月の雫をあつめて

未来屋 環

あなたという光は喪いたくないから。

 ――毎週水曜日の午後、私は月の魔法にかけられる。



 『月の雫をあつめて』



 授業が終わったらすぐに学校を飛び出して、駅を通り過ぎ北口へ。そこから歩いて10分程の場所にその店はあった。

 古びた重いドアを押し開けると、カランカランとびた鐘の音が鳴る。来客を告げるそのしらせが空気に溶け込んでしまう前に、私は自ら店主の名を呼んだ。


「こんにちはー、リドいる?」


 すると、少しをおいて、暗いカウンターの奥から黒髪の男が姿を現す。頬杖ほおづえを付いて待つ私の前に、リドは特段急ぐ様子もなく歩いてきた。


「こんにちは、シオリ。いつもながらに早いですね。今日、学校は?」

「心配しなくてもちゃんと授業出てるよ。終わり次第ぱぱっと来ただけ」


 「ていうか、このやり取り何回目?」と私が不満げに眉を寄せると、リドは少しだけ口角を上げる。


「それは失礼しました。では、早速始めましょうか」


 リドに促されて、私はカウンターの脇にあるソファーに座った。

 目の前に置かれた黒いテーブルの天板には、金色でえがかれた幾何学きかがく模様が上品に配置されていて、眺めるたびにまるで宇宙から伸びる月の光みたいだなんて思う。

 そんなことを考えている間に、テーブルを挟み向かい合う形でリドが座った。


「それで、今日は何を持ってきてくれたんですか?」

「うん、今日はこれ」


 私は鞄の中から目的のものを取り出してテーブルの上に置く。

 それは金色に光るシェル型のポーチだった。外界に比べると薄暗い店の中でも、照明を反射してきらきらと存在を主張する。

 リドがポーチを手に取り、様々な角度からつぶさに観察を始めた。目を隠す程長い前髪の隙間から髪色と同じ漆黒の瞳が覗き、なんだか吸い込まれてしまいそうな気持ちになる。

 しばらくして入念なチェックが終わり、リドの頬が緩んだ。


「――では、いただきます」


 リドがそっとポーチに口付ける。

 そして彼が深く息を吸い込んだ瞬間――ポーチがきらきらと瞬きながらその色をうしなっていった。同じタイミングで真っ黒だったリドの髪に変化が生まれる。毛の先端から光が滑るように頭全体に広がっていき、やがてリドが顔を上げるとその髪は金色に染まっていた。

 まるで別人のように生まれ変わったリドが、ふぅと満足そうに息を吐く。


「ごちそうさまでした。シオリ、何か飲みますか?」


 そう言って前髪を掻き上げたリドの瞳は、同じく金色の光をたずさえていた。

 何度見ても魔法みたいだと思いながら、私はピーチソーダをリクエストする。



 私がこの奇妙な儀式に立ち会うようになってから、もう半年程が経つ。

 友達とテーマパークに行くことになり、お小遣いが少ない私がバイトを探していたところたまたまこの店がヒットしたのだ。暇人の私はメッセージを入れたその日の内にここを訪れ、そしてこのひとと出逢った。


「月の雫をあつめてきてくれませんか」


 リドと名乗ったそのひとは、自己紹介も程々にそう言った。

 その長く伸びた前髪のせいで表情がよく読み取れない。でも、その穏やかな声音こわねからなんとなく悪いひとじゃないような気がして、私は詳しい内容も聞かずに「いいですよ」と答えた。

 すると、リドは「えっ」と驚いたようなリアクションをする。


「まだ細かい説明をしていませんが、大丈夫ですか?」

「別に。面倒な内容だったら即辞めればいい話なので」


 そう答えると、リドは少しだけ寂しそうに「即辞めるんですか」とつぶやいた。

 そのねたような言い方がなんだか可愛く思えて、「じゃあ、できるだけ辞めないようにするので説明してください」と促す。


 話を聞いたところ、リドは月からやってきた月の住人だった。

 月は日々太陽の熱で少しずつ溶けていて、放っておくとどんどん小さくなってしまうんだそうだ。その溶けて地球に降り注いだ雫をあつめて月にかえし、月の消失を防ぐのがリドの仕事なのだという。


