第2話

「お恥ずかしいところをお見せしまして…」


取り繕う気力もないのだろう吉兵衛は脇息にもたれたまま恥入ったように垂れた。

紙の様に白い顔色が彼の心労具合を物語る。

事の後、気を失った吉兵衛に気づいた小十郎の叫びに部屋に引きこもっていた店員達が慌てて姿を現したが、石を見るなり目を回すものも発生し要救護者が増えるまさかの悪循環に店内は一時騒然となった。

皆が慌ただしくする中で、あなた方はこちらでお待ちをと客間に放り込まれた二人が吉兵衛に再び見えた(まみえた)時にはすでに日は中天に差し掛かる頃である。

天狗との取り引きが迫っていることを考えると痛い浪費だ。


効率よく聴取をせねばと意気込んでいたものの、案内された部屋に入るなり冒頭の謝罪を口にした吉兵衛の憔悴具合に掛ける言葉を失った小十郎とは違い玉藻は彼の正面に座すと、貴殿らの反応を見るに天狗礫は結構な頻度で起こるのだろうか?と躊躇ことなく切り出した。

吉兵衛が弱々しく首肯する。


「ひと月前に投げ文があった翌日から週に一、二度。先ほどの様に部屋に石が降ってきます。場所も時間もばらばらですが室内で石が降るなんて妖の仕業に違いないと辰巳様にご相談したところ適任がいるからと、あなた方をご紹介いただいた次第です。」


「投げ文があったのは一度だけだろうか?」


さらに問いを投げかければ、吉兵衛は首を振り脇に置いていた文箱から数枚の文を取り出し二人へ差し出した。

玉藻が受け取り用紙を開く。文にはシワがより穴が空いてしまっている部分もある。投げ入れる際には何かを包んでいたと推測ができた。炭治郎も傍から身を乗り出して目を通せば、始めは辰巳から聞いた通り金を返さなければ天罰を下すとの内容だったものが、だんだんと過激になって行き、最後の文は金を返さねば一族だけでなく店にいるもの全てを皆殺しにすると脅していた。


「とても物騒ですね」


「何としても金を脅し取ってやろうという気迫を感じるな」


眉を顰める小十郎に玉藻も同意した。

ところで、と読み終わった文を戻しつつ玉藻が何気ない様子で尋ねる。


「ご依頼の内容は、この騒動の下手人が鞍馬から来た借金の取り立て屋でないのならば退治して欲しいということで良かっただろうか?」


吉兵衛は受け取ろうと手を伸ばしつつええ、と頷く。


「では、件の天狗の仕業ではないと思われるのは何か理由が?」


調子を変えぬまま核心に触れると、伸ばされた指がほんの僅かに揺れた気がした。

もし、そう思われる理由があるとすれば下手人特定の助けになるかもしれないので教えて欲しいと、素知らぬ顔で続ける玉藻に吉兵衛はひたりと視線を合わせると少し考えるそぶりを見せたが、少し間の後微笑みさえ浮かべ首を振る。


「いいえ。ございません。強いて言えば百年越しに三代前の借金の取り立てに来ていることでしょうか。少し時間が経ちすぎるように思います」


嘘だな、と小十郎は直感で感じ取る。

たかが勘というなかれ。小十郎はこの手の勘を外したことがない。

しかし、気の弱そうな男であるが流石は大店の主人。腹芸はお手ものものらしい。大方の人は騙されてしまうだろう名演技だ。どうやら心当たりがあるようですと目配せすれば、玉藻も心得たと視線で応えた。


「奉行所に相談は?」


問いただすのかと思いきや話を進めることにしたらしい。普段は気の向くままに生きているように見えても流石は狐。化かし合いはお手の物のようで、嘘に気が付いているとは微塵も匂わせずに続ける。思っていることが顔に出やすい小十郎にはできない芸当に流石玉藻さんだなぁと感心すると同時に己の実力不足をまざまざと感じ一人落ち込む。小十郎を置いて会話は続く。


「致しておりません。最近はほぼ言いがかりの様な理由で商人相手に闕所処分が出されております。今回のことで、公儀に弱みを見せるわけにはいきません」


今度は真実のようだ。

玉藻もキッパリと言い切る吉兵衛の様子に嘘はないと判断したのだろう。承知したと返事をすると、話を結びにかかった。


「それでは俺達は調査に入ろうと思うのだが店や屋敷内を確認しても良いだろうか」


「お願いします。店の者には辰巳様の助手のお方だと伝えておりますので、お好きにご覧いただいてかまいませんよ。何か聞きたいことがあれば近くの者にお声がけください」


「えっ!?丁稚として潜入と聞いていたんですが!?」


今まで玉藻に任せ聞き役に徹していた小十郎が思わず声を上げると、吉兵衛はおや、と返した。


「ええ。最初はそのような話でしたが、潜入させるには派手すぎる方もいらっしゃるからと辰巳様から連絡がありまして、ならばいっそのこと、堂々と調べても怪しまれない取材ということにしてしまおうという話に…聞いておりませんでしたか?」


