いつまでも輝く母へ

野森ちえこ

平静の距離感

 ぼくはずっと、母さんの『影』だった。

 これまでそれを恨んだことはない。

 物心ついたときから『そういうもの』だと受けいれていたから。


 光があれば影が生まれる。

 母さんにとってぼくはいつだって失敗の象徴で、あやまちそのものだった。

 育てるべき子どもではなくて。

 愛する我が子でもなくて。

 ぼくは母さんの乗り越えるべき『過去』だった。


 母さんはたくさんの人を導く光で、希望で、その力強い輝きはくっきりと影をつくる。

 光と影は表裏一体。互いを切り離すこともできない。

 もがけばもがくほど苦しくなるだけだから、ぼくらは互いの存在を無関心に受けいれていたんだ。

 愛も憎しみも親子の情もない、ただそこにあるものとして視界のすみに置いている。それがぼくらにとって、もっとも平静でいられる距離感だったから。


 しかしぼくの彼女は、その距離をよしとしなかった。


 ——そんなのかなしいよ。血のつながった親子でしょう? 一度ちゃんと話そうよ。ね? 大丈夫。きっとすれ違ってるだけだから。


 両親からたっぷりと愛情をそそがれてきた善良な彼女は、家族神話の熱心な信者だった。

 自分が善で、正しいと信じきっている彼女にぼくの話は通じない。


 好きだったんだけどな。

 ごめん。

 きみとは家族になれそうもないや。

 あまりにもリアルに想像できてしまったから。

 ぼくと母さんを『正しくつなげる』ために奔走するきみの姿が。

 そんなきみに嫌悪感すら持つようになる自分が。


 わからないよな。

 ごめん。

 きみの正しさはぼくには猛毒なんだ。

 いびつなぼくをむしばみ腐らせる。

 だからもうぼくのことは放っておいてくれ。

 そして、きみの正しさを正しく受けとめてくれる誰かと、どうかしあわせになってください。



 いつまでも輝く母さんへ。


 ぼくはずっと母さんの『影』でしたね。これからもずっとそうなんでしょう。

 物心ついたときから『そういうもの』だと受けいれていたし、これまで恨みに思うようなことはなかったけれど。

 ぼくは今日、はじめてあなたをすこし憎いと思いました。


     (了)


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いつまでも輝く母へ 野森ちえこ @nono_chie

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