第4話 敗北と勝利の逕庭
ついに授業がはじまる。
1年生たちの最初の科目はウィザーズ実技。初回から3回は全員合同で行う特別授業として企画されており、中庭のウィザーズ用コートご集合場所となっていた。
本科目の担当教員、カーティス・リードは強面だが天才でもある。
彼は理事長ロミオ・アヴァラルドに誘われ、ここで教鞭をとるにあたり選手を引退した元・アスリート。教える側に立つに値するだけの実戦経験を持つ男だ。
とはいえ活躍した時代はとうに三十年も前のこと。還暦を過ぎ衰えた体と凝り固まった思考とで、現代の魔法戦闘を語るには限界がある。それでもなお彼が教員として、よれたジャケットに重なり合う2枚羽根のエンブレムを付け、学園生たちの前に経ち続けるのは、未だ「強いから」だ。
クローニャ含め、先程まで行方をくらましていたアルト以外の黒服4名もみな集結している。本来授業の参加も任意である彼らが足を運ぶほど、カーティスの授業の注目度は高い。
「この中に」
腰の高さまである長杖をつきながら、ウィザーズ専用のコートの中心へと向かっていくカーティス。力強く堂々とした歩みだ。背筋は定規でも当てたかのように真っ直ぐで、歩行に杖が必要ないのはすぐに分かる。
その無用の長物こそが、彼の「魔法の杖」だ。【コルボーワークス】製競技用「魔法の杖」、名をガンドボルト。四半世紀以上前に発売されたモデルのそれには、歴戦の傷がおびただしく残っている。
「既に学園でウィザーズをした者がいるらしいな。すばらしい、血気盛んで、若さに満ち溢れている」
カーティスはガンドボルトを軽々と片手で振るい、詠唱する。
「『大いなる地の壁よ、我を護れ』」
ぐるりと円を描くように回り、「杖」で魔法を行使する座標を指定。するとウィザーズ用コートの四方の地面が奈落から迫り上がるように伸び、コートを取り囲み覆う壁となった。校舎を傷つけないための防護壁である。
「だがそんなこたぁどうでもいい。おれに言わせりゃ今のウィザーズってのは早口言葉大会だ。『杖』は進化して枝のように細く小さくなった。詠唱はどんどん短くなる。防御魔法も基本的にどの『杖』でも使えるようになったうえ、ルールの改正でウィザーズ前から使用できるようになった」
彼はそう言って、杖で地面を4度叩いた。壁へ向いていた学園生たちの意識がそちらへと戻って来る。
「ぬるい。おれが教えるのは早口言葉じゃない。ウィザーズというスポーツでの勝ち方だ。お前らは戦い、学び、強くなる。それを教えるのがおれの役目だ」
抜き身のナイフのような鋭い眼差しが新入生たちを見渡す。
誰かを、探しているようだ。
「もっと昔、おれすら生まれるずっと前。『杖』すら無かった時代……人間は魔法を使えるものとそうでないものの2種類だったらしい。なぁアルト・ライン!」
ビクゥッ、という反応。
大声で呼ばれた彼、アルトは肩を竦め目を見開き、青い顔で
「ひぁ、はい」
と間抜けな返事を寄越した。
「上がれ!」
「な、え、どこに」
「コートに上がれと言っている!」
土壁に反響する怒声にも似た呼び声。やむなく、アルトはカーティスの立つコートへと恐る恐る踏み入った。
「おれとウィザーズするぞ」
「えっ、何故です」
「理由がないと戦えないか?」
「もちろんそうですけど……!?」
困惑気味のアルトを見てカーティスはニッと笑った。彼が思い描いていたより、アルト・ラインはずっと子供らしかったのだ。
「お前面白いな。よし分かった理由をやる。勝てたらこの科目の単位をくれてやろう。もう授業には来んでいいしテストも免除してやる」
ガンドボルトがアルトを向いた。
「逃げるわけないよな。無杖無詠唱、『最速の勝利者《ザ・ファーストスター》』」
不遜。
そんな言葉がアルトの中でリフレインする。なぜならその時、彼は「勝てるかもしれない」と確かに思ってしまったからだ。
「負けても減点なしとする。どうだ、いよいよ逃げる理由もないな?」
提示された条件も悪くない。そして何より、挑まれたからには戦ってみたいというのがアルトの本音でもあった。
「………わかりました、やります」
「成立だな。これをもって【宣戦布告】とする。『我が身を守る盾を』」
──3秒。短くも長い一瞬が経過する。
