10 祖語が示す空への道
いくらなんでも言語が古すぎる。それがエストラ姉弟が砂漠から帰還した際の第一声だった。疲労が表情にも表れている。
「分かったことは少ないけれど、調査結果を聞いてくれるかしら」
日に焼けて赤くなった手で、膨大な紙の量を取り出した。
言語において日常でよく使う単語は基礎語彙といい、長き時間が経っても変化しにくい。アルカトラン公用語、ノルクライス語、常波語のほとんどの基礎語彙は類似または一致している。
アルカトラン公用語では疑問文において、疑問の中心になる単語のアクセント音節でピッチが上がる。しかしノルクライス語と常波語では疑問文の文末でピッチが上がり、さらに常波語は文末に決まった単語がくる。
ノルクライス語では文を書くにあたって母音の省略において記号を使うが、アルカトラン公用語と常波語では母音の省略はない。
常波語はアルカトラン公用語とノルクライス語と比べ、明らかに使う文字が違う上に単語によって声調が変わるが、文字の読みには規則性があり、ほかの言語と発音に類似性が見られる。アルカトラン公用語はノルクライス語と文字が似通っているが、ノルクライスにない文字が五文字あり、それらの文字が含まれると語尾が伸びる傾向にある。
しかし上記の点を除いた文法に大きな差異は見られない。つまり使う文字や音調の違いこそあれど、驚くべきことに文法もまた類似性が高い。
これらを考慮すると、今現在使われている言語の祖語は同じ可能性が高いと言える。
エストラ姉妹のようなニンファや地下要塞に住むインファノは国家との関りが薄く、祖語から今に至るまであまり変化が少ない。
「ギルバートの言う通り、私たちが使う言語は旧時代のものに近いわ。でも旧時代の遺跡にある言語ほど古くはないの。だから分からないことのほうが多いのよ」
紙にはびっしりと旧時代の言語が書かれている。分からないことの方が多いと言うわりには、書かれている言葉の半数がノルクライス語に訳されていた。レーヴェンが書いたのよ、と言って遺跡の外観や内部が事細かく描かれている紙を差し出す。実に写実的でまるで写真の様だ。
「旧時代の遺跡は大規模な兵器だったり武力的なものであることが多いのは、アルカトラン連合国の遺跡への執着ぶりを見れば分かるわよね? だって何百年にもわたって小さな国家を合併、属国化してきたから」
「そうだな。五十年前は二十近くの国があったのに、北から東にかけてほとんどの国が吸収されてきた。まあノルクライスも同様のことはしてきたが……」
ノルクライスもまた、遺跡に執着している。アルカトラン連合国のように使用する目的ではなく、あくまで保存のためだ。ノルクライスの真意がどうであれ、体面的には保存を目的としているのである。
「でも、書かれている文がどうも攻撃的じゃないのよね」
訳されたものを見るに、確かに兵器にあたる言葉が見受けられない。
「絵にある通り、どうも遺跡上部にRadioonda ricevilo……ええと、電波受信装置って言えばいいのかしら? そうね、電波受信装置があるみたいなの。それも大規模な」
「電波受信装置?」
エストラは身振り手振りで大きな四角を描く。
「一階には巨大な画面があって、Potenca butono……電源スイッチみたいなのを押したら反応したのよ。そしたら突然何かが映ってびっくりしちゃって。球状の操作板があるから弄ってみたら、地球よ! この星が! 映っていたの!」
「は? 地球が!?」
研究者気質のギルバートとエストラは一気に盛り上がる。話にあまり興味が湧かないラシードは山刀を磨き、いまいちイメージのつかないイゼットは硬貨遊びをしており、レーヴェンは二人の盛り上がりように苦笑いをした。
「地球が映るということは上空……いや外気圏より上に撮影機があるということになるな」
「そうね。そういう機械がそれだけの高度に存在するってことだわ」
もう一枚の紙を取り出す。世界地図だ。簡略的な地図にバツ印がたくさん書かれている。
「この遺跡と同じような機能を持つ場所が世界に三十か所あったみたいなんだけど、地図を見る限りほとんど残ってないの。もう残っているのはこの砂漠の遺跡と……」
