博物館行き
長尾たぐい
museum piece
雨の帳に覆われて博物館は外界から切り離されている。
天井のない博物館の百万平方メートルの敷地は、南から北に向かってゆるやかな坂になっている。私は水溜まりを避けることなく、レインブーツでそこにひとつ、またひとつと波紋を作りながらゆっくりと勾配を上る。雨粒が撥水素材のロングスカートに当たって転がり落ちていった。目当てのものは広大な敷地のおよそ中央にあたる場所にあり、入口から歩いて十分ほどかかる。
霧がかった前方に、それとは由来を異とするはっきりとした白い煙が目に入る。吸って、吐いて、吸って。私は意識的に呼吸をしながら、目的地前の最後の短い急勾配を登り切った。
この館の主な収蔵品は、かつて実際に使われていた建物だ。タイルを駆使した見事な煉瓦造りの外見を持つホテル、銅板葺にドーム状の屋根を頂く緑色の外壁の郵便局に、漆喰塗の和洋折衷建築の学舎。ここの中を流れる時間は外界から切り離されている。
この国の建築は、元号を明治と改めた頃から、木と萱、あるいは瓦から成る木造建築という台木に、欧米の様式・技術・材料を穂木として次々と接いでいった。そうして花開いた日本近代建築の様式は、これまで世界のどこにも存在しなかった新たな美しさ、そして実用性を持つものとして結実した。物事の変化の最中には必ず、このように記録すべき形態が現れる。しかしそれらは地震、水害といった各種の災害や、戦争とその傷跡を上書きしようという目論見のもと進められた種々の開発事業によって、時を経るごとに姿を消していった。
この博物館は、それを惜しむ一人の学者と一人の実業家によって造られた。
破壊を免れ、全国各地からここに移築された建物の数は六十を越える。敷地の中には、各々の建物の価値を人々に知らしめたい、という意思が隅々まで行き届いている。建物は一丁目、二丁目……とエリアごとに建物の様式やかつての用途などを考慮して配置されており、ひとつひとつの周囲は時代に沿うた草木から成る苑路や庭園に彩られている。ゆえにここは表向き、博物館ではなく「村」と称されていた。
私がここに通うようになったのは、心身の不調が限界点に達し、職を辞してから半年経ったころだった。ひきこもりの定義に即した生活を続ける私に、主治医は言った。少しでも出かけたほうがいい。人が密集しておらず、ついでに少し歩くことができるような場所へ。例えば、公園や博物館のような所に、と。
ここはどうか、と私は主治医に尋ねた。「お住まいの所からそう遠くもないし、良いと思います」と主治医は微笑んだ。「あなたの中から行ってもいいと思える場所が出てきたことも、良いことです」とも。私は目を伏せた。実は、この博物館の近くには同じく広大な敷地を備え、世界各地の建物が移築された別の博物館もあった。私はそちらを選ばなかった。その時の自分には世界の広さや多様さが体感できる場所より、過去のある時代の日本を閉じ込めた場所の方が似つかわしいと思った。
「博物館行き」という語がある。ある程度の価値は認められているが、世間で用いられなくなったモノを揶揄する言葉で、学芸員課程の講義でそれを知った学生の私は、うっすらとした反感を抱いた。その感覚はとうに自分の中から消え去っていた。博物館という施設に対する無理解や収集活動に対する誤解、過去に対する揶揄に満ちていたとしても、行き場所があると見做されるモノはまだマシだと思った。
博物館には自転車と電車とバスを乗り継いで通った。車で行けば十五分ほどの時間で済むが、服薬の都合で運転は禁じられていた。おかげで倍以上の時間がかかった。家の外に出始めたばかりの身にその路程はひどく辛く、ほうぼうの体で辿り着いた入口から奥に進むことはできなかった。その日は入口のすぐ近くに置かれた某県の旧庁舎に入り、休憩用の椅子に一時間ほどただ座っで過ごした。そうなる予感はあった。それでもここに通うことで、今この世の時間を難なく過ごせる人間に戻りたい、できれば少しでも早く。そういうどこか逆説的な意地があった。
