バケモノ退治したらバケモノになりかけた日②

言語化できない。解読不能な雄叫びが俺の体を震わせる。依然として脳内の警鐘は鳴り止まない。


「...うぉぉぉぉ!?あぶねぇ!?」


反射的に後ろへ飛び退く。直後、俺が立っていたはずの地面がえぐり取られ、耳をつんざくけたたましい咆哮が辺り一帯を埋め尽くした。


「ひいいぃぃぃ!!なんだっ、なんだよ!?俺が勝手に触ったからか!?ごめんて!?」


膝が笑っていて上手く立てない。座り込んだまま顔だけを動かして、俺の命を刈り取らんとしたモノの正体をとらえる。どう考えても、ゴブリンやスケルトンのような並のモンスターではない。


「なにお前!?バカでかいまっくろくろすけみたいな!?はぁ!?」


本の中から現れたのは、さながら深淵に似て非なる物体。内部で何かが絶え間なく蠢いており、思わず鳥肌が立つ。


並のモンスターはおろか、一定の種に分類されないタイプの独立した怪物が出てきてしまった。終わった。


「待って謝る!!地面にデコ擦りつける系の土下座でも何でもするから!!命だけはご勘弁をぉおおお!?」


相手は問答無用で殺しにかかってくる化け物だ。どれだけ懇願しようが無駄。あぁ終わった。


「せ、せめて一矢報いる何か...!こんなものしか無ぇけど...ってあれ...」


一撃でも与えてどうにかとんずらしよう、なんて言う甘い考えは、どうやら問屋が卸さないらしい。


そうだ、思い返してみれば。


「あ、あぁ...あぁぁ...」


俺が背負っていたはずの武具たちは、ここに墜落したときに一つ残らず消し飛んでいたんだった。何がいいクッションになっただ。ふざけんじゃねぇ。




「___髣�↓證ョ繧後�裸縺ォ諠代>縲√☆縺ケ縺ヲ縺ッ辟。縺ォ蟶ー縺�」




タイムリミットを告げる奴の腕らしき闇の集合体が、鎌首をもたげて俺に迫りくる。対抗策を失い、もはやただの一般人と化した俺には、脳が足りなかった過去の自分を恨むことしかできない。


「...こんの、クソッタレがぁああ!!」


死の淵で腹の底から飛び出したその口汚い罵声は、怪物か、はたまた俺自身に向けられたものか。


半狂乱になりながら叫び、俺は泣き喚いた。




「髣�°繧峨�裸縺ォ縲∬速繧�___」




...一方に痛みがやってこない。化け物の金切り声だけが俺の耳朶を強く打つ。


「いたぶって遊ぶなよ...やるなら一思いにやりやがれクソが...」


これが俺の辞世の句となるだろう。こんな品性の欠片もない言葉で人生を締めることになるとは、異世界ってのは随分手厳しいものだ。


(あーあ...本当だったら俺は、今頃現世でそれなりのメシを食って、つまんねぇ深夜テレビでゲラゲラ笑って、風呂入って寝て働いて...いつも通りの地味な社畜ライフを送ってたんだろうな...)


冤罪にかけられる以前は、そんな生活を変わり映えのしない底辺なものだと思い込んでいたが、今になってみれば、あれも悪くなかった。むしろあれで良かった。戻れるなら戻りたい。


なーにが異世界転生だ。なーにがお情けたっぷりの女神さまだ。なーにが無双系最強主人公だ。


(全部、浅い人間のうすっぺらい妄想じゃねぇか...)


最後の最後まで悪態をつき続け、やっと言うこともなくなった俺は、すべてを諦めて嗚咽を漏らした。




「今ぁ!!だらしなくうずくまってないで早く!本を閉じてそこのおじさん!!」




次に耳に飛び込んできたのは、切羽詰まった少女の叫び声。頭を殴られたかのような衝撃とともに、ハッキリと意識を取り戻す。


「えっ...は...?」


素っ頓狂な声を上げつつ、少女がいるであろう上空を仰ぎ見た。その少女は両方の手のひらをあの怪物に向け、とめどない光を浴びせている。


誰?だとか、なんで?だとか、何してんだ?だとか、言いたいことが溢れて止まらない。だが少女はもうそれどころではないらしく、苦悶の表情を見せながら俺に指示を投げてきた。


「シャキっとして!私の拘束も長くないから!!はーやーくっ!!」


豪速球のストレートボール。もちろんのこと俺は取るも打つもできずデッドボールとなったが、体はなんとか動いていた。


「うぉおらぁぁぁあああああ!!!」


無様な姿を晒しながら立ち上がり、駆ける、駆ける、駆ける。これで俺が助かるなら、もう何でもいい。どうとでもなれ。


化け物に飛び込むかのごとく、俺は再び祭壇の前へ躍り出た。目の前でわずかに委縮しているようなその深い深淵は、確かに俺が開いたページと繋がっているように見える。


(ここか!?ここから出てきたのかコイツは!?なんなんだよお前はもう!?)


