弟子入りの修行

サカモト

弟子入り修行

 落語家つーのは、真打になりますとー、弟子がとれるようになるワケでね、ええ。

 いや、まあ真打についての説明はさておき、とにかく、わたしも真打になりまして、いよいよ弟子がとれるようになったわけで。

 でまあ、いまのところ、弟子入り志願者がゼロではあります、ええ。しかし、いつ、なんどき、どこで弟子入り志願者が来るかわからず、こちらとしても、いつなんどき、どこででも、弟子入り対応をする所存ではあります、そんな気概だけは、つねに高品質な感じで保持しています。

 やる気は充分、といったところでしょうか。やる気はあっても、消費する場所なし、つって。

 でまあ、その日、わたしは腹も減ったしぃ、昼飯でも喰らおうと、近所の食堂に入りました。かつ丼を、どかんとひとつ、やっつけてやろうとね、胃袋をご機嫌にしてやろう、ってんで。

 その店は古い食堂で、全体的に、こー、長細い店内ですわ。でもって、煮込んだらダシでも出そうな暖簾をめくって店へ入る。

 するてーと、いつもように、盛場の向こうにいた顔馴染みの五十代そこらの店の大将が「おお、いらしゃいな」てなもんで、で、こっちも「おおよ、いらしゃったよ」ってなもんで。

 でまあ、ふたりして、がっはっは。と、笑います。

 ねえ。

 なにが面白いんだか。

 じゃれ合いはそこそこにして、わたしは、いつものように店のいちばん奧の席へと 向かった。客は誰もいない、貸し切りだ気分だ。

 奧の席に座る。すぐに店で働いている大将んとこの若い娘さんがお冷を持って来 た。注文もとる。かつ丼を頼んだ。

 オーダーが大将へ伝わる。

 で、かつ丼が来るんのを待つわけで。その間に、見慣れた店内をボンヤリ見たりし て。テレビの横には、わたしのサインが張ってある。

 下手な字だなぁ、書き直したいな。

 とか、思っている時だった。店の戸がガラリとあいた。視線を投げると、客は若い ニイさんだ、まだギリ十代かね、高校で出たてとかか、妙に緊張した面持ちだ。

 店に入ると、そのニイさんは大将へ向かって何か話かけた。で、大将が何かを答えると、ニイさんの方は大将へ大きく頭をさげた。

 でもって、ニイさんはこっちへ向かって来る。やっぱり緊張してて、がちがちだった。

 手と足がそろって歩いてやんの。

 いや、いまのは誇張、手と足は別よ。どうも、サービスがオートマッチングで動い ちまって、いけないよ。

 ニイさんは、わたしの方へ真っすぐ向かって来た。しかも、なにか、ぶつぶついってやがる。

 よし、耳を澄ましてやろう。

「で」と、ニイさんはいって、つぎに「しに」といっている。

 で、しに。

 んん。

 おおっ、これてーと、おい、まさか。

 ははーん。おやおや、まあまあ。

 ははーん、いやいや、ははーん、ええ、ははーん。

 とか、なんとか頭のなかで、ははーん、ははーん、を連呼している間に、ニイさんはこっちへずんずん接近してくる。近づくと、そのぶつぶつの内容も鮮明にきこえて来た。

「で、でで、しに、してください」ニイさんはそういっていた。その後も、ぶつぶつと「でしにして、ください………でし、にしてくださささい…………」と、まあ。

 小声で言っている。

 なんだよ、おい、わたしへの弟子入り志願者かかい。まいったね、ええ。あんなに緊張してまあ。しかも、弟子にしてくれ、ってチャンといえるように修行しながらやってくる。

 変質者みたいだね。しかし、いじましくもある。

 そうかそうか、うほほ。

 しかないねなぁじゃあ。なら、こっちはアレだね。ここは武士の情けだわ、弟子入りが近づいてくるのを、気が付かないふりでもするかね。そっちも弟子入りの修行なんて、妙なことをしているところを知られるのも、未来の師匠に知られるのもアレだし。

 未来の師匠というか、近未来の師匠か、ねえ。

 わたしはとりあえず、席にあったメニューを手にとって、メニュー選びに夢中のフリをした。むむ、この焼き魚はまさか! てなもんで、まあ、熱演だ。

 でもって、どんどん、ニイさんは近づいて来るよ。「でで、しにしてください、でしに、してください、で、弟子にしてください」おうおう、修行してる、修行してる。弟子入りの修行だ。

 いいよ、だんだん良くなってるよ、弟子入りの修行の効果が出ているぞ。なんだろうねえ、弟子の成長ってのはいいね。

 おお、さあ、来るぞ、来るぞぉ。おお、初めての弟子入りが来る来る来る来るっ。

うほ、興奮して鼻血が出そうだ。

 まあ、出ないけど鼻血は。そんなやつは、ダメだ。ここで鼻血出すやつは、ダメだ。

 そして、いよいよだ、ニイさんがわたしの座る席の前まで来た。わたしの方にしても、ここまで接近してこられて、なおメニューに夢中のフリをするのは無理があるが、しかたがない。こっちだって恥ずかしいし。照れるんだ。

 ニイさんが深呼吸した。

「はい、カツめしでーす」

 そこへ大将の娘さんが注文した、かつ丼を持ってきた。

 わたしの前に置く。

 で、娘さんは大将へ向かって「とうさん、じゃ、わたし、休憩入るね」と、宣言つつ行ってしまった。

 おい、いまここで持ってこられても。いや、美味そうだがよ、たまごふわふわだし、ちきしょうめが。

 しかし、気を取り直して、弟子弟子っと。

 わたしはかつ丼から視線を外して、ニイさんの方へ向けた。そのときは、むろん、渾身の威厳入り表情だ。写真にとって、パネルにして残したいくらいの顔。

 でも、ニイさんはわたしを見ていない。

 大将の娘さんを見ている。すごく見ている。

 あ、惚れたぞ、こいつ。

 ぽう、としてやがる。

 ニイさんは、ぽう、としたまま来た道を引き返してゆく。わたしから遠ざかる。

 で、大将の前に立つ。

「弟子にしてください」

 よし、弟子入り修行の成果が出てるじぇねかよ。

 さ、というわけで、わたしは鼻血でも出そうかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

弟子入りの修行 サカモト @gen-kaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