に置いていた手提げの鞄を肩にかけ、シートを立ち、駅のホームへ入った列車を降りた。駅名標には『城崎温泉』の文字。そう、俺は今、兵庫県は城崎温泉に来ている。


特賞は『鉄道で行く!冬の城崎温泉の旅 2泊3日間』の目録。そんなの行かなくてもいいと思ったが、これもまた何かが働き、「最後ぐらい、別に良いか。」

という気持ちでそれから一週間後、俺は東京駅へ向かったのであった。


東京駅から東海道新幹線で京都駅へ。京都駅からは特急きのさきに乗り換え、城崎温泉駅へ。所要時間約5時間の長い旅である。

(……そういや、列車で旅に出たのは久し振りだし、それも一人旅だなんてな。)

駅舎から出ると、冷たい北風がビューっと体を突き抜ける。まだ雪がちらついていない事が幸いなのかもしれない。

「寒いな……。」

朝に出発したため、今回泊まる旅館のチェックインにも早い。特にすることもないため、そして体を暖める意味も込めて、あてもなく周辺をふらつくことにした。駅前の通りには多くの土産物屋が点在しており、日本海の海の幸を豊富に取り揃えている。カニは有名なのは何となく知ってはいたが、東京よりもお値段が安いことには驚いた。ここに来る前に東京駅で有り金全部おろしてきたこともあり、ここで贅沢して帰るのもアリだな。

「……まぁ、今すぐじゃなくてもいいか。」

どうせここにはあと2日程居るんだ。それにこれが終われば……。

「メインストリートはこの奥か。」

駅前通りを抜け、信号機が見えてくる。『地蔵湯橋』と書かれた橋、そこを左に見ると正に城崎の景色だった。写真やポスター、テレビでよく見る景色が俺の目の前に広がっている。中央には川が流れ、両側を結ぶように橋がいくつもかけられている。柳がどうも風流な印象。

「……ん?」

視線を右になおすと、幟に『ホットコーヒー』の文字。地蔵湯橋の前にカフェレストランがある。

「コーヒーか。寒いから丁度良いかもな。」

コーヒーの暖かさを欲しているのだろう。それもそうだ。冬の城崎、日本海からの風が冷たい。例え、それが全てを終わりにしようとする人間でも。

店に入ると気になる看板を見つける。

「特製『ミルクコーヒー』……。」

……なんだろう、何故か気になる。

「『ミルクコーヒー』、気になりますか?」

「……えぇ、まぁ。」

「当店のオリジナルメニューなんです。当店

のロゴが入った瓶に牛乳と自家焙煎したコーヒーをブレンドしたものになっています。テイクアウトのみの提供なんですけどとても美味しいですよ。」

「はぁ、そうなんですね。」

店員に声をかけられ、なおかつ商品の説明をされると飲みたくなる。

「……あの、そしたらホットコーヒーとそれをください。」

「ありがとうございます。」

……結局どちらも買ってしまった。まぁ、金はまだまだあるし良いか。その代わり、寒い外で飲む羽目になってしまったが。

「……あの~。」

「……あ、はい。会計でしたね。」

「いえ、お会計もなのですが。よろしかったら店内でどちらもお飲みになられますか?」

「……え?けど、このミルクコーヒーはテイクアウト用では?」

「冬は城崎って結構寒くなるんですよ。見たところお一人の様なので、外で飲まれては余計に寒くなると思うんです。なので今回だけ特別に店内でお過ごしになられてはいかがですか?」

……こちらからお願いした訳ではないのだか、何故そこまで。そんなことを言われるとは思ってもいなかった。「……暖かいな、何だか。」

(あれ、俺、なんでそんなこと思ったんだ?)

城崎に来てから、いや、あの日に福引きで『城崎温泉旅行』を当てた時から私の心は不安定になっていたのかもしれない。終わりにする前に来た、ある意味冥土の土産程度に来たこの城崎で俺はなに心を揺らがせているんだ。決めたんだ、これが終われば全てを終わらせると。

「……じゃあ、お願いします。」

しかし、俺の思いとは裏腹に言葉はその甘えに乗ってしまっていた。結局俺はホットコーヒーとミルクコーヒーのどちらも飲み干し、丁度チェックインの時間を迎えた。

「さぁ、最後だ最後だ。パーっとやってパッと終わらせますか。」

そんな言葉を吐き捨てながら、俺は宿へと足を向けた。

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