両の表紙をガッチリと掴み、俺が絞り出せる全力をもって、本を閉じる。物語を終了させる。


「なぁああ!!固ってぇ!!重いっ...重いぞ、コンッチクショウ!!」




「___蜈ィ縺ヲ縺ッ縲∝、懊�髣��骭ヲ縺ァ縺ゅk縲�」




頭上からうめき声が轟く。少女が言う「拘束」とやらの効力が切れかけているのだろうか。奴が腕を伸ばし、俺の頭を掴んでいるのがわかる。ミシッ、という嫌な音が俺の内側で響いた気がした。


焦りが勢いよく加速する。一向に魔導書の表紙は祭壇に張り付いており、びくともしない。


「ぐぅぅぅ...!!おじさん...早くっ...!!」


こうなりゃもうヤケだ。やらないで後悔するような冒険家なんざ、男のロマンからは到底かけ離れているに決まっておろう。


少なくとも無事では帰れないことを自覚しつつ、覚悟を決めた俺は、化け物と本とを繋ぐ細い部分を握りしめた。


「さっさと...!!お前の住処に帰りやがれぇぇぇぇええええ!!!」


本が閉じないのなら、本体を本の中に叩き込めばいい。お前は自分の物語の中で引きこもってろ。


「うらぁぁぁぁあああっしゃあああ!!!」




「豺ア豺オ縺ッ縺�▽繧ゅ∝�譁ケ繧定ヲ九※縺�k縲�___」




「ぐうぅぁっ!?」


ギュルギュルという音をたてて、奴がまとう闇の一部が細い管となって俺の腕に侵食してきた。


「ひっ...お、おじさん...!!」


いい、いい。大丈夫。それも後だ。俺の体はおそらくあの少女が何とかしてくれる。だから今は。


「ぎぃぃ...いい加減にぃ!!しろやぁぁぁぁぁあああああ!!!」




「豺ア豺オ縺ィ縺ィ繧ゅ↓縲√≠繧峨s縺薙→繧偵�___」




パタン、と苦労に見合わぬあっけない音とともに魔導書は閉ざされた。続けざまに少女が急降下して魔法か何かで封をしたのを見届けて、俺はその場に仰向けで倒れ込む。


「は...はっ、ははは...なんだよ、ありゃあ...」


疲れ切った状態で見上げる天井はまさしく深淵そのもののようで、もしやまだ奴が潜んでいるのではないか、と邪推させる。


「...アレ、って言うよりもこの本こそが、私たち受刑者に回収を命じられた品よ」


眩く光る鎖で固く閉じられた、忌々しい魔導書。それを祭壇からひょいと掲げた少女は、振り返って俺に言う。


「え?お偉いさん方は金目のもんを欲しがってるんじゃないの?」


「それもだけど、受刑者によるダンジョン攻略のメインはこの魔導書。中でもこれは『禁書』ね」


「禁書...?」


「さっきみたいに高階級の魔物を召喚したり、あるいはもっとヤバいことをしでかすのが『禁書』、そんなことも知らないでダンジョンに潜ってたの?」


「う、うぐぅ...痛いとこ突かないでくれよ、体も堪えてるんだからさ...」


つーかヤバいこととは一体。そこを知りたくて聞いたんだが、なんだかなぁ。


「...しかもここ、『聖域(サンクチュアリ)』じゃない、どうやって入ったのよ」


「え?なんて?」


うまく聞き取れなかった。忘れないで欲しいが、俺は四十路に片足を突っ込んだおっさんだ。その老いの影響なのだろうか。なんともまぁ悲しいことである。


「だ、か、ら!!この場所にどうやって入ったのかって___」


繰り返された質問に、あぁそんなことかと思いつつ、食い気味に返答しようとした矢先。


「...うぐぉっ...!?あ、がぁっ...!!」


「っ!?おっ、おじさん...!!」


上体を起こして彼女と対面しようとした瞬間に軋むような痛みが駆け抜けたのが、俺の右腕であった。張り巡らされた血管がドクンドクンと脈打ち、筋肉が繊維レベルですりつぶされる。