「全然聞いていませ…むぐっ」


「すまない。伝達がうまくされていなかったようだ。だが、調査には影響しないので安心してくれ。それでは一度席を外させてもらおう。もし今回の関連で何かうっかり話し忘れたことがあればいつでも呼んでくれ」


素直に応えようとする小十郎の口を片手で塞ぐと、意味深な言葉と一瞥を残し、それではと部屋を辞す。

目を白黒させているうちに離れた場所へと連れ出された小十郎は口元から手が離れた瞬間、抗議を入れた。


「いきなり何をするんですか!?」


「話が拗れそうだと思ってな」


これ以上は時間の無駄だと悪びれなく宣う玉藻に、小十郎も確かにと納得する。あの話題を掘り下げたところで、今回の天狗の件には繋がるまい。

それよりも、小十郎には確かめなければならないことがあった。

一足先に歩き出してしまった玉藻の背を追い横に付く。


「薄々気づいてはいましたけれども、辰巳さんとはどういったお知り合いで?」


馴染みになるまでは名を覚えないどころか好き勝手な呼称をつける玉藻が雨天の名は最初から違わずに口にしていたのだ。その他にも不自然な部分は思い返せば多々あった。にも関わらず今の今まで気づかなかったとは…己の情けなさに頭を壁に打ちつけたい衝動に駆られつつ、確信を持って問うと玉藻は、長くなるのでその話は追々な、と悪びれもなくはぐらかす。

続いて、しかし雨天の慧眼には恐れ入るな!すっかり手のひらの上だ!と言って笑ったかと思えばまるで遠くの獲物に狙いを定めるように目を眇めた。


「だが、小十郎をだしに使ったことはいただけない。正直に言えば些か腹が立っている。」


腕を組み獰猛な笑みを作った玉藻は、グルンと音がしそうな勢いで小十郎に体を向ける。


「よし、小十郎!今からお前の助手として指示どおりに動く。逆に指示されたこと以外俺は主体的には動かない。俺を上手く使って自分の手でこの問題を解決してみるといい」


突拍子もない言葉に小十郎の目は点だ。


「ちょっと待ってください!どうしてそんな結論になったんですか!?」


慌てふためく姿に玉藻は、なに、君が鰹節や昆布やいりこでは無いと雨天に教えてやらねばと思ってな!と鷹揚に言うと励ますように少年期の名残を残す薄い肩に片手を置いた。


「案ずるな、お前ならできる」


真っ直ぐに瞳を見ながら告げられた言葉に、チョロさに定評のある小十郎は目を輝かせ頷く。


「鰹節云々の意味は全くわかりませんが、物凄く期待してくださっていることは分かりました!玉藻さんがそうも信じてくださるのなら俺、頑張ってみます!」


「ああ、期待しているぞ小十郎。で、まずは何から始めようか?」


「そうですね。天狗の仕業ではないにしても実際に怪異は起きているわけですし、敵を知るためにもやはり茶室は調べておくべきだと思います」


「これは天狗の仕業ではないと?」


「はい、俺はそう踏んでいます」


ほう、何故?と片眉を上げる玉藻に小十郎は紙ですと答えた。


「投げ文に使われている紙ですが、たぶん、皺を伸ばし切れば天八寸(約24cm)・左右一尺一寸(約33cm)程の大きさです。石をくるんだ際の皺や破れで目立ちにくくはありましたが天側には正中から対称に左右2つずつ穴が開けられていましたから、元は真ん中で折りたんで天に2つ穴を空けていたのでしょう。全ての投げ文でほぼ同じ箇所に穴が開けられていたので、紐で綴って一纏めにしていたものと考えられます」


「しかし、あの投げ文に折り線などなかったと思うが」


「日の本の紙はしなやかですから板にでも挟んで重しをすれば1日で元通りです。そしてここが重要なんですが今回使われていた紙は十中八九、西ノ内紙でしょう。これは水に濡れても一枚一枚がよくはがれますし、墨書きの文字もにじむことがないのが特徴です。井戸に投げ込んで後でも回収して乾かしさえすればまた元通り使えるので、火災が多い江戸では大福帳(商業帳簿)につかわれています。寸法的にも一致していますし、おそらく何者かが大福帳から用紙を拝借したのだと。これが天狗の仕業であればわざわざ商家の帳面から紙を抜き取って使うなんて真似しないでしょうから騙りと判断しました」


