第5話 友愛と信頼の青春
入学初日もそろそろ終わる。食堂でのささやかな歓迎パーティーも閉会し、新入生たちはこれから過ごすこととなる学生寮の自室へと向かう頃。とっくに日の暮れたそんな時刻に、アルトはやっと目を覚ました。
「…………負けた」
腕と腰に微かな痛み。数時間前の敗北で得た不名誉の負傷。だが身体は軽く、傷跡もあまりない。
「回復魔法」
不意に横から声をかけられ、驚きのあまりにアルトは小さな悲鳴を上げた。
声をかけた本人──セクレタ・アーシスはかえってその反応に驚いてしまう。自分の気配など彼ならとっくに察知しているはずという、奇妙な信頼があったからだった。
「ごっ、ごめんね驚かせて。回復魔法、保健の先生がかけてくれたんだよって、伝えたくて」
「君は」
「セクレタです。ほら、先輩の座談会で同じテーブルだった」
「………?」
上体を起こし声のする方を見つめてみるがよく見えない。それもそのはずで、彼は眼鏡を掛けていない。
「あぁ眼鏡。バラバラになってたけど、なんとか直せたよ」
像が近づき、それが渡される。見慣れた黒縁眼鏡を手に取りかけると、そこには見覚えのある人の良さそうな少女がいた。
「………あっ!」
「あはは、相当視力悪いんだ」
「うん、かなり」
クリアな視界を取り戻し周囲を見回すアルトだったが、室内に2人以外の気配はない。
「保健の先生はどこに?」
「帰っちゃった」
「そんな無責任なこと」
「でもですよ」
セクレタは苦笑とともに、カチコチと行儀よく時を刻む壁掛け時計を指さした。そこへ目をやり、やっとアルトは自分がどれほどの間気絶していたのかを知ることとなる。
「……アーシスさん残ってくれたんだ。俺のために」
「メル先生──保健の先生とは知り合いなんだ。それで『学年も同じだし、あんたが見てろ』って言わて……だから自発的なアレじょなくて……いやでも一応残ってはいたけど。あはは……」
「ありがとう、迷惑かけてごめん。しかもバキバキに壊されたはずの眼鏡まで……。本当にありがとう!」
「いえいえ。感謝されるほどでは」
困り眉の彼女は頬赤らめてはにかみつつ前髪を整える。何となく女の子らしいその仕草に、思わずアルトは数秒見惚れた。
「どう、立てそう? 歩ける?」
「──うん。もう大丈夫」
若干の痛みは残るものの、いちいちそんなことを口にするほどアルトは女々しくない。すんなりと立ち上がり、心配いらないことをセクレタへとアピールする。
「何ともない」
「よかったぁ。寮まで送るね」
「そこまでしてもらわなくたって」
「どのみち同じ道で帰るんだから。ついでだよ」
「………あ。そっか。そうだよな」
セクレタの振りまく人の良さにアルトはすっかりあてられて、持ち前の対人コミュニケーション能力の低さは鳴りを潜める。
「むしろ俺がアーシスさんを送ってあげなきゃいけない立場か」
「ラインくんに守ってもらえるなら安心だね」
「そうかな」
ふたりはぽつりぽつりと道を照らす灯りを頼りに、生活棟の学生寮へと歩みを進める。
「起きた第一声が『負けた』だったね」
「聞いてたの?」
「ごめん」
セクレタの言葉を受け、聞かれていたことへの羞恥がアルトの中に湧く。しかし今更取り繕える状況にもなく、彼は恥をかき捨てるつもりで正直な心境を吐露した。
「勝たなきゃいけなかったのに……でも負けた」
「勝たなきゃ?」
「ああいや。気持ちの問題。そういうつもりだったんだ、この学園では負けないぞって」
「すごい心がけ……でも仕方ないよ。相手先生だし、しかも元プロ」
「仕方ないことなんてない。この世には……仕方ないことは存在しないんだ。準備不足か選択ミスか、その両方の積み重なりのどれかしかない」
「…………」
今回はそのどちらともである。アルトはそう認識していた。単純にウィザーズの場数が足りていない、経験という名の準備不足。そして自身の強みである魔法の速効性を活かしきれなかった、対戦中の選択ミス。
「負けるべくして負けた。勝てると思ってた俺は不遜だったんだ」
「あっ、エルハ先輩に言われたの気にして」
「言われたとおりだなって思って反省してる」
「でもラインくんはクローニャさんに勝ったんだし、強いのは間違いないよ」
「ミスタリアさんかぁ」
「そうそう。あのあとクローニャさん、カーティス先生に勝ったんだよ」
「…………!」
アルトの足が止まる。
「戦ったの、ミスタリアさん」
「うん」
「どうして」
「単位が欲しいからって言ってたけど……けど、だよ。たぶん仇討ち」
「仇討ち?」
「ラインくんの」
「俺の?」
「うん」
セクレタは恥ずかしそうに、しかし誇らしげに語る。
「わたしクローニャさんとは昔から……その、知り合いで。あの人とっても誇り高いの。クローニャさんとしては『自分に勝った相手が別の人に負けたこと』が許せなかったんだと思う。だから、仇討ち」
彼女の気高さ、プライドの高さはアルトも知るところだ。セクレタの言う事が事実かどうかはともかく、話に説得力はあった。
「すごい人だ、クローニャ・ミスタリアさん」
「そうなの。すごい人。本当に」
「アーシスさんはミスタリアさんのこと好きなんだね」
「……うん。友だちみたいに思ってる」
違和感のある言葉。
だが底冷えする夜風がそんなものを吹き流してしまって、結局アルトは何も言えない。
「あ、それでね。明日からの授業とか──」
……しばしの間そうして語らううちに、ふたりは寮の前までやってきていた。
「女子寮あっちだから」
小さく手を振る彼女に手を振り返す。
「おやすみ、アーシスさん」
「セクレタでいいよ」
「じゃあ俺も、アルトで」
「分かった。アルトくんもおやすみ」
「………また明日、セクレタさん」
人生で初めて、アルトは家族以外の異性から名前で呼びあった。
「すごいな、これが女子……かわいい!!」
世間知らずにして人付き合いの苦手な彼にとって、この日貴重な青春の1ページが綴られたのだった。
無杖無詠唱の無双夢想 有機栽培無機質 @Repop44
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