アルトが手のひらを前にかざした、次の瞬間だ。
「座標の指定は手か」
すぐ近くで唸るような声。
カーティスはそこにいた。
アルトの左前方、すぐ眼の前に深い皺を刻む男の顔がある。まるで地を縮めたかのような速度での移動。一体いつ動き出したのか。何歩で距離を詰めたのか。コートの外から見ていても見逃すほどの身のこなし。
それを可能とするのは単純な身体能力の高さ、魔法に頼らない人体そのもののパワー。
確かにカーティスは老いた。全盛期と比較すれば、間違いなく弱くなっている。
それでも、なのだ。
──魔法を使うと体力を消耗する。
これは体内を魔力が循環する際、微量ではあるが熱エネルギー、つまり体温を奪ってしまうためである。これは例え「魔法の杖」を使おうが使わなかろうが関係ない、誰しも共通、普遍の法則。
魔法戦闘競技ウィザーズにおいて、体力がある方が有利であるのははるか昔から揺るぎない。
カーティスは齢60を超えなおコートの上に立つ。それが示すのは、彼の絶対的なフィジカルの強さ。
若さと魔法の行使までの速度で勝るアルトだが、身のこなし、経験、判断力では圧倒的にカーティスに劣る。
さらに無杖無詠唱を知らなかったクローニャとは異なり、今回の相手は事前知識もある。当然そこを踏まえた戦いを仕掛けてくる。
「速……っ」
「『大いなる地の壁よ──』」
聞き覚えのある長めの詠唱。土の壁を生み出す魔法が来ることはアルトにも予測できた。しかし。
(壁で俺を包囲か? それとも壁で押し潰す? あるいは単なる防御のための……?)
土壁の魔法の汎用性と、彼の考えすぎる性格が迷いを生む。到底アルト程度の経験値では判断を誤る。
恐怖と警戒心が、最大の攻めのチャンスを自ら捨てさせる。
「くッ」
氷魔法を足元に連続して放ち、それを足場として上へ。下から来るであろう土壁の攻撃を回避しつつ位置的有利を取る、立体的な動きかつ懸命な判断ではある、が。
「『我を護れ』」
カーティスの杖は彼の足元を指した。地面がせり出し、彼の体は持ち上がって瞬く間にアルトと目線が並ぶ。
攻撃のための魔法を放つべくアルトが手を掲げようとするのだが、カーティスはガンドボルトで殴り、物理的にその手を下げさせた。
大きな氷の塊が半端な位置に生成され、そのまま地面に落下し砕け散る。
「───痛ッ、暴力!」
「物理的な攻撃は禁止されていない。知ってるだろ」
「まさか、だから」
敢えての長杖、ガンドボルト。
武器の持ち込みが禁止とされるウィザーズにおいて、鈍器としては最高峰。歴戦の傷も頷ける。
「存外勝ち筋はあるな」
アルトが再び手を掲げるのをカティは見逃さない。彼へと飛びかかり、二人して地面に落下していく。
「防御魔法はかけてあるだろう」
「……っ、これヤバ──」
「『大いなる地の壁よ、我を護れ』!」
落下する先の地面が迫り上がってくる。比喩でなく、地面「が」近づいてくる。
そのままアルトは地面に叩きつけられ──否、叩き上げられる。黒縁のメガネが割れる音と同時に、見ていた学園生数名から悲鳴のようなものが上がった。
痛みで顔を歪めるアルトの上に跨り、カーティスが彼の両の手を掴み、力尽くでぐっと地面に押し当てた。
「杖を持たないなら、これで負けということになるな、アルト・ライン」
「う………っ、がはっ」
「すまんすまん」
優しく囁くような謝罪とともに彼から手を離すと、カーティスは立ち上がり告げる。
「見たかお前ら。おれの授業さえ受けりゃ、お前らでも『無杖無詠唱』に勝てるようになるってことだ。たったひとつの詠唱でな」
微かにざわめきが生まれた。何人かは目の色を変えた。闘志。やる気。そう呼ばれるものが宿った色だ。
「そして、コイツも決して特別な男ってわけじゃない。勝てる相手なんだ。ビビる必要はない、ともに高め合う仲間なわけだ」
誰もが高揚のあまり何を口にするべきか迷い、押し黙る。
「先生」
そんな中、よく通る声が静寂を切り裂いた。
まっすぐな挙手。まっすぐな視線。クローニャ・ミスタリアはそこにいた。
「ワタシにも、同じ条件でウィザーズをお願いできますでしょうか」
彼女を認めたカティは呟く。
「………オッドアイ、ミスタリアの娘か」
「お願いします」
