第10話 終章――ひたむきにひたくれなゐに 🌹



 城山公園のふもとに、地域ゆかりの三人の女性が眠っています。正鱗寺には齋藤史(享年九十三)、史より三年前に中国で生まれ、昭和二十三年にスパイ容疑で同国で処刑された川島芳子(四十二)。それより少し上方の市民の墓域には、史より二十年ほど先輩で昭和二十一年に福岡県立筑紫保養院で没した俳人・杉田久女(五十六)。


 春には全山を薄紅に染める満開の桜、やがて葉桜から万緑へと変わり、いよいよ深まるといち早く紅葉が始まり、枯れ葉の時期を経て長い冬枯れへ。お城を眼下にするやさしい丘はいつも季節を先取りし、ビル街や住宅街から仰ぐ市民の目を楽しませてくれます。生き方もさいごの様相も異なる土地ゆかりの三女性の魂魄を宿しながら。



      *



 急坂の途中に位置する中学の校庭の鉄棒は、西の空に連なる北アルプス連峰とほぼ同じ高さに見えそう。学校の敷地の西端は驚くほど急峻な懸崖絶壁で、そこに立つと整然とした市街地を縫う犀川が銀色の太い帯になって悠久の貫禄を見せ、相応な悲哀を伴う人間の営みはごくちっぽけなものであることを問わず語りに見せてくれます。


 何百年かのちにはそれぞれの道を懸命に生きた三女性の軌跡も地球の一部となって人為の記憶から消えているのかもしれません。まして、名もなきわたしたちは……。そんなことを考えながら、胸突き八丁(笑)の急坂を上りくだりするとき、それでも人間の営みは健気で清らか、尊敬にあたいするよね~、そんなことを考えています。



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――死の側より照明てらせばことにかがやきて ひたくれなゐの生ならずやも

  生れ来てあまりきびしき世と思ふな 母が手に持つ花花を見よ

  先行くも鬼と知りつつきて来し われの一期の身の捨てどころ

  南風に髪そよがせていつの日か 必ずかへる野に水も湧け

  乳のますしぐさの何ぞけものめき かなしかりけり子といふものは

  しなやかに熱きからだのけだものを 我の中に馴らすかなしみふかき

 


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――迂回路を通りしゆゑに琥珀いろの しあはせさうな雲に出会ひぬ

  たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも 悪事やさしく身に華やぎぬ

  つじつまの合はぬ月日を営為いとなみて 春夏たがはず着る薄衣うすごろも

  煌びやかに星座名を持つ天空に 無名の風の一族の過ぐ

  或る記憶欠落しゐて人の語る 片側とわれの側とことなる

  並び待つ人等のあとに従きて聞く〈さきの方に何があるのでしようか〉 

  おいとまをいただきますと戸をしめて 出てゆくやうにゆかぬなり生は

  老いてなほえんとよぶべきものありや 花は始めも終りもよろし

  死地いづこと決めざる軽さふるさとを 持たざるものは風のともがら




※参考文献 齋藤史・樋口覚『ひたくれなゐの人生』(三輪書房 1995年)

      澤地久枝『妻たちの二・二六事件』 新装版 (中公文庫 2017年)

      梯久美子『この父ありて 娘たちの歳月』(文藝春秋 2022年)




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ひたくれなゐ――小説・齋藤史 🌹 上月くるを @kurutan

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