「なっ...なんだよ、ごれぇ...!?」


見ればそこには、ユリの花弁を象った黒紫色の模様がびっしりとこびりついているではないか。搔きむしっても引っ搔いてもそれらは剥がれることなく、俺の腕を覆いつくそうとしてくる。


「手をどけてっ!!深呼吸!!」


「あ゛ぁ゛...?」


聞き返した己の声に俺は寒気がした。ついさっき禁書の中に封じた、あの化け物そっくりだった。


「退魔の力で抑え込む...押し切るっ...!!」


しゃがみ込んで、俺の腕に必死に魔法をかける少女の姿は、俺の目には崇高な聖女のように映った。ピンクブロンズの艶やかな長髪、長いまつげに真珠を彷彿とさせるシルバーの瞳。


シスター服に近いデザインの衣服に袖を通した、柔らかなラインの綺麗な腕や手。邪な気持ちではなく、純粋にその容姿に感嘆し、あるいは心酔してしまうような、そんな感覚であった。


(...いや、違う違う!この子に失礼だろうが!散々助けられた挙句なぁにをしてるんだ俺は...!)


この期に及んでまだ呑気にバカをやっているのかと、思わず心の中で自分を叱責する。


だが本当なのだ。彼女の言いつけも忘れてろくに呼吸もせず、見惚れてしまうくらいに、彼女は美しかった。


「あぁ...だいぶ、楽になったよ...ありがとう...」


「...はぁぁ〜...ほんと、息つく間もないわ...世話が焼けるおじさんね」


どうやら本当にそう思っているらしく、少女は心底憎たらしいといった顔で俺を見下してきた。前言撤回、どこが聖女だ。思っても顔には出すなよアホ。


「今のは...?」


「...言いにくいけど、おそらくはあの化け物の一部。おじさんの体...右腕に入り込んだみたい」


...まぁ、わかってはいたさ。無理を承知で化け物を鷲掴みにしたのは俺だ。体が無事では済まないことだって理解していた。今更引き返せはしないし、もうどうしようもない。


「大人しく、このおかしな腕とともに歩む人生を選びます」


「違う、おじさん一人の問題じゃないの。禁書を舐めないでこの能無し」


「えぇ...?そこまで言う?」


「そんな温い考えでこの先生きていけると思わないで頂戴。いい?気を抜いたらおじさん、あの化け物に体ごと乗っ取られるわよ」


それもわかっている。というより、今理解した。この腕は自分への戒めの勲章だとか、そんな安っちいものじゃない。


「俺の腕そのものが...禁書と同等の危険物...?」


今は禍々しい模様も、体がのたうち回るほどの痛みも、嘘のように和らいでいる。が、それもいつ再発するか分かったものじゃない。


そして一度俺の肉体の主導権が奴に明け渡されれば最後。


「その通り。おじさんの体を媒介として、世界中を荒らしまわる厄災に早変わりね」


「はぁ!?シャレになんねぇぞ!?どうすんだよこれ!」


「だーかーらー、ここからは私がおじさんの監視役として同行させてもらうわ。この禁書を納品すれば、さすがの彼らでも解放してくれるでしょ」


...なるほど、そう来たか。そうなってしまうのか。


「言っておくけど、了承しないなら今ここであなたに手を下すわ。おじさん一人の命と世界の平和だったら、私は後者を取る」


強情、しかし理路整然としていて隙がない。俺は頷くしかなかった。


「ふぅぅ〜...わかった、わかったよ。それでいいから、もし俺に何かあったら君が何とかしてくれ」


「決まりね。あと少しで強制送還されると思うけど、ここに留まるのも危険だから戻りましょ」


話を済ませると、彼女は天使のような魔力翼を展開して空中へ飛び立った。薄情な人間なことだ。聖女とはてんでかけ離れているな。ってちょっと待ってくれ。


「おい、おーい!俺、魔法使えないから!飛べないから!!」


精一杯張り上げてやっと聞こえたのか、見て呉れだけ聖女な少女はふわりふわりと浮かびながらこちらに振り向き。


「...嘘でしょ?」


先ほどよりもいっそう蔑むような表情で、そこら辺の駄犬か何かを見るように俺を睨みつけてきた。


「え、こんなのがこの先付きまとうようになるってことか...?俺辛いが...?」


自らの将来を案じ、そして俺は静かに涙した。

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落ちこぼれ転生者が腐れ外道な異世界を創り変えるまで。 ときもんめ @TokiToki_monme

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