一章:はぐれものとはんぱもの①

 特異な容貌を喜ばれた。

 優れた能力の証左だと。

 珍しい異能だと喜ばれた。

 家名に恥じぬ有能な力だと。

 そして期待外れだと見限られた。

 ずっとその繰り返し。

 そういうものだと、思うしかなかった。

 それ以外を知らなかった。

………………

 もし、もしも

………………

 考えても仕方のないことだ。それ以外のことなんて。


 霧が立ち込めていた。

 いつも通りに。

 いつも通りの任務実習。決められた哨戒ルートに現れるのは、どれだけ祓ったのかもわからなくなる程に祓った、弱小の霧魔

 たまに現れる、少し強い個体を祓い、点数を稼ぐだけの、慣れてしまえば簡単な簡単な授業。

 いつも通りでなかった点といえば、数日前の始業式の日に編入してきた生徒が小隊に加わったことくらい。

 足手まといがいても、二年戌組所属第二ー二一小隊は恙無くその日の実習を終える筈だった。

 竹藪がいようにざわめいたことに端を発した。平時はまばらに湧くばかりの弱小の霧魔『家鳴り』がわらわらと小隊の前に現れた。

 それらは何かに追われるように飛び出して来たようだった。――そんなふうに感じた者が八人中どれほどを占めていたか。

 小隊はこれらをやはり恙無く対処。掃討するまでに数分とかからなかった。

 さして息を乱していない彼らの前に今度は人が飛び出してきた。

 男女二人組は小隊と遭遇するなり、青褪めた顔を、何とも言い難い形に歪め、聞いてもいない言い訳を始めた。

 言い訳を聞くまでもなく、二人が、その前の『家鳴り』が何故飛び出してきたか明らかになった。

『よもつもの』付喪神の中でも、とりわけ人に害を為すものの総称で、多くは不法投棄されたごみから生まれる。

 厳罰化され、監視の目も強くなっている中にあっても尚、ごみの不法投棄や、ペットの飼育放棄は後を絶たない。

 捨てた本人が、大抵の場合最も危険な目に合うリスクを抱えているにも拘らず。

 悪臭が夜闇を蠢いた。負の情念を蒸留したような黒い雫は土に滴り落ちて尚、容易には染み込まず、降ろされた肢に舐め取られ本体の元へ還っていく。

 醜悪で悲しい異様。

 そして男女の内、男の脇から上が失くなって、ついでに女の片耳と片腕が枯葉のように体から離れて地べたに落ちた。

 反応出来なかった。ある程度実戦経験を積んだ生徒達が、誰一人、碌に。

 一拍、致命的な一拍の間を置いて小隊は、よもつものへ畳み掛ける。

 保護された女の遅れて劈いた悲鳴を背に受け、彼等は銘々武器を振るう。ある者は刀を。ある者は銃を。ある者は炎を噴き上げる拳を。

 ヒトを認識したよもつものがこれに応戦する。家鳴りなどとは比にならない、明確にヒトを害する霧魔の躯は、ただ在るだけでヒトの命を脅かす。

 刀が、銃弾が躯に喰い込み、そしてそのまま沈む。破魔の力を宿す筈のそれらを、よもつものは逆に喰らった。

 炎が躯を構成する合成プラスチックを歪ませる。応酬は悪臭を伴う有毒ガスだった。それも、夜闇さえその刹那は塗り潰すほどに濃密な。

 防毒マスクさえ貫く強力な毒に、生徒たちは動きを鈍らせる。そしてそれが致命的な隙となった。

 腕の一薙ぎが前衛を纏めて戦闘不能へ追いやった。

 焦りから後衛は狙いを定められず、一瞬後には前衛と同じ末路を辿る。

 小隊からまだ死者が出していないことが、奇跡のように思われるほどに、よもつものの力は一線を画していた。

 腕利きの祓魔隊士、或いは『十二神将』でなければ太刀打ち出来ない。打ちひしがれる生徒達の中にそんな考えが浮かぶ。

 残されたのは、足手まとい二名だけになった。

 一人は名家の分家筋。名ばかりの半端な回復能力者。

 そしてもう一人は、転入してきたばかりの素人。