「僕の担当エリアがこの一帯なので、あなたにはお手伝いをお願いしたいんです」

「別にいいですけど、月の雫ってどこにあるんですか? 私地球人だから、ちゃんと見付けられないかも」

「大丈夫です、とりあえず目に付いた金色のものを週に一度持ってきてください。大体金色のものには月の雫が降りかかっているので」

「えっ……それだけ?」


 念のため確認したが、純金等ではなく金色でさえあればいいらしい。ゴールドのグッズは流行っているのでまぁまぁ持っているし、この前誕生日プレゼントでゴールドのリップももらったばかりだ。

 バイト代も悪くない上に購入費用は全てリド負担、使用済のものは持って帰っていい――その説明を聞いた私の目が輝くのを見て、リドが慌てて「限度額は1回3,000円、それを超えたら自腹です」と付け加えてきた。女子高生の手にかかれば3,000円でプチプラ商品を探すなんて余裕すぎる。


 そういうわけで、私はリドの店でバイトを始めることにした。

 もらったお金でゴールドのグッズを買い、水曜日に店に持っていく。リドが月の雫をあつめたら領収書とお釣りを渡し、また3,000円を受け取ってその日のバイトは終了だ。

 ちなみに、月の雫をあつめたリドの金髪は、次の週になると黒髪に戻っている。仕組みはよくわからないが、月の雫を還すと色が戻るらしい。本当に魔法みたいな話だ。


「それで、今日は何の話を聞きたいの?」

「そうですね、今日はこの星に咲く花の話を聞きたいです」


 一仕事終えたあと、ふたりでお茶をするのが私たちのルーティーンだ。

 リドはこの店に閉じこもってばかりで知らないことが多く、地球について色々なことを質問してくる。最初は私も月の話を聞きたいと思ったけれど、「月にはなんにもないです」と冷めた眼差しで言うので、私も話を振らなくなった。

 ふたりで話をしていると、普段あまり表情の変わらないリドが少し嬉しそうな顔をする。その穏やかで控えめな笑顔が私は好きだった。


「――あ、もうこんな時間」


 お茶をしているとあっという間に閉店時間の18時を迎えてしまう。

 慌てて帰り支度じたくをしていると「急がなくていいですよ」と言われるけれど、リドに迷惑をかけたくない私は足早に出口へと向かった。


「じゃあリド、また来週」

「はいシオリ、また来週」


 手を振るリドを目に焼き付けて、私はドアを閉じる。

 駅までの道を歩きながら、私は鞄からポーチを取り出した。月の雫をうしなったポーチは見る影もなく暗い色に沈んでいて、帰ったら缶バッジでも付けて可愛くしようと思いながらも、私は頭の片隅でリドのことを考える。


 店を閉めたあと、リドはあつめた月の雫を還すため月に帰らなければならない。

 ワープホールで行って帰ってくるだけだがまぁまぁ時間がかかるらしく、一度「シオリみたいにおしゃべりな子がいれば退屈しないんですが」とぼそりと言われたことがある。その時は思わず気が動転して、「別に私お喋りじゃないし」とつい言い返してしまった。


 ――リドが来てほしいなら、一緒に行ってあげてもいいよ。


 素直にそう言えば良かった――そんなことを考えながら、私は駅の改札口を通り抜ける。


 ***


「シオリ、まだあの謎バイトやってんの?」


 友達のエマがパンをかじりながらスマホを眺めながらマスカラを塗りながら言う。毎度思うが、随分と器用なことだ。

 私が「まぁね」と答えてジュースをすすると、同じく友達のアリィが「ちょっとエマ」と苦々しい顔をした。


「食事中にメイク直しするの行儀ぎょうぎ悪い。腕が4本あるからって何やってもいいわけじゃないの」


 「ごめんごめん」と笑いながらマスカラをしまうその仕種しぐさには茶目っ気がある。エマは初めて逢った時からフレンドリーで、話していると違う星生まれだということなど忘れてしまう。

 それは、このしっかり者で面倒見の良いアリィも同じだ。彼女は「全くもう」と言いながら、私と同じ位置プラスおでこにある合計3つの目をぱちぱちと瞬かせた。


 私の住む街には沢山の宇宙人たちが住んでいる。私にとっては当たり前のことだけれど、隣町に住んでいるおじいちゃんが子どもの頃には考えられなかったことらしい。

 歴史の授業は苦手なのでよく覚えていないが、およそ70年くらい前に太陽系の星たちの間で友好条約が結ばれて、それぞれの星に住む人々は互いの星を行き来することができるようになった。