エストラは地図の北端を示した。そこはアルカトラン連合国よりも更に北、未開の地。
「北極にあるみたい」
この星の大地は七割以上グリーンアースで覆われていた。アルカトラン連合国は大陸の北部を占めているが、グリーンアースに覆われていない地はとても痩せていて、グリーンアースを開拓しながら南下しなければ作物も育たない。小規模国家を侵略しながら南下していく理由は遺跡のためだけではなく、豊かな土地を得るためでもあった。
南部の国境線は年々変化していたが、北部の国境線は全く変化しない。極寒で人が住むには適さないからだ。
「砂漠の遺跡は観測所に過ぎないの。北極の遺跡は砂漠の遺跡と違って、どうやら宇宙にある撮影機を使うことができるみたい」
差し出された紙には『veterobservado』『kosma observado』『artefarita vetermanipulado』『Satelita longdistanca artilerio』と書かれている。
「一つ目は気象観測、二つ目は宇宙観測という意味よ。三つ目は……多分、人工気象操作かしら。申し訳ないけど四つ目の意味は分からないの。でも砂漠の遺跡に書かれていたことが本当なら、三つ目と四つ目は北極の遺跡でできる可能性が高いわ」
エストラは地図上の砂漠の遺跡と北極の遺跡を線で結んだ。
「砂漠の遺跡と北極の遺跡は連動してるようなの。特に三つ目の人工気象操作『artefarita vetermanipulado』と四つ目の『Satelita longdistanca artilerio』は連動させないと使えないみたい。そりゃ人工気象操作だなんて悪用したら最悪だものね。単独では使えないっていうのは理解できるわ。調査結果として分かったことはこれくらいよ」
「人工気象操作か……」
知的好奇心が擽られる内容だ。国防技術省の地下二階で出会った少女は気圧を下げるほどの力があったが、状況を考えると無意識化における魔術の暴走だと推測される。
旧時代は局所的に雨を降らしたり晴れさせたり、異常気象を抑えることが意図的にできたのかもしれない。
「北極の遺跡に行ってみる価値はあるな」
ぽつりと呟いたギルバートの言葉にイゼットが硬貨を取り落とす。床に落ちて滑っていく硬貨を慌てて広い、上擦った声で「本気で言ってんのか!? アルカトラン連合国越えなきゃなんねえんだぞ! 上手いこと越えられたとしても、北極の遺跡が正常に使えるかなんてわかりゃしねえんだ!」とギルバートを揺さぶった。
「だが行く価値はある」
頑固なギルバートに呆れかえり、イゼットはため息をついて座り直す。
「お前絶対に早死にするわ」
「誉め言葉として受け取っておこう。では国防技術省に行った時の話をするとしようか」
国防技術省での出来事を聞いたエストラ姉弟は絶句した。レーヴェンに至っては吐き気を催してしまい洗面台に駆け込んでしまったのである。
「アルカトラン連合国の比じゃないわ。最悪。最悪だわ本当に。人を何だと思っているの」
洗面台から戻ってきたレーヴェンを抱きしめると、エストラは袖を捲って見せた。腕には火傷や爛れだけでなく、何らかの管を通した痕がいくつもある。
「……あの国は、これだけ私たちをいたぶっても飽き足らずに……」
レーヴェンを搔き抱く腕は震え、悲しみと悔しさを浮かべていた。
「言わない方が良かったか」
首を振り、眉を垂れさせてどこか虚しそうな目をする。聞かなければ知ることができなかったと零し、レーヴェンの頭を撫でた。
「天陣は私たちにはできないのね……」
「ああ。だが光の雨の対策の糸口は見つけた」
「なんですって?」
ぱっと驚いた顔をして、姉弟は顔を見合わせる。
「情報速報紙を調べて気づいたが、光の雨が降った日は必ず晴れている。例外の一つもない」
考えられるのは二つ。雨の日には撃てないか、雨の日では効果がないか。もし後者ならば、任意に雨さえ降らせることができればいつでも光の雨の対策になる。そう言葉にするとエストラははっとして「人工気象操作……!」と叫んだ。
