ゲームセンターと永久の謎
その日は朝から土砂降りだった。
フロントガラスに叩きつけられる雨粒。それらを一瞬赤い光が通り抜け、すぐにワイパーで拭き取られる。また雨粒。赤い光。ワイパー。
小気味よいとも思えるリズムで繰り返される光景をしばらく眺めた後、車が速度を緩めた。
「着きました」と運転手。
「ご苦労」
着込んでくたびれたグレーのスーツを纏った男は短くそう答えた。男は眉間に刻まれた深いシワを更に寄せながら、眼前の建物を仰ぎ見る。
少し古びた赤い外壁。その隙間を埋めるように配置されている大窓から、人工的な光がいくつも覗き見える。
傘もささずに車を降りると、雨音が耳を埋め尽くした。駆け足で建物に近づくと、それに拮抗するような騒音が聞こえはじめる。
扉の前に立つ。少し反応の鈍い自動ドアには、”GAME STORM”と書かれている。
現場はゲームセンターだった。
「お疲れ様です、赤根警部」
「ん、ああ」
待機していた部下に対して、気のない返事をしてしまう。
というのも、ドアをくぐった瞬間から鳴り止まぬこの音の嵐。
クレーンゲームから流れる音楽のせいなのか。アーケードゲームから鳴り響く効果音のせいだろうか。実際のところ何が音源の核となっているのかはよく分からない。
とにかくゲームセンターの中は騒音に満ちていた。
「どうにもうるさい場所は慣れないな。悪いが少し声の音量を上げてくれ、川崎。それで被害者はどこだ」
「こちらです」
川崎と呼ばれた男が歩き始める。店内はそう広い空間というわけでもないが、複雑に配置された仕切り板と筐体が迷路のような趣を作っている。
曲がりくねった順路を歩くと、入口とは逆の壁際にある扉にたどり着いた。
「被害者は男性用トイレの個室で殺害されたようです。通報者の言葉によると、発見時は便器に座ったままの状態だったそうで」
「ふーむ」
二つある個室の奥の扉を開けると、ガタイの良い男の死体が床に倒れ込んでいた。胸元に深く刺さっているナイフが凶器であるのはひと目見て明らかで、傷口からは今も少しずつ血が流れている。
僅かな時間だけ現場を観察して、赤根はトイレから出た。
「店員に聞いたところ、ここの個室は鍵がバカになってまして。ちょっと力を入れるだけで外から開けることができます。この事は常連なら誰でも知っているそうです」
「その常連の誰かが個室に押し入って正面からグサリ、か……」
一応筋は通るかな、と呟く上司に対し、更に川崎が情報を付け足す。
「被害者が入店したのは1時間前。入口の監視カメラにハッキリと映っています。そして、それ以降店を出た人間はいません」
「何だと?じゃあ容疑者は相当絞られることになるな」
「はい。店内にいた客は五人。店員も二人いましたが、揃ってカウンターにいたそうです。一応店中を捜索しましたが、それ以外の誰かが隠れているということもありません」
「大体わかった」
赤根の目がギロリと動いた。この事件、あっさりと片が付きそうだ。そう言外に語っているようだった。
「事件当時、店内にいた連中ってのは?」
「一箇所で待機してもらってます。こちらへ」
と、再び先導する川崎。
筐体の密集地から離れると、今度は自販機の密集地が現れる。
ひしめく赤い長方形の前で向かい合っているベンチに、五人の男が座っていた。
男たちは赤根の姿を認めると、全員が同じように不安そうな顔を向ける。
「県警の赤根といいます。皆さんにはちょっとお話を伺いたいだけなんでね、そう固くならずにお願いしますよ」
そう言うと赤根は彼らを一列に並ばせた。
まずは向かって一番右が数歩前に出る。よれたスウェットと伸ばしっぱなしの髪の毛が目に付く。見た目にあまり頓着がない人物のようだ。
「えっと……中山です。ここ数時間はずっと『チャンピオンウォーズ』をやってただけで、事件のことなんか全く気づきませんでした」
「チャンピオン……なんですと?」
「最近流行しているゲームのタイトルですね。この店にも数台置いてあるようです」
ゲームなど縁がないベテラン警部に対し、川崎が説明を加える。
「おまえ、ピコピコに詳しいのか?」
「ええ、ゲームだったら人並み程度には……っていうか今どきピコピコって」
この場合ガチャガチャでしょ、などとややズレた指摘が入る。
