怪奇譚探偵
@asagi_tanuki
第1話 天狗強盗
1-1
竈の上に位置する神棚に水と塩、炊きたての米を供えると手を叩く。神棚は九尺二間のこぢんまりした部屋に初めから備え付けられていたものだ。通常であれば荒神様を祀る為の設だが小十郎の家の神棚に御座すのは少し、いや、大いに毛色が違っていた。
「玉藻さん、今日から仕事で二、三日ばかり出掛けてきますので留守をお願いします」
「待つんだ小十郎!そのような報告を受けた覚えはないぞ!」
二拍手の後に神棚に向けまるで言い聞かせるように語りかけると、戸が閉まっている筈の部屋に一陣の風が抜け一人の青年が現れた。毛先に朱が混じる陽光のような色の髪を蓄えた立派な体躯の美丈夫である。惜しむらくは、対で設えてある筈の琥珀が一つ黒い眼帯で覆われてしまっていることか。誰も居なかった筈の空間から煙のように現れたことから人ならざる者であるとすぐに知れた。
彼の名は玉藻。人の型を取ってはいるが正体は齢千年を超えた狐、いわゆる天狐と呼ばれる神獣である。
狐の中でも最上位の存在である彼が何故か貧乏長屋に備え付けられた神棚に住みついているのだから世の中何が起きるかわからない。閑話休題。
常ならば仕事で留守にすると伝えても笑顔で見送ってくれる彼が慌てた様子で現れたものだから小十郎は目を丸くした。
少し考えて、そういえば泊りがけの仕事を受けたのは初めてだと思い至る。さすがに丸一日以上一人で置くのは酷だっただろうかと罪悪感を覚えるが仕事は受けてしまっているのだ。今更如何ともできない。
今回の仕事は諸処の事情で公儀に訴える事の出来ない厄介事の解決のため秘密厳守が第一条件なのだ。第三者を連れて行っては信用問題に発展しかねない。
小十郎はさて、困ったと眉を下げた。
まさか俺を置いていくつもりではないよな?と目で訴える玉藻には悪いがここは心を鬼にする他ない。
「玉藻さん、これは仕事なのでそんな顔をされても連れては行けません!部外者を私情で連れてきたとあれば俺の信頼を損ねます」
罪悪感をこらえ、検討の余地は無いときっぱりと断ってみせる。
物言いたげに圧をかけられてもぐっと耐え、前言を翻す気持ちはないと強い気持ちを持って隻眼を見返す。
見つめ合うこと暫し、頷かない小十郎に不服そうに唸って見せた玉藻だが意思が固いと悟ると良し分かったと手を打ち表情を和らげた。納得してくれたかと胸を撫で下ろすが、そうは問屋が卸さない。
「部外者がダメというなら、当事者になれば良い!よし分かった!小十郎、今日から俺はお前の相棒だ!」
「…相棒だ?」
思いもよらない提案に理解が追いつかずに鸚鵡返しをする。困惑を色濃く浮かべる小十郎に、玉藻は腕を組み力強く答えた。
「共に仕事をする仲間ということだ!自分で言うのもなんだが良い話だと思うぞ!きっちり働くうえ俺は人の身ではないから給金も必要ない!一人分の給金で二人が雇えれば依頼主も文句は言いまい!」
なるほ…なんて?