話を終えた翌日、昼過ぎに街へ降りると街の一部を覆うような影が出来ていた。影の正体は鯨の形をした飛行船で、飛行船の真下では白いローブを着た背の高い人たちに市民が集っている。覗いてみるとアルカトラン連合国の道具のようなものを売っていた。
時折来ては道具を売りつけるウラノス代理商船団に良い噂はない。本当はアルカトラン連合国の偵察隊だとか、金を巻き上げるためだけに存在しているだとか、とにかく良い噂はないのだ。
「Estas maŝinoj ne trovitaj en la Aliancita Alkatran kaj iloj ne trovitaj en Norcrais.!」
耳を疑った。彼らの喋る言葉はノルクライス語ではない。彼らは頻繁に知らない言語の単語を発している。
「レーヴェン、ウラノス代理商船団を知っているか?」
「何それ。僕は知らないなあ。姉さんも多分知らないよ」
「そうか」
ギルバートは姉弟を信じている。信じている上で推論を立てるとすれば、同じ言語体系を持っているであろう姉弟やインファノたちはウラノス代理商船団と関係がない。
だがウラノス代理商船団に所属する人物がニンファでないとも言い切れないのだ。アズハールが持ってきた伝言が脳裏に焼き付いている。疑う余地はあった。
ラシードとイゼットには光の雨について調べるように頼んである。エストラ姉弟に宿に戻るよう言いつけ、一人ウラノス代理商船団の傍へと静かに忍び寄った。ウラノス代理商船団は一か所に長く留まらない。撤収するタイミングで潜り込めば全貌が分かる可能性がある。
鈴の音が鳴り、白いローブを着た人が商品を回収し始めた。飛行船のスロープは人がいない。滑り込むようにして侵入する。
倉庫のような場所は埃一つなく、随分と整理されていた。白いローブの人たちが商品を台車に乗せて飛行船に戻ってくるのが見え、物陰に身を隠した。スロープは上がり、完全に閉じられる。
彼らは白いローブを脱ぎ、顔を振って髪を指で梳いた。薄暗い倉庫の中では分かりにくかったが、全員眩い金髪に左右対称で黄金比そのままの美しい顔立ちだった。耳は特徴的な尖った形ではない。作り物のようなぞっとするほどの美しさがあり、彼らはノルクライス語でもアルカトラン公用語でもない言語で喋り始める。
一人がパネルを操作し扉を開いた。物陰から見ても分かるほど、明らかにノルクライスの技術ではあり得ない。アルカトラン連合国ならば技術的に可能かもしれないが、言語は明らかにアルカトラン公用語のものではないためアルカトラン連合国とも考えられない。
では一体ウラノス代理商船団とは何なのか。
飛行船が静かだが僅かに振動した。ほんの少しの浮遊感を体が察知し、飛行船が動き出したことを知る。ギルバートは退路なく、物陰に身を潜め続けるしかなくなった。
そっと壁に手を突き、解析をする。壁の向こうがどうなっているかは分からないが、少なくともこの倉庫には人がおらず、山のように箱があるということだけが分かった。
飛行船は徐々に速度を上げ進んでいく。今どの位置にいるのか全く想像がつかない。できればノルクライスから遠くないところで一度降りて欲しいと願いながら静かに息をした。
♦♢♦♢♦
幸運にも天高からの船を見つけたベルディが操縦士に頼み込み、一か月近く常波に不法滞在しているという現状から脱することができたのが一週間前。船の故障で一番近い陸地に降ろされたのが一昨日。
常波を目指した長きにわたるグリーンアースの横断で、水で戻せる非常食はほとんど無くなっていた。しかしノルクライスを目指してグリーンアースを歩く今、同じものではないが似たような非常食をかなり蓄えて歩いているため肉体的にも精神的にも楽だった。
ジャワ―ドにアズハールが戻ってきてからノルクライスを目指してはどうかと提案されたが、天高からの船は滅多に来ないからこそ今しかないのだと言って今に至る。
「ハオは置いてきてよかったのか?」
「ハオが望んだことだし、無理やり連れていくわけにも行かないよ。それに、ほら! 常波で買った耳飾り型の通信機! ロイドとジェニスが改造してくれたからいつでも連絡取れるよ」
