エピローグ
最終話「そして、新たな世界へと」
「ぎょぇぇ~~ッ! 夢落ちだけは勘弁しでぐれぇぇぇええ~~~~っ!!」
絶世の美少女顔に鼻水を垂らして泣きじゃくりながら扉を潜った俺を待っていたのは、薄暗い洞窟……ではなく、美しい石造りが印象的な、白くて清潔感のある円形のホールだった。
どこかコロッセオの闘技場を彷彿とさせるような空間だが、円の外は観客席ではなく、全て上に昇る階段になっている。
かなり傾斜がきつい階段で、どうやらここは闘技場やスタジアムのような場所ではなく、どこか巨大な部屋の一部で、窪みのように沈んだ場所のようだ。
「にゃにゃ? ここが天界なのかにゃ?」
「ふっ……俺の予想通りだ。なんとも美しく清らかな場所ではないか」
「『あんぎゃーっ!』とか、『ぎょぇぇ~ッ!』とか泣き叫んでいたくせによく言いますよね……」
うっさいわ! ちょっとパンツが濡れただけだし! 夢落ちじゃなければなんでもいいんだよ!
涙を拭いながら改めて辺りを見回すと、周りには、たった今俺たちが入ってきた扉の他に、似たような扉が六個ほど並んでおり、それぞれ上部に番号が割り振られていた。俺たちが潜ってきた扉は『3番』だ。
部屋の中央には、七つの扉とは別に、他とは一線を画すデザインの、黄金に輝く、荘厳で神々しい巨大な扉が鎮座している。
俺たちはガチャガチャと他の扉の取っ手を回してみるが、全て鍵が閉まっているようで開く様子はない。
「とりあえず上に行ってみるか」
「そうですね。他の扉は開かないようですし」
ミケノンを肩に乗せながら、十七夜月と一緒に階段を上っていく。すると徐々に上の様子が明らかになり、俺たちは思わず息を呑んだ。
――本、本、本、本。
そこは一言でいえば書架の迷宮だった。
見渡す限り一面に、本棚がびっしりと並んでいる。360度本だらけで、一体どこまで続いているのか、俺の7.0の視力をもってしても果てが見通せないほどだ。
試しに近くにあった本を取ってパラパラとめくる。……しかし見たことのない文字で書かれていて、まったく読むことができない。
「なんなんだここ? ここが本当に天界――」
「ようこそ、吸血姫ナユタ様」
「――っ!?」
突如、背後から聞こえてきた声に驚き慌てて振り返ると、そこにはいつの間にか一人の女性……いや、少女が立っていた。
肩の下くらいまであるセミロングの黒髪に、澄んだ海のような綺麗な青色の瞳。身長は小柄な俺よりもさらに低く、140センチくらいしかないだろう。容姿も幼く、まだ小学校高学年くらいに見える。
しかし、その愛らしい外見とは裏腹に、その身に宿す雰囲気は形容しがたいほど神秘的で、まるで何百年も生きた老木のような、底知れない深みを感じさせた。
……背後から声をかけられるまでまったく気配を感じなかった。今の俺がここまで接近されて気付かないなど、どう考えても只者ではない。
「そう警戒なさらないでください。私の声にどこか聞き覚えはありませんか?」
「……え?」
少女に言われて、俺は記憶の糸を手繰り寄せる。……そういえばこの声、どこかで聞き覚えがあるような……?