だから私は博物館の年間パスポートを購入した。
最初は一週間おきに訪れるのが精一杯だったが、心より身体の方が立ち直りは早かった。体力の戻りともに博物館を訪れる間隔は、四日おき、三日おきと狭まっていった。歩き回れる範囲も徐々に増えた。三か月も過ぎた頃、入口の係員や売店の店員らは私の顔を覚えたようだった。彼らは私と目が合うと、皆、何かを了解するような表情をみせた。だが、誰からも「いつもありがとうございます」といった類の言葉をかけられることはなかった。彼らと私の間には常に百五十年の隔たりがあった。
労働に従事できなくなってから、他人の働く姿を見るたび胸に重いものが張り付くような息苦しさを感じていた。見事な客さばきのコンビニ店員、無駄のない手つきの郵便局員、正確かつ柔和に書類の不備を指摘する市役所員。皆はこうして働いているというのに自分ときたら、という後ろめたさが私の皮膚を覆った。だが、この博物館の中ではそうした窮屈さとは距離を置くことができた。
とりわけ気を楽にできたのは、敷地の中にあるふたつの駅だった。
博物館の中では、明治からその少しあとにかけて各地で活躍していた蒸気機関車と三等客車が運行している。蒸気機関車は二両あったが、片方の車両は修繕作業のため館外に出されており、私が通い始めた頃に稼働していたのは比較的新しい方の車両のみだった。
博物館では、列車の運行に関わる作業はすべて明治期の方法を再現している。機関助士が石炭を炉に入れるカマ焚きをし、機関士と車掌が安全確認をしながら、いくつかの建物の近くを、あるいは樹木が茂る景色の中、機関車を運転する。
列車は「めいぢ東京」と「めいぢ名古屋」のふたつの駅の間を一時間に一往復、時には二往復する。約五分の乗車時間で東海道の三分の二以上の距離を移動する驚異の列車だ。だが、実際の路線距離はおよそ八〇〇メートルで、明治の末頃にこの区間はすでに大半が複線だったというのに、敷かれている線路は一本きりだった。そのため、往還するために機関車は方向転換を必要とした。まず行き先のプラットホームに着いたら、機関車と客車との鎖状の連結器を外す。そして方向転換のための装置である、転車台と機関車の重心が合うように機関士が緻密な操作を行う。そうして機関車が乗った転車台の機構を機関助士と車掌が力を合わせ人力で回し、ぐるりと機関車の頭の向きを逆にする。そして車掌の旗振りを頼りに、機関士が機関車と客車を密着させ、機関助士と車掌が連結器を繋ぎ再び客車と連結させる。これらの作業にかかる時間は運行時間と同じ、たったの五分だ。
今、外の世界では決して必要ではない技術が、ここでは日々の時間の流れに埋め込まれている。
私は彼らの仕事を見るため、毎度列車の乗車券を買って客車に乗り込み、転車作業を眺めてから行き先駅周辺の建物に出入りし、発車時刻に駅へ戻ってまた客車に乗り込む、ということを繰り返した。時間や日時によって数名が入れ替わる職員たちのうち、車掌らはすぐに私の顔を覚えたようだった。彼らは年配の「常連」とは親しげに話し込んでいることがあったが、私にそのようなことはしなかった。ただ、乗客に対して行う客車乗車の案内が、いつの間にかさらりと省略されるようになった。
だから、五月雨によって季節外れに冷え込んだあの日までは、私もいち乗客としての振舞いを続けるつもりだった。
年間パスポートを購入してから半年経った頃、私は物理的に息詰まるような感覚と不眠に悩まされるようになった。服薬量を減らしたことによる弊害のようだったが、主治医の前では何も問題がないように振舞った。博物館を訪れる頻度は変えなかった。だが、敷地を歩いている時間より、座れる場所でうつらうつらとする時間の方が長くなった。
三等とはいえ、客車は博物館の中で最も座り心地のよい空間だった。その日も、私は出発時刻までプラットホームで待機している客車に乗り込み、ボイラーの音や雨だれの音に耳を澄ましていた。客車の中にはだれもおらず、朝から続いていた呼吸の浅さはだんだんと気にならなくなっていた。瞼を閉じる。安らぎが遠くで私を手招いていた。
