第4話 イポーにて

 初めて海外出張に行ったのは、マレーシアでした。

 クアラルンプール空港まで現地駐在員に迎えに来ていだだき、イポーの街に着いたのは、日没後でした。現地の方と、洗ったバナナの葉の上に細長い炊いたタイ米を乗せ、薄いカレーの汁を上からかけた物と、5種類のカレーが小鉢に入った物を、インド風に右手で食べるレストランで夕食を済ませ、ホテルで翌日のスケジュールを確認して、部屋に入りました。

 

 暑さと湿度が高く、ホテルの前は街でしたが、部屋から見える側は、多分ジャングルなのか、星空の下は真っ黒で何も見えません。

 

 南方特有の匂いと、何か日本では聞き慣れない色々な虫?か爬虫類?か鳥か分からない物が、真っ暗なジャングルの中で鳴いております。

 ホテルの窓を開けて、ベランダに出ますと、見慣れない星空です。どれが何の星座だ?と真上を見上げますと、日本では南の低位置に見える蠍座が、真上にあります。なるほど。南に来ている。と当たり前の事に納得しながら、定番の南十字星は?ありました。あっちが南か。と、一人子供の様に喜んで、思わず、「七夕の歌」や、「キラキラ星」「蠍座の女」などを歌ってしまいました。

 

 すると部屋の方から、急に「ケケケケ!」と笑い声がしました。ドキ!として部屋を見ますと、部屋の窓も壁もイモリだらけで、そいつらの中に、「ケケケ!」と笑う奴がおりました。

 「なんだ。イモリか。鳴きイモリ?」等と思いつつ、エアコンの風に疲れたので、網戸を閉めて外気を少し入れるか。と部屋に戻って、網戸を閉めました。

 

 やたらと広い洗面所兼バスルームは、何故かガラス張りで、風呂に入っているのが部屋から丸見えです。

 「なるほど。そっちが目的の客には、エロい作りなのか?ビジネス一人旅には、何も関係ないな。」等と思いつつ、浴槽でゆっくりしておりますと、網戸が閉まっているベランダに何かが来たのが見えました。

 

 「え?動物?やばいかな?」と思い、風呂の中でじっとして様子を見ておりますと、だんだん形が分かって来ました。が、分かってくる程、何だか分からない物でした。子供番組に出るマスコットのムックからプロペラと目玉を取って、胴体を真横に切って半分くらいにしたようなもの。真っ黒で毛だらけのパックマンとでも表現したらいいでしょうか。


「猿か?オランウータンはマレーシアには居なかったと思ったが。他の猿なら色々いるかな。でもオランウータンぐらいデカいな。これは本当にやばいかも。」と、しばらく風呂に隠れるようにして見ておりました。

 

 しかし其奴は、全然動く事がなく、身体中の毛だけが、わさわさと靡いております。すると不思議な事が起こりました。網戸も開けず、まるで何も障害物がないかの様に、そいつがスーっと部屋に入って来たのです。

 

 スーっととしか表現が出来ません。その毛だらけの下に足か何かがある様には見えず、滑る様に移動してきたからです。

 

 部屋に入ってきた奴は、真っ直ぐ私のベッドに近過ぎました。ベッドの上は、開けっぱなしの旅行カバンから着替えだけ出して、中身が落ちない様に毛布をかけておりましたので、ちょっと見、人が寝ている様に見えます。


 風呂は湯船に入ったあと、ガラスごしに外の星が見えるかな。と消灯しておりましたので、灯は非常灯のように常時付いている小さい電球が部屋に三箇所と、外からはいる僅かな光だけでした。

 その真っ黒い奴は、スーッ、スーッと移動しながら、私のベッドの周りを周りだしました。何か聞こえます。何か言っている様です。耳を済ませて聞いておりますと、どうやら現地のマレー語や、人口の第二位を占める中国人の中国語でも、三番目に多いインド系のヒンディー語でもなさそうです。何か日本語の様にも聞こえます。

 

 もう10分は経過したでしょうか。ベッドの周りで呪文の様な物を唱えながら、グルグルと周っていた奴は、急に周るのを止め、また網戸の方に行くと、スゥーっと網戸を通過して、出ていってしまいました。


 また入ってきたら大変です。音を立てずに風呂から出て、そろそろとベランダに近づき、網戸を確認すると、しっかり閉まっています。


 窓を音を立てない様にゆっくりと締め、鍵をかけ、部屋中の電気をつけました。

 ベッドに行って、何か落ちていないか探しましたが、あれだけの毛があったのに、毛は落ちておりません。

 

 ベッドの毛布をめくって言葉を失いました。開いたままの旅行バックの荷物の上に、見た事のない汚れた手拭いの様な布が乗せてあり、枕元には、赤茶色の小さな蛇がいたのでした。

 うわ!っと思い、ホテルマンを呼ぼうと、蛇に気をつけながら内線電話を取ろうとして、蛇をよく見ると蛇ではありません。赤錆た金属で出来た物の様です。

「何だこれは?」と、ちょっと安心して、それを取り上げました。相当古い鉄製の何かです。

 それと、汚い手拭い。雨風に晒されて、ジャングルと同じ匂いがします。広げてみるとかなり擦れているのですが、墨でかいた様な文字の一部が確認出来ました。

「武運長」迄の文字。「これ、旧日本軍の?何で部屋に?」と考えると、ゾッとして、恐怖の気持ちもありましたが、同時に激しく鎮魂の気持ちが湧いてきました。

思わずそれらを部屋のやや高い花瓶台の上に置き、旅行の時に持ち歩いている、地元の神社のお守りと、当時吸っていた煙草を炊いて、鎮魂の祈りをささげ、翌朝までまんじりともしない一晩を過ごしました。


 翌朝、私の部屋の担当のボーイにも、現地スタッフにも聴いてみましたが、結局何も分からず、業務の間はずっとホテルの部屋で祀っておりました。

 その後は、部屋には何も起こらず、私も窓を開ける事もありませんでした。

 やがて帰国する事となり、マレーシアの税関等に錆びた金属と手拭いを見せましたが問題はなく、日本国内でも問題はありませんでしたので、土産物と一緒にして持ち帰りました。


 帰国後、まず、陸上自衛隊の武器学校出身の友人に、錆びた鉄を診てもらいました。しばらくして彼から連絡があり、おそらく、大東亜戦争当時の歩兵銃か騎兵銃の部品だろうとの事でした。次に奈良時代から続く神社の宮司をしている友人宅に言って、金属と手拭いを見せて相談しました。手拭いは「武運長」までがやっと読めるだけで、なにも手掛かりがなく、彼が管理している神社の境内に、戦没者の慰霊碑と遺品を収納する保管庫があるのでそちらに納め、鎮魂のお祀りをしてもらったのでした。  了

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栃木怪談 スピンオフ 栃木妖怪研究所 @youkailabo

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