 その素人は立ち尽くすばかりで、眼前に迫るよもつものにもまるで反応出来ていない様子だった。

 何事かを叫ぶ声がする。しかし彼のマスクで半分覆われた顔は、ただただ無。

 よもつものが不意に動きを止めた。誰もが初めての死者になると、息を呑む中で。

「…………」

 素人は徐によもつものへ手を伸ばす。よもつものはただ、その手を受け入れる。

 つるりとした黄ばんだ白色。炎に焼かれたせいでところどころが泡立っている蓋。或いは扉を、彼はゆっくり開く。

 ぼたぼたと黒い汁が地に滴り、遅れて小さな塊が糸を引きながら落ちた。

 最後の一つ、赤子の拳ほどのそれを、彼は危うく受け止める。異臭も手の汚れも気にする素振りも見せず、彼はそっとそれを検めた。

 彼は振り返る。半端者によって治療が施された女を。

 冷たい、或いはよもつものをも上回る害意の籠る眼で。

 半端ものは息を詰まらせる。腕には鳥肌が立っていた。素人の目に宿る光は、知る者しか知り得ない。

 そして察する。

「何、やってるの!さ、っさと殺しなさいよ!お前の仕事でしょ!」

 女が叫ぶ。掠れた声で。素人が如何な感情を自身に向けているか、理解していない様子だった。

 どさりと、重い音が小さく、呆気ないほどに小さく夜闇に木霊した。

 素人の手には刀が握られている。

 刀身は白刃などと表現するにはあまりに黒く、纏うよもつものの体液の黒色がいくらも綺麗に見えるほどにいやな黒色。そこにはらわたを象るように紅く、波紋が這っている。

 それが、破魔の力を付与された武器でさえ祓えなかった怪物を葬ったのだと、理解するのに誰もが時間を要した。

 それほどまでに呆気なく、まるで虫のようによもつものは絶やされたのだ。

「――――!」

 わけも分からぬまま、直感で半端ものは女の前に飛び出した。

 刹那。その胸の前、紙一重、そう表現するしかないほど寸でのところで、刀の鋩が止まった。

 素人の放った突きが、そこで止まっていた。

 頬を撫でた風が遅れて、怖気を運んでくる。

「何を、してるんだよ……⁉」

「猫を殺した」

「え……」

 端的で冷たい声。言葉からは会話をするつもりが無いことが、いやというほど伝わってくる。

 怒っている。殆ど会話らしい会話をしたことのない半端ものにも、それがよく分かった。

「な、によ。ただゴミ捨てただけじゃないっ!行ってみなさいよ。他にもいっぱいあったわ!」

 女は逆上か安堵か、吠える。自分は悪くないと。

「それに!おかしいのは法律の方でしょ⁉何年か前まではみんなやってたし捕まらなかった!勝手に増えるのが悪いんじゃない!それを、それがあんな簡単に、ぜんっぜんカワイくないしっ!それで、それで……――」

――わたし悪くない!女は脈絡なく言葉を並べ立てる。自身の無実を訴えるため、何の役にも立たない言葉を。

「岡田くんここは抑えて、言質は取った。証拠さえ押さえられれば逮捕出来るから!」

 おそるおそる、半端ものは岡田と呼ぶ素人の肩に手を置く。

 触れれば斬れるのではと慄き震える手を。

「……」

「岡田くん!」

 岡田は刀を下ろさない。ほんの僅かな身じろぎで、その鋩は肌を裂いてしまう。半端ものにとってこれは自身との戦いでもあった。

「――隠上いぬがみ、そのまま抑えとけ!」

「はい!お願いします!」

「――っ!」

 岡田の目が隠上の後ろ、連行される女を追った。しかし彼は動かない。――動けない。

「――おれを斬って追う?」

「……」

「できないよね。きみ、優しいよね…………っ!」

 女の罵声が遠く薮に響く。隠上の声は届いたのか否か、周囲に二人を残し誰も居なくなってようやく、岡田は刀を下ろした。どろりと菓子のように溶けた刀が、その手に吸い込まれていく。