 この地球と言う星は、私たち地球人だけでなく他の星の人たちにとっても随分と住みやすい場所らしい。

 火星人のエマは、ご両親の代に移住を決めて家族皆で地球にやってきた。この前の進路調査でも地球の大学を受験すると言っていたので、暫く火星に戻る予定はなさそうだ。

 一方、エウロパの住人のアリィは、木星からの実習生として一人で地球を訪れている。木星の衛星であるエウロパはアリィの話によるとド田舎らしく、地球で科学技術を学んで母星の発展に活かしたいという。

 それぞれタイプは違うけれど、高1の時同じクラスになって以来気が合っていつも一緒にいる。


「まぁ変わったバイトだけど、バイト代も高いし楽だし、なにより戦利品ももらえるしね」


 私は黒くなったポーチを開き、中からのど飴を取り出してふたりに差し出した。

 「さんきゅー」とエマが包紙を取って飴を口の中に放り込む。一方、アリィは「ありがとう」と微笑んでから、ポーチを見て少し表情をくもらせた。


「それ、本当に真っ黒になっちゃったね。昨日まではゴールドだったのに」

「店長、月の住人だっけ。変わった能力というか何というか」

「まぁ黒くなっても使い勝手は変わらないし、店長――リドっていうんだけど、悪いひとじゃないから」


 そう言って私が笑うと、エミとアリィが顔を見合わせる。

 そして、おもむろにアリィが口を開いた。

 

「――ねぇ、シオリ。あの店ちょっと変な噂あるから気を付けてね」


 思いがけないアリィの言葉に、私は「変な噂?」と問い返す。

 隣を見ると、エマも神妙な顔付きをしていた。アリィが続ける。


「うん。なんか、あの店でバイトできるのは地球人の女子だけで、店長に気に入られたら月にさらわれちゃうんだって――聞いたことない?」


 私は目を丸くした。

 確かにリドから、月の雫の濃度を維持したまま運べるのは月の住人を除けば月のついとなる惑星の者――つまり地球人だけだと聞いたことがある。ただ、それを求人情報に明記すると人種差別と捉えられる可能性があるため、あえて書いていないということだった。

 それにしたって、月に攫われるというのは酷い。一体誰がそんな噂を流したのだろう。

 「なにそれ」と怒りのにじんだ声をらしたあとではっと我に返ると、目の前のふたりは心配そうにこちらを見つめていた。私は慌てて笑顔を作る。


「ごめんごめん、心配かけて。今のところ大丈夫だけど、やばそうだったらすぐ辞めるから安心して」

「ううん、私の方こそ変なこと言ってごめん。ただの噂だとは思うけど、ちょっと心配になっちゃって」

「アリィは心配性だもんね。ねぇシオリ、今の店辞めたら私のバイト先に来ない? まかないでラーメン食べられるから最高だよ」

「本当エマってラーメン好きだよね」


 そう言って3人で笑い合いながらも、噂のことが頭から離れない。

 私は木曜日である今日もリドの店に行くことを決意した。


 ***


 水曜日以外のタイミングでここを訪れるのは初めてだ。

 店のドアに手をかけようとしたところで、その先に人の気配を感じた私は即座に目の前のドアから離れる。


 すると、次の瞬間ドアが開いて中から女の子が出て来た。

 うちの学校の制服だ――そう気付いて顔を見た瞬間、私は固まる。その子は隣のクラスのミズノさんだった。校内でも美人で有名な彼女は、地球人のみならず他の星の学生たちからも羨望せんぼうの眼差しを向けられている。


 そんな彼女が、泣いていた。


 ミズノさんは私の存在に気付かないまま走り去る。

 そして我に返った時には、ドアは再度閉ざされ私の前に立ちはだかっていた。


 すっかり出鼻をくじかれた私は、すごすごと駅までの道を引き返す。そのかんも、今見た光景が頭から離れなかった。

 そもそも、リドの店でバイトしているのは私だけじゃない――よく考えれば別におかしいことでも何でもないのに、何故こんなにももやもやするのだろう。地球人なら誰でも月の雫をあつめることはできるとわかっていたはずなのに。


