第5話 ようやく「はじめの村」を出られた気がする
「全員、議事堂周りに集合してくれ! 避難が間に合わない!!」
獅子堂の緊迫した声がインカムに響く。
Sから怪人大量発生の報告を受けた後、自分は全速力で走っていた。……まだ踏ん切りが付いていないが、今はそんな事を気にしている場合ではない。無心を心掛け、流れて来る人の波を上手く躱していく。
因みに保坂は、自分よりも早く現場へと向かった。武器として使っていた杖のような物に乗り、空を飛び始めた時は自分の目を疑ったが……いや、もう彼女の話はやめよう。さっきの話が頭にちらついて集中できなくなってしまっては元も子もない。
人混みを避けつつ、遂に議事堂へと到着した、が……そこは地獄と化していた。
煙が充満する瓦礫の中を逃げ惑う人々。地面は大きくめくり上がり、道路わきなどにあった筈の木々が黒く燃えて倒れている。まるで爆発でも起きたかのような惨状の上を、複数の怪人が闊歩していた。
あまりの光景に自分の目を疑った。一体この場所で何が起きたというのだろうか。
「避難誘導を最優先! 付近を離れようとする怪人は倒せ!」
獅子堂からの指示を受け取り、すぐに行動へ移す。
怪人もそうだが、何よりもその手下の数が多い。ざっと見ただけでも100体以上は間違いなく居る。更に怪人の数が多いからか、手下の種類も多い。今まで苦戦するような相手は居なかったが、ここまでの数が居れば、能力の違いもあると考えていいだろう。
「や、やめてくれ!!」
「やめてぇ!」
「! ソード!」
人の悲鳴を聞きつけ、すぐに剣を召喚する。急いで向かうと、人を襲っている敵を見つけた。
黒い宇宙人のようなその敵は、後ろから見てもかなりの巨体だと分かる。その背中を見た時、今朝のスーツの怪人が連想された。
「っ、この!」
迷いはしなかった。全速力で相手の背中から攻撃を仕掛けた。予想外にも相手の体は綺麗に真っ二つに分かれ、そのまま地面に転がった。呆気なく死んだ敵に困惑するのも束の間、その敵の死体の手が赤く染まっている事に気が付く。
「き、きゃぁぁああ!!」
自分の目の前に、人の骸が転がっていた。自分はその道のプロでも無いし、遺体なんて見慣れていないが、それが真新しい死者である事は分かった。つまりは、自分の手が届かなかった、命だった物が、それだ。
間に合わなかった。初めて出た死者という訳でもないのに、言いようのない責任感が重くのしかかって来る。目の前で旅立っていった命が、まるで自分が殺したものに思えた。先ほどの保坂との会話が無理やり思い起こされ、眩暈を覚える。
情緒が乱されたまま、自分は平静を装った。まだ、生きている人達が居る。彼らを安全な場所まで誘導しなければならない。
「皆さん立てますか!? 俺が先導するので付いて来てください!」
「た、助かった……」
今はこれでいい。今ある命を助けなければいけない。これ以上の被害を出さない為にも、自分が出来る最善を尽くすんだ。
……覚悟は、出来ている。出来ている筈だ。怖くなんて無い。だから、何か躊躇を覚えているこの心は、嘘に決まっている。こんな状況で、まだ自分に選択肢があると勘違いしている自分は、ただの幻だ。幻、幻……。
自分に、人を助ける覚悟はあるのか?
