第6話 まさかの合同合宿

「これは……なんとも滑稽な……」

 惣次郎が、鏡に映った自分の髪型を見てぽかんと口を開けている。その締まらない口元から、今度は溜息が漏れた。惣次郎のヘアカットを担当した二十代前半くらいの青年から、ヘアカラーなども勧められたが、よく分からないながらもそれだけは何とか阻止することが出来た。

 それもそのはず、奏人の私服を身に纏い、菜奈に無理やり連れられやってきたヘアサロンで、マンバン風にカットされていたからだ。

「いーじゃん。すっごくかっこいいよ、惣ちゃん」菜奈が笑顔で親指を立てた。

「我はそうは思わぬが……」

 惣次郎は、入口付近に並べられたアンティーク調な椅子に腰かけて待っていた菜奈の所まで戻ると、しょんぼりしながら項垂れた。

 男性用ハーフポニーテールとでもいうのか、サイドを刈上げられ、真後ろで一つにまとめた涼しげな髪型は、彼の長身と日本男児らしい顔立ちを際立たせている。だが、惣次郎からすれば、迷惑極まりないこと。それでも、菜奈から「髪型を変えないなら一緒に歩かない」と、半ば脅され従うほかなかったのである。

「あとさ、我じゃなくて僕か俺だって教えてあげたでしょう。せめて私とか。ちゃんと意識して使い分けてよね」

「そう言われてもじゃな……」

「だーかぁーらぁ、語尾も『だ』だってば!」

「菜奈殿は、母上並みに厳しいのう」

「それも違ぁう! 私とか星南のことは呼び捨てでいいって言ったでしょうが!」

「分かった、分かった。我……いや、私が悪かった。だから機嫌を直してくれ」

 怒りすぎて思わず鼻の穴を膨らます菜奈に対し、惣次郎は相変わらず苦笑いを浮かべながら、マイペースな返答を繰り返している。行のタクシーの中でも、ヘアサロンについてからも、惣次郎と菜奈の会話は浮きまくっており、タクシーの運転手も、惣次郎を担当した美容師も、心の中ではつっこみまくりだったに違いない。これらの言動に関しては、慣れるまでに相当な時間を要することだろう。


 会計を済ませ、一歩外へと出ただけでじんわりと汗が滲み始める。

「うぅ、暑い……」菜奈がうんざりしたようにいった。

「菜奈は暑さに弱いのか?」

「弱いっていうか、こんなに暑いと誰でもこうなるでしょ?」

「そうかのう。鍛え方の問題ではないか?」

「……惣ちゃん、私にケンカ売ってる?」

 そんなふうに言い合いながらも、二人して最寄り駅まで歩き始める。行きは仕方なくタクシーを使った分、帰りはそうはいかない。

 駅までもう少しのところまできて、菜奈はたまらずいつものアイスクリーム専門店へ入ろうと、これまた無理やり惣次郎の腕を強引に引き寄せる。

「ここは?」

「冷たくて美味しい、アイスクリームっていう食べ物を売ってるお店だよ」

「あいすくりーむ? なんじゃ、それは」

「食べてみれば分かるって」

 店内、すーっと業務用冷房による爽快感に包まれる。

「すみません、バニラとチョコミントを一つずつください」

 甘いものが大好きな菜奈にとって、アイスクリームを食べている時が一番の癒しであり、このお店も通い慣れていた。と、注文を受けた女性店員が、ステンレス製のアイスディッシャーを使ってカップに素早く綺麗に重ねていく。

「しかし、立派な氷室じゃな。しかも、色とりどりの氷塊らしきものがこんなに……」惣次郎が、アイスケースを覗き込みながら呟いた。

 惣次郎が生きた平安時代後期にも、現代の冷蔵庫を思わせるような保存方法が存在した。当時の氷は、雪解け水を使った池で凍らせたものを、氷室と呼ばれる穴に運びこみ、わらびの穂や茅を敷き詰めた上に並べ、更に氷全体を覆って保管していた。

 次いで、その手際の良さに驚き感嘆の声を上げる。そんな彼に対して、店員も嬉しそうに微笑んだ。

 菜奈は気づいていた。ヘアサロンにいた時も、周りの女子の、彼を見る目が違うということに。もとの惣次郎も容姿端麗だが、現代風の服装と髪型によってそのイケメン度は半端なく上がっている。昔人の割には長身で、爽やかな笑顔と涼やかな声による破壊力は半端ないといえよう。

「お待たせしました。あの、オマケしときましたんで」

「え、いいんですか?」菜奈が少し呆気に取られたようにいった。

「はい。全然大丈夫です!」

 会計を済ませ、バニラのほうを惣次郎に手渡すと、菜奈はずっとこちらを見て何やらコソコソと話し込んでいる店員たちを横目にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「ぬふふ。なんか得した気分」