自信満々な様子に反射でつい頷きそうになるが、寸前で踏み止まった。賢明である。
「いやしかし、内密にと依頼を受けているわけですし、急にそんな事言われても訝しがられるだけじゃ…」
「特典とでも言っておけば問題ないさ。顧客満足度もあがるし俺の希望も通るまさに一石二鳥の案だな!」
なんとか断ろうとしてみるが、更に言い切られると確かに一理あるように思えてきて言葉に詰まった。
小十郎の良すぎる人柄を心配している友人が近くにいたならば、ちょろい、ちょろすぎるよ小十郎!悪い大人の口車に乗っちゃダメ!とすかさずツッコミを入れただろうが、今彼の周囲には丸め込もうとする張本人しかいない。
検討の余地を感じてしまった時点で勝負はついたも同然で、この好機を逃す筈もなない玉藻はさらに言葉を重ねた。
「さて、小十郎。置いていこうなんて考えるんじゃないぞ。君も知っている通り俺はまだ本調子ではない。置いていかれたら心痛で力の調整がうまくできなくなるかもしれない。明日は狐火の目撃談がそこかしこで聞こえるかもしれんな!」
炯々と瞳を輝かせながら最後の一押しとばかりに脅しまで口にされ、玉藻に引く気は全くないと察した小十郎は頭に手を当てはぁと、溜め息をついた。
「…依頼主に聞いてみます。断られたら諦めてくださいね」
「うむ!承知した」
しばしの沈黙の後、小十郎が譲歩すると元気のよい応えが返る。断られても狐火は無しですよと伝えれば、分かったと即答であった。
依頼主との約束の時刻も近づいているしこれ以上押し問答を続ける余裕もない。言質はとったので反故にされることはないと判断し話を括ると手早く支度を整えた。
一丁羅である木綿地の鶯色の着流しに同色の羽織を羽織った小十郎は背中に刀を隠すと玉藻を伴い家を出る。
雨戸も繰られていない明け方の街並みを二人は肩を並べて歩く。横目で見た玉藻は小十郎に合わせいつもの武家然とした出立ではなく蘇芳色の着物に白橡の羽織を纏った簡素な姿であったが漂う気品がすでに市井の人でない。きっと道行く人から見ればどこぞの若様とお付きの小僧に見えるだろう。もし本当に彼がどこぞの若様ならば本日の仕事内容を理解しておらずともドラ息子だと言い訳ができるが、相棒(仮)であるので仕事内容を共有しておこうと小十郎は口を開いた。
「依頼主の元へ伺う前に依頼内容についてお話しをしておきます。あまり時間が無いので道すがら掻い摘んで説明させてもらいますね。玉藻さんもご存じと思いますが俺の仕事は何でも屋のようなもので、子守や炊事洗濯のお手伝いから喧嘩の仲裁や用心棒のような荒事まで、人の道から外れるような仕事でなければどんな依頼でもお受けしています」
「確かに先日、唐辛子の張り子を背負って歩いていたな!なかなか愛い姿だったが、君は変なモノに好かれやすいからあまり無防備なのもどうかと思うぞ!」
「なっ!何故それをっ!」
何食わぬ顔で告げられた言葉に小十郎は言葉を詰まらせ
瞬時に頬を赤く染める。
「さあ?何でだろうなぁ?で、今回はどんな仕事なんだ?」
言いたい事を言って満足したのだろう、慌てる様にニヤリと笑んではぐらかした玉藻は仕事を盾に続きを促した。
時間がないと言った手前、これ以上腰を折る訳にもいかず小十郎はひとつ咳払いをして気を取り直す。
「天狗退治です」
「天狗退治?それはまた珍妙な依頼だな」
「確かに、変わった依頼ではありますね」
頬を掻きつつ、仕事を受けた経緯を思い返す。
話は昨日、贔屓の口入れ屋から仕事を貰い損ねた事から始まる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「小十郎ちゃん、ごめんねぇ。いい仕事があったら優先的にまわすから」
「いえ、大丈夫です!また宜しくお願いします」
申し訳なさ気に眉を下げる女将にペコリとお辞儀をして今し方潜ったばかりの暖簾を再び潜る。
「うーん、困った。最近空振り続きでいよいよ手持ちが心許なくなってきたぞ」
冬は地方から出稼ぎに出てくる者が多いためどうしても求人倍率が高くなる。那須の山奥から出稼ぎのため江戸に出てきた小十郎だが、ここ最近なかなか良い求人に恵まれずに困ったなと独りごちた。