「皆、死んだ……皆……ははは」
不穏さを感じる声だった。避難者の1人が蹲って、ブツブツと小声で何かを言っている。自分はそれに前兆を感じ取った。きっと、間違いないだろう。
「!! 走って!!」
自分は避難者を庇うように前に出た。すると、蹲った人が転化を起こす。
破裂した人間の内側から怪人が現れると、一斉に避難者達が悲鳴を上げた。
ただ助けるだけでは駄目だった。だが、これも事前に説明されていた筈だ。自分は人の心に平穏をもたらすヒーローにならなければならないのに、何もかも一手が遅れてしまう。手遅れになってしまった命を前に、更に後悔を重ねる。
自分はまだ迷っている。……いや、これは迷いなんかではない。単純な話だった。
自分には、人を助ける勇気が無い。
「くっ! ソード!」
「アバァ」
どことなく赤子を連想させる怪人に、自分は剣を突き立てた。命を奪う覚悟なんて無い。ただ自分と他の人を守るための防衛として、攻撃を繰り出す。相手もこちらの攻撃を避け、隙を見ては攻撃を仕掛けて来た。
自分や他人の命を守るために戦うとは、精神的に楽な事だった。これほどの大義名分は他に無い。紛れもない正当防衛だ。
だが、心のどこかから、それでは駄目だと声が聞こえてくる。その言葉に、自分が狼狽えている事も分かっている。
手下を取り込んでいないからか、目の前に居る怪人に、それほど脅威を感じない。手堅く攻めたとしても、その内、殺すチャンスが必ずやって来るだろう。それが来た時……自分はこの怪人を、どんな気持ちで殺せばいいのだろうか?
申し訳なく? それとも、特に気にする事なく? 全ては自分の命を守る為だったと理由を付ければいいだろうか?
そんなもの、自分はヒーローと呼びたくない。自分が取りこぼした命を奪うというのに、その体たらくでは卑怯だと思ってしまう。
しかし、いちいちそんな事を気にしていても、いずれ限界が来るというのも分かってしまう。これから大勢の命を奪うのに、自分は、その責任を全て背負えるとは思えない。そんな事ではヒーローなんて、やってられない。
……保坂ならばどうするだろう。彼女はきっと、こんな事いちいち気にしたりなんてしない。残った命を救ったと喜びさえするかもしれない。いや、本当ならそう喜ぶべきなんだ。手遅れになった命を気にするなんて、キリが無いんだ。
だけど、自分はそう出来ない。頭で分かっていても、どうしても否定してしまう。
……自分には、人を殺す勇気が無い。それが、手遅れなものでも。
「ばぁ!!」
「!?」
殺せる瞬間を見逃し、相手に不意を突かれた。弁明のしようもなく、躊躇を覚えてしまった自分のせいだ。
左腕に鋭い痛みが走り、次第に感覚が無くなった。かろうじて、まだ繋がっているように見えるが、自分の意思ではピクリとも動かない。
結局、保坂の言う通りだったのだろう。動かなくなったこの左腕がその証拠だ。
要らぬ感傷に浸り、人を救える筈の手を失った。目の前の敵は未だ健在で、もし、このまま自分が負けるような事があれば、更に犠牲者が増え続けるだろう。
だというのに、自分は決断できない。いや、しようともしていない。目の前の敵に殺意なんか抱けず、相手を殺す動機も納得できていない。
自分みたいなヤツこそ、卑怯者と罵られる人間なのだろう。人をどうにかする度胸が無いのに、綺麗事ばかりを吐いている。保坂に対し、あたかも自分が正しいかのように講釈を垂れようとした先の発言に、自己嫌悪を覚えた。
「キャッキャッキャッ!! ……あぅ?」
自分の戦意喪失を感じ取ったのか、怪人はこちらへの興味を失い、別の方向へと目を向けた。そこには、ひとり横たわる逃げ遅れたのであろう女性が居た。
「バァ!!」
怪人がそちらへ走り寄った。
「ひ、ぃ!?」
急いで立ち上がろうとする女性だったが、怪人の方が遥かに速い。
赤子のような容姿からは想像もつかない程の鋭い爪が、女性の顔を――。
――裂く前に、自分が怪人の首に剣を突き刺した。
「ぁが……?」
「……」
