Ⅳ.

 切り通しの先にあった急坂をのぼり、崖のうえの屋敷へ行ってみた。

 土塀も板壁も土ぼこりにまみれ、木製の門をとざした錠は錆びつき、もう長いこと人は住んでいないようだった。

 すべての窓は締めきられ、金属製の青い雨戸にも錆が色濃く浮いている。


 始めからいなかったのだ。そんな女など。

 消えてしまったというその夫もまた、最初から存在しなかったのと同じように。

 ならば、いったいいつだろう?

 わたしが跡形もなく消えてしまえるのは。

 ――あたかも、はじめから存在しなかったように。

            

                 ♮


 あいかわらず変電所の門は、小揺るぎもせぬ重い静寂をその内側に閉ざしていた。

 わたしは停留所をあとにした。もうここへは二度と来ることもないだろう。

 見ると澄んだ空気のなかに、きらきらと陽光を反射するものがあった。

 初雪だった。

 まばゆかった陽射しが、わずかづつ血の気を喪いはじめる。


 もしかしたら、このわたしだけは消え去ることなど許されてないのかも知れない。

 たとえあらゆる人たちが消えてしまったとしても。

  ――いや。そもそもはじめから、誰もいなかったのではないか?

 わたしの他には。


 帰途をたどりつつ、そんなことをふと思った。

 いつか風はやんでいた。

 あれほど晴れていた空が、いつの間にかくらい河面のようになっている。  

 その空の下に老いた母の待つマンションがぽつん、と建っていた。

 草原のただ中にそびえる摩天楼はまっくらで人がすむとも思えぬ寂寥に閉ざされていたが、それでもわずかな部屋には、夜を迎える灯がはやばやとともりはじめていた。

             

                                   - 了 -

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変電所 深 夜 @dawachan09

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