一つ眼
武江成緒
一つ眼
その日の朝、開いたお目めに、いつもの通りのお部屋がうつり、あたらしい一日がはじまったのだとわかっても。
葵ちゃんはご機嫌でした。
「お母さん、わたしね、夢の国の王子さまに会って会ってきちゃったよ」
スクランブルエッグを焼いたフライパンの油をきれいにふき取りながら、はいはいと、聞き流していたお母さんも。
あまり一生懸命なそのお話を、聞き流せなくなりました。
駅ビルよりもたかいお山のてっぺんに、もひとつお山を重ねたようにそびえるお城。
おおきなおおきな、結婚式のケーキみたいなその、いちばん上の大広間では、見わたすかぎりにパーティーがきらきら果てなく広がっていて。
そのまんなかに、これまたおっきな、赤いビロードとほんものの金でできたバラの花のような椅子。
そこに座っていた人こそ、お城の王子さまなのでした。
「王子さまのお目めってね、ほんとにほんとにきれいなの。
あの椅子のビロードよりも、春にいったバラ園のバラよりも、テレビでみた博物館のルビーよりも。
まっ赤でまっ赤で、いまも目にみえるような気だってするの」
「葵、もうお話はいいから。
はやく出ないと遅刻するわよ!」
「だってほんとにきれいなんだもん。
いまだって、あのまっ赤なお目め、王子さまがすぐそこにいるみたいに思い出せるよ」
「いいから! はやく支度しなさい!」
葵ちゃんを送り出す、というより追い立てたお母さん。
玄関から、その背中を見送ろうとして。
背すじも腕もぞわりとしました。
葵ちゃんの赤いランドセルにかぶさるように、なにか黒い影みたいなものが、ゆらりうごいた気がしたのです。
夢の国の王子さまのお話は、学校へむかう道のとちゅうでもやむことはありませんでした。
いちばんご近所の陽菜ちゃん、保育園のころからの友達の愛莉ちゃん、おなじ読書クラブの結衣ちゃん。
登校仲間のみんなにも、葵ちゃんはお話しします。
王子さまがどんなにすてきだったことか。
王子さまの目がどんなにかがやいていたか。
あの赤い目が、いまだって、どこからかじっと見ているような。
そんな感じも、
葵ちゃんの、夢の話にはなれっこのはずのみんなも、すこし気味わるそうになって。
もうそれに気づく様子もないままに、葵ちゃんは話しつづけます。
「ほんとだよ。今だって、王子さまの目めが、わたしをじっと見ているの。
あのきれいな、まっ赤なお目め。
赤信号より、学校の花壇にさいてるアネモネより、夕焼けより、血よりも。
去年、みんなでいっしょに行ったサマーキャンプの夜のキャンプファイアーよりも」
その言葉にこたえたように。
葵ちゃんの赤いランドセルが、いきなりはじけて燃えあがりました。
まえに理科の授業でやった、虫眼鏡の光をあつめて紙を燃やす実験を。
早送りにしたように、ずっとはげしくしたように。
胸に燃えあがる火の穴があいて、それが葵ちゃんのすべてをまっ赤につつむまで。
夢みてるような笑顔がかわる間さえもありませんでした。
陽菜ちゃんも、愛莉ちゃんも、結衣ちゃんも、近くを歩いていた人たちも。
アスファルトよりも黒くなった葵ちゃんの残骸を、声もだせずに見おろしているのでした。
「夢の国の王子さまって……」
しばらくして、結衣ちゃんが、ぽつりと声をだしました。
「……一つ眼だったんだね」
地面にくずれた残骸の、胸のまんなかあたりだった所にあいた、たった一つの穴を見ながら、そうつぶやいたのでした。
一つ眼 武江成緒 @kamorun2018
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