仕送り分を考えると、かなり切り詰めて生活をしないと拙いのは分かっているが玉藻へ供る米と茶を用意する余力は残しておきたい。となれば、なんとしてでも今日明日中に働き口を見つけておきたいところだ。
「仕方がない、何件かまわってみるか」
「おい、そこのお前」
「えっと、ここから近い口入れ屋は…」
「おい、お前だよ、お前」
「参ったな、地図を持ってくるべきだったか」
「無視たぁいい度胸だな!そこの赤毛の坊主、お前に声をかけてんだよ!」
江戸に出てきてしばし経ち土地勘がついてきたものの生活圏を外れるとなると些か不安である。仕方ない、分からなければ道ゆく人に尋ねようと決意して脚を踏み出そうといしたところで漸く自分を呼ぶ声に気がついた。振り返ればすぐ近くに迫った胸元。ぎょっとしつつ胸元から首、首から頭と視線を上げると恐ろしく整った顔が小十郎を見下ろしていた。あまりの近さにひえっ、と思わず悲鳴を漏らした小十郎を誰が責められようか。慌て飛びずさって距離をとり眼前の人物を眺めれば6尺5寸はありそうな長身に、白皙の美貌。白子なのか、キラキラと光る銀色の髪がさらりと揺れ、まるでお月様のような人である。一度目にしたら忘れられない容貌から初対面であると確信をもって言える。
「ど、ど、ど、どちら様でしょうか!?」
「そんなビビらなくても取って食いやしねぇよ。お前、その様子じゃ仕事にあぶれたんだろ?ちょっと頼まれごとしてくれねぇか?」
まろびでそうな心臓をなんとか抑えて尋ねると、男は名乗ることなく給金はずむぜ?とニヤリと笑った。
「お断りします!怪しい人の甘言にホイホイのってはいけないって言われてるんで!」
今し方まで動揺を前面に出していた少年にまさか断られると思っていなかったのだろう。男は、良い子のお手本のように言い切った小十郎をキョトンと見つめた後、肩を震わせ堪えきれないといった様子で声を上げて笑い出した。
いやぁ、過保護にされてるなぁ。どんな顔をして言ったんだか、と他人には理解し得ない台詞を吐きつつひとしきり笑い終えると小十郎の頭をガシリと鷲掴む。
「で、俺のどこが怪しいって?」
先ほどまでの朗らかさは何処へやら。こめかみに青筋をうかべ低く尋ねるとギチギチと握力を込めて締め上げた。
「アイタタタタっ!素性も明かさずにそちらの要件だけ話すなんて怪しすぎると思います!はっ!もしかして、人の素性を尋ねるなら先に己から名乗れというやつですか!?俺は槙野小十郎です。何でも屋をしています!」
常人であれば肝を潰すであろう場面でも臆面なく答える姿に毒気を抜かれた男は、はぁ、と一つため息を吐くとパッと手を離した。
「俺は辰巳雨天。歌舞伎作家兼演出家だ。巷じゃ新進気鋭の大作家って囃されてっから耳にしたことぐらいあるんじゃねえか?」
告げらた名は芸能事に疎い小十郎にも聞き覚えがあったので確かに有名なのだろう。
記憶を手繰り寄せれば、怪談モノしか書かない変わり者の作家がそんな名前だったような。話の内容もさることながら彼が手がける舞台には観客をあっと言わせる演出が目白押しらしく毎公演満員御礼なのだと雇先の女将が話していたのを思い出した。
「ああ、知っています!いつかは玉藻さんが辰巳さんの手がけた講演を観に行きたいなと言っていました、あっ、玉藻さんというのは俺の同居人でして歌舞伎鑑賞が趣味」
「話の飛躍具合が女の井戸端会議並みだな。いいか、俺はお前が誰と住んでようが全く興味がねぇ。興味があるのはお前が仕事を受けるかどうかだけだ」
辰巳は話を遮り、小十郎の眼前に指先を突きつけた。
希望通り素性は話したのだから、次はお前が応える番と言わんばかりである。
「先ずは話を聞きましょう。お受けするかどうかは内容次第です」
突きつけられた指を握り込み顔から逸らすと、小十郎は辰巳と視線を合わせて答えた。
聞く姿勢を見せた小十郎に第一関門突破だなと辰巳の口角が片方のみ吊り上がる。
俗に言う人の悪い顔だが、残念ながら小十郎は気づかない。
それじゃ、場所を移動しようぜ。近くに美味い甘味処があんだ。もちろん、誘ったからには俺の奢りだと、気前の良い辰巳の提案によりあれよあれよと言う間に二人は茶屋の縁台に並んで腰掛けていた。
