道行きの幸せをあなたに。

こむぎこ

第1話


「幸せにも不幸にも、場所を選ぶ必要があると思っているんだ」


 屋上にふたりきり、彼は私に目を見てそういった。お昼休みの屋上は風が強くて、ご飯を食べるのにはあまり向いていないけれど、ふたりきりの会話をするにはちょうどよかった。


 彼は屋上の手すりに全体重をかけて、ためこんだ言葉を吐き出す。それは風船がすこしずつしぼんでいくようだった。


「君と付き合えて本当にしあわせだよ。今までに考えられないくらいに」


 うなずく。私もそうだ。少しだけ、彩度が増したようにも思う。付き合って以来、世界は、案外きれいなものがおおいのだと、何度も再認識した。


「それでも、それをいつも示している必要はないと思うんだ」


 少しわからない。幸せは、勝手に発露してしまうものだと思う。示す、なんて考えもしないくらいに。というよりも、示そうとしている幸せなんて偽物でしょう、とも思ってしまう。


 でも、うなずいて続きを促す。

 反論はひとまずお預けにする。彼の言葉は最後まで聞きたい。きっと、彼の大事な信念に近い話だと思うから。


「うん。この関係性を、誰一人として公開したくないんだ。

 告白した僕からお願いするのも変なんだけどさ」


「……よるのこと?」


「うん、それもある。でも、それ以外も。」


 言いにくそうに、それでも言わなきゃいけないのだという表情で、彼は言い切った。


 *


 私と彼、葦引峯と若草あらたは、ついこの間、関係性を更新した。


 両想いを承認した。そこに疑いの余地も、不幸の影もあまりない。それなのに彼がなにか気にしたような言い回しをするのは、私に想いを寄せていた人がすくなくともひとり、いることだった。


 彼女は、片糸よる、という。


 よるを含め、私たちは小学校からそれなりに仲良い間柄だった。固定化なんてされていなくて、どこまでを一つのグループとするか、なんて人によるのだけれど、少なくとも4人。


 私と、あらたと、よると、海底沖くん。あとは場合によって少しずつ入れ替わってもう3~4人くらい。


 よるは、私のことが好きらしい。いや、らしいなんてものではない。


 ちゃんと告白されて、ちゃんと振った仲だ。理由は単純明快で、私が彼、若草あらたのことを好ましく思っていたから、だ。他の誰に告白されたとしても、その返事は変わらない。 そこに性別とか、その他のなんらの要因もなく、彼か、彼以外か、で私の中では線引きがされていたのだ、と思う。


 ただそれだけのことを、きっと、彼は今も気にしている。


 *


「僕たちは、たぶん、彼女のまえで幸せにふるまうべきじゃあないんだよ」


 空気が抜けていくように喋る彼は、疲れているようにも見えた。私がお昼ご飯を食べている間に彼はここに来ていたのだから、お昼はずいぶんとはやくたべたのだろう。


 きっと、私と二人で移動すること、を周りが受け取る意味を考えたのだと思う。今まで以上に、慎重だ。かえってこの変化が周りに気づかせかねないとも思う。


「もちろん、不幸な顔をするのだってちがうよ。彼らの前では、きわめて平坦に、フラットに生きていたい、と思うんだよ」


「あらた」


 口に出して、やっぱりまだ慣れないむずがゆさを覚える。若草くん、のほうが口と頭が覚えていて、するっと出てきてしまいそうになるけれど、ちゃんと名前を呼びたい。


「うん」


「それは、違うと思う」


 あらたはあらたで、静かに私の返事を待ってくれた。


「私はちゃんと断ったよ。ほかに好きな人がいることだって伝えた。迷いはないし、中途半端なことはしたくない。

 私がよるにできるのは、私の決断は間違ってなかったと胸を張り続けることだけだよ。だから、ちゃんと幸せだっていいたい。」


 多分、うまく隠せやしないだろうし、という目算もある。なにぶん、隠し事がへたなのだ。下手なことを言い訳にしてはいけないけれど、できもしないことをしてより傷つけるより、幾分かはマシだと思う。


「うん。多分、その気持ちもわかる。でもね、僕の幸せの背後には、いつだって彼女がいるような気がするんだ。」


「ちがうよ、あらたとの話が持ち上がる前に私が振ったのだから。

 そこはあらたの責任じゃあない。はき違えないでちょうだい」

 