無論、カーティスにはそんな申し出を受ける理由はない。
逆に──アルトを文字通りに叩きのめしたのには理由がある。他でもない、カーティスの強さを知ってもらう機会を作るためだ。
特待生、しかも無杖無詠唱、おまけに入学初日からウィザーズに勝利……そんな常識外れをいとも簡単に、それこそ大人気なく倒す。そうすれば自分にもできるかもしれないと、教え子たちのモチベーションが上がる。
加えて、敗北する姿を見せればアルトも周囲に馴染めるだろうという、カーティスなりの大人の配慮もあった。
全ては演出である。そのために必要な一戦だったのだ。
ではクローニャはどうか。
黒服ではある。毎年のように彼が叩きのめす新入生と同じ色の制服を身に付けている。しかし、彼女と戦うメリットはカーティス側には何も無い。もう演出は終わったのだから。
それより何より、彼女はアルトに負けている。今しがた彼が負かした男に、既に敗北を喫しているのだ。
「なぜおれと戦いたい。いや違うな……聞かせてくれ、なぜ勝てると思う。どういう理屈だミスタリア。お前は俺より弱いこいつに負けたんだぞ」
「戦いたい理由は単純です。単位が欲しいから、それだけです」
彼女は憶せず述べる。
「ワタシ、全科目マイナス100点からのスタートなものですから。勝てるかどうかなどは問題外、考える
「焦るな。普通に授業に出て、普通に学べばすぐにマイナスを取り返せる。黒服のお前にはそれだけの技量も才能もあろう」
「いま単位が欲しいのです」
「……そんなにおれが嫌いか?」
「いいえ。嫉妬です」
ほんの一瞬だけ、クローニャはノックアウト状態のアルトを一瞥した。
「ワタシは知っている。アナタが最初の授業でどういう生徒を選ぶのか。そしてアナタはその男を選んだ」
ふーーーーーっ、と息を吐く音。
「先輩から聞いて知っています。本当なら、その役目は彼でなくワタシのものだった」
「なるほど。自分が1年生の中で一番だと?」
「はい」
それは傲慢である。しかし誇りでもある。彼女の言葉は、少なくとも彼女の中では真実だった。そこに後ろめたさなどない。故にクローニャは全く動じない。堂々と、神にでも胸の内を告げるように、彼女は真実と思うことだけを述べた。
黒服のうちの何人かが不満そうに、或いは苛立ちの表情を微かに覗かせるものの、異議を唱える声はなかった。
「………上がれ」
その静寂を良しとして、カーティスははクローニャへと呼びかける。
「ついでだ。指導してやる」
「ありがとうございます」
「アルト・ラインとは違う。お前から挑んだんだ、負ければきっちり減点を入れさせてもらうが」
「もちろんです」
カーティスはジャケットについた土埃を払い、アルトと、粉々になった彼のメガネを雑に放り出す。その後簡単な詠唱とともにコートを整地し、クローニャを招き入れた。
「細い体だ、飯は食べているのか」
彼のアイスブレイクにもならない問いかけにクローニャは
「セクハラです」
とだけ答える。
双方ともに既に逆鱗の探り合いが始まっているようにも思われた。
「先生からどうぞ」
「いいだろう。さあ構えろ、【宣戦布告】だ」
「『防御展開』」
「……『我が身を守る盾を』」
細くしなやかな指が、細い指揮棒のような「杖」を構える。
クローニャの「杖」、【黒猫工房】製キャットテール846号「シャノワール:モデルクローニャ」。彼女のためだけに作られた、最新鋭にして世界にたった一本の「杖」。
旧時代の量産品ガンドボルトと比較しても性能差は明らか。故にカーティスは闘志を燃やした。まだ心は老いていないと、彼はそのときはじめて自覚できた。
3秒、過ぎる。
「『上がれ』」
カスタムモデルゆえの短すぎる詠唱。カーティスの言うところの「早口言葉」が炸裂する。対抗すべく、彼は「杖」による座標指定を掻い潜るための移動を開始。連戦とは思えないほどの全速力でコート内を駆けた。
しかしクローニャの「杖」が指し示したのはカーティスの方ではない。彼女自身だ。
見えざる手に持ち上げられるように、彼女は中空へと浮上する。地面からおよそ5メートル。競技ルールにおいて空を飛べる制限高度、『飛翔限界点』として設定された5.2メートルギリギリを攻めている。