気づくと、座った格好から上半身だけを椅子の上に横たえていた。慌てて身体を起こすと、周囲の景色が眠りに落ちる前と変わっていなかった。腕時計を見ると一時間以上経っていた。列車は「めいぢ名古屋」駅を発って「めいぢ東京」駅に着き、方向転換を終え、また「めいぢ名古屋」に戻ってきていた。――方向転換。それをする前に、車掌はいつも必ず乗客に降りるよう促す。横になっていた私の存在に気づかなかった? そんなはずはない。彼らはきちんと業務手順に従って、いかなる閑散期でも三両の客車すべてを見回っている。しかも私が乗っていたのは真ん中の車両だ。ともかく一度降りようと鞄を掴み、傘をさして客車からプラットホームへ飛び出るように降りた。
その日の車掌は車掌たちの中で一番年嵩の男性だった。無口なせいで少し不愛想に見える人で、右の眉尻あたりに大きな黒子があった。彼は私の姿を認めると、少し顎を引き上げてなんでもないとばかりに首をゆっくりと横に振った。彼の近くまで歩み寄った私は「よかったんですか」と言った。なぜかそれしか言葉が出なかった。車掌は「息は楽になったか」とこちらに問うた。どうしてそのことを、との思いに反して「はい」と私は反射的に返事した。車掌は黙ったまま深く頷いた。私は頭を下げてその場を去った。それで充分な気がした。
一週間後、この地方の梅雨入り速報が発表された。その年は近年では珍しい、しとしとと雨が降る日の多いような梅雨が長く続いた。あれから私の居眠りは、蒸気機関車周りの職員たちの間で黙認されることになったらしい。と言っても、「すみません」と揺り起こされることは何度かあった。黙認は他に乗客のいない時に限られているようだった。それでも束の間の休息を得られることはありがたかった。
それが私の焦がれてやまない、泥に沈むような眠りでなかったとしても。
目を閉じて、蒸気音を聞きながら意識して呼吸をする。喉を絞められているような感覚が少し楽になる。次に瞼を持ち上げた時にはもう、そこが夢の中だという確信がある。始めは――夢の中だというのに――眠気のせいで鞄に埋めた顔を上げることすらままならなかった。ただ、客車に乗り込んだ時には人の気配はなかったのに、人びとの足音や話し声のようなざわめきが聞こえた。
「服部ぃー商店のぉ駅弁、駅弁はいらんかい。一折八銭也。いらんかいぃ」
「来年にゃぁ広小路に市電が走るでな、うちもあんばようやらなかん」
伏せた顔を少しだけ持ち上げられるようになると、様々な人の足元が目についた。革靴、下駄、ステッキ、草履、あるいはブーツ。あるものはぴかぴかに磨かれ、あるものはよく使いこまれていた。洋物であっても和物であっても、どれも作りがしっかりしていた。高級、という意味ではなく、人の手によって丁寧に作られて、壊れるまで使い込まれることが当たり前のものとして作られた物だというのが見て取れた。
やがて、車両を行き交う人々の姿が見えるようになった。背広に帽子姿の紳士、羽織姿の着物の女性、日本髪に袴の少女、埃っぽい外套を纏った学生。ドレス姿の夫人や、食うに困っているような浮浪児の姿が見えないのは三等車だからかもしれない。明治の人々の歩く姿は背筋に一本の筋が通っているようで、しかし現代人のような忙しなさとは無縁だった。どんな表情をしているのか、見咎められるのを覚悟でまじまじと顔のあたりを見つめたが、そこにあるのは靄がかかったようにぼやけた肌の色だけだった。
そうしている分には、夢もなく眠った後のような満足感は得られない。それでも、自宅のベッドの中で悪夢を見るよりはこちらの方がよほど居心地がよかった。
列車で見る夢は鮮明さを増していった。
ある時は、吹き付ける海風を背に富士山へ向かって走った。現実では小雨が降っていたが夢の中は快晴で、いくつもの真新しい工場――おそらくは製紙工場、明治期にはもうここは一大製紙産業地だった――の脇を通りすぎるにつれ、迫力を増していく富士の山は圧巻だった。