ん、んん……? あ、あれ、え? この声ってもしかして――
「脳内アナウンスの人じゃん! 《【神乳】を獲得しました》、みたいなこと言ういつものあの声だ!!」
「はい、そうです。ナユタ様の脳内に直接語りかけるあの声は、実はこの私がお届けしておりました」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……。つ、つまりは……あなたが神か?」
いきなりの展開に若干困惑しつつも、なんとか言葉を絞り出す。
すると少女はそれまでの可愛らしい笑顔から一変して、まるでゴミを見るような目で俺たちを見下ろしながら、ドスの利いた声でこう言った。
「……はい、その通りです。あなた方……先程から神を前に頭が高いのではありませんか?」
「「「――――ッッ!?」」」
突如少女の全身から放たれた膨大な魔力に、俺たちは思わず大きく後方に飛びのいてしまう。
額からは滝のように汗が流れ、膝がガクガクと震える。隣を見ると十七夜月も顔を青ざめさせ、肩に乗るミケノンは尻尾の毛を逆立てながら、目を見開いて硬直していた。
……け、桁が。文字通り魔力の桁が違う。
天獄を、そして黒竜王を倒し、世界最強となったと自負していた俺の自信は目の前の少女に一瞬にして打ち砕かれてしまった。
こんな怪物相手に戦って勝てる未来が全く思い描けない。もし彼女がその気になれば、片手を軽く振るだけで俺たちは消し炭と化すだろう。
「は、ははぁ~っ! か、神様とはつゆ知らず御無礼をばッ!」
俺は慌ててその場に跪き、額を地面に擦りつけながら謝罪の言葉を口にする。
その姿を見て十七夜月も正気に戻ったのか、俺の隣で優雅に膝をついた。こんなときでも俺みたいに無様に土下座をしないあたり、さすがと言わざるを得ない。
すると、少女は再びその表情を可愛らしい笑顔に戻しながら、ケラケラと楽しそうに笑った。
「ふ、ふふふ……冗談ですよ、冗談。ごめんなさい、私は別に神様でもなんでもありません。ナユタさん、あなたと同じですよ」
「……へ? 俺と同じ?」
「あなたたちが入ってきた扉の近くに、他に似たような六つの扉があったのをご覧になりましたか?」
「あ、はい」
「あの七つの扉はそれぞれ別の世界に続いているのです。そして、私は『7番』目の扉の先にある世界からやってきた、あなたと同じ"世界の覇者"です。神様でもなんでもない……ただの人間ですよ」
は? ……嘘だろ? この娘がただの人間? 俺と同じ"世界の覇者"?
いやいや、そんな馬鹿な……。
だって吸血鬼の真祖たる俺が、"神王の冠"を被って地球の人々から力を借りてようやく黒竜王を倒したときの魔力が1000だとしたら、さっきこの娘が戯れに放っただけの魔力は、軽く数万はありそうな感じだったぞ?
そんなのが神どころか……竜人や吸血鬼のような超常の存在でもない、ただの人間だと? 冗談はやめてくれよ。
俺のそんな心の声が表情に表れていたのか、少女は再びクスクスと笑った。
「仕方ないですよ。第三地球はモンスターもおらず、人々は誰も魔力を持たない平和な世界ですから。そしてダンジョンは、レベルアップといった概念がなく、普通の人間が知恵を絞り、殆ど頼りにならないスキルや、様々な魔導具を駆使しながら攻略していくタイプです。難易度はある意味高いですが、その分敵の脅威度は低く、最終試練のボスも七つの世界で最弱です」
「……そ、そうなんっスか?」
「はい、断トツで。なので必然的に"世界の覇者"の力も、七人の中で最弱となります」
Oh~……。【悲報】俺氏、七天王の中で最弱の存在であることが明らかになる。
で、でも最弱の存在のほうが伸びしろがあるってことだよね? 最弱も成長性Sとか、伸びしろ無限大って言い換えると途端に恰好よくなるよねっ!?
「それに、ナユタさんは吸血鬼といっても、まだ定命種と変わらない年月しか生きていませんから」
……確かに俺は吸血鬼の真祖だが、吸血鬼になってまだ1年、人間だった頃を合わせてもまだ20年ちょっとしか生きちゃいない。
「今の言い方だと、あなたは見た目通りの年齢じゃないように聞こえますけど? え~と……」
「ナナとお呼びください、十七夜月さん」
それまで黙って話を聞いていた十七夜月がおずおずと質問すると、少女は笑顔で答えた。
……ナナさんか。本名かな?