 それを見届けて隠上は安堵の息を吐くと共に手から力を抜いた。

「……あの人の言ってたことが本当か、確かめてきます」

 相も変わらずの低い声。岡田は踵を返し、藪へ分け入っていこうとする。

「あ、だったらおれも行くよ」

 それに隠上が追従する。

「川崎さんの治療は、いいんですか?」

「あー、まぁおれの能力で出来る治療なんて、たかが知れてるし」

 へらへらと自嘲してみせる隠上。岡田は彼を振り返らず、ぼそぼそと話す。

「あの人の腕、元に戻ってました。すごい能力だと思います」

「まぁ、ああいうのはね……」

 濁した言葉を岡田は追及しなかった。獣道よりも明確な拓かれた道を、二人はそれきり無言で進んでいく。

「これは……先生達に報告しなきゃいけないやつだね」

 隠上が声を固くして呟いた。

 二人の視線の先には鉄板の壁が聳えており、その手前の地面は不自然に草木が枯れ、土が露出し薮と鉄板の間に継接つぎはぎめいた歪な境界線を引いている。

 鉄板を霞ませる濃い瘴汽。それが、轟音と共に揺らめいた。

 蓋が空いたままへしゃげた業務用冷蔵庫は、落下死体を連想させる。

 瘴汽で見え難くとも、他にも様々な粗大ごみや廃材が散乱しているのが分かる。

「地図ならここ、まだ雑木林の筈なんだけどな――ほら」

 隠上は岡田に、端末に映した地図を示す。岡田には道からここまでの正確な距離は分かりかねたが

「違法増築したってことですか?」

「多分ね。それに集積物の量も過少報告してる。で、溢れたごみに目を付けた人が更に不法投棄」

 よもつものの強さにも納得だ。苦笑する程度に隠上はこの光景を見慣れているようだった。

 二人の前でまた、粗大ごみと瘴汽が蠢く。今度は轟音ではなく、殺した足音と引き摺るような長く幽かな大気の振動だった。

「触発されたかな。さっきのに」

 背後で生じた鞄をまさぐる音に岡田が手を伸ばす。待て、と。

「岡田くん?援軍を――」

「ここへ来るまでにすれ違った個体が居るかもしれません。援軍よりも詰所や辺りの民家の警戒をするよう伝えて下さい」

 霧の奥で、紅色が瞬いた。

「……四、五、ならまだ大丈夫。――失くっても生やしてもらえるなら」

 死んでも倒しきります。

「…………」

 岡田の気配が変わった。先程と同じ冷たさもあるが、今は先よりも、荒い。

 それは隠上には喜色のように感じられた。

「治療のタイミングはお任せします」

「待、って――!」

 隠上は咄嗟に岡田の腕を掴んだ。そのまま飛び出していってしまいそうな気がして

「おれの能力、一度相手に触れないと使えないから。――これで、いけるよ。いつでも」

 手が離れた後にもまだ、そこには熱が残っているように感じられた。岡田はその心地を、意識から切り捨てる。

 意識を向けるべきものが、他にある。

「ありがとうございます」

 その一言が尾を引いた。隠上は瞠目する。岡田の背中が音もなく滑り、一瞬後には霧へ溶けていった。

 霧は通常の光を殆ど通さない。今この場で確認出来る光といえば、携行している証明と、ほんの僅かな自然光。そしてよもつものの爛々と燃える眼光くらい。

 その眼光の一対が消え、遅れて鈍い落下音が響いた。

「……っ」

 隠上は目を凝らす。たとえ祓魔師であっても全員が霧の中で十全な視界を確保出来るわけではない。

 ただでさえ、岡田の動きは常人を遥かに凌駕していた。何も分かっていない中では治療の施しようもない。

 また一つ、光が消えた。

 戦闘訓練は当然、隠上も受けている。経験だけを見ればきっと、岡田よりも豊富だ。だというのに。

 また光が消える。今度は少し近かった。

 そんな彼より。生徒達より。岡田の動きは洗練されている。異能の使い方一つとってみてもそうだ。

 戦うことはおろか、武器を振るう機会さえ滅多にない、ただの一般人の筈なのに。

 にも拘らず。

 また一つ。隠上の異能の出番も無いままに。彼に確認出来ていた全ての光が消えてしまった。

「――――」

 隠上は息を吐く。安堵と、そしてため息。

 やっぱりおれは――

 俯いた彼の、視界の端が暗くなる。

 心境がそう見せたのではなく、躯を与えられてしまった『害』が、すぐ側まで迫

「――⁉」

 浮遊感、遅れて胸に圧迫感。目が木々とその向こうに霞む空を映す。

 辛うじて受け身。隠上は即座に体勢を立て直し

 肉と骨の潰れる、小さくも不快な音。

