第9話 日本芸術院会員・宮中歌会始の召人に 👗



 一九九三(平成五)年十二月、八十四歳の史は女性歌人で初めて日本芸術院会員に選ばれた。男性王国・アララギから「邪道歌人」と糾弾され六十余年後にして……。一九九七(平成九)年正月、八十八歳の史は宮中歌会始の召人めしうどに招かれた。お題は「姿」で「野の中にすがたゆたけき一樹あり 風も月日も枝に抱きて」を詠じる。 


「先導の案内で御殿の正面の大階段をのぼっていくとき、うしろの広場に居並ぶ軍服すがたが見えました。心のなかで『みんなで一緒に行こうね~』と呼びかけました。お誘いくださった道浦母都子さんに『よくお引き受けくださいましたね』と言われましたけど、世間の風評は気にしない、毀誉褒貶、いいわ、どっちでもと思いました」

  

 歌会始のあと、天皇から、お言葉を賜った。天皇「お父上は齋藤瀏さんでしたね、軍人で……」史「はじめは軍人で、おしまいはそうでなくなりまして。おかしな男でございます」 瀏の生涯を捻じ曲げたあの事件から六十余年を経て、ようやく天皇との確執(こちらが一方的に思っていたにせよ)がなくなったことを仏壇に報告した。

 


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 ――「おかしな男です」といふほかはなし 天皇がにこやかに父の名を言ひませり

   昭和終りてのちのきさらぎ二十六日 小雪のあとすこし明るむ

   歴史の陰のくらきあたりをさまよひて 廻る音ありしぼる声あり

   歴史とてわれらが読みしおほかたも つねに勝者の側の文字か

   正史見事につくられてゐて 物陰に生きたる人のいのち伝へず



      *



 一九九八(平成十)年、 『斎藤史全歌集』が紫式部文学賞を受賞してから四年後の二〇〇二(平成十四)年四月二十六日、生涯に十一冊の歌集を遺して史は逝去する(享年九十三) 。父に倣って飄々淡々と孤高の道を貫いた先駆的歌人は、齋藤家の菩提寺である正鱗寺(松本市)に、父・瀏、母・キク、夫・喬夫とともに葬られた。


 なお、戦時中、国粋的な制服短歌をたくさん詠んだ斎藤茂吉が「軍閥といふことさへも知らざりし」と注釈して平和な歌のみ収録したように、戦後、大方の男性歌人が自身の全集に戦時下詠を入れなかったが、齋藤史は「人間は迷い迷い生きるものですし、恥ずかしいけど、それもまた自分であるから」として戦時詠も省かずに収めた。

 


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――邪道短歌などと言はれし歳月の 古き写真も色変りたり

  恋のうた我には無くて 短歌とふ艶なる衣まとひそめしが

  楽しむことすくなく生きて きつぱりと〈短歌やめます〉とも言ひかねる

  心つくしてうたを憎めよ その傷の痛みすなわち花となるまで




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