「すごい!この団子、きめ細かくてとても柔らかい!のっている餡も上品な甘さですね!醤油味は塩味がなんとも絶妙で、交互に食べたらいつまででも食べられそうだなぁ。今まで食べた団子の中でも一等美味しいです。江戸にはこんな美味しい食べ物があるんだ…」
「気に入ったようで何よりだ。後で土産に包んでもらうからお前の同居人にも持って帰ってやんな。んでもって、感動してるところ悪いんだが、そろそろ本題に入らせてもらうぜ」
苦笑しながら辰巳が言う。
振る舞われた団子のあまりの美味しさに前のめりになっていた小十郎は我に帰ると少し赤くなりつつ居住まいを正した。
興奮しすぎた、穴があったら入りたい。どうぞと答えれば、すぐに説明が始まった。
「さっきも言った通り、俺の本職は怪談専門の脚本家なんだが、ネタを探して色んなとこへ取材に行くと中には、怪奇現象を解決できる知り合いがいないか泣きついてくる輩がいてな。自慢じゃねぇが顔は広いし見る目も逸品なんで解決できる力量がある奴を紹介してやっていたら、これが中々評判が良かったんで、今はそういうモノを専門にした口入れ屋みたいな事をしてんのさ。まあ、怪談なんて夏しか儲かんねえから閑散期の副業だ。んでもって、今回、とある大店から依頼を受けたんだが、いつも使ってる奴がとんずらこきやがったんで同じような年齢で仕事を引き受けてくれそうな奴を探してたところだ。ここまでは理解したか?」
「はい!それで口入れ屋から出てきた俺に声をかけてきたんですね。だけど俺、霊感なんてないんでお役に立てないと思いますよ。幽霊なんて見たことありませんし」
「安心しな。お前に依頼するのは妖怪退治だ。幽霊と違って実体があるぜ。証拠に地味な一般人に退治される逸話が全国各地にわんさかあんだろ。怪奇に出くわした時に我を忘れない胆力と、冷静に真実を見極める判断力、あとは多少腕が立てば問題ねぇ。お前なら今回の依頼をこなせると思って依頼させてもらった」
言い切る辰巳に、うーんと唸り腕を組む。
かなりの暴論であるが、専門家が言うのであれば特殊な力が無くとも対応できるのだろう。
だけれども、何故、小十郎に白羽の矢が立ったのか理由が分からない。
自分で言うのもなんだが、小十郎は実年齢より幼く見える容姿や柔らかな物腰から初見では頼りにされるより舐めてかかられる事の方が多いのだ。
「お言葉は嬉しいのですが俺と辰巳さんは初対面ですよね?貴方が何を根拠に俺を評価してくださるのかが分かりません」
「良い質問だ。それは俺に見る目があるからだ。俺の慧眼にかかれば使えるかどうかなんてすぐに見極められらぁ!」
ふんぞりかえると自信満々な台詞と共に両手でビシリと指差しをする。
小十郎は眼前に迫った両の指を無言で見つめた。
よほど胡乱な顔をしていたのか、嘆息すると頭を掻きつつ面倒そうに解説する。
「あー、俺にビビらずに話を聞いている時点で度胸は合格。その竹刀胼胝と手足の筋肉のつき具合からしてやっとうをかなりやり込んでんだろ。下手の横好きって可能性はさっきの口入れ屋で女将が用心棒の案件がないか探していた時点で排除した」
「すごいです、辰巳さん!まるで探偵方みたいだ!」
渋々種明かしをしこれで納得したかと尋ねる声に、小十郎は目を輝かせコクコクと頷いた。
純粋な称賛を向けられた辰巳も、これくらい造作もねぇと憎まれ口を叩きつつ得意気だ。
「では、改めて俺に何を退治して欲しいので?」
見事な推理に絆されて小十郎は辰巳に対する警戒をすっかり失った様子で自ら話を進めてしまう。
やはりここにかの友人がいたのであれば、退治して欲しいので?じゃないよこの唐変木ぅう!お前、少しは人をうたがことを知りなさいよ!いや、その素直さは小十郎の美徳だけどね!?それとこれとは話が別っ!世の中にいる人全てが全てお前みたいにぽあぽあ善意の妖精さんじゃないの!!よく見て!このオッサンなんて絶対信じちゃいけない代名詞みたいな顔してんじゃん!!!しかも、依頼内容が妖怪退治!!怪しさしかないわっ!なんでそんなりあっさりと心開いちゃうのよぉおおお!!?と全力で止めただろうが、生憎彼は嵐が来る予感がするから身を隠すと言って田舎に籠城中だ。野分の時分はとうに終わったというのに不思議であるが、彼の奇行は今に始まったことではないので気にしない。