いや、『7番』の扉から来たって言ってたし、偽名の可能性もあるな。まあ、まだそこまで信頼できる関係じゃないし、本名を教える義理はないってことか。
「ナナさんは、一体おいくつなんですか?」
「さあ……百くらいまでは数えていたのですが、途中で面倒になって数えるのをやめてしまいました。もう覚えていませんね」
わぉ、小学生どころか超がつくくらいお婆ちゃんだった。しかし、年齢ついてこれ以上深く聞くのはマナー違反だよな。
「吾輩も質問していいかにゃ?」
「なんですか? かわいらしい猫さん」
「ナユタの心に響く声はナナ殿のものらしいにゃが……ナナ殿が神ではないのなら、あれはどういう理屈だにゃ?」
そ、そうだよ! 俺もそれが気になってたんだよ! 別に忘れてたわけじゃないぞ? とにかくナイス質問だミケノン!
「あぁ……あれは"上"からの依頼です。暇しているのなら声を吹き込んでくれと私の部屋に依頼書があったので、私が第三地球のダンジョンシステムのアテレコを担当したのです。殆どが私の声を利用した"ボイスロイドナナ"による自動ナレーションですが、たまに気まぐれで直接語りかけたこともあるのですよ?」
ああ! だから普段は無機質な感じなのに、俺が最終進化したときだけやけに感情豊かだったのか!
詳細くんもたまに面白いことを書いてたりするけど、あれもナナさんが担当していたのかな?
「"上"とは天界のことかにゃ? つまりここはまだ天界でにゃいと?」
「その通りです。七つの扉の前にあった、ひと際巨大な黄金の扉は見ましたか?」
俺たちはこくん、と頷く。あんなバカでかい扉、嫌でも目に留まるからな。
「あれが天界へと続く扉になります。ここは天界と下界――七つの世界の中間に位置される空間で、私たちは『世界図書館』と呼んでいます」
「世界図書館……」
「ええ、七つの世界に存在する、全ての本が収められているそうですよ? もっとも、下界で新たな本が作られる度に空間が拡張されているらしいので、私も全てを把握しているわけではありませんが」
ほぇ~、凄いな。
俺たちの住む地球の本を集めるだけでもどれくらいの広さになるかわからないのに、七つの世界全ての本となるとその大きさは俺の想像を絶するんだろうな。
「それで、どうやったら天界に行けるのにゃ? 天界にはなにがあるのにゃ? なぜ神はナユタたちを天界へ誘おうとしているのかにゃ?」
ミケノンがナナさんに矢継ぎ早に質問を投げかける。
……まあ、俺や十七夜月も気になっていることではあるし、ここは黙って聞いておこうか。
「まず一つ目の質問ですが、七つの扉が全てが開かれたときに、天界への扉が開くとされています」
「……あれ? まだ全部の扉って開いてないんっスか?」
「はい、ナユタさんで"世界の覇者"は四人目ですね。まだ三つの世界で代表者が決まっていません」
そ、そうなのか。
いや待てよ! さっき俺が七人の中で最弱って言ってたじゃん!? あれはどういうことなんだよ!