間一髪だった、とか、間に合って良かった、などの焦りや安堵は微塵も無かった。
後悔はしていない。自分に出来る最善手だったと思う。
だが、命を殺めたというのに何も感じていない自分が、心底嫌だった。殺して、助けたという合理性が、自分の心までをも殺しているみたいで。
「……怪我は無いですか?」
自分の心は冷めきっていた。覚悟も決断も無く、結局、自分は怪人を殺した。人は助かったが、これが正解とはとても思えなかった。
目の前の無惨な光景に、女性は怯えきっていた。無理もないだろう。こんな事、少し前の平和な日常では考えられない。この世界は、1日も経たずして地獄へと姿を変えたのだから。
「……あ、ありません」
「……ゆっくり立ち上がって下さい」
ようやく口を開いた女性に、自分は手を差し伸べた。剣を使っていた為か、特に血にも汚れていない自分の右手に、複雑な心境を覚える。出来る限り不安定な気持ちを表に出さぬよう、慎重に女性を引っ張り上げるが、自分の手の震えは誤魔化せていただろうか。
自分が殺した怪人の遺体が目に入る。呆気なく事切れた敵だった物を見て、改めて自分の力の異常さを思い知らされた。
何せ、自分の意思では無いと思うのだ。情けなく迷い続ける自分が、これをやったとは到底思えない。他でもない自分の体が、力が、これらが借り物でなければ説明が付かない。
与えられた力というのは、偽物だ。自分が成長して得た力じゃない。くじ引きに当たりはしたが、それは運でしかなく、意味は無い。心の底からそう思う。
……選ばれるべきは自分では無かった。今朝、怪人に襲われた時、あのまま死ねばよかった、と思ってしまった。
「ぅ、ぐ……ひっぐ……!」
不安に耐え切れなくなったのか、女性が泣き出してしまった。考えてはいけない事を考えてしまっていた自分は、その苦しそうな声を聞いて正気を取り戻す。
例え偽ってでも、自分はこの人を安全に逃がさなければならない。転化も起こさず、危害も与えないよう慎重に。割れ物を扱うように。……仕事は、責任を持って、こなさなければ。
「俺が誘導します。もう大丈夫です」
自分にしては、優しい声を出せたと思う。女性が泣き止む事は無かったが、おもむろにこちらの手を握り、その力を強めた。その行動の意図は分からないが、ひとまず転化の心配は無いだろう。
なるべく急ぐよう歩を速め、その場を離れた。
「安全は確保できた! 逃げ遅れた人はもう居ない!」
女性と共に立ち上る煙を抜け出た自分の耳に、獅子堂からの報告が入る。彼女で最後だったのか、たまたま同じタイミングで逃げた人が居たのかは分からないが、避難誘導は無事に終わったらしい。……犠牲者は居たが。
「す、すみません! 援護お願いします!! 思ったより手ごわくて……っい!?」
「!! 今行く!」
鳥畑妹からSOSが届き、獅子堂が返事をした。一体、自分の見えない場所でどんな戦いが繰り広げられてるのか分からないが、緊迫した声からは余裕を感じない。
……考えるのはよそう。とりあえず、応援に向かうのが優先だ。覚悟は要らない。結果さえ、残せればそれで――。
「あ、あの!」
色濃い煙に再び姿を消そうとする自分の背に、助けた女性の声が掛かった。
そうだった。気の利いた一言が無いと、彼女は心から安心できない可能性もある。つくづく自分の詰めの甘さに嫌気が差す。だが、幸いにも本人から声を掛けられた。これでまだ、ヒーローのフリができる。
「すいません不安ですよね。まずは体に異常が無いか、病院で検査を受けた方がいいと思います。本当に申し訳ないですが、怪人がまだあっちに残っているので、俺は行かないと――」
「――ありがとうございます……!」
適当に言葉を並べる自分の台詞を遮り、女性が感謝を述べた。他者との会話に疎い自分だが、その言葉には心が籠っているように感じられた。
突然の感謝に驚くものの、それ以上にその言葉の意図が解せなかった。自分には、大した事を言った気は無いのである。もしかしたら、こちらの姿がヒーローのように見えている故に、色眼鏡でも掛かっているのだろうか?