友人の話はさておき、口を挟む者がいない商談がどうなるかと言えば、皆さまのご想像の通り傾斜を転る石の如くである。
「奇術を使って大店から金子を脅し取ろうとしている天狗の退治だ。その期日が明後日なんで、明日から店に丁稚のふりをして潜り込んでもらう給金は前金で銀20匁(現代で2万5千円程度)、無事退治ができたら追加で40匁支払うってよ」
「ええっ、そんなに貰えるんですか!?」
稼ぎが良いとされる大工でさえ、日の給金は5匁程である。破格の値段につい驚きの声が漏れた。
「まあ、天狗に脅されているなんて世間に知れたら派手に外聞が悪いんで、口止め料ってことだろ」
「それにしても高すぎるのでは?成功報酬と合わせると一両ですよ?」
「三千両も脅し取られそうになってんだ。三千分の一の出費で解決できんなら喜んで出すだろ。寧ろケチりすぎだぜ」
「さっ、さんっ…」
これだから商いって奴はとぼやく辰巳からサラリと告げられた額に流石の小十郎も目眩を催す。
「そんな額を要求されるなんて、その店はそうとう悪どいことをしてるんじゃねぇかって、顔だな」
疑念を正確に看破され首だけ立てに振って答えれば、辰巳は大丈夫だと請け合った。
「昔は知らんが、少なくとも今の代では清廉な営業をしている店だぜ。3代前のご先祖さんが天狗から借金をこさえていたとかで、今になって取り立てられているんだと」
「…天狗から借金ですか?」
どうにも話が見えず頭いっぱいに疑問符を浮かべる小十郎に辰巳は、おうと答える。
「なんでも、菱垣廻船が嵐にあって大損こいて、このままじゃ店が潰れちまうって時に天狗が現れて金を置いていって難を逃れたことがあるんだと」
「はぁ」
全く納得はできないが話の腰を折ることも憚られた結果気の抜けた返事となった。
「元々は都の出の一族で、どんなに経営が苦しくても鞍馬寺に毎年欠かさず酒を奉納しているから氏子の危機に御祭神が力を貸したってことらしいぞ。眉唾だがな。それが今月になって貸していた金三千両を返せと投げ文がきてな。それだけじゃただの悪戯で終わっていただろうが、同時期に天狗礫が店で起こるようになったもんで、俺に依頼が来たんだよ。向こうは金を返さなきゃ天罰を下すと脅しているらしいが重要なのは、金を取り立てようとしているモノがマジもんの天狗か見極めることだ。もし、取り立てているのが本当に鞍馬の天狗なら金はそのまま持っていってもらって構わない。だが、騙りだった場合には阻止して欲しい。これが今回の依頼だ」
「待ってください!?話が違いますよね?先程は俺へ天狗退治を依頼したいと言ってませんでしたか!?」
「はあ?馬鹿か。素人が神に逆らって良いことなんかねえぜ。派手に祟らて痛い目見んのがオチだ。考えるだけで面倒くせえ」
急な方向転換に驚き声を上げれば常識のように言い切らる。
「で、今回の依頼について粗方説明が終わったわけだが、受ける受けないどっちにすんだ」
保留は許さないとばかりに身を乗り出して尋ねられ…
「それで、引き受けてきたと」
「そういう事になりますね…」
半眼になり尋ねる玉藻に小十郎は明後日の方向を見つつ答えた。雰囲気を和らげられまいかと無意味に微笑んで見せるが、それで誤魔化されてくれる相手ではない。
「まさか目を離した隙にそんな怪しい案件に巻き込まれていようとは…守護者として不甲斐ない…」
「いや、しかし、嘘をついている感じはしませんでしたし。悪い話ではなさそうだったので…」
片手で顔を覆ってしまった玉藻になんとか弁明をしようと口を開くが、指の狭間から覗く眼力に言葉はすぐに失速する。いいか小十郎、と玉藻は諭すように話し始めた。
「確かに君の人の言葉の真偽を嗅ぎ分ける力は稀有な才能だと思うが勘に頼りすぎるのは良くない。言葉で測ることができない事もあると知っておくべきだ。例えば、店が辰巳に天狗退治を依頼したと言うことは少なくとも店で起こっている怪奇現象が件の天狗の仕業ではないと考える余地を齎す何かがあるのだろう。それについて聞いているか?」
「聞いていないです…」