……と、声を荒らげたいが、たぶん代表者が決まってない状態でも、他の世界には今の俺より上のやつがゴロゴロいるってことだろうな。
第三地球……めちゃくちゃレベル低いらしいし。とほほ……。
「そして残り二つの質問ですが、はっきり言って私にもわかりません」
「わからにゃい?」
「ガイア、ルディア、ラヴェルナという三姉妹の女神が存在し、彼女らが七つの世界を管理しているということだけは判明していますが、天界がどういう場所で、彼女たちが私たちに何を求めているのかは謎に包まれています」
うーん……。ますます謎が深まってきたな。
しかしこの『世界図書館』にいる状況ですらもう頭がパンクしそうなのだから、いきなり天界になんか招待されなくてむしろ良かったかもしれない。
ナナさんによると他の三人がここにやってくるまで天界への扉は開かないみたいだし、まずはこの状況に慣れることから始めようか。
ここから少し歩いた先に"世界の覇者"たちの住む居住区がありますよ、と言われ、ナナさんに先導される形で俺たちは書架の迷宮を進んでいく。
きょろきょろと周囲を観察しながら歩いていると、ふと気になるものが目に入った。半透明で人型の黒い影のような存在が、本棚を整理したり、掃除をしたりしているのだ。古き良きサスペンスゲームの立ち絵みたいな、そんな感じの影である。
「あ、あの……。ナナさん、あれってなんですか?」
「あれは"
「お~、なんかファンタジーな雰囲気で、私こういうの大好きですね~」
「ふふ……彼らには意思も感情もありませんが、元の人間の能力を完全に受け継いでいるため、様々な仕事を任せることができますよ」
「たとえばどんなことにゃ?」
「そうですね。奥の方には野球場やサッカー場などの様々な施設もあるのですが、現在、過去……地上に存在したあらゆるスター選手の影を再現し、彼らのプレイを観戦したり、または一緒に混じってプレイすることも可能です」
ほぇ~、それは面白そうだな。
しかし本だけじゃなく遊戯施設まであるのかよ。ここは天界との中間地点らしいが、俺たち地上の人間にとってみれば殆ど神の住まう天界と遜色ないんじゃないか?
俺が感嘆の息を吐いていると、ミケノンは興味津々といわんばかりに目を輝かせながら、ナナさんに再び質問する。
「ナナ殿はナユタや我々のことを見ていたみたいにゃが、ここから地上の様子を観察したりもできるのかにゃ?」
「そうですね。世界の鍵を使えば、自分の世界の様子なら覗き見ることができますよ。地上のテレビやインターネットにも接続できるようです」
「ふわぁ~、まさに神様のような力ですね……。他の世界は見れないんですか?」
「その世界の鍵を持っていない限り、本来は無理ですね。ただ、私は第三地球のダンジョンのアテレコを担当したご褒美として、上から特別に第三地球の様子を見ることができるレプリカの鍵を授かりました。なので、ナユタさんの冒険は最初から最後まで拝見させていただきました」
「な、なんだか照れるな……」
ということは、俺のあんな姿やこんな姿も見られたってことか? うわぁ、めちゃくちゃ恥ずかしいな!
でもこの人は百歳を優に超えるお婆ちゃんで、一応は人間らしいけど俺から見たら神様と大差ない超常の存在だし、別に気にする必要なんてないのかな?
「特に天獄との戦いは手に汗握りましたよ。ナユタさんがやられそうになったときは思わず叫んじゃいましたし。……あ、ここが居住区です」
会話をしながら歩いていると、いつの間にかホテルの廊下のような細い通路に辿り着いていた。
廊下は一直線に続いていて、突き当たりまでに七つの扉が見える。ナナさんは三番目の扉の前で立ち止まると、俺に鍵穴に世界の鍵を差し込むように促した。
ポケットから世界の鍵を取り出すと、ナナさんに言われるがまま鍵穴に差し込み、ガチャリと回す。
そして中に足を踏み入れた俺たちを出迎えたのは――
「あれ? ここって私たちのマンションじゃないですか?」
そう、そこは見慣れた俺と十七夜月の住む自宅のリビングだった。