「これが、あいすくりーむか……。どのようにして食するのじゃ?」

「このスプーンっていうのを使って、こうやって掬って食べるんだよ」

 言いながら、菜奈がお手本とばかりにローズピンク色のテイストスプーンを使って食べてみる。惣次郎も、彼女を真似して一口頬張ってみた。と、たちまちクリーミーなバニラのまろやかな甘みが口いっぱいに広がっていく。

「これは冷たくて美味じゃのう!」

「でしょう?」

「母乳の味、とでもいうか」

「ぼ、母乳って……まぁ、間違ってはいないけど」

「菜奈のも一口貰ってもよいか?」

「いいよー。でも、これは好き嫌いあるかもなぁ」

 案の定。チョコミント味を口に運んだ途端、惣次郎は露骨に渋い顔をしてすぐにそれを飲み込んだ。

「ぐっ、これは不味い。何がどうなればこのような味になるのじゃ……」言いながら、惣次郎は口直しとでもいうかのように、自分のアイスクリームを掻っ込んでいく。そんな彼を見ながら、菜奈は楽し気に笑った。


 *


 菜奈たちが雄一郎の家に戻った頃にはもう、すっかり日も暮れていた。すぐに帰宅しようとした菜奈であったが、明日から夏休みなのだから、夕飯食っていけ。と、言う雄一郎からの誘いを受けることにした。断れない理由として、今夜の星南家の晩御飯が、彼女の好きな刺身だったから。と、いうのもある。

「菜奈ちゃん、今夜は泊まっていけるんだろ?」雄一郎がいった。下町っこ特有の挨拶みたいなものだが、また当たり前のように尋ねてくる雄一郎に、菜奈は顔を引き攣らせながらもにっこり微笑む。

「いえいえ、これご馳走になったら普通に帰りますよぉー」

「泊ってったほうがいいんじゃねー?」菜奈の隣、奏人が味噌汁をすすりながらいった。

「ほ、星南まで何言っちゃってんのよ!」

「三上たちが出かけてる間に、俺なりに比翼の鳥のことを調べてみたんだけどさ、比翼の鳥って中国の伝説上の生物で、一つの翼と一つの眼しか持たないらしい。しかも、雄と雌が対になって、互いに寄り添えなければ飛べないそうだ」

「だから?」

「だからさ、雄が雌を探してるわけだろ? 惣次郎も言ってたけど、三上も狙われる可能性があるってこと」

「そのへんはさ、惣ちゃんから貰った剣もあるし、いざって時はそれで自分の身くらい守れるから大丈夫」

 菜奈が自信満々に言い切る。と、向かい合わせに腰かけている惣次郎が真顔でいった。

「妖の力を見縊らぬほうが良いぞ。今の其方らは、奴らからしたら赤子のようなもの。誤れば、命をも落としかねない」

「それは、嫌だけどさ……」菜奈はさらに困ったように顔を歪めた。

「三上は今夜ここに泊まって、何かあった時はじーちゃんと、惣次郎に守って貰えばいい。俺は家に帰るから」

 自分はいない方がいい。奏人はそう思いながら、ご馳走様でした。と、言って帰り支度を始める。菜奈は何かを言い返そうとして、その言葉を飲み込んだ。

「待たれ、奏人。其方のほうこそ、我の傍にいて貰いたい。ある程度戦術をものにするまでは、我と行動を共にして貰うぞ」惣次郎が、手を休め諭すようにいった。

「俺も?」

「当たり前であろう。其方らの本来持ち合わせた力を引き出し、守るべく我は目覚めたのじゃ。少なくとも、その夏休みとやらが終わるまでは共に術を学び、習得して貰わねばならぬ」

「まるで夏の合宿みたいじゃな。こりゃあ、面白くなってきたわい」雄一郎が、手酌で日本酒を飲み干し、かっかっかと楽し気に笑う。

 奏人と菜奈は、雄一郎と惣次郎を交互に見遣ると、同時に溜息をこぼした。


 夕食後。菜奈の両親に外泊許可を得たことで、奏人と菜奈は、惣次郎に付き添われながら互いの家を行き来し、合宿用の荷物を確保した。菜奈の父である文隆にとって雄一郎は、剣術を嗜む同志であり、尊敬すべき人物であった為、外泊許可を取ることは容易かった。

 小さめだが、この家の隣に道場がある。菜奈にとっても、剣道部の夏合宿以外に雄一郎や惣次郎の下で稽古が出来るというのは願ってもないこと。だが、一か月以上もの間、奏人と共に生活しなければならないという苦悩がつきまとっていた。

「おーい、菜奈ちゃんも一杯やらんか?」

 縁側にて、惣次郎と共に月見酒と決め込んでいる雄一郎から声をかけられ、少し離れた居間でテレビを観ていた菜奈が、苦笑交じりにゆっくりと這うようにして二人との距離を縮めていく。

「いやいや、私が飲んだらマズいでしょ……」

「どうしてじゃ?」惣次郎は、不思議そうに小首を傾げた。

「この現代では、十八歳になるまでお酒飲めない規則になってんの」

「儀礼を終えてもか?」

「なに、その儀礼って?」

 平安時代の成人年齢は、十五歳。成年の儀礼というものを済ませた者が、大人の仲間入りを果たすというもの。簡潔ながら丁寧に説明する惣次郎に、菜奈の驚愕の目が向けられる。