常波を去りノルクライスに向かう前日、ハオが「常波に残りたい」と言った。フェイロンに会ってから自分の血は彼らと近いのではないか気になって仕方なかったとも言った。
実の親も知らずにアルカトラン連合国で育ち、同じ河川で暮らす人からお前の親はお前をハオと呼んでいたよと言われて初めて自分の名前を知ったハオにとって、常波は名前の響きや薄い顔立ちの共通点がそこら中にあると言っても過言ではない。
宿泊施設の寝台に座ったハオは「それにさ」と言って、「常波に一人いたほうが、今世界がどうなっているか分かりやすいだろ」と続けた。
寂しいが一理ある。常波でまた光の雨が降れば中立国とはいえ常波も戦争に加わる可能性があった。開戦の予兆を知ることが出来れば、動きやすくなる。
ベルディは右耳の飾りを触る。雫の形をした青い人工宝石が一つあるだけの簡素なものだ。
右耳にも左耳の裏にも通信機がついているとは普通の人なら思うまい。ベルディは少し笑って、休憩しようかと言った。
木の枝に足をかけ、ジャワ―ドが登る。指笛を吹くと甲高い鳴き声とともに何度か旋回した鷲のアズハールがジャワ―ドの腕に留まった。アンクレットに繋いだ筒を開き、紙が無くなっていることを確認する。アズハールはたしたしとジャワ―ドの腕を叩き、ぱっと離れたかと思うと急降下して野ねずみを咥えてどこかに飛んで行った。
「無事ギルバートに届けられたようだ」
そう伝えて上を見る。上の枝のほうが座れそうだと足をかけ登っていると、ちかちかと眩しい何かが見えた。
「……?」
じっと目を凝らす。建物であることは確かだがよく分からない。
「ロイド、北西に何かある。見てくれないか」
「北西ですか?」
不慣れな様子で木に登り、ジャワ―ドのいる枝に足をかける。北西に目線を定め、瞳を収縮させた。距離にして五キロメートル弱、周辺のグリーンアースが伐採されているのが見える。人によっては豪華絢爛と評価しそうな外観に、時計のような模様があった。どちらかと言えばアルカトラン連合国に似た雰囲気がある。
「五キロメートル先にアルカトラン連合国風の建造物がありますね。寄ってみますか?」
もしその建物がアルカトラン連合国風なだけなら良いが、アルカトラン連合国だったら顔を認識された瞬間に撃たれるかもしれない。
「もしアルカトラン連合国だったら?」
「盛大に爆破して逃げましょう」
「すぐ冗談言うんだから。ジェニスさんはどう?」
「アルカトラン連合国は確かにグリーンアースを伐採して国土を拡げているが、あんな飛び地があるとは聞いたことがない。アルカトラン連合国の可能性は低いと思う」
アルカトラン連合国でないならリスクは高くない。行ってみる価値はある。
「行ってみようか、どうせなら」
立ち上がり服に着いた土を払った。
グリーンアースを抜けた途端に少し荒れた地になる。目の前にそびえる巨大な建物は風通しの良さそうなこれまた巨大な通路を中央に持ち、こちらから反対側にあるグリーンアースが見えた。建物の内側には内側をぐるりと這うような形で螺旋階段が二つ設置されている。
近づいても警報が鳴ることはなく、建物の中へと入る。建物内は天井が遥か高く、天井には天秤を持つ翼の生えた女性の像が吊るされていた。
見惚れるほどの像の美しさは、左右対称と黄金比によるものだとジェニスは気づく。
アルカトラン連合国は旧時代の美的感覚が比較的強く残っている国であった。長い年月を経てアルカトラン連合国での美しさは「左右対称と黄金比」から「左右対称」のみに移り変わっていった。アンドロイドの造形が左右対称なのはそのせいである。
『何の用かな?』
機械音声にベルディはびくりとして声の方向を見た。二階に黒いハーフフェイスガードを付けた男性がいる。
「あ……旅をしていて、建物が見えて、つい……」
「Bonvenon al Clocktower Rundak. Vi certe estas laca, kiel pri iom da akvo?」
突然男性の声が機械音声でなくなり、ノルクライス語でもアルカトラン連合国でも常波語でもない言語を喋った。