家具や小物など、生活感に溢れたその空間は、まるで本当に俺たちが住んでいた部屋のそのもののようにしか見えないが……。
どういうことなのかとナナさんの方に目を向けると、彼女はクスクスと笑った。
「部屋は主の求める形に変化するそうですよ。ナユタさんはホテルの豪華なスイートルームよりも、住み慣れた自分の家のような空間を望んでいたのでしょう」
な、なるほど……。確かに俺は豪華なホテルよりもちょっと狭いあの自室が一番落ち着くって思ってたけど……。
しかし、さすがに完全には再現されていないようだ。窓の外は真っ白な空間だし、それにキッチンの壁に謎のモニターが埋め込まれている。
「ナナさん、あれってなんですか?」
「……ああ、あれはですね」
とてとてとモニターに近づいたナナさんが、タッチパネル式の画面を操作すると、飲食店の食券販売機のような画面が表示される。
そこには様々な料理の写真が表示されており、ナナさんはその中から豪華な寿司の写真をタッチして、確定ボタンを押した。
すると、『ガコンッ!』とモニターの横の壁が開き、中から寿司の入った桶と、箸や醤油の小皿が現れる。
「うおぉ、すげぇ!」
「黒毛和牛ちゅーるもあるのかにゃ!?」
「下界にある食べ物はなんでも出てくるそうですよ?」
「……もうここが天界ってことでいい気がしてきました」
十七夜月の言う通り、人々が想像する天国ってこんな感じなんじゃないだろうか。さすがは世界の頂点のたった者しか入れない場所だ。ファンタジー具合が半端ない。
テーブルに座ってもぐもぐと寿司を頬張ると、信じられないくらい美味かった。
ちなみに食べ終わった後の食器類を廊下に出しておくと、いつの間にか影人が現れて片付けてくれるらしい。
……う~ん、あまりにも至れり尽くせりな環境で、なんだか堕落してしまいそうだ。
◇
「あ……。ど、どうも……」
「…………」
ある日の昼下がり。図書館の廊下で、お姫様のような美しい容姿をした金髪の少女とすれ違ったので、俺はおずおずと声をかけてみた。
しかし少女は俺を一瞥すると、まるで興味がないといわんばかりにスタスタと去って行ってしまう。
うん? 「おい、あいさつくらいしてけよ」とか、「俺ナユタ、君の名は?」とか、話しかけないのかって?
……無理に決まってるだろ。だってまるで服のようにナチュラルに身体を覆う魔力が、俺が全身全霊を込めて絞り出した魔力の何倍、いや何十倍あるかわからないんだぞ。一声かけるだけでもかなりの勇気を振り絞ったのに、これ以上のアプローチなんてできっこないわ!
なんなんだよここ……。ナナさんの従者か、それとも別の世界の覇者かはわからないが、どいつもこいつも常軌を逸したバケモノばっかりで気が滅入るよ。
恐竜の闊歩するジュラ紀のジャングルに放り込まれた子猫の気分だぜ……。
溜め息を吐きながら、書架の迷宮をあてもなくうろうろする。最初の数週間は遊戯施設で遊んだり、豪華な食事をしたり楽しく過ごしていた俺だったが……やがて飽きてきたのか、次第に暇を持て余すようになってきたのだ。
ここには遊戯施設だけじゃなくて、音楽や映画、ゲームなども数えきれないくらい存在するのだが……なんかこう、この環境が落ち着かないというか……。
ナナさんなんかは、二十四時間ずっと同じ場所で微動だにせずに山積みになった本を黙々と読んでいたりするし、所詮俺の精神はまだ定命種、百年を優に超える悠久の時を生きる彼女たちとは、根本的に時間の感じ方が違うのだろう。
近くにあった"転移ポータル"に触れる。
図書館の各地に点在している謎の石碑のようなこれは、広大な『世界図書館』の中の様々な場所を一瞬で行き来できる、いわばワープ装置のような機能を持っていた。
俺は扉の間を選択して、七つの扉があるホールへと転移する。
そして、扉を『1番』から順番に眺めていき……やがて『4番』の扉の前に辿り着くと、扉の表面をそっと撫でた。
「……」
ドアノブを回す。しかし当然ながら鍵が掛かっていて扉は開かない。