 惣次郎のような武士階級などでは元服と呼び、農漁村では若衆仲間、女子は娘仲間という組織に加入し、「若衆宿」「娘宿」と呼ばれる家で成人に必要な社会的訓練や性教育を受ける慣習があった。

 逆に雄一郎から現代の成人式の様子を聞いて、惣次郎は半ば呆気に取られたようにきょとんとしている。

「我の思い描いていた日本とは異なるが、独自の発展を遂げてきたのじゃな」

「そういえば、惣ちゃんは何歳なの?」菜奈から尋ねられ、

「十八じゃ。年明けと共に水晶の力を得て、不老不死の身となったからな」

 と、惣次郎が答える。

 菜奈は、一瞬だったが、惣次郎が悲し気に瞳を細めるのを見逃さなかった。

 人は限られた命だからこそ美しい。そんな言葉があるように、魔と契約し不老不死の力を得たことで、失うものも少なくなかっただろう。彼にそこまでの決意をもたらした奏人の先祖を凄いと、改めて思う。同時に、二人の関係をもっと知りたくなっていた。今の段階で、それを聞いても良いものか戸惑っていると、廊下から、

「三上、風呂沸いたから先に入って来いよ」

「え、いいの?」

「俺らの後じゃ、何言われるか分からねえからな」

 奏人からぶっきらぼうに言われ、菜奈もまた仏頂面のままゆっくり立ち上がると、居間の隅に置いておいたスーツケースから、パジャマと小さめのポーチを取りだし、奏人のほうへ歩み寄っていく。

「言っとくけど、私はあんたみたいに人の家に来て偉そうに出来るほど腐れてないから」

「ったく、ほんとお前って可愛くねえな……」

「星南よりはマシ」

 お互いに、上等だコラぁ~と、でもいうかのように不敵な微笑みを浮かべている。次いで、「じゃ、遠慮なく先に入らせて貰うね」と、言ってお風呂場へと向かう彼女を見遣り、奏人はまた大きな溜息をついた。

 菜奈以上にこの状況を憂いでいたのは、奏人の方かもしれない。じつは、彼にとって菜奈は、特別な存在だからである。たとえそうでなかったとしても、アオハルまっしぐらな男女が一つ屋根の下で生活するのだから、意識しないわけがない。

 これまでに、何人もの女子から告白されながらも、その全てを断ってきたのは、彼女のことを思っているからだった。

 所謂、一目惚れというもの。その後、知ることになった彼女の剣道への熱意と、真っ直ぐな性格を見せつけられ、余計にハマっていくことになるのだが、本音を口にして今の関係が崩れてしまうことを恐れるあまり、未だに思いを伝えられずにいる。

「……参ったぜ。ったく」奏人が俯き加減にぽつりと呟いた。途端、「何が参ったのじゃ?」と、後方から惣次郎の声がして、彼は微かに肩を震わせた。いつの間にやってきていたのか、縁側にいた惣次郎の、満面の笑顔が目の前にある。

「な、なんでもねぇ……」

「痴話喧嘩か?」

「はぁ?」

「菜奈は、其方の正妻なのであろう?」

「なっ、んなことあるわけねえだろ! つーか、俺たちのどこをどう見れば夫婦に見えんだよ」

「ならば、其方の恋煩いといったところか?」惣次郎の、今度こそ当たりじゃろう。とでも言いたげな視線とかち合い、奏人はすぐに目を逸らした。

「もしや、岡惚れではあるまいな……。それだけは控えたほうがよいぞ」

「なんだよ、そのおかぼれって」

「知らんのか? 既に相手のいる者を好いてしまうことを言うのじゃが」

「それこそねえわ!」

「いずれにせよ、菜奈のことを好いておるのじゃろう? 其方の方こそ、可愛げが無いのではないか」惣次郎の、薄っすらとした余裕の微笑みを前に、奏人は半ば諦めながら答える。

「なんつーか、三上の剣技は俺も認めている。けど、ガチであいつにそういった感情はねえから」

「そうか、我の思い過ごしであったか。しかし、菜奈は可憐でありながら、男勝りで性根の真っ直ぐな女子じゃ。あの性格上、求婚されることも少なくあるまい」

「さすがに求婚する奴はいないと思うけど、俺が知ってる限りでは、三人いる」

「そんなにいるのか? ならば、余計にまごまごしている場合ではないぞ、奏人」

「だから、そういう感情はねえっつってんだろ。つーか、いちいち詮索するのは止めてくれ」

 恋敵の数まで把握しているのに無関心な筈がなかろう。菜奈の次に風呂へ入るように言って、去っていく彼の背中を見遣り、惣次郎はくすりとほくそ微笑んだ。

「……まことに、奏人は其方そっくりじゃ。のう、武一郎よ」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星南家の守り人 ~ 討妖伝 ~ Choco @yuuhaya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画