男性は焦ったように首元に手をやり、何かを操作する。
『失礼……ようこそ時計塔ルンダクトへ。疲れただろう、水はいかがかな?』
じっとロイドが男性を見つめた。そしてベルディの左耳の後ろに貼りつけたインターフェイスへ繋ぎ、『不自然すぎませんか? エストラ姉弟が零していた単語と彼の喋る言語体系が非常に似ています。しかし彼の耳はエストラ姉弟のような特徴的なものではありません。明らかにおかしいです』と伝えた。
ベルディがロイドを見る。怪しさは確かにあった。
空調の効いた部屋に通される。内装は盾桃の外観と比べ質素だが、洗練されていた。差し出されたコップに口をつけると冷たい水が体に染み渡る。
『商船団がもうすぐ着くころでね、私はここで席を外すよ。ゆっくりしていてくれ』
そう言って男性が出ていく。
「……商船団?」
商船団と言えばウラノス代理商船団しか思いつかない。時計塔ルンダクトはウラノス代理商船団と関係があるのだろうか。
「ウラノス代理商船団かな……ジェニスさんはウラノス代理商船団の名を聞いたことは?」
「いや。そういう飛行船がアルカトラン連合国に来るということは知っているが、それ以外は何も」
うーんと唸りながら考えていると、扉が開く。酷く痩せた細身の男性が部屋に入ろうとして立ち止まった。青みがかった黒髪とは対照的に今にも倒れそうなほど血色の悪い肌をしている。
ベルディたちの姿を見て目を見開き、首元の細いチョーカーに手をやると機械音声で『失礼、部屋を間違えたようだ』と言って退出した。
しんと静まり返った部屋の中、ロイドが「今の人、腰に銃を差していましたね」と言ってエプロンのポケットから拳銃を取り出し、残弾数を確認し始める。
ノルクライスでは軍隊に銃を持たせない。ギルバート曰く熱に変換し射出するか、不安定な状態のエネルギーの塊を射出したほうが残弾数を気にする必要もなければ痕跡も残らないからだ。言語体系はエストラ姉弟に近いが、言語翻訳の機能といい銃といい、技術はアルカトラン連合国のような時計塔ルンダクト。不審というより違和感が強すぎる。あまりに不自然で、未来的だ。
鐘の音が響き、窓が陰る。窓の外を見ると鯨の形をした飛行船が時計塔ルンダクトの周りを周遊していた。飛行船はゆっくりと高度を下げ、時計塔ルンダクトの前に着陸する。
「ウラノス代理商船団……!」
ばっと駆けだし、扉を開ける。拳銃をエプロンのポケットに仕舞い狙撃銃を背負い直したロイドがベルディを追いかけた。ジャワ―ドとジェニスは顔を見合わせ、席を立つ。
ベルディは螺旋階段を駆け下り、一階の広場に出た。
飛行船の船尾からスロープが下がり、中から白いローブを着た人が何人も降りてくる。会話は機械音声ではなく、全く知らない言語で成されていた。
足音を立てないようにそっと迂回する。飛行船に乗っていた人はほとんど降り移動したのか、スロープ側には人影が少ない。側面にぴったりと体を寄せ、中を覗こうとした。
「あ!?」
「え!?」
覗いた瞬間に誰かとぶつかる。聞いたことのある声にベルディははっとして顔を上げた。
「ギルバート……!」
ギルバートも相当驚いたのか、眉が上り、瞬きをする。話そうとした直後、ギルバートの背に金属の何かが当てられた。
「kion vi faras ĉi tie」
暗くてもよく分かる凛々しくて美しい顔。赤味のある艶やかな金髪。ギルバートの背に押し付けられている物が銃であることは想像に容易かった。
攻撃の意図はないとギルバートは両手を挙げる。ベルディも真似て両手を挙げた。
銃を背中に突き付けられながら一歩、また一歩と下がっていく。銃を突きつけた美しい男性は咳ばらいをし、アルカトラン公用語で「君たち地上の人間はこんな言語を話していたんだったか?」と芯のある明瞭な声で言った。
ベルディは眉間に皺を寄せる。何故アルカトラン公用語をこうも流暢に話しているのだろう。
反応が芳しくないベルディの様子に美しい男性は首を傾げ、また咳ばらいをして「こっちの言語か?」とノルクライス語を喋った。
「ノルクライス語……!」
「喋っていいとは言ってないが?」