だけど俺は、その『4番』の扉の前で、ただじっと立ち尽くしていた。何十分も、何時間もずっと……。
……
…………
………………
「先輩、またここに来てたんですか?」
「ここのところ毎日来てるにゃ~」
「十七夜月、ミケノン」
いつの間にか俺の後ろには、肩にミケノンを乗せた十七夜月が立っていた。時計を見てみると、もう既に深夜を回っている。
「……その扉、やっぱり気になるんですか?」
「うん……。俺は、ここに行かなきゃいけない気がするんだ」
どうしてかわからない。だけど、この扉を見ると、心の奥底がざわつくんだ。
まるで……自分がやるべき大切なことを思い出せと、俺の魂が訴えかけてくるような感覚だった。
「ふ~む、それは興味深いですね?」
「ナナさん」
と、そこにナナさんがひょっこりと現れる。
彼女は俺の隣に立つと扉にそっと触れながら、顎に指を当てて考え込んだ。
「あの、ナナさん。この扉の先って、行くことはできないんですか?」
「ここはまだ"世界の覇者"が決まっていないんですよ。誰も鍵を持っていないので、この扉を開けることはできません」
「そうですか……」
落ち込む俺を見た十七夜月が、俺の背中を優しく撫でながらナナさんに話しかける。
「それよりこの『4番』の扉ってどんな世界に続いているんですか? 4番目だし、やっぱり第四地球とかですか」
「いえ、女神ガイアの管理する地球は第三までですね。そこは別の女神が管理している世界です」
「別の女神?」
「はい、女神三姉妹の次女、ルディアが管理する剣と魔法の世界――」
ナナさんはそこで一旦言葉を区切ると、俺のクリムゾンレッドの瞳をジッと見つめながら、囁くようにその名を告げた。
「――
ドクン、と心臓が大きく跳ね上がる。
アストラルディア……そう、そこだ。俺は子供の頃からずっとどこかに行かなきゃいけないような、そんな気持ちを抱いていたんだ。
この名を聞いた瞬間、それが確信に変わる。ここに、この扉の向こうに俺の大切な何かが待っている……気がする。
そんな俺の様子を見たナナさんは、ふむふむと頷くと人差し指をピンと立てた。
「……ああ、もしかしたらナユタさんはこの世界の出身なのかもしれませんね」
「え? 俺は生まれも育ちも地球ですよ?」
「いえ、そうではなく……。生まれる前の話です、いわゆる前世ってやつですね」
前世? 確かに異世界転生とか、前世の記憶が蘇ったとか、そういう話は物語ではよく聞くけど……。でも、俺は本当に地球で生まれ育ったし、前世の記憶なんて全くないぞ?
と首を傾げていると、ナナさんが俺の疑問に答えるように口を開いた。
「普通は死ぬと魂は完全に浄化されて、新たな生命として生まれ変わるのですが……稀に前世の記憶を保持したまま転生する魂が存在するのですよ。そういった魂は総じて元いた世界ではなく別の世界に生まれ変わることが多いようです」
「俺がそうだと?」
「はい、完全に記憶があるタイプと、きっかけがない限りは前世の記憶を思い出せないタイプの二つがあるのですが、ナユタさんは後者のタイプかもしれません。なにかどこかに行かなければという強い焦燥感を感じたり、まるで明晰夢のような知らない場所の夢を見たりすることはありませんか?」
「あ、あります! 昔からそんなことがたま~に!」
「ええ~……。先輩転生者だったんですか? 学生時代に『俺はどこかに行かなければならない気がする……』とか言ってたの厨二病じゃなかったんですね」
……そんな風に思われていたのか。いや、確かにそんなセリフを真顔で言ってたらそう思われるのも仕方ないが……。
それにしても前世か……まさか自分がそんなファンタジーな存在だったなんて思いもしなかったな。だったらせめてチート能力くらいくれてもよかったのに。
「にゃるほど、わかったにゃ」
「なにがだよミケノン?」
「ナユタの前世は、もしかしたらメスだったのかもしれないにゃ」
「……え? なんで?」
「ああ、そういうことですか! 先輩、昔からなんか自分の存在に違和感があるってよく言ってましたもんね。だから今の少女体になってから、しっくりきたんじゃないですか?」
