1-8 っていうか、八歳?
羽澤家の当主が暮らす屋敷は広い。代によっては沢山のお手伝いさんがいたようだが、響は最低限の人数しか雇っていない。暮らしているのは響、咲、夷月の三人。姉のなのかの部屋はあるがほとんど帰ってこないので、部屋の数の多さに反して実際に使われる部屋は数えられるほどだ。かくれんぼをするには十分すぎるほどだが、悲しいことに、一緒に遊んでくれる相手がいない。今度幽霊を誘ってみようかと思いながら、夷月は咲の後ろをついていく。
てっきり書斎か響の自室に行くと思っていた夷月は、咲が足を止めた部屋に驚いた。
そこは屋敷の中で唯一の和室。四代だか、五代くらい前の、当主の写真が壁にかけられた仏間だ。仏壇を置くための部屋というだけでなんとなく陰気くさく、自分を見下ろす代々の当主たちの写真が不気味で、小さい頃に泣き出して以来入っていない。両親は毎日仏壇に手を合わせているという事実も、夷月の足を遠のかせている。
いま仏壇に飾られている写真は先代当主のものではなく、異母兄のものである。夷月が生まれる前に死んだ、会ったこともない、半分だけ血のつながった兄のものだ。
夷月の母、咲は後妻にあたる。亡くなった兄となのかの母は羽澤家とは縁もゆかりもない人間で、響とは恋愛結婚だったらしい。家のしきたりやら、優秀な跡継ぎをもうけなければいけないという圧を全て無視して、響は好きな相手と結婚した。その間に生まれたのが兄と姉だ。愛した女性が亡くなった後、次の嫁をもらえとうるさい一族を黙らせるために結婚したのが咲。兄がなくなり、跡継ぎに男がいないのは不安だとうるさい親戚を黙らせるために生まれたのが夷月だ。
兄の遺影を見ると嫌でも自分の生まれと立場を思い出す。自分は事故死した兄の代わり。兄が生きていれば生まれていなかった存在だと突きつけられる。そんな夷月の気持ちを理解している両親は、遺影に手を合わせろとは言わない。だが、兄の遺影に手を合わせることは止めない。仕方のないことだと分かっているのに、両親に愛されているという自信があるのに、夷月はいつも兄のことを思い出すと苦しくなる。
「なんでここ?」
他の部屋じゃダメなのかと咲に問いかけると、咲は夷月の顔をじっと見て「ここじゃないとダメなのよ」と答えた。常に微笑みを浮かべている咲の、真剣な顔を見てしまったら嫌とも言えない。夷月は重たい足を引きずって咲に続いて部屋に入る。
部屋の中にはすでに響の姿があった。仕事帰りらしく見慣れたスーツ姿で、仏壇の前に正座している。姿勢のよい背中からは気迫のようなものが感じられた。響にとってこれからの話は重要なのだと、気づいてしまえば拒否も出来ない。夷月だって来年は高校生。いつまでも逃げ続けられるものではないと分かっていた。
スリッパを揃えて脱いで小上がりをあがる。久しぶりの畳の感触に眉を寄せたが口には出さず、夷月は黙って響の斜め後ろに正座した。その隣に並ぶように咲が座る。仏壇を見る気にはなれず、視線は畳に固定されていた。畳の目を意味もなく眺める。早くこの場から逃げ出したいという感情でいっぱいだった。
「私には子供が四人いる」
夷月に背を向けたまま響は話し出した。予想通り兄の話かと落胆したところで違和感に気づき、思わず夷月は顔をあげる。微動だにしない響の後ろ姿を見つめながら、夷月は呟いた。
「四人?」
前妻との子供は二人だったと夷月は聞いている。姉のなのかと亡くなった兄の二人だ。自分が知らないだけで弟か妹がいるのだろうか。予想しなかった展開に、夷月は響を凝視し固まることしか出来なかった。
「羽澤家には面倒くさい仕来りが色々あることは、夷月も知っているだろう?」
やっと振り返った響は緊張でこわばる顔でそういった。夷月はそれにただ頷く。声を出せるほど冷静ではなく、頭を上下に振ることしか出来なかった。
「その中の一つに、双子の上は隠して育てるというものがある」
それは羽澤の人間ならば誰もが知っている、意味の分からない仕来りだ。
時代錯誤も良いところだし、現代であれば児童虐待に他ならない。響が当主になってから双子を迫害することは禁止された。逆にいえば、響が当主になる前まで羽澤家では当然のように双子は迫害されており、双子の上は隔離されて育てられた。未だに双子、特に上の子に対する一族の風当たりは強く、響は消えない差別をなくそうと尽力している。
響がどうして双子を気にかけているのか、夷月は知らない。博愛主義の正義感からだろうと思っていたが、もしかしたらもっと別の、他人事ではない理由があったのではないかとこの時気づいた。
「姉さんか兄さんが双子って事?」
夷月の問いに響は静かに頷いた。
「私の子供は四人。長男アキラ、次男トキア、長女なのか、三男夷月。次男のトキアは八歳の時にこの世を去ったが、長男のアキラは生きている」
「えっ、ちょっとまって」
一人だと思っていた兄が二人いることにも驚きだが、死んだと思っていた兄が生きていたことにも驚く。長男だとすれば双子の上。羽澤家では隠される存在だ。だから今まで生きている事実も隠されていたのだろうが、もはや何に驚いたらいいのか分からない。
「っていうか、八歳?」
聞き覚えのある年齢である。いや、まさか、偶然だよねと夷月は心の中で呟く。混乱する気持ちを落ち着かせようと額に手を当てたところで、肩に誰かの手が置かれた。咲にしては小さい。そして冷たい。
視界の端に長い髪が見える。最近すっかり見慣れてしまった、女性が羨ましがりそうな綺麗な髪だ。この髪の持ち主を夷月は知っているし、なんなら探そうと思っていたので、出てきてくれることは嬉しいのだが、タイミングは今じゃない。絶対に今じゃない。
顔が引きつるのを自覚しながら顔をあげる。予想通り、すっかり見慣れてしまった、子供らしくない笑みを浮かべた幽霊が、夷月を見下ろしていた。悪戯が成功したことを喜ぶ意地の悪い笑みのまま、幽霊は夷月の顔をのぞきこみ、肩に置いた手を頬へと動かす。
子供らしく小さく柔らかい。しかし生きている人間にしては冷たい手が頬を包み、目をそらすことは許さないとばかりに夷月の顔を固定した。
「自己紹介がまだだったね。僕の名前は羽澤トキア。君の異母兄だよ」
幽霊こと兄ことトキアはそういって、本当に楽しそうに笑った。その顔が直視できずに視線をそらすと、仏壇が目に飛び込んでくる。目をそらし続けた仏壇には、目の前で笑う幽霊の写真が飾られていた。
第一話「恋と呪いはよく似てる」 終
だから僕らは大人になれない 黒月水羽 @kurotuki012
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。だから僕らは大人になれないの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます