11 憎悪と友情、覚悟と対策

 泣き疲れて何もできなくなった青年二人を抱えて歩くこと数週間、思ったよりも早くノルクライスに着いた。

 ジェニスの肩から降りたジャワ―ドが弱弱しくも指笛を吹く。アズハールが鳴いて旋回し、ジャワ―ドの腕に留まった。アズハールは幾分か大人しく、不安そうに翼をばたつかせる。

 ジャワ―ドは「アズハールのせいじゃない」と小さく呟き、頭を撫でた。腕を前に出すとアズハールは何度かジャワ―ドを見て、それから飛び立った。頭上で何度か旋回したのち、どこかへと飛んでいく。

 心も体もふらふらで、気を抜けばその場で崩れてしまいそうだ。


『先に行け!』


 血を吐き腹を抑えるギルバートの姿が脳裏に焼き付いて離れない。声もずっとこびりついている。

 先に行け、だなんて。


 置いて行きたくなかった。あんな怪我で絶対に一人にしたくなかった。

 致命傷だって、分かってる。

 ギルバートを置いて逃げるのが最善策だっていうのも分かってる。

 分かってるけど。


 いやだ……と零し、ジャワードに縋りついた。背に回された手が温かく、ギルバートと握手したことを思い出してまた涙が溢れる。

 どこでもいいから宿を取ろうと歩いていると、機械音声のアルカトラン公用語で『ちょっと待って』と声をかけられた。噎せるような咳をしながら『知ってることを伝えたくて追ってきたんだ』と言葉が続く。

 振り返る。


 青みがかった黒髪に酷く痩せた体。時計塔ルンダクトで部屋に入ってきた男性だった。


 体が瞬間的に強張り、ロイドとジェニスは銃を手にかけた。

 

「待て撃つな撃つな、危害を加えるつもりはない!」

 ぬっと影が出来る。今にも倒れそうなほど咳をする男性の後ろに、ラシードとは比べ物にならないほど大きな図体をした何者かが立った。

 頬から顎付近にかけての顔の一部に焦げた茶色の羽毛が生え、立派な羽髪を持っている。前腕も同じ色の羽毛が生えており、爪は大きく尖っていた。強靭な胸筋があるのだと一目で分かる体躯をしている。

 大きく鋭い爪が肩を抱き、「話があるんだ、聞いてくれ」と言った。

鳥のような人間のような姿をした何者かをじっと見る。何度見ても理解が追い付かない。言葉を失っていたベルディだったが、ようやく頭が冷静になった。

「……鳥人間?」 

 失礼だと憤慨する鳥人間を宥め、痩せた男性は『少しでいいから時間を貸してくれ』と困ったように眉を下げて笑った。




 咳が酷く体も痩せた男性はヴィクトルと名乗り、鳥人間はセドリックと名乗った。テラス席に座り、緊張した面持ちでヴィクトルを見る。

『君たち、もしかして光の雨について調べていたのかな』

 眉を顰めロイドは再度エプロンのポケットに仕舞った銃に手を添えた。

『立場がちょっと微妙だからあまり多くのことを話せないけど、いい情報だと思うよ。聞いて損はない』

 ヴィクトルは一つの小さな正方形の物体を取り出した。角を摘まむとするすると正方形が拡大し、ぱっと画面が映る。

 グリーンアース、ノルクライス、そして時計塔ルンダクト。それらがしっかりと映った地図画像だった。

『光の雨は時計塔ルンダクトが関与している。ウラノス代理商船団自体は関与していないけれど、時計塔ルンダクトと密接な関わりがあるよ』

 地図をじっと見ていたロイドが未だポケットの中の銃に手を添えながら「では貴方と時計塔ルンダクトの関係は?」と問いかける。

『同胞、かな。でも私はルンダクトが嫌いだ。正直に言って全員殺してしまいたいくらいに嫌いだ』

 柔らかな口調と相反する物騒な物言いにジャワ―ドが眉を跳ね上げた。

『時計塔ルンダクトは十五年前から威力試射も兼ねて各国に光の雨を降らせている。光の雨によって疑心暗鬼になった国を戦争に導き、疲弊させようとしているとも言えるね』

「戦争に導いて疲弊させる目的は?」

『それは……』

 次の言葉を紡ごうとした途端咳が止まらなくなり、背を丸めて机を掴む。セドリックが大きな爪がある手で器用にも背を摩り、ようやく咳が止まったヴィクトルは首の細いチョーカーを撫でた。

『……失礼。体調が悪くて咳が止まらないんだ。目的の話だったね。疲弊した国は光の雨を防げると思う?』

「いいえ」

『そうだね。防げない。特にノルクライスは光の雨から守る模様が空にあるだろう。あれが時計塔ルンダクトにとっては邪魔なんだ。何故ならあれがある以上光の雨ではノルクライスを攻撃できない。だからアルカトラン連合国と常波、天の陣で守られていないノルクライス周辺の民家に光の雨を落とす』

 乾いた唇を触り、口を開いた。


 大丈夫、口は動く。舌だって動く。


 それでも緊張が全身の筋肉を固まらせた。喉が引き攣って空気が抜けていく音が鳴る。無理矢理呼吸をして、振り絞るように言葉を続けた。

「これは戦争の火種だよ。天の陣がどういう仕組みかは知らないけど、あれは光の雨しか防げない。それは調査で分かってるんだ。たくさんの長距離のミサイルが降ってくるのに、ミサイルを素通りさせてしまったら被害が尋常じゃなくなる。光の雨を防ぐだけの陣に力を割くと思う? 割くわけがないよね。戦争が起きれば光の雨を降らせる絶好のチャンスってわけだ」


 ベルディは首を振り、空を見る。国を覆う大きい模様は今も変わらず天空にあった。

『ああ、そうだ。まさにそれが時計塔ルンダクトが狙っている状況。彼らの最終的な目的は、ルンダクト以外の人類を根絶やしにすること』

 音を立てて席を立つロイド。手に持つ銃をベルディが抑えた。警戒の強い声色で「根絶やしにするメリットは? 人が減りすぎても文明や文化の発展は望めませんよ」と尋ねる。

『私の同胞は少し特殊でね。とにかく自分たち以外の人類を滅ぼしたくて仕方ないらしい』

 軽く咳をして、ヴィクトルは自身の胸を指差した。

『私は彼らの同胞だけど、ルンダクトの奴らがこの地に蔓延るのが嫌なんだ……光の雨の装置を凍結させるシステムを組めば光の雨は止められる。あと二か月あればシステムを完成させられるよ。だから私は君たちの敵じゃない』

 セドリックに支えられながらヴィクトルは立ち上がる。袖から覗く手首は骨の形が分かるほどで、よく見れば咳のたびの口を押さえていた手のひらには血が付着していた。

『それが言いたかったんだ。時間を取らせて悪かったね』

 立ち去ろうとする二人にジェニスが口を開く。

「敵じゃないが味方でもないだろう」

 振り返り少し笑ったヴィクトルはセドリックの腕を優しく叩いた。

『私はそうかもしれないね。でもセドリックはノルクライスの人間だから、味方だよ』

「ノルクライスの?」

 セドリックは上腕と繋がった垂れさがるような大きな翼をはためかせ、「俺はノルクライスの生体実験被験者の一人だからな」と告げる。

 ベルディは飲んでいた発酵茶を吹き出しそうになり、慌てて飲み込んだ。

「ノルクライスに恨みしかないじゃないですか!」

「そうでもないさ。ヴィクトルに会えたしな」

 勇ましい顔立ちのセドリックはにっと笑って尖り気味の歯を見せる。

「逃げ出しても長くは飛んでいられなくて結局グリーンアースに墜落したんだが、その時ヴィクトルが偶然通りかかって介抱してくれた。俺に優しくしてくれる人間がいるって知ることができた。ヴィクトルに会えたから、もうそれでいい」

 恨んでなんかいない。

 そう言い切ったセドリックを見て、国立植物研究所にいた少女ラーラを思い出す。いいの、と逃げるのを拒む幻聴が聞こえ、ぱっと脳内を思い出が駆け巡った。燃える国立植物研究所、ギルバートの悔しそうとも悲しいとも受け取れる複雑な表情、店主の女性に抱きしめられた暖かさ。

「ぼくはノルクライスが恨めしいし、時計塔ルンダクトも恨めしいよ……」

 ヴィクトルをじっと見据えながらぼろぼろと泣き出したベルディに皆ぎょっとし、ジャワ―ドは持っていた薄手の毛布をベルディの肩にかけた。

「どうして感情に折り合いが付けられるの!?」

 立ち上がり机を勢いよく叩く。


「素敵な思い出と苦しくて悲しい思い出を一緒に抱えるのはしんどいよ!」


 肩に置かれたセドリックの手を退け、ヴィクトルはベルディの前に立つ。少し猫背の彼はベルディとあまり目線が変わらない。年齢は分からないが、痩せすぎているのもあって仲間内で一番年上のジェニスよりも一回り歳上に見える。

『私もいい思い出と悪い思い出をどちらも抱えているよ。片方を捨てたなんてことはない。それが普通だと思う。いや、そうであるべきなんだ』

 左手の薬指に嵌めた銀の指輪を撫でた。その動きは愛しい人の頬を撫でるように優しく、寂しさを感じさせる。

『昔の温かくなる思い出も苦い思い出も、今の憐れみに近い感情も憎くてたまらない感情も、全部持っている。苦しいよ。しんどいよ。だから、断ち切りたいんだ。たとえ死んでもね』

 齢十七の青年と目を合わせ、少し目を細めた。目をしっかりと合わせていたのはほんの数秒で、ヴィクトルはすぐに逸らして咳き込む。

 咳が収まったヴィクトルは自身の細い指同士を絡め、少しだけ悪戯っ子のような表情をした。

『絶対に光の雨を止める。ルンダクトも壊滅させる。期待してもいいよ。何故なら私は秀でたシステム開発者だったからね!』

 背を向けてテラスから去る。セドリックは一度立ち止まり振り返ってベルディを見たが、すぐにヴィクトルを追いかけた。


 テラス席から出て胸の内で渦巻く感情を整理しようと深呼吸をする。心配そうな目で見るジャワードとロイドを制し、最後の深呼吸をしたところでフードを被った人を視認した。

 知っている顔だ。エストラ姉弟がすぐ近くにいる。

「エストラ! レーヴェン!」

 名を呼び走り寄ると、フードを深く被ったエストラはベルディの顔を見た途端そっと抱きしめた。

「無事だったのね」

 頷いて離れ、レーヴェンの布を巻いた腕に留まるアズハールの頭を撫でる。レーヴェンもまたフードを深く被っていたが、ベルディの顔を見て安堵した様子だった

「アズハールがまた宿に飛び込んできて、すごい鳴くから慌てて出てきたんだ。まさかアズハールに着いていったらベルディたちに会えるなんて思わなかったけど」

レーヴェンの腕から軽く飛ぶように離れ、ジャワ―ドの腕に留まる。

「私はてっきりギルバートのところに連れていかれるのかと思ったわ。どこかに行っちゃったのか、一か月近く全然いないんだもの。勝手に北に行ったのだとしたら怒らないと」

 その名にびくりと肩を揺らしたベルディとジャワ―ドにエストラは首を傾げた。しかし青年二人の精神状態の異常さにすぐに気づき、眉を寄せて真剣な表情で「何か知ってる、そうでしょう?」と言った。

 ここで話すのはとジェニスが割って入り、エストラ姉弟、ラシードとイゼットのいる宿へと向かう。

 道中の重苦しい雰囲気にエストラも多少の想像はつく。いい話では絶対にない。

 宿に着いたベルディたちを見たラシードとイゼットは一瞬嬉しそうな顔をしたが、様子のおかしさにすぐに表情を変えた。


 これまでのことを掻い摘んで話す。

 ハオは常波にいるということ。連絡はとれる状況にあること。

 ノルクライスに向かう途中時計塔ルンダクトという地に寄ったこと。そこはウラノス代理商船団と関係していたこと。

 ヴィクトルという男曰く時計塔ルンダクトは光の雨に関与していて、世界的な戦争で各国が疲弊することを望んでいること。


「ギルバートはウラノス代理商船団に潜入していたみたいだった」

 どう言葉を紡げば伝える側も伝えられる側も苦しくないのだろうか。悩んだ末に「ぼくたちはギルバートと鉢合わせたんだけど、飛行船の人には元々気づかれていたらしくて、その、追われてしまって……」と続けた。

「追われてどうなったの?」

 言葉に詰まる。ベルディもジャワ―ドも言わなければいけないことは分かっているが、どうしても声にならなかった。

 二人の肩に手を置いたジェニスが代わりに口を開く。

「ギルバートは撃たれた」

 静まり返る部屋の中、ベルディは居心地の悪さに強く手を握りしめた。逃げるのが最善策だったとはいえ、助けようと思えば助けられたのかもしれない。それに、もしかしたら死んでいないかもしれない。優秀な彼のことだから、生き延びて、どこかで傷を癒しているかもしれない。

 ベルディの後悔や希望をばっさりと切り捨てるようにロイドは「助からないと思います。少なくとも二発は確実に腹部に着弾していましたので」と言った。

 逃げ出したい気持ちに襲われて、居ても立っても居られずに部屋を飛び出そうとしたベルディをイゼットの手が掴む。

「ギルバートはお前らを逃がしたんだろ。無駄にするなよその命」

「ちょっとイゼット。言い方ってものがあるでしょう」

 腹を触って血が付いたギルバートの表情が忘れられない。苦痛や絶望ではない。決意したようなそんな表情。

 瀕死の体を張ってまで守ってくれた命を無駄にすることは出来ない。そんなことは分かっている。

「分かってる……分かってるから……」

 イゼットの手が二人の頭を撫でた。片手で数えるほどしか年が離れていないに、落ち着いていて大人びて見える。

 ノルクライスを発ちアルカトラン連合国へ向かう時に、ギルバートに対して世話焼きな兄気質を感じ取った。それと同じものを、今、イゼットから感じ取っている。


 イゼットが冷たいわけではない。

 長い間ギルバートと共に過ごしてきたはずだから、辛さを感じないわけがないのだ。

 ただ、押し込めている。


 ベルディは心の中でヴィクトルさんは噓つきだ、と罵った。大人はみんな感情に折り合いをつけている。体はどんどん大人になっていくけれど、ベルディの心は未だ脆く、柔らかく、傷つきやすかった。ギルバートもイゼットも、みんな大人だ。

「光の雨、止めるんだろ? やろう、俺たちで」

 そうだ、やることは決まっている。引き裂かれるような胸の痛みを抑え込み、ベルディは頷いた。 




 ♢♢♢




 通信機の反応に異常なし。キーボードを叩いたジェニスは宿の窓ガラスを利用して映像を映した。

『ご無事でしたかジェニス様!』

 部屋に響き渡る声に全員が耳を塞ぐ。画面に映ったホワイトブリム、フリルエプロン。両手でマシンガンを抱きしめるように持ったサーシャに、ジェニスが頭を抱えながら「声が大きい……」と言った。

フードの端を握り、顔を引き攣らせながらエストラがロイドに「ジェニスって未成年の女の子にあんな服着せるのが趣味なの……?」と問う。

「趣味かは存じ上げませんが、最初にサーシャ様と画面越しにお会いした時もこのような装いをしておりました」

 ロイドの否定も肯定もしない、尚且つ誤解を深くするような発言にジェニスは顔を青ざめさせた。

「違う! 私にそんな趣味はない! 断じて違う!」

「あんまり否定すると逆に疑わしくなるわよ」

 ラシードの冷たい目線に気づいたジェニスは勢いよく首を横に振る。

『誤解が生まれているようですね。メイド服はジェニス様の趣味ではなく僕の趣味です』

「待て、今『僕』と言ったか? もしかして……男?」

 ジャワ―ドの指摘にジェニスへと視線が集まる。黙ったままのジェニスに追い打ちをかけるように『僕は男ですよ。ジェニス様の遠い親戚に当たります』とサーシャは言った。

 ほとんど血は繋がっていないとはいえ親戚の、未成年の男の子が、メイド服、銃の所持。

「あんまり知りたくなかったわね……趣味は否定しないけど、犯罪はだめよ」

「違う、本当にサーシャが勝手に……」

 頭を抱え完全に動けなくなったジェニスを哀れな目で見つつ、ベルディはスピーカーと連動させた右耳の耳飾り型の通信機を起動する。


 砂のような音が聞こえたのち、『ベルディか!』とハオが応えた。

「光の雨について話がしたい。時間あるかな?」

『おう。時間は十分にあるぜ』

 伝えたい人は皆揃った。通信機器と端子を繋いだロイドに視覚機能と通訳機能が働いているかを確認し、ベルディは口を開く。

「集まってくれてありがとう。光の雨について分かったことがあったから連絡を取らせてもらったよ」

 窓ガラスに映ったフリルエプロンの少年にロイドが「サーシャ様、光の雨についてご存じですか?」と話しかける。

『十五年前から降り始めたと聞いたことがあります。しかし今まで一度も目にしたことはありません。アルカトラン連合国は無駄に国土だけ広いので』

 ロイドは頷いた。

「実は光の雨はアルカトラン連合国だけでなくノルクライス、常波でも観測されております。話の規模がやや大きいので一部省略させていただきますが、光の雨は第三者によって戦争に導くために降らされています」

 ホワイトブリムを揺らし、サーシャは少し考え込む。銃身を指で軽く叩き、言葉を選ぶように口を開いた。

『アルカトラン連合国はノルクライスによって光の雨の攻撃を、ノルクライスはアルカトラン連合国によって光の雨の攻撃を受けていると……そのように勘違いさせて戦争勃発を狙っている誰かがいる。そういう解釈でよろしいでしょうか』

 頷いたベルディが「話が早くて助かるよ」と言い、「とにかく戦争が起きないようにしないといけない。そのために力を貸して欲しい」と続けた。


 草臥れた宿の絨毯の上に紙で包まれた土が置かれる。イゼットは土を摘んだ。

「これはまだ推測の域を出ないが」

 摘まんだ土はぱらぱらと紙の上に舞うように落ちる。

「光の雨は大地に接触することによって停止、崩壊すると考えられる。大地にぶつかるまで貫通し続けるとも言えるな」

 通訳された言葉を聞き、サーシャは一度天井を見て、それから床を見た。サーシャしかいない別荘はうすら寒く、広々としていた。アルカトラン連合国は川沿いや地熱を利用するアドラを除きほとんどが整備されている。光の雨がいとも容易く建物を貫く様子を想像した。

「俺の隣にいるコイツ、ラシードって言うんだけどよ。光の雨はラシードが作った土の壁を貫通しなかったんだ」

 ラシードと呼ばれた体格のいい大柄の男の姿と絨毯に置かれた土をロイドの視覚を経由して確認したサーシャは少し考えた様子をみせ、それから僅かに頷く。

『……大地に反応して止まるということは土に反応する可能性があるというわけですね』

「あくまで推測だがな」

 イゼットは天井を指す。遥か高い上空の、天の陣。複雑怪奇に見えて規則性のある幾何学模様。

「そして光の雨が降る日は必ず晴れだ。雨の日は撃てないのか、効果がないのかは定かじゃない。だけど後者なら雨……水にも反応して消える可能性が高い。空気中に含まれる水蒸気ではなく、雲を含めて、液体としての水だ」

『常波の水路の底が光の雨を受けても傷一つないのはそういうことか』

 ハオの納得した声にイゼットは首を縦に振った。そして空気中の水分を凝縮させ、手のひらに集める。

「ノルクライスの天の陣は光の雨を防ぐ。少なくとも天の陣が出来た頃からノルクライス全域では光の雨の被害がないようだ。で、先ほどの推測が正しいならば、天の陣は土の成分か水を微かに含んでいる可能性がある。もしかしたら雲のようなものなのかもしれない。ただ天の陣は真似することができない。これは確実だ」

 イゼットの説明に皆口を噤み、静かになった。天の陣のような大規模な防衛を行えるならどんなに良いだろう。

「砂漠にある旧時代の遺跡を調べたところ、アルカトラン連合国よりさらに北、北極にもう一つ遺跡があるようだ」

「北極? 氷の大地だよね? そんな場所にできた建物、気温の変化が酷ければ崩れ落ちて建物まるごと海の底、なんてこと起きていてもおかしくないと思うんだけど……」

 ベルディの疑問にイゼットは首を振り、「北極の遺跡には北極の氷を維持する装置があるんだとよ。むしろ過剰に機能が働いているせいで氷が大陸と接しているくらいだ。その様子は砂漠の遺跡でエストラが確認した」と答えた。

 一面雪と氷の白い世界を想像する。想像するだけですっと冷え、ベルディは目を閉じた。

「北極の遺跡は砂漠の遺跡と連動させることによって静止軌道上……つまり星の周りを回っている機械を使えるらしい」



 聞いて驚くな、人工気象操作ができる。


 イゼットの言葉に今初めて聞いたばかりのベルディとジャワード、ジェニスが素っ頓狂な声を上げた。画面の向こうでサーシャも驚いて銃を取り落とした。

「北極の遺跡が作動しているのは砂漠の遺跡で確認済みだ。だがするか、それは分からない。だがギルバートは行く価値があると行っていた。あいつがそう言うんならそうなんだろう」

