雨の誕生日 ~Je te veux~
釜瑪秋摩
第1話 雨の誕生日
私の名前は
とある企業の営業職についている。
あれから駅で彼と会うたびに、食事をしたり飲みに行ったりと、一緒に出掛けるようになった。
とはいえ、話すのはほとんどが仕事のことになってしまう。
共通の話題が、それしかないんだから、仕方のないことだけれど……。
半年ほど経っても、プライベートな部分にまで踏み込んでいいか迷い、聞けないことも多い。
はっきりわかっているのは、勤めている会社と出身地や出身校、私と同じ三十二歳だということ。
それから、初めて仕事で会ったときも、ピアノを弾いているときも、しっかりした人のようにみえたけれど、意外とぼんやりしていたり、おっちょこちょいなところもあること。
だんだんと親しくなれていく中、私は彼を「イッくん」と、彼は私を「ケイちゃん」と呼ぶようにもなった。
いつも私を誘ってくれるのは、特定の相手がいないからだと思いたいけれど、中には相手がいても関係ない人もいるし……。
つと、左手に視線を移すと、指輪はないから結婚はしていない気がする。
(あえてつけていない可能性もあるのかも……?)
そこまで考えると、なにも信じられなくなってしまう。
今、目の前にいる彼は、そこまで不実な人には見えない。
「――聞いたりする?」
「――えっ?」
考えごとのせいで、話を聞き洩らしていた。
カウンター席に並んで座っている彼は、心配そうな表情をみせた。
「もしかして、具合が悪い? 風邪ひいたとか……」
「ううん、そういうのじゃなくて、ちょっと考えごと」
「本当? 心配だから、今日はもう帰ろうか」
「大丈夫なのに……」
彼はあっという間に会計を済ませ、店を出ると二人で駅へ向かった。
最初のころは、彼はいつも奢ろうとしてくれたけれど、私は毎回それを断った。
ときどき、ご馳走になることがあっても、次のときには出すようにして。
「そんなに遠慮しなくてもいいよ」
と彼はぼやいたけれど。
「出してもらってばかりじゃあ、次に誘われたときに行き辛くなるのよ」
と答えた。
実際、負担ばかりかけるのは嫌だし、なんとなく対等じゃあない気がして、後ろめたさが残るから。
そう伝えたことで、以降、彼は余程でない限りは、無理に出そうとしなくなた。
今日もいつも通りのつもりでいたのに、あまりにもサラッと会計を済まされてしまって、タイミングを逃してしまった。
「ごめんね、今日はご馳走になっちゃって……次は私に奢らせてね」
「そんなの本当に気にしなくていいのに」
「ダメダメ。やっぱり気になるでしょ。来にくくなるのも嫌だから」
「そう? 来てくれなくなるのは僕も嫌だし……けど、それはまた別の機会で……再来週の金曜日、ケイちゃんの誕生日でしょ? 僕が良く行く、ちょっといいお店があるから、行ってみない? ピアノ、生演奏が聞けるよ」
「ホントに? それは行ってみたいな」
「じゃあ、予約入れておくよ。もしも都合が悪くなったり仕事のときは、前もって連絡くれる?」
「ありがとう、そうする」
いつものように電車で別れ、家路へと急ぐ。
誕生日を誰かに祝ってもらうのも久しぶりのことで、翌週から私は仕事を残さないようにしっかりと働いた。
晴れの日が続き、駅でピアノを弾く姿は見れないけれど、先の予定がこんなにも楽しみなのは、いつ以来だろう?
年甲斐もなく浮かれた気持ちで当日を迎えるも、なんの因果か、今日も雨。
あらかじめ聞いておいた店は、私の乗り換え駅にあった。
大通りから数本奥まった場所にある、雑居ビルの一階。
「いらっしゃいませ」
中に入るとピアノに一番近い席で、彼が待っていた。
「待たせちゃってごめんね」
「いや、僕もついさっき来たところ」
まだ若い……少なくとも、私よりは若い女性が、静かな音色を奏でている。
店内は人もまばらで、良く音が通る。
食事が済むころにはピアノの生演奏も終わり、女性は店の奥へと消えていった。
「ちょっと席を外すね」
お手洗いにでも行くのかと思ったら、彼はピアノの椅子に腰をおろした。
誰もなにも言わないところを見ると、先に弾くことを話してあったんだろう。
いつものように、彼のピアノが始まる。
弾き始めたのは、ジムノペディではなかった。
「この曲、知ってる……」
ジムノペディと同じ、サティの『Je te veux』だ――。
店員さんがデザートと一緒にメッセージカードを運んできた。
封を開けて中を見る。
『お誕生日おめでとう。結婚を前提に、僕とお付き合いしてください』
と、あった。
結婚なんて、とうの昔に諦めていたし、もう縁などないと思っていたのに……。
Je te veuxが流れる中で、こんなメッセージ……。
こんなの、断るわけがないじゃない?
「よろしくお願いいたします」
曲が終わり、戻ってきた彼に、私はカードを掲げ、ひと言伝えた。
-完-
♢♢♢♢♢
Je te veuxを近況ノートに載せています。
よろしければ聴いてみてください。
https://kakuyomu.jp/users/flyingaway24/news/16818093077456428813
雨の誕生日 ~Je te veux~ 釜瑪秋摩 @flyingaway24
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