七夕祭りと繋げたねがい

茸山脈

叶った願い・叶える願い

 光陰矢の如し、とはよく言ったものだ。手元の本を閉じてそう思った。相変わらず冷房のよく効いた大学の図書館、2階の端にあるカウンター席はこの2年間ですっかりお気に入りの場所となっていた。傍に置いてあったスマホの日付は7月7日を映し出している。

 早いもので、あの七夕祭りの夜から二年が経とうとしているのだった。


 引き離された幼なじみとの再会。七夕祭りの笹の下で、数年ぶりの再会を果たし、恋人になる約束も、卒業後は同棲する約束もした私たちは、ある壁にぶつかっていた。

 それは、将来の事──2年前はぼんやりと浮かべるだけで良かったそのことは、今はそれにしっかりと向き合わなければならない事になっていた。


「夕香に会いたいなあ」


 誰にも聞こえないほど小さな声で、ぼそりと呟いた。それは昨年になってようやくちゃんを取って呼ぶことができた恋人の名前だった。

 手元には教職採用試験の問題集、スマホのロックを解除すれば教育実習の乗り越え方が載るウェブサイトが開かれている。

 毎年、七夕の願い事には「夕香ちゃんと一緒にいたい」と書いていたけれど、将来の夢、という意味ならば学校の先生になりたいと思っていた。

 それと同時に、勉強は好きな方だけど、引っ込み思案の傾向にある私が生徒の前で教えたりする事が出来るのだろうか、とも昔から思っていた。その背中を押してくれたのも、夕香だった。


 ふと、スマホの画面に通知の明かりが灯る。誰かからのメッセージだ──といってもこのアプリで私に連絡をくれるのは一人しかいない。ロックを解除すると、予想通り夕香の名前が表示された。


「今日の七夕祭り、楽しみにしてる! 18時に現地集合でよかったよね?」


 今日は七夕祭り。夕香と会える数少ない日。

恋人同士になったあの時から、お互いの予定が空いた日には遊びに出かけたりしていた。通話アプリで親の目を忍びながら夜明けまで通話をしたこともある。だけど、物理的距離も遠く、そして日々講義に追われる身で集まれる機会は少ないという状態は、遠距離恋愛のような空気があった。そう思うと、やはり七夕という日は私たちにとって依然特別な日だったのだ。


「大丈夫! 私も楽しみにしてるね」


 返事を書き、送信する。一瞬で既読の文字がつき、次いでスタンプが送られる。いつものやり取りだった。


***


 スマホの画面は17時30分を示している。予定より随分早く来すぎてしまった。夕香が知ったら笑われるかな、そう思いながらお寺の門に向かう。


「やっほ、静月!」

「夕香!?」


 集合場所に着いて驚いた。人混みを避けるようにして、そこには既に夕香が居たのだった。あまり眠れてないのか、やや隈の出た目元が少し心配だったけれど、間違いなく、そこにいたのは夕香なのだった。


「私が言えたことじゃないけど、早いね」

「講義終わってすぐに来たんだ。浴衣とか着たかったけれど、とにかく静月にはやく会いたくて」


 お互い、思っていることは一緒だった。


 本堂へ至る道を挟むように大きな竹が二本ある。今年の七夕祭りは休日ということもあり、いつもより多くの人がいる気がした。短冊を受け取り、一昨年再会を果たしたベンチに二人で腰掛ける。


「今年はさ、お互い将来の夢を書いてみない?」


 そんなことを言い出したのは夕香だった。


「将来の夢?」

「うん、私は臨床心理士、静月は教師、みたいな感じ」

「いいけど……いつものお願い事は大丈夫なの?」


 いつものお願い事とは、私たちが友達になった小学生の頃から続けている「ずっと一緒に居られますように」という願い事だ。


「だって、それは叶ってるから。来年からは一緒に住むし!」


 夕香は頬をかく仕草をしながらそう言った。付き合い初めて2年が経とうとするのに、直接会う機会が少なかったからか、こういう言葉ひとつにで心臓の鼓動が高鳴るのを感じる。そうだ、私は夕香と付き合っているんだ。


「じゃあ、キスしたい、とかは……?」

「そ、それは短冊じゃなくて、私にお願いしてほしい……」


 直接会う機会が少ないせいで恋人らしいことがあまり出来ていない反動か、らしくないことが口から出てしまった。

恋人らしいこと、というのがどういうものかあまり分からないけれど……夕香から見た私の顔はきっと真っ赤なんだろう、というぐらいには頭が混乱している。というか、夕香の顔も真っ赤だ。


「と、とにかく! 来年からは一緒に住むんだから、別のことを書いてみるのも良いんじゃないって、思っただけ」


 夕香にしては珍しい反応だった。祭りの雰囲気にあてられて変なことを言ってしまった。段々恥ずかしさが強まってくる。


「それにしても、夕香が大学院行くなんて、少し意外だったなあ」

 雰囲気を変えるかのように、話を逸らす。実際、夕香の性格ならば社会人として大活躍出来そうな感じがするのだったから、意外という気持ちは嘘ではなかった。

「資格をとるため、でもあるけど、静月に出会ったということも大きいんだよ」

「えっ、私?」

「小学生の時、静月は私によく悩みとか相談してくれたよね。その悩みって、あの時の私にはあまり分からないものだったんだ。だけど、静月のおかげで色々な人がいて、その人の数だけ違う悩みを抱えてることを知れた」

「この道を選んだきっかけは、静月だったんだよ」



「静月は教師を目指すんだね」

「うん、夕香が背中を押してくれたおかげだよ」

「でも、そこに踏み出せたのは静月の力だよ。私は特別なことしてない」


 でも、といいかけた口が開くことはなかった唇に夕香の指があてられたのだった。


「静月はもっと自分を褒めてあげなくちゃ。大学で多忙な教職課程を乗り越えてきたのも、そしてこれから乗り越えようとするのも、静月の力なんだから……聞いてる?」

 夕香の細くて綺麗な指が、唇に触れることに気をとられそうになりながら頷く。

「自分を褒める、あんまりしたことなかったかも……」

「最初は難しいかもね。だから、私からひとつ提案があるの」

「静月が何かを成し遂げて、自分を褒めることが出来たら、キス、してもいいよ?」


──夕香の顔がぐっと近づいて、私の唇と夕香の唇を隔てるのが指一本分、というところまでくる。それは、さっき私が勢いで言ってしまったお願いだった。

それまで暗くて分からなかったけれど、近づけられた顔をよく見ると夕香も耳まで真っ赤だった。


 かなわないなあ、と心の中で呟く。これから先も進む道は同じじゃない、だけど、傍にはずっと、ずっと愛する夕香がいる。それだけで、私はどんな試練でも乗り越えられると思うのだった。


「よし、書けた。約束、だからね……?」


【教師になれますように ……あと夕香とキスできますように…… 静月】


「ふふ、ずっと楽しみに待ってるよ」


【心理士になれますように ……そして静月をずっと傍で応援できますように…… 夕香】


 七夕祭りの笹の下、いつもとは違う願いを私たちは見せあったのだった。

 

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