 ――そう、私はリドにとって特別な存在なんかじゃない。


 胸の奥がちくりとする。それと共に、他にもあの店でバイトしている子がいるのだろうかという疑問が頭をもたげた。

 私は改札口を通りながら、明日も店に行ってみようと決意する。



 ――結果、リドの店には日替わりで地球人の女子たちが訪れていた。

 私と同じ学校だったのはミズノさんと月曜日の子。その他の曜日の子たちは顔を見たことがないので、多分別の学校だろう。共通点は皆とんでもなく可愛いことだ――そう、この平凡な私を除いて。

 決まって16時前後に店から出てくる彼女たちを憂鬱な気分で眺めている内に、次の水曜日がやってきた。


「こんにちは、シオリ。今日はいつもよりゆっくりですね」

「たまにはそういう日もあるよ――はい、今日の分」


 私は金色のペンダントをテーブルの上に置く。今右手に付けている指輪とのセットアクセサリーで、しめて5,500円――来週分と合算すれば予算内だ。

 私はリドがペンダントに口付けてその髪が金色に染まっていく様子をじっと眺めていた。魔法みたいに綺麗な儀式――でも、これを見られるのは私だけじゃない。

 月の雫をあつめ終えたリドと目が合う。視線をらして黙っていると、リドが口を開いた。


「少し元気がないようですね。今日はもう帰りますか?」

「……」


 すると、黙ってうつむいている私を置いてリドが立ち上がり、カウンターの奥へと消えて行く。

 そこから10分――もう戻ってこないと思っていたら、視界にいきなりマグカップが差し出された。顔を上げると、こちらを見下ろすリドがいる。


「シオリのお口に合うかわかりませんが、よろしければ。月の飲み物です」


 私はマグカップを両手で受け取った。中に入っている液体は透明だが、揺れるときらきらと控えめな光を放つ。おそるおそる口に運ぶと――あたたかさと共に、穏やかな甘さが口の中いっぱいに広がった。


「……おいしい」


 そう言ってリドの顔を見ると、リドは穏やかにその表情をほころばせる。


「僕も子どもの頃からよく飲んでいました。落ち込んだ時、これを飲むと元気になるので」


 そして、リドは自分のことをゆっくりと話し始めた。

 子どもの頃から地球に憧れていたこと、その後ご両親が事故で亡くなり生きていくために様々な仕事をしてきたこと、働きながら勉強を続けて今の会社に就職し地球に来たこと、けれど地球の重力が月より重くなかなか自由に動けないこと――初めて教えてくれたリドの話を、私はただうなずきながら聞いた。

 一通り話し終えたところで、リドが私を見つめて言う。


「僕はシオリに感謝してるんです。憧れの地球に来られただけでも幸せですが、シオリは僕に色々なことを教えてくれるから――あまりそうは見えないかも知れませんが、僕は毎週水曜日を楽しみにしているんですよ」

「……ふぅん、そうなんだ」


 なんだか照れくさくなって、私は持っていた飲み物をもう一口飲んだ。

 寂しくしおれていた心は、飲み物とリドの言葉のお蔭で優しくいでいる。


 そして――やっぱり私はリドのことが好きだと思った。


 ***


 翌日、学校から帰ろうと校門を出たところで、ばったりミズノさんと逢う。

 一瞬目が合ったあと駅と反対側に行こうとする彼女を見て、私は思わず声をかけてしまった。


「あの、リドの店行かないの?」


 私の言葉にミズノさんの顔が冷たさを増す。美人だからこそ余計にその表情の変化が怖くて、私は思わず息を呑んだ。


「何、あなたもリド目当て? 言っておくけど、無駄だからさっさと辞めた方がいいんじゃない。私ですら全然相手にされなかったんだから」

「……え?」

「ていうか信じられない。『月に攫われる』っていう噂知らないの? 普通そんな店でバイトしないでしょ」


 そう言ってため息を吐くミズノさんを見て、頭の中のピースがぴたりとまる。

 ミズノさんがあの日泣いていたのは、リドにふられたから? そして――


「――もしかして、あの噂流したのって」


 その先を私が言う前に、ミズノさんは速足で立ち去ってしまう。

 残された私は呆然としていたが、このままだとリドが月の雫をあつめられないことに気付き、慌てて店に向かった。



 古びた重いドアを開ける。昨日来たばかりではあるけれど、曜日が違うだけで何だか自分が招かれざる客になったような気がして、なんだかドキドキした。


「……リド?」


 勇気を出してその名を呼ぶと、カウンターの奥からゆったりとした足音が近付いてくる。

 そして顔を出したリドは、私の顔を見て随分と驚いた様子だった。


「シオリ……!? なんで――」

「ミズノさんが来られなさそうだったから来ただけ。迷惑だった?」


 すると、リドが慌てたように「いえ、迷惑ではないです」と言う。それがなんだか嬉しくて、私は思わず笑ってしまった。


 そして――来る途中に考えてきた作戦を決行することに決める。


「それで、今日は何を持ってきてくれたんですか?」

「うん、今日はこれ」


 私はポーチの中から、エマとアリィにもらったゴールドリップを取り出した。ふたりが奮発してプレゼントしてくれたまばゆいそのリップスティックは、私の一番のお気に入りだ。