 宙を舞う腕だったものを捉える。

 まだ残っていた?新たに生まれた?否、それよりも級友が自分を庇って負傷した。その事実が隠上の頭を強く揺さぶった。

「――」

 叫ぶより早く、目の奥の血管の中で血が沸き立つ。

 ぐちゃぐちゃにへしゃげた、岡田の左腕があった傷口。

「『   』」

 そこに失われた筈の腕の輪郭が重なる。纏っていた制服まで含めて。塗料を流し込むまれ、ただの線に質量が加えられた。

「――」

 隠上の目から見た岡田は、それに関心を持っていないようだった。命すら危ぶまれる負傷も、その治療も、全て。

 宙空に刀身が伸びる。先程見たのと同じ黒い刀身が。

 極限の緊張状態が、隠上に時間の流れを緩慢にして見せる。

 そのゆっくりな世界の中で、岡田は何よりも速く全身を捻り頭を上から下へ、斜めに振り下ろした。

 頭の動きに合わせて刀身が宙を泳ぐ。そこで刀は咥えているのだと察した。

 滑らかに刃はもよつものの首を落とした。その鈍い落下音で、隠上の世界は元の時の流れを思い出す。

 そして今度こそ、周囲は静寂に満たされた。

 たとえそれが、ごく短い時間であってもその静寂に、隠上は息が詰まりそうになる。

 やおら身を起こす岡田の背中を、それ以上黙って見ていることが出来なかった。

「あ、ありがとう、本当に……っ!」

 呼吸をするように吐き出した言葉は上擦って固く、客観的に、そこに言葉通りの謝意は感じ難い。焦りが、見苦しさが強くなる。胃が絞られる。

「こちらこそ、ありがとうございます」

 表情にも声音にも、感情の抑揚の乏しいままに、振り返った岡田もまた感謝の言葉を返した。

「…………」

 込み上げていたものが幾らか下がり、少し楽になるのを感じる。

 一瞥の後、岡田は周囲の警戒に意識を向けてしまう。

「……うん」

 相も変らぬ冷淡な口調が、隠上の呼吸を幾らも楽にした。

「今の内に連絡をお願いします」

「ああ、うん」

 隠上は短く応じ、速やかに通信の準備を整える。横目で盗み見た岡田の姿は、やはり周囲を警戒する背中だった。

 詰所、そしてそこを経由して教員へ、情報は迅速に伝達され、祓魔隊の本隊が派遣されることに。

「――それまでの警戒を、って」

「了解しました。ありがとうございます」

 簡潔に岡田はそう応える。隠上が視線を向けた左腕は、やはり失われた事実さえ存在していないかのようだった。

「――痛いでしょ?ごめんね」

 振り返った岡田は僅かに眉を顰めていた。何のことを指しているのか分からないという様子だった。隠上は彼の左腕を指す。

「それ、暫くは続くと思うよ。おれの異能は……半端だから」

 隠上は視線を落とす。岡田の眉根からは浅い皺が消えていた。

「なら少なくとも、痛んでいる間くらいは。あのひとも大人しくしてますかね」

「――!あ、はは。どうだろう。そんなふうに考えたことなかったな」

 隠上は力なく笑う。本当に、そんなふうに考えられるようになる言葉を、彼は一度たりとも掛けられたことがなかったから。

「それに」

 岡田がこちらを見ている。隠上はそんな気がして顔を上げる。そしてそれは事実へ変わる。

「この力があれば、俺は死ぬまで十全の状態で戦える」

 その顔はマスクのせいもあって、無を湛えている。同年代の少年少女が口にする「死」や「戦い」と、岡田の口から出るそれらとはまるで別の言葉のように隠上には聞こえる。

 異能を覚醒させる一つの要因に、「心身への強いストレス」がある。

「他にないすごい力です」

 彼が「戦うための武器を得る」だけの力を得るまでに、何があったのか、隠上には想像も及ばない。

「ありがとう。そんな風に言ってくれたのは君が初めてだよ」

 不安と畏怖を差し引いても、隠上の胸には温かさが灯っている。

 

 それでも彼の中には、他者へ向けれらる優しさがある。その優しさが、確かに今日自分を照らしてくれた。

 彼にだけは報いたい。

 強くそう思った。


 どれ程の時間が経ったか。それまでに幾度か、よもつものを祓い、二人は到着した祓魔隊に任を引き継ぎ、詰所へ戻された。

 当然のことながら、霧魔を祓い、業者の不正を暴いた功績よりも、独断専行、および現行犯とはいえ一般市民を攻撃しようとした罪を激しく叱責された。

 そしてあの場でのやりとりは、二人だけの秘密のまま

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