「じゃあ細かい説明はおまえに任せる。それで、中山さん。ゲームというのは、ずっとお一人でプレイしていたわけですか?」
「そうです」
「それを証明してくれる人物などは?」
「いや、そりゃ、いないと思いますけど……」
このあたりで中山は自分が”アリバイのない容疑者”という立場であることがわかってきたようで、狼狽えている様子が露骨に現れていた。
「で、でも。チャンピオンウォーズのログが残ってます。俺はぶっ続けで対戦してたから、人を殺して戻って来る時間なんてないってわかるはずです」
「川崎、ログっていうのは?」
「はい。最近のゲームっていうのは常にサーバーと通信していて、対戦中のデータが履歴として残るようになっているんです」
「それはアリバイになりそうか?」
「微妙なところです。が、少なくともこの店で誰かがずっと操作していたことは、詳細な時間つきでわかりますね」
「うーむ……」
赤根にとっては何ともむず痒い話だった。自分が全くあずかり知らぬ領域の話で、アリバイがあるんだかないんだか、聞いていても全くピンとこない。
そして困ったことに、他の容疑者たちの口から出たのもおおよそ似たような話だった。
丸メガネにチェックのシャツを着た小綺麗な男は原田と名乗り、自分は『ミュージック・マニア』をプレイしていたと言う。
いかにも仕事帰りといった風体でスーツを着崩している村田と、何かのキャラクターがデカデカと印刷された柄物のTシャツを着ている白石。この二人はずっと向かい合った格闘ゲームの筐体越しに連戦していて、席を離れる暇などなかったと言う。
残る一人は学ランを着ていて、長身のせいで痩躯が目に付くひょろ長い少年だった。彼はベンチでスマホをいじっていたというだけで余計な情報はなかったが、その間ずっと監視カメラに映っていたと川崎からの説明が入る。
「おい、これじゃ容疑者がいなくなっちまうぞ」
呆れたように言う赤根。
「やはり一旦ゲームのログとやらについては考えないようにして、もう少し詳しい話を聞かせてもらうのが良さそうだな」
そう方針を決めたところで、
「あのー、まだ帰っちゃ駄目ですか?」
尋ねたのは学ランの少年だった。
「神田くんだったかな?悪いけどもう少し話を聞かせてもらうよ」
「でも俺」
神田は短く区切って言う。
「もう犯人わかりましたよ」
「……何だと?」
これまで”物腰柔らかなおじさん”として振る舞ってきた赤根の目つきが、睨むようなものに変わった。鋭い視線を受けている神田は、気にもとめずに髪をいじっている。
「もう大体全部わかったし、これ以上の取り調べとか必要ないでしょ。俺はね、さっさと帰ってショート動画を見たいんですよ」
と言いながら少年は例のごとくスマホをいじっている。今見てるじゃん、などと安易に突っ込むことはできない剣呑な空気。
「あんまりデカいこと言うと恥をかくぞ、ガキ」
「……じゃあ、ちょっとだけ俺に仕切らせてくださいよ。全部説明しますから」
「アホ言うな。だが、何を考えてそんなこと言ってるのかぐらいは話してみろ」
神田は大きく頷いてから立ち上がり、数歩前に出てくるりとベンチの方へ向き直った。座っている他の4人を順番に見て何かを考え、それから一度瞼を閉じた。
「何から話すか考えてみたけど……そう難しいことでもないしな。じゃあ、一つずつ端的に説明しましょうか。でもこれは、警部さんにとっては意地悪な事件でしたね。この辺のタイトルを一通りやってる人間からしたら、簡単なことなんですが」
「前置きはいい。さっさと話せ」
赤根警部は既にイラつきを隠そうともせず、右足のつま先を小刻みに地面へ叩きつけている。
「まず、チャンピオンウォーズをやっていた中山さんに犯行はできない。このゲームは一試合が長くて一時間近くかかるのはザラだし、実際に直近の試合でもそれぐらいかかっている」
ほら、と言いながら神田はスマホの画面を見せる。場の大半は画面の意味するところを分かっていなかったが、中山は「あ、俺の対戦履歴」とだけ洩らした。
「見たところ中山さんはランカーですね。しかもこの試合も勝利している。このレベルの対戦で、少しでも席から離れてしかも勝つなんてのは絶対に不可能です」
それで中山に対する説明は終わりのようだった。