マジか……。ここにきて衝撃の事実が判明。俺氏、何回もTSしていた可能性があるらしいです。
いや、でも前世のことなんて普通は覚えてないんだから、十七夜月や人気アイドルだって、もしかしたら前世は冴えないおっさんとかだったかもしれないじゃん……。
「最初からずっと見ていましたけど……。ナユタさん、あなたにはなにか不思議な力が働いている気がしますね」
「不思議な力……ですか?」
「ええ、本来ならあなたは最初のダンジョンで命を落すのが自然だったように思えます。それが……天獄将徳の【天運】に匹敵するレベルの奇跡的な偶然が重なった結果生きながらえ、そして最終的にはこの場所にまで辿り着いた。まるで、誰かがあなたをここに導くために運命を捻じ曲げたかのようです」
ナナさんの言葉に、思わず唾をごくりと飲み込む。
確かに改めて言われてみれば、俺の魂と少女の肉体との統合や、俺たちのスキルが奇跡的にかみ合ってチート能力と化したのは、運や偶然という言葉では片付けられないほどのなにかを感じるが……。
「まあ、とにかく先輩の前世の記憶? とやらが蘇ればわかるんじゃないですか?」
「え~……怖いんだけど。万が一前世の記憶が蘇ったら、それに乗っ取られて俺が俺じゃなくなったりしない?」
両手で肩を抱きながら、ぶるりと震える。
しかしナナさんはそんな俺の不安を払拭するかのように、優しく微笑んだ。
「魂がそのままなら、本質は変わりませんよ。三つ子の魂百まで……という言葉もありますし、根本的な部分はきっと変わらないはずです」
ううむ、ナナさんがそう言うのなら、きっとそうなんだろうが……。でも、やっぱ怖いな~。
まあいっか、前世が何者だろうと俺は俺だ。前世の俺がどんな奴だったとしても、受け入れてやる覚悟をしておこう。
「にゃけど、結局はこの扉が開かにゃい限り、ナユタはアストラルディアに行けないにゃ。一体いつ頃開くのかにゃ?」
「う~ん、それは私にもわかりませんね。世界によって流れる時間も違いますし、どのような世界かはここにある本で大体はわかりますが、実際にその世界が現在どういう状況なのかは、鍵がなければ基本的に覗けませんから……。ちなみに参考までに教えておきますが、前回の扉が開いてからナユタさんがやってくるまでは、大体百年くらいでしたね」
「「「ひゃ、百年!?」」」
彼女からしてみれば大したことない時間なのかもしれないが、精神が定命種である俺にとっては気が遠くなるような長い時間である。
……え~、どうしよう。もうここに飽き始めてたところなのに、百年後までここで待機とか精神的に無理なんですけど……。一旦第三地球に帰るか?
そんな俺の心を見通したのか、ナナさんはにっこりと微笑みかけながら話しかけてきた。
「もしよろしければ、私の世界にでも行ってみますか?」
「え? ナナさんの世界ですか?」
「はい。所謂皆さんの想像する典型的な、剣と魔法のファンタジー世界というやつですね。冒険してもいいですし、ナユタさんの力を伸ばすために修行するのもいいかもしれません」
「にゃにゃ!? 剣と……」
「魔法の!」
「ファンタジー世界!?」
その響きに、俺たち二人と一匹は目をキラキラと輝かせた。
……いやだって、剣と魔法の世界だぞ? 男の子だったら……いや美少女でも、一度は行ってみたいと思うだろう。
それに俺はこれでも一応は吸血姫で"世界の覇者"なわけだし? 凶悪なモンスターが蔓延る異世界でも、それなりにやっていける自信はある。
「ねえ、ナナさん! もしかして、冒険者ギルドとかあったりする?」
「ふふふ、もちろんです。冒険者の頂点、特級冒険者を目指してみるのも面白いと思いますよ? ちなみに私も元特級冒険者です。まあ、"世界の覇者"になってしまったので、その記録はどこにも残っていませんが」
特級冒険者! おお、いいね。なんかもう冒険者って響きだけでワクワクしてくるよな。
ナナさんの世界で冒険か……よし、決めた! ちょっと行ってみよう!