……思う所が無いわけでは無いが、それは自分の行動の成果が出た証拠でもある。この女性の心配はもう要らないだろう。
「あぁ、いや、大した事は何も。被害が広がる前に――」
「――本当に……本当に、ありがとうございました……!!」
また泣き出した女性は、しかし安堵した顔で自分の手を取り、まるで神に祈りでもするかのように、感謝をした。
とても演技とは思えない本物の感謝を目の当たりにした。……いや、見ただけじゃない。他でもないこの身に受けているのだ。
盲信的だと思う筈だった。大袈裟だと。しかし……自分の本心は、そうじゃない。
ただの言葉が、自分の胸に深く突き刺さったような感じがした。その安っぽい言葉が、自分に活力を与えた。何故だろうか? ヒーローなんてガラでは無いのに。
「あ、えぇと……よ、よかったです……っ」
自分は狼狽えて、不慣れな手つきで女性の手を放した。相手に与える印象だとかは微塵も考えていない。ただこの浮かれた自分の気持ちが、不思議で仕様がなかった。
握られていた自分の手に視線をやり、次に顔を上げると不安そうな女性の顔が目に映った。
不味い、と思った自分は、ヒーローっぽい言葉を紡ぐ事にする。しかし口から出た自分の言葉は、自分の想像と違い、何というか……感じが違った。
「……えと、お大事にしてくださいっ」
「!! は、はい! 頑張ってください!」
自分の口から出たのは、用意した言葉では無い。自分でも不思議に思うくらいの、無意識から生まれた言葉だった。
ヒーローっぽさ何て欠片も無い、情けない自分の声に羞恥を覚える。やけに熱く感じる自分の頬は、このヘルメットで隠れている筈だ。この姿には翻弄されっぱなしだが、今初めて感謝できるかもしれない。
そのまま自分は戦場へと戻った。振り返る事は無かったが、自分の姿が消えるまで、その女性はその場に残っていたような気がする。
何の根拠も無いが、そんな気がした。
それから自分は、怪人やその手下を倒しつつ、仲間の援護に向かう。
やはり相手が助からないとはいえ、罪悪感がある。だが先ほどまでとは違い、それを素直に受け入れられている事に気が付いた。ただの気の持ちよう、といえばそこまでだが、何となくそれだけじゃない気がした。
自分の中の答えに近づきつつ、驚く光景を目の当たりにする。
「ピー。ポーン」
先ほど確かに自分が倒した敵だ。黒い宇宙人のようなソレは、何かの信号のような電子音を奏でている。
しかし、驚くべきはその数だろう。
「ピー。パー」
「ポー。ピー」
「プー。プー。プー」
十数体も居るその敵を見て、ようやく合点がいく。その巨体ゆえに想像がつかなかったが、彼らも怪人の手下という訳だ。で、あるならば、親玉の怪人は何処に……。
――ズシンズシンズシン!!
大きな音と共に、地面が揺れた。
思わず音の発生源らしき方へ目をやると、黒い塊が建物の影から現れる。更に、その塊を押し進めるかの如く、見覚えのある巨人が現れた。
「大丈夫か!?」
「は、はい! 何とか……!」
獅子堂の心配の声に、鳥畑妹が返事を返す。
黒い塊だと思っていたそれは、巨大な怪人だった。鳥畑兄妹と戦闘をしているようである。周りの建物と相違ない巨体が暴れ回り、そのあまりの規模に、怪獣映画を見ているのかと思うほど迫力が凄まじい。
応援に駆け付けたはいいが、どう足掻いても自分では役に立てそうにない。
「きゃぁ!!」
インカムに鳥畑妹の悲鳴が入ると、怪人による一撃でそのまま巨人が倒れ込んだ。周りへの被害が凄まじく、周辺の建物が軒並み倒壊していく。
鳥畑巨人はそのまま動かなくなると、光を放ちながら姿を消した。
「!?」
その光景を見た自分は、鳥畑兄妹が死んでしまったのではないかと焦りを募らせ、敵を搔い潜るように巨人が居た場所へ走り出す。自分に何が出来るかも分からないが、居ても経っても居られなかった。
「いてて……くっそ、やらかした」
「鳥畑! 無事か!?」
「心愛は無事だ。俺もな……だが、活動限界が来ちまった。すまんが、しばらくは力になれそうにねぇ……」
「誰か2人の援護を!」