 意図して、言葉を強くした。そうじゃないと、あらたは静かに沼の中に沈んでいくような気がして。


「違うよ。君との排他的な関係を築こうとしなければ、彼女の傷は深くはならなかったでしょう?」



 排他的な関係。


「排他的な関係。恋人という契約。

 これを結んだのは僕のエゴだし、欲望だよ。後悔もしていないし、何度繰り返した

って僕はきっと、こうする。峰を一番に思いたいし、峰の一番でありたいと思う。

 ただ、僕の欲望を通す過程で、誰かがちょっぴり傷ついているのなら、その傷に追い打ちをかけることが正しいとはどうしても思えないんだよ。


 それに、沖だって気にする。」


 一呼吸おいて、あらたは言葉をつづけた。


「思いがかなった人と、思いがかなわなかった人が一緒にいる場所で、まわりのひとは、心から笑っていられるだろうか?」


 少し悩む。


 悩むけれど、言葉は見つからない。


「笑えない、と思う人がいるなら、きっとそこは善くない場所だよ。そして、そこか

ら身を引くとしたら。まぎれもなく僕たちの方だろう、と思うんだ。」


 欲望通りの関係性を享受してる人のほうが、身を引くべきだろう。と彼は告げた。望みをかなえたうえで、周りに負担まで強いるのは、ポリシーに反するとの姿勢を見せた。


「よるが、それを望んでいると思う?」


「わからない。でも。僕は僕がやられたらいやなことはしたくない。

 例えば、勇気を出したものに、願い通りの関係性どころか、今までの居場所を奪うような真似をしたくはないよ。」


「夜のほうが、居づらいから、よるがぬけていくとしても?」


「うん。実際にはよるの望む通りにするのがいいと思う。でも、望みを通しやすいようにはしたい。きっと、よるはこういうときに孤立を選ぶと思うんだ。自ら人の輪……僕たちの輪から離れていくと思うんだ。

 僕は、人の強くないところを信仰しているから、こういう思考に至ったなら、ちゃんとケアしておきたい。今までの居場所くらいさ、あった方がいいでしょう。」


「……たぶん、これ以上よるが傷つくのが、嫌なんだよね?」


「うん、僕の不条理なわがままで間接的にでも傷つく人がいたなら、そこに対する責任は負わないと。僕が僕でいられなくなってしまうよ」


「でも、私は傷つけたいんだよ。酷く傷つける。できる限り丁寧に、真剣に。私は幸せだと叫んで、貴方では幸せにできないと示して、傷つけたい。

 優しさで、ぎこちなくなってしまうくらいなら、ちゃんと傷つけて、そのうえでよるに、よるの在り方をまかせたいよ。」


「……その傷つけ方は、残酷じゃないかな。黙っていたっていいでしょう。黙って離れていこうよ。付き合ったと知らせることで追い打ちをするのも、僕たちの様子を見て追い打ちするのも、これ以上はよくないよ。少なくとも僕はそれをされて気分はよくない」


「良くないよ。私とよるは、ありもしない希望を見せていい関係じゃないの。だから私は、よるの前でだけは、完璧に幸せであろうと思っているし、愚痴も不安も口にしないようにするの」


「……そんなに気を付けることかな、穏やかに距離をとって、傷に触れないのなら、それでもいいと思うんだよ」


「うん。そういうと思ったよ。

 でも、だめだよ。ちゃんと伝えて、誠意を示さないと」


 私たちには、そういうふうに、幸せになる義務があるのだと、思うのだ。

 私はそれがほしくて彼女の意志を曲げさせたのだから、ちゃんとそれが得られたよ、ということは誠意だろう、と思うのだ。


 チャイムの音が遠く聞こえる。昼休みが終わる。


「じゃあ、もどろうか」


 すこし張りつめていた空気を和らげるように、大きく息を吐いて、彼はそう言った。

 若干の対立を見越してここで話を持ってきたのだろう。議論の終わりがちゃんとある時間じゃないと、きっとこの意見を緩める機会を見失うだろうと。こういう姑息なんだか気が回るんだかわからないところが、案外嫌いになれなくて、きっと彼に惹かれたのだろう。


 それでも、私は意見を曲げるつもりはない。


 いつだって、幸せを謳おう。そうじゃあなければ、私は、


 よるを振った私が許せないから。

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道行きの幸せをあなたに。 こむぎこ @komugikomugira

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