さらに一歩下がる。
「光の雨はお前たちの仕業か?」
ギルバートの言葉に美しい男性は赤味のある金髪を揺らしながら「そうかもしれないし、そうでもないかもしれない」と笑った。
もう一歩後ろに下がる。
「suspektinda persono」
周知させようと上空に向けて銃を撃とうとした瞬間、ギルバートが体を捻って銃を蹴り飛ばした。
「走れ!」
銃が放物線を描き金属製のスロープに落下する。金属同士がぶつかる響く音と同時に駆けだした。アルカトラン連合国の時のように警報は鳴らない。だが銃はしっかりとこちらを狙っている。一部始終を見ていたロイドが銃を構える人の腕を狙って狙撃した。
「ロイド、銃を貸せ!」
ジェニスの言葉にロイドはエプロンのポケットから銃を取り出して投げ渡す。受け取ったジェニスはセーフティを解除して迫りくる白いローブの者たちを撃った。肩を撃たれた一人が腕を素早く下に振る。袖の中から何かが滑り落ち、握ったと同時に青白い光のような刃が現れた。
「あんなのありかよ!」
本能が悟る。あの刃を身に受ければ致命傷を負うと。
「Ne forkuru!」
圧倒的な身体能力が距離を一気に縮め、刃を振り下ろす。ベルディは咄嗟に相手の足の隙間に滑り込み、ロイドが金属の腕で思い切り頭を殴った。
「もっと走れ!」
ギルバートの叱咤に皆走る。ジャワ―ドはアズハールが旋回する方角を見て、ベルディの腕を引っ張り上げた。
「南西の上空でアズハールが旋回している」
「南西に向かえってこと?」
腕を振り上げたギルバートがエネルギー弾を数発撃つ。一発は一人のフードを掠り、もう二発は二人の足にそれぞれ当たった。
「これで南西向かったら先回りされていて、だったらどうする?」
「そうなったら終わりだよ!」
グリーンアースは目の前だ。駆け込むように入ると銃撃が無くなった。後ろを振り返っても白いローブの姿は一人としていない。
走る速度を緩め、息をつく。ジャワ―ドは辺りを見渡し、「アズハールがいない」と言った。
「え? 飛んでいた方角は南西だよね?」
「その筈だがアズハールが見当たらない」
銃声が一つ。
ギルバートが己の腹を触り、血の付いた手を見て逃げろと叫んだ。
振り返り、ギルバートは思い切り腕を振り下ろしてエネルギーの波を撃った。エネルギーの波は木にぶつかり、抉れるように倒れる。倒れる木から誰かが飛び降り、その人影は銃のリロードを行った。
「逃げるな」
飛行船のスロープの男性とは違って、人影は冷たい声で流暢にノルクライス語を喋った。木が一つ完全に倒れたことでその人影は陽の光を浴びる。
黄味の強い艶麗な金髪。とても美しく、作り物のような顔立ち。
動けなくなっているベルディをロイドが担ぎ、ジャワ―ドをジェニスが担ぐ。全速力で走り出した。
「逃げるな!」
銃を構えた背が凍り付くほど美しい男性から庇うようにギルバートが腕を横に振る。男性は冷たく美しい表情のまま、放たれたエネルギーの波を木の幹を蹴って宙をぐるりと舞うように避け、もう一発をギルバートに撃ち込んだ。弾丸はギルバートの腹部を貫通する。
「ギルバート!」
「先に行け!」
撃たれて内臓を損傷したのか、喋ると口の中に血が滲む。血を吐きながらギルバートは「早く!」と先ほどよりも強く叫んだ。
ロイドもジェニスも黙ったまま走る。ベルディは言葉が言葉としてならないほどに泣きながらギルバートの名を叫んでいた。全身震えながら何も言えなくなってしまったジャワ―ドを担いだジェニスは、眉を寄せて目を瞑った。唇を強く噛み、白くなっている。しばらくして嗚咽を漏らし始めた。
ジェニスの腕を掴み、ロイドが先頭を走る。悲しいという感情はロイドにも分かる。自身の開発者はこう言っていた。「寂しかったり悲しかったり、辛い時は涙が出るんだよ」と。
ぽろ、と液体が人工皮膚を伝った。冷却用水だから味はない。人間だったら涙の味が分かるのに、そう思いながら走る。ロイドの聴覚機能は既に走り出してから六発の銃声を拾っていた。
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