「どうやら決まったようですね。では、これをお持ちください」
世界の鍵 (No.7)を右手に持ったナナさんがその手に魔力を流すと、黄金の鍵がブレて、同じ形をした銀色の鍵が出現する。
「これは世界の鍵のレプリカです。複製とはいえ、ちゃんと扉を開き、使用者と従者二名を第七世界と転移させる力があります。ただし、レプリカは行って戻るの二回が限度の消耗品で、扉を召喚する力もありません」
「え~と、それってつまり……」
「はい、一度扉をくぐると、私が世界のどこかに設置した帰還の扉を見つけるまで、こちらには戻れなくなります」
「ナユタの持つ世界の鍵 (No.3)は使えないのかにゃ?」
「世界の鍵は、基本的にその世界と『世界図書館』でしか使用できないのですよ」
なるほど……。つまりは年単位の冒険を覚悟しろってことか。まあ、それくらいのスリルはあって当然だよな。
俺はナナさんから銀色の鍵を受け取り、その感触を確かめるようにぎゅっと握り締める。
「よっしゃー! それじゃあ、未知の世界の冒険に出発だー!!」
「なんだか私もワクワクしてきました。異世界か~、どんなところなんでしょうか? イケメン王子や悪役令嬢とかもいますかね?」
「異世界なら猫の国を作っても問題ないかにゃ?」
意気揚々とNo.7の扉の前に立つ俺。その隣には、十七夜月とミケノンが期待に目を輝かせながら並んでいた。
俺が鍵穴に銀色の鍵を挿し込むと、ナナさんに背後から声を掛けられる。振り向くと、彼女は両手をパーにして、俺たちに手のひらを向けていた。
「あなたたちがこれから向かうのは、女神ラヴェルナの治めるモンスターと魔力に満ちた世界、"ラヴェルナステラ"。人は生まれながらに魔力を持ち、凶悪なモンスターが溢れる危険な世界です。私が知る限りでも今のあなたより力が上の存在は、両手の指では足りないほど存在しています。いくら"世界の覇者"といえ、油断すれば死なずとも後悔するような事態に直面することでしょう。そのことを努々忘れないように、そして……どうか無事に帰ってきてくださいね?」
ナナさんの言葉に俺たちは力強く頷くと、No.7の扉に足をかける。
第三地球では最強無敵の美少女に至ることができた。
しかし、世界はまだまだ広い。きっと、この扉の向こうには俺の知らない強敵や試練が待ち受けていることだろう。
だが……それがなんだ?
俺は吸血鬼の第四真祖――"吸血姫ナユタ"だ! あらゆる困難を乗り越えて、いつかナナさんを超えるような宇宙規模の最強無敵の美少女になってやるぜ!
右手で十七夜月と手を繋ぎ、左手で肩に乗るミケノンをモフると……俺は決意を胸に扉の中に飛び込んだのだった――。
~ FIN ~
──────────────────────────────────────
ご愛読ありがとうございました。これでナユタの冒険譚はいったん終了となります。
最後まで読んでくださった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
もしちょっとでも面白いと思っていただけたなら、是非★★★評価をよろしくお願いします!
次回作……もしくは続編を書くにあたり、大きなモチベーションとなります!
また、単体でも楽しめるような作りになっていますが、私の作品は最後に出てきた七世界のどこかが舞台となっている場合が多いので、他の作品も読んでいただければ、ニヤリとできる場面があるかもしれません。興味があれば、是非ご覧になってください。
では、また次の作品でお会いしましょう!
吸血姫ナユタ 〜ダンジョンで死んじゃった俺だけど、超低スペックゾンビ少女として蘇ったので、最底辺から最強目指して頑張ります!〜 須垣めずく @mezukusugaki
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