 幼さの残る顔で首を傾げ、『僕が北極の遺跡に向かいましょうか? 僕が一番近いはずです』とサーシャが言うが、旧時代の言語が読めるか聞かれて首を横に振った。

「遺跡には読めるやつが行かなきゃならねえ」

イゼットはフードを被ったエストラ姉弟を前に連れてくる。動揺する二人にフードは脱がなくていいと伝え、肩に手を置いた。

「この二人は旧時代の言語が読めるから、それぞれの遺跡に分かれて行動してもらう」

『了解しました』

 顔を見たいだとかなぜ読めるのだとか、そういった詮索をせずにこくりと頷く。配慮は大人顔負けだ。

 画面に映るサーシャ、通信機越しのハオ。もうギルバートはいない。ベルディは両手を強く握りしめた。

「難しいのは分かってる。どうにかできることじゃない。それでもぼくたちが北極の遺跡に着くまでの間、光の雨から民を守ってほしい」

 絞り出すように出した言葉は思った以上に掠れていた。

『目標が大きい分難しさが段違いですね。考えがないわけではありません、が……』

「知ってもらえるだけでもありがたいよ。話を聞いてくれてありがとう」

 もう少し対策を練ります、と言ってサーシャとの通信が切れた。

 しかしハオからの応答がない。ハオ? と名前を呼びかけても返事がない。しばらくしてがさごそと物音がする。一瞬の沈黙の後、『お話は聞かせてもらいました』とはきはきとした中性的な高くも低くもない声が聞こえてきた。訛りのあるノルクライス語だ。


「えっ誰……」

『申し遅れました、ユーチェンと申します』

「はっ?」


 思わずひっくり返った声が出た。ベルディは一つ深呼吸をして、「ユーチェンさんって……あのユーチェンさんですか? 常波の? 政策企画局の?」と訊く。ユーチェンという名の人物は一人しか知らない。

『はい、そのユーチェンです』

「え? なんでハオの通信機に出てるんですか?」

『それは私がハオくんの身元引受人になったからですね』

「なんて?」

 情報量が多い。予想斜め上の状況を知ると混乱するが、不法滞在者のハオが無事に常波で暮らしているのはいいことだ。

『実はこちらでも、アルカトラン連合国でも光の雨が降っていたという情報を少し前から受けておりました。国の方針としては戦争はしない一択ですが、アルカトラン連合国とノルクライスが戦争を始めてしまえば常波も巻き込まれてしまいます』

 無意識に背筋が伸びる。国に関わる人であることそのものにも緊張感があるが、ユーチェンの喋り方は人を引き付ける力があった。

『我が国は両国を手に取って仲裁するほどの善意と実力はありません。ですが出来るだけのことはします。情報が早く入ってくる伝手がありますので、開戦の動きがあればハオくんのこの通信機を介して連絡致します』

「迅速な対応と心遣い感謝いたします」

 聞き惚れて反応できそうになかったベルディに気づいたロイドが素早く返事をする。ユーチェンは最後まではっきりとした物言いと喋り方で、感謝を述べて通信が切れた。

 一人や二人、真実を知った人が増えたところで開戦まで秒読みの状況になっている。だが一人真実を知っている人はいるだけで状況は一気に変わる可能性もないわけではない。

 通信が切れてようやく安心したのかエストラはフードを脱ぎ、長い髪を払った。世界地図を手に取り、氷の大地である北極に視線を落とす。

「北極に行くならアルカトラン連合国を経由する必要はないのよね? 砂漠の遺跡で星全体を見たとき、アルカトラン連合国と北極は繋がっていなかったし」

「ああ、このままノルクライスから北上するつもりだ」

 エストラは地図を机の上に叩き置いた。

「北極の遺跡には私が行くわ」

 薄緑の瞳から強い意志を感じる。レーヴェンは何か言おうと唇を動かしたが、結局心の内を言葉にすることなく、「砂漠の遺跡は僕に任せて」と寂しそうに口にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自由は海に似ている 夜波あさひ @asai7749

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