アルト同様に位置的な優位を取る戦術。相手が土魔法を使うと分かっているならば有効な一手になり得る。
「そりゃあ、さっきのを見てりゃそうするか。『大いなる地の壁よ──』」
「『燃やせ』」
「『──我を護れ』!」
ふたりの詠唱が重なる。だがその短さ故に、僅かに先に詠唱を終えたクローニャの炎が先んじてカーティスを取り囲むように走った。しかしそれを予見していたかのように、土の壁は炎をかき消しながら大地より現れる。
「時間差を把握して……?」
「舐めるなよ」
「……っ、『燃やせ』、『だんだん強く』」
荒々しい灼熱が正確にカーティスの位置を狙うものの、分厚い土の壁は炎を遮るには十分だ。防御魔法込みであと数分ならば問題なく耐えしのげる、カーティスはそう確信した。
「詠唱は単純に。範囲や強弱加減は音楽記号で指定。極めて合理的な『杖』のカスタム、まるでシャルウィンだッ」
「元・一流に褒めていただき光栄です」
「減らず口を。『大いなる──」
「『凄まじく強く』『上がれ』」
ボキリ、音を立て、土の壁が持ち上がった。
「な………っ!?」
驚愕も無理はない。
一般的に、詠唱の長さは魔法の強さに正比例する。クローニャの詠唱はどれも短い、それなのに。
「技術とともに時代は進歩する。ワタシの手の中にあるのはその最先端。申し訳ありませんが」
豪炎は彼女の詠唱通りに、時間とともにだんだん強くなっていく。防御魔法ありきとはいえその攻めは苛烈。壁を失ったカーティスはその熱に顔を歪めた。
灼熱を映す瞳は微かな煌めきを伴って、上空のクローニャに向けられた。
「……クソッタレ。強いじゃねぇか。負けたくせに」
「フゥーーーーーーーーっ、『燃やせ』『輝かしく』!!」
これでトドメだと言わんばかりの猛々しい詠唱が中庭に轟く。瞬間、青白い炎がカーティスを蕾のように包み込み始めた。同時に浮力を失った土の壁が、彼の頭上から落下する。
「ぬゥ、『獰猛なる大地よ──」
「アナタは時代遅れなのです、カーティス・リード先生」
「『──その荒々しき牙をもって、森羅を貫き万象を穿て』!!」
「くどいっ。『燃やし』『終われ』!」
瞬間。その一部始終を見逃すまいと注視していた生徒たちを熱波が襲った。クローニャの放った炎の魔法、それが開花するように炸裂し、絶大な威力を物語る凄まじい炎の熱を周囲へ撒き散らす。
その温度は誰もに彼女の勝利を確信させる。事実、カーティス・リードはその高熱の中心で前のめりに倒れ込んだ。
しかし彼が最後に放った魔法はまだ、終わっていない。
青い炎が消え、土の焼け焦げたにおいが充満するコート。赤い燻りがパチパチと音を立てる中、それは異様な存在感を放ち皆の視界に飛び込んできた。
「………………」
角。爪。あるいは牙。そう形容するより他ない形に隆起した土が、クローニャの喉笛を目掛け地より伸びていた。
意図的にその伸長が止まっている。あとほんの数センチで、彼女の首には風穴が開いていただろう。
「………………ははっ。おれの負けだぁ」
杖を放り、両手を地につけ、彼は汗だくになって笑っていた。心底楽しそうな屈託のない笑顔で。
「まさか殺しに来るとは思わなかったぞ」
「先生ならば耐える術をお持ちだと、信じていました」
「昔から防御魔法にはこだわりがあってな」
やや間があって。
「──知ってたのか」
「僭越ながらファンなもので」
「そうか」
「………勝たせていただき、ありがとうございました」
地に舞い戻り、彼女はカーティスへ深々と頭を下げる。美しいほどの最敬礼。しかしその手は握り拳となり、やりきれない怒りで震えている。
「買い被るな。負けたんだおれは。お前を信じることができなかったから負けた。約束通り単位はやる」
「……授業には顔を出します。必ず」
「良い心がけだ」
──クローニャ・ミスタリアは強い。
その日そのとき、新入生たちのほとんどがその事実を認めることとなる。
ならばそんな彼女に勝利したにも関わらず、いましたが保健室へと運ばれていく彼は一体………?
謎の「無杖無詠唱」、アルト・ラインへの興味関心を抱くものは、決して少なくなかった。
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