兄妹の安否確認が取れたのも束の間、活動限界という言葉に絶望感を覚える。
それはつまり、この状況で身を守る術がないというのも同義だ。誰かが2人の安全を確保しなければならない。……よし。
「お、俺が行きます!!」
震える声が前に出た。自信の無さが仲間に伝わってしまっただろう。
だが、これは使命感からの行動ではない。先ほどまでの自分では考えられない程の晴れ晴れとした気分で、心の底から自分がやりたいと思ったのだ。情けなく、臆病を隠そうとしなかった過去の自分とは似ても似つかない。
そんな心変わりを感じ、この瞬間、ちょっとした疑問が解消された。
何故、自分は人を助けたのか? この疑問がずっと心の奥で引っかかっていた。
自分の性とは到底思えず、ずっと我ながら不思議なものだと感じていた。
結論から言うと、きっとそれは使命感でしかなかったのだと思う。使命感、といっても、有識者や英雄のような人物が持つ高尚なものでは無く、人が当たり前に抱えるモラルやマナーに近いものだ。
自分は、人を助ける事が当たり前だと思っていた。家でやる宿題や社会で守る法律と同じように、義務付けられた行為の一種であると。自分に余裕があるならば、自分より余裕の無い人間に、それを分け与えるのが普通であると。
改めて考えてみれば馬鹿な事である。この世の中に、自分より余裕のある人間なんてごまんといる。ならば何故、他人が素知らぬふりで横目をやって来るのか? ……答えは単純だった。そんなルールは、最初から無いのだ。
自分の人生の何処で、こんな価値観が形成されたかは分からない。時には立派な人間への足掛かりにもなるだろうそれは、結局、今まで自分の足を引っ張っていた。
法律やマナーなんかを守る感覚での人助けなんて、それはただの作業と変わりないだろう。少なくとも、自分が思うヒーローとはかけ離れた価値観だ。
この責任感のような何かのせいで、自分は相応しくない舞台に立ち、動機も何もない戦いに参加させられた。今ではそんな気がする。
こんな心持では、人を生かすも殺すも、そんな勇気が出ないのは当然の事だった。
……だが、今になって、自分はそんな責任感とは別に、人を助けたいと思った。自然と足が軽くなり、救助を成功させる為の思考が研ぎ澄まされる感覚を体感した。経験不足のせいで分からないが……これが、勇気というものなのだろうか?
鳥畑光と鳥畑心愛は、自分達が壊した瓦礫の上で息を潜めていた。
戦闘を終えた後にしては服や肌がやけに小奇麗な妹の心愛とは対照的に、兄の光の方は体の至る所から血を流している。先ほどの戦闘によるダメージは、全て光の体が負っていた。
「お兄ちゃん! 血が……!」
「このくらいは何ともねえ。とりあえず立って急いで移動……っ!!」
そう移動しようとした矢先、光の目に黒い影が映る。その姿は先ほどまで相手になっていた黒い巨人に酷似しつつも、人間サイズに戻った今、あれとは別の存在であると光は冷静に判断する。
しかし、それは明らかに友好的な生き物に見えず、先ほどまで目線を合わせていた敵よりも、更に大きく見えるその相手を前に、こちらが被食者側である事を、否が応でも理解させられた。
「走るぞ心愛!!」
「っ!」
光の力強い合図に、しゃがみ込んでいた心愛は素早く立ち上がった。
兄が差し伸べた手を取り、急いでその場を離れると、先ほどまで自分達が居た場所から不穏な騒音が発生する。心愛は思わず振り返り、地面に大きな拳を振り下ろした敵の姿が目に入った。
「くっそ……ここら辺って確か防衛省とかもあるだろ!? 国のお偉方は何やってんだ!?」
猫の手も借りたいとはこの事だろう。絶体絶命のピンチに、妹だけでも助けたい光は、他人頼りは業腹だと感じつつも、誰か助けてくれと懇願する思いだった。
光は独り言のつもりだったが、その疑問にインカムからSの返答が来る。
「出動した自衛隊は、主に皇居の守りを固めている。国からの援軍は期待できないだろう」
「は、はぁ!? 街がこんなになっちまってんだぞ!?」