確かに。そう言われてみればそうですね…。と小十郎はみるみる萎れていく。
「嘘を吐かずとも情報を意図して伝えない事で騙す事はできる。それに人の中には嘘を嘘と思わずに口にする輩もいる。再三言うが君は変なモノに目をつけやれやすいのだから人一倍気をつけなければ」
「…はい。ごもっともで」
現在進行形で小十郎に憑いている己は見事に棚上げた説教であるが、小十郎には効果的面のようで小さくなり項垂れた。十二分に反省した様子の彼にこれ以上の言葉は不要と判断し、玉藻は雰囲気を和らげる。
「まあ、受けてしまったものは仕方がない。俺も全力で支援する」
「ありがとうございます!玉藻さんも雇っていただけるよう俺も全力を尽くします」
この話は終わりだな、といつもの快活な調子に戻って宣言する玉藻に小十郎は元気よくお辞儀をすると決意を新たに拳を握った。共に雇ってもらえなければ玉藻の助力も断念せざるおえない為、頑張って売り込まねばと意気込む彼にそこは心配しなくて良いと思うがなと訳知り顔の玉藻が呟く。が、玉藻の言葉は届かなかったようで、小十郎はふんすふんすと鼻息を荒げて気合いを込めていたかと思えば、あっと声を上げた。
「ありました!あのお店です!」
指さす先には大和屋と屋根看板が掲げられた立派な作りの表店が見える。広い間口と奥に聳える倉の大きさから大層繁盛している事が伺えた。
まだ暖簾も出していない格子戸の前に仕立ての良い銀鼠の着物を纏った壮年の男性が一人ぽつんと立っている。彼は二人の姿を認めると駆け寄り深々と頭を下げた。
「槙野様と玉藻様でいらっしゃいますか?大和屋の主人の吉兵衛でございます。辰巳様からお話は伺っております。本日はどうぞよろしくお願いいたします。ささっ、こちらへ」
「えぇっ!?」
玉藻の名まで告げられた事に驚きを隠せない小十郎とは対称的に玉藻はやはりという顔だ。
「さすが雨天、全て御見通だな。そら、呆けていないで行くぞ小十郎」
背をポンと叩く刺激で正気付いた小十郎は、慌てて主人の後を追った。
店の脇に設置された木戸をくぐり小十郎が感じたのは強烈な違和感であった。
大店ともなれば人が多い分、朝の煮炊きは活気が溢れている筈だが、中はしんと静まり返っている。
おそらく居住区なのであろう二階から人の気配を感じるものの誰も出てくる気配もなく吹き込む微風が暗く澱んだ空気と若干の獣臭さを運んできた。
知らせようと横を見やれば玉藻もすでに気がついているようで、隻眼を意味ありげに眇めて前を歩く主人を眺めている。
表庭を抜け、奥座敷を突っ切ると裏庭を臨む茶室に向かい主人は足を進めた。その顔は何かに怯えるように強張っている。
奥に進むごとに強くなる獣臭さに何か獣でも飼っているのか尋ねようと口を開きかけた瞬間
ドスドスドスドスカラカラカラドスドス
目的地の茶室から何か質量のあるものが次から次へと降り注ぐ音がした。
二人は刹那視線を合わせると、ひぃいいと情けない悲鳴を上げて腰を抜かす主人を追い越し庭を眺める為に設置された障子を左右に勢い良く開け放つ。
濃くなる獣臭さに小十郎は鼻を押さえて中を伺えば畳の上に転がる大人の拳ほどもありそうな石の数々。
先程の音といい、処々凹んだ畳の跡といい上から降ってきたと容易に予想がついた。
「成る程、天狗礫とはこのことか!」
天井を眺めて手が込んでいるな!と腕を組む玉藻の隣で
小十郎は近くに落ちた石を拾う。
纏った獣臭に店内に漂う異臭の元はコレかと理解すると同時に既知感に首を捻った。
「どっかで嗅いだことがある臭いだと思うんだけど、なんだっけなぁ」
顎に手をやりしばらく考えてみるが答えが出そうで出てこない。こういう時は一度気持ちを切り替えた方が良いと判断し、店主から話を聞こうと目をやれば恐怖の余り気を失ったのだろう。ぐったりと伸びた姿が目に入った。
「た、玉藻さん!大変ですっ!吉兵衛さん、伸びちゃってますっ!」
「なんと!?」
二人は慌てて道を引き返すと、怯えて引きこもっている従業員達に助けを求めるため声を張り上げたのだった。
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