 キャップを取って中身を繰り出すと暗い店内できらきらときらめき、そのまま私は自分の口唇くちびるにリップを滑らせる。元々リップクリームで色付いたアプリコットピンクの上に、上品なゴールドを綺麗に載せて――そして私は、リドの隣に座って顔を上げた。


「――はい、どうぞ」

「……はっ……えっ!!?」


 リドが目に見えて動揺する。私は余裕の笑みを浮かべてみせる――が、実のところ心臓はバクバクだ。

 キスなんてしたことないし、そもそも彼氏がいたことだってない。


 ――でも、リドのことが好きなのだ。


 ミズノさんみたいに美人じゃない私のことなんて、きっと恋愛対象外だろう。

 それでも、好きなひとに触れたいと思うのは、わがままだろうか――私はそれこそ、魔法にかかったみたいにリドに顔を近付けた。


「ほら、月の雫あつめないの?」

「いや――シオリ、待ってください」

「何で? ちゃんと立派なゴールドだよ」

「せめて、その――リップの方を」

「リップは駄目。友達からもらった大事な誕プレなんだから――ねぇ」


 私はリドの長い前髪の隙間から、黒い瞳を見つめる。


「私、リドのことが好き。だからお願い」


 その瞳が揺れた次の瞬間――視界がリドの顔でいっぱいになり、口唇にちょん、とやわらかい感触があった。


 ――しかし、そのままリドは私の右手を取って中指に嵌められた指輪に口付ける。

 そのかん、わずか1秒。


「――えっ」


 ぽかんとした私の前で、リドの髪が金色に染まっていく。その様を私はただ見つめることしかできなかった。

 指輪が完全に光を喪ったところで、リドが私の手を離し、ため息を吐く。


「……リド?」


 私の呼びかけにリドが顔を上げた。

 金色に染まった瞳が私の顔を捉え、そして――リドがおもむろに口を開く。


「――シオリ、僕はあなたのことが好きです」

「――えっ、嘘!!?」


 思いがけない言葉に絶叫すると、リドが少し憮然ぶぜんとした表情で「嘘じゃありません」と口を尖らせた。


「言ったでしょう、僕は毎週水曜日を楽しみにしていると。月の雫をあつめるために地球人の皆さんに協力をお願いしていますが、仕事が終わったあともずっと一緒にいるのはシオリだけです」


 混乱する頭の中で必死に記憶を辿たどってみる。言われてみれば、確かにどの子も16時過ぎには店を出てきていて、私のように閉店まで居座っていた子は誰一人としていなかった。

 そのかんもリドのお小言こごとは止まらない。


「そもそもシオリは乱暴すぎます。月の雫をあつめたら、そのあとどうなるか忘れたんですか? 僕はあなたの口唇から光を奪いたくないんです」

「――あ、そっか」


 そこまで深く考えていなかった。

 そんな私を見て、リドがもう一度大きなため息を吐き――そして、ぽつりと呟いた。


「だから――するなら、今度はきちんとしましょう」

「……えっ」


 驚いた私が顔を上げると、リドの顔が近くにあって私は思わず息を呑む。

 鋭い眼差しで見つめられて、胸の鼓動が一気に速まった。思い返せば、私はなんと大胆なことをしてしまったのだろう。

 そのままドキドキしながら見つめ返していたら――真剣だったリドの表情が、ふるりと震えてから笑みに崩れた。


「まぁ、シオリの心の準備ができたら、ね」


 ――もしかして、からかわれた?


 そう気付いた瞬間頬が一気に熱くなり、私は「リド!」と声を上げた。そんな私を見て、リドが笑う。

 その楽しそうな笑顔を見ていたら――なんだか怒っているのがばからしくなって、私も一緒に笑ってしまった。


 まるで、リドの魔法にかかったみたいに。



(了)

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