「この規模の戦闘では空爆などが有効的だが、国はその許可を出していない。理由は不明だ。私の個人的な意見では、未確認生命体の侵攻を許す愚行に見える」
Sからの答えを聞いた光は更に絶望感を強めた。いつも煩わしいと思っていた司法制度は、こんな時でさえ足を引っ張ると感じているのだろう。援軍が来ない現状に、この国の老人による保守的な背景があるのでは、と勘ぐってしまうほど、光は余裕が無かった。
「ピピーピー」
光は集中できていなかった。建物の角を曲がる時、余計な思考に脳のリソースを割いていた光は、突然、目の前に現れた敵への反応が遅れる。
「!?」
光の背に、赤い柱が立った。何とか妹の心愛を守る事が出来たみたいだが、その代償は決して安いものでは無い。
「お兄ちゃん!!」
背に受けた傷から赤い液体がゴポリゴポリと垂れ落ちる。心愛は兄の体を案じ、光は、一瞬にして目の前に現れた敵に動揺しているようだった。
この一瞬で先回りをされたと思い込んだ光は、それでも心愛を守るために敵の前に立ち塞がった。立ち上がるだけでも、その誇り高い気力が窺えるが、間違いなく目の前の敵を倒せるような動きは出来ないだろう。
「逃げろ心愛!!」
「い、嫌!! お兄ちゃんも一緒に……!」
「いいから早く!!」
「絶対嫌!!」
言う事を聞かない心愛に、光は業腹な様子を隠せない。目の前の敵から視線を外す事は出来ないが、後ろに居る心愛の存在が脳裏にちらつき、気が気でなかった。
そして、またもそんな理由で集中が出来なかった光は、敵の存在に気が付かない。
「ピピピ」
「え――」
後ろから聞こえた敵の声に、光は目の前の敵から視線を外し、急いで振り返った。
目に映るのは、心愛を襲おうとする黒い敵。今は後ろに居るはずの巨大な敵だ。
この黒い宇宙人のような相手は怪人では無く、その手下である量産型の敵だ。光はその事に気が付かず、更に他の怪人が居るという可能性をも考慮出来ていなかった。
30メートル近い巨体になり戦っていた弊害か、力を失った事で経験の浅さを補えなくなったからか、今ではそんな事、考えている暇も無いだろう。
光はまだ諦めていないと思いながらも、自身の敗北を悟った。
……しかし、次に赤い血を流したのは、妹の心愛でも、兄の光でも無かった。
「……プー」
壊れた機械のような音を立て、黒い敵は力なく倒れた。光はその光景に唖然とし、少し遅れて、敵の腹部から剣先のような物が飛び出ている事に気が付いた。
「ピーピーピー」
「ソード」
倒れた敵の背後から、黒い影が現れると、その影は光の横を通り過ぎ、彼の背後に居た敵へ剣を突き刺した。
光は驚いた様子を隠せないまま、無我夢中に振り返る。
その先にあったのは、既に地に伏している敵だった物と、黒ずくめの見覚えのある姿だった。
「間に合った!」
ヘルメット越しのくぐもった声が光の耳に届く。出会って間もない相手だったが、光はそれが誰かを一瞬で理解し、同時に安堵した様子を見せた。
鳥畑光という人間は、そう易々と人に心を許すような性質じゃない。妹の心愛とは違い、他人に対して疑り深い面を持っている彼は、他人との関係に消極的だった。
それゆえか、チーム結成の件では誰よりも否定を突きつけ、今回の事態も本当ならば妹とだけで解決しようとしていた。今日は緊急なだけで、これが終われば何処か別の場所に身を潜めようと。光は妹の心愛をどう説得するかまで考えようとしていた。
だからだろうか? 光は、助けが来るなんて想像していなかった。無線での会話をしっかり聞いていても、それが虚栄の類だと信じ切っていた。期待をするか、しないか、という話ではない。光の頭から、その期待を込めた可能性が無意識に排除されていたのだ。
しかし、希望はやって来た。光は力不足の己を恥じるより、目の前に現れた奇跡に戸惑う。ただ目の前の味方を呆然と見つめる。
情けない、という第一印象を覚えていた筈の相手に、光はヒーローの姿を見た。
HEROIC CHILDREN ~このゲームが終わるまで~ へぶほい @HebuHoi
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