「次に原田さんですけど、これも同じようなことです。合間なく難しい曲をプレイしていて、フルコンしてるから離席もありえない」
原田はメガネの縁を指で押し上げて、その通りだと満足気に言った。
だがそれに対して赤根は変わらず納得のいかない様子のままだ。
「あのな、だから――」
「そんなこと言われてもって感じですかね。でも、これからもっとわかりやすくなりますから」
そう言って、ぐい、と残る二人に顔を近づける。
「白石さん」
「な、何だよ」
不安の表れか、白石はキャラTの顔面を鷲掴みにしてしまっている。
「実はさっきちょっと見てたんですけど、ずっと対戦していた格闘ゲームというのは”レッドデッド”ですよね?」
「ああ、そうだけど」
「白石さん、キャラは何を使ってるんですか?」
「スラッシュだけど……それが何?」
スラッシュ。小刀を武器とした、速いスピードが持ち味のキャラクター。もちろん普通に考えて、それが現実の殺人事件と関係あろうはずもない。
「まさかスラッシュみたいに高速で移動して殺した、とか言わないよな?」
「もちろんですよ。でも、これは重要なことなんです」
白石に対してはその質問だけで満足したようで、少年の矛先はその対戦相手へと向かった。
「では村田さん。重要な質問ですから、心して答えてくださいね」
いつの間にか、神田の顔には笑みが浮かんでいる。
「村田さんの、使用していたキャラはなんですか?」
それは先程と変わらず事件と何の関係もない質問のように思えた。だから不思議なのは、問われた人物が所在なさげにネクタイを握りしめたまま、何も答えないことだった。
数秒の奇妙な沈黙の後、村田は口を開いた。
「…………バッファローですけど、それが、なにか?」
バッファローは、スラッシュとは打って変わって大柄のパワーキャラだ。動きが鈍重な代わりに、一撃の威力が高い。
このキャラは一般的に弱いとされている。非常に大きな弱点があるから。
「戦績はどうでした?随分対戦したみたいですが、どっちが勝ってたんですか?」
その質問に対してはとうとう答えなかった。再び沈黙が訪れる。
代わりに白石が口を開いた。
「それは答えづらいかもしれんな。正直、ガン処理レベルで俺が勝ってた」
「へえ、そんなに実力差があるんですか」
「実力差っていうか……キャラの組み合わせ的にマジでキツかったと思うよ。何でこんなに対戦してくれんのかなって、こっちは思ってたぐらいでさ。だって、スラッシュはバッファローに何かの攻撃を、小技でもなんでも一発でも当てた……ら……」
そこで何かに気付いたように、白石は喋るのをやめた。
「一発でも当てたら、どうなるんですか?」
「いや、そっから……永久コンボが入るんだよ。ラウンドが終わるまで、ずっと」
「あとは簡単ですね。村田さんは永久コンボの始動を喰らってから、すぐにトイレに向かって被害者を刺殺した」
「そんな馬鹿なことがあるか!俺はずっと対戦してただけだ!」
「では聞きますが。事件が発覚して騒ぎになる直前の対戦で、あなたはどうやって倒されましたか?」
「何だそれ。どうって、普通に永久を完走されただけだよ」
「だそうですが。どうですか?」
「いや……」
白石の顔から冷や汗が流れる。既に何かを悟っているようだ。
「俺、あのときコンボをミスってさ。咄嗟に受け身狩りで空投げして勝ったんだよ。投げ抜けされなくてラッキーって。ミスったの一回だけだったからよく覚えてる」
「そんな……」
「証言が食い違ってきた以上、あなたの作ったアリバイは機能しない。もうここで、全部認めちゃったほうが楽なんじゃないですか?」
「ぐ……うう……う…………」
長い嗚咽の後に村田は話し始めた。被害者と金銭関係で揉めていたこと。アリバイを作るためスラッシュ使いを探していたこと。そして事件の粗筋は、ほとんどあの痩躯な少年の言っていた通りだと。
途中まで不服そうに話を聞いていた赤根も、緊張と憔悴に包まれていた他の元容疑者たちも、今は驚きの感情で一杯だった。
全員の視線が一人に集まる。
学ランを着た探偵はスマホに流れるショート動画を見て笑っていた。
しょうもなミステリ短編集『あまりにも名推理』 後田 @usiroda
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