「なるほど、それは気づかなかったなぁ。それにしてもよく知っているな」


「那須の出なので紙にはうるさいんですよ」


小十郎は得意げに胸を張る。


「いや、参った。偉そうなことを言って俺も雨天のことをいえないな。お前を見縊っていたようだ。解決に俺の助力なんて不要だったようだ。だが、手は多いに越したことはないだろうから助力だけはさせてくれ」


「そんな!お願いするのはこちらです。俺、思ったことがすぐ顔に出てしまうので人に探りを入れる際は玉藻さんに助けてもらわないとうまくいかないと思います。だからこの仕事、二人で力を合わせて成功させましょう!」


殊勝な様子の玉藻からかけられた言葉に首を振る。

感情の高ぶりに任せ玉藻の片手をとった小十郎は思いを込めるかのようにキュッと力を入れた。

不意なことに少し目を大きくした玉藻だが、小十郎の真っ直ぐな鼓舞に頬を綻ばせ、ああ、頑張ろうと、丸い頭に片手を乗せてワシャワシャと撫でる。


「何するんですかもう!」


「なに、お前は本当に愛いらしいと思ってな」


撫でると言うより掻き回すような勢いに笑いながら抗議する小十郎にさらりと告げると、さて、と話題を転じた。


「天狗退治が決行となった訳だ。では、この調子で礫の謎も解決してくれ」


「はい、頑張ります!」


では行きましょう!と小十郎が先を促す。

朝、吉兵衛に連れられた通路を辿り今度は庭から上がるような無礼はせずにじり口から中を覗くと、途端、小十郎の顔色が変わった。


「こ、これは・・・。すみません、部屋に落ちていた礫はどこにいったのでしょうか!?」


綺麗に片付いた茶室を目の当たりにし、呆然と呟いた小十郎は、側を通りかかった女中を呼び止め尋ねる。女中は彼の鬼気迫る様子に驚いた様子で目をぱちくりさせた後、四半刻程前に番頭が持って行ったと告げた。思わず、何故!?と声を張り上げた小十郎に、女中はあんなもんが店にあって祟られたらたまったもんじゃないだろうとさも当然のように答える。それどころか、誰も触りたがらない礫を毎回拾い集めて供養しに行く番頭さんには頭が下がるよと賞賛した。予想だにしない事態に頭を抱えたい衝動に駆られつつ番頭が向かった先を尋ねれば愛宕山と返ってきた。


「愛宕山といえば太郎坊社があったな」


顎に手を当てて呟いた玉藻の言葉に弾かれるように走り出す。店から愛宕山まで徒歩で半刻程であり追いつくけるかは正直微妙なところであるが、手がかりの喪失をみすみす見逃すわけにもいかない。


「小十郎!」


「愛宕山へ行ってみます!玉藻さんはお店の方々に聞き込みをお願いします!天狗礫の前後で怪しいことがなかったかとか番頭さんのこととか!」


俺が行った方が早いと呼び止めようとした玉藻に小十郎は聞き込みをするよう声を張って伝えた。どうやら聞き込みを玉藻に任せた方が効率が良いと彼は判断したようである。指示の通り動くと宣言した手前反故にもできず、玉藻は仕方ないと頷いた。


「承知した!気をつけて行ってくるように」


「はい!行ってきます!」


背にかかった見送りの言葉を口にする振り返ってみせた小十郎は大きく手を挙げて応えると、後は風のように駆けて行く。


「しかし、躊躇いなく別行動とは・・・。もっと常日頃からお前と離れたくないと言い聞かせておくべきだろうか?」


再び前を向き弾丸の如く駆けていく背を見送った玉藻は腕を組み首を傾げ独りごちる。その呟きを耳にして仰ぎ見た女中はのんびりとした口調とは裏腹な、穏やかならぬ光が宿る瞳を目撃し息を呑んだ。が、それも一瞬のことで視線に気がついた玉藻は纏ってがた不穏さを嘘のように霧散させ人好きのする笑顔を向ける。言いつけ通り聞き込みをする彼の始終爽やかな様子に話を終えた女中は今しがたの光景は己の見間違えかしらと首を捻った。夏の空のような爽やかな男が若竹のように真っ直ぐな少年の前でのみその様相を崩すとは江戸中の人間模様を長年見聞きしてきた老巧な女中でも見抜けなかったようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪奇譚探偵 @asagi_tanuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