別の時は、雄大な峰々の中を何度も往復した。巨大な盆地の辺縁部で、夏の昼はじりじと暑い一方で夜は冷え込み、冬場は信じられないほどの雪が降る街だった。聞きなれない訛りのせいで半分も聞き取れなかったが、採算が合わないことを理由に、何度か電気を止められて運行できない時もあるような路線だった。それでも、背負子に身の丈の倍近くまで野菜を積んで客車に乗り込む女性の姿や、大声を掛け合いながら山から下ろしてきた巨木を貨物として車両に載せるためにプラットホームを行き来する男たちの姿は絶えなかった。
夢が鮮明さになればなるほど、その中で過ごす体感時間は長くなっていった。しかし夢から覚める方法を知っていた私は、何も危惧していなかった。私は列車の見る夢の中の住人だった。何者とも干渉せずただ、自分と全くといっていいほど関係のない関係の人々の営みを眺めるもの。ろくに眠れない日が三日続いたある日、私は思った。
このまま、ここにいることはできないだろうか。
途端、辺りがぐにゃりと歪んだ。先ほどまで山間の美しい緑を切り取っていた窓は薄墨色に塗りつぶされ、ぺちゃ、ぺちゃ、と黒い雨水のようなものが僅かな歪みをもった古い板ガラスの窓に当たった。向かいの席で本を読んでいた面皰跡の目立つ、堅実そうな顔立ちの学生はずるりと座席から崩れ落ちると、ずるずると床を流れていき、鎖が張られただけの乗降口からぼとりと落ちた。雨曇りによるものではない暗さが客車をすっぽりと覆っていた。
私は少し焦りながらも、いつも通り切符の切れ込みを指で塞いだ。それで現実に戻れるはずだった。しかし、自分を取り巻く散漫で異様な光景は変わらなかった。線香のような匂いが鼻腔いっぱいに広がる。朗らかな音楽が聞こえてきた。音楽に乗せられた歌詞は、残酷だったが世界の真実をよく表していた。手の中の切符は元のような赤色ではなく緑色をしており、「とうきゃう」から「おおがき」行きになっていた。私は深く座席に座り込み、項垂れた。
別にいいか。ここにいればこれ以上本当の痛みに悩まされることはない。
コツ、コツ、コツと足音がこちらに近づいてきた。夢の中の使者が私を迎えにきたのだと思った。
その見当は大きく外れていた。
「君はここにいてはいけない」
目の前にはっきりとした顔立ちの若い車掌が立っていた。彼の声に何かを説くような響きはなく、言葉は単に事実を告げるために発せられていた。
「私に価値がないからですか」と私は尋ねた。ここにも拒まれてしまうのか、と虚しさが身体を覆う。だが車掌は小さく首を横に振った。
「君は未だ息をしている。だからだ」
身体を起こしたのに合わせて、気道が絞られるような痛みを感じた。私はそれをやり過ごすために口を閉じた。その間に車掌は静かに言葉を続けた。「それだけで十分な理由になる」と。自傷代わりの反論を車掌は許さなかった。
「博物館はかつて息づいていたものを、その先のために集めた場所だ。君も知っているだろう」
私は頷く。博物館の責務、それは保存・収集・展示・教育・研究。モノを集め、守り、伝え、教えることで広くは世界の、狭くはその土地の人びとに奉仕すること。物を知ろうとしない人々がなんと言おうと関係はない。何かを土台にしなくては、次は生まれない。
「だが、この先は息づくことのなかったモノたちが集まる場所だ」
私は手元の切符をもう一度見つめる。
本来、東西の京を結ぶ幹線鉄道は東海道ではなく、中山道を通る予定だったと聞いたことがある。海岸線に近い東海道は軍事的な理由から忌避されたのだと。中山道を西に抜けた先、そこにあるのは岐阜県の大垣市だ。名古屋の代わりに大きく発展していたかもしれない街。ガタゴトと列車は走行を続ける。ツン、と山間を抜ける時特有の耳詰まりを感じる。
この先にあるのは、あり得たかもしれない過去だ。どんなに息苦しくても、必死に私が生きようとしていた「今」には決して繋がらない場所。
「ここで楽に息をすることができるのは、すべてがまやかしだからだ。どんなに息を継ぐのが苦しくとも、現に戻れ」
車掌は上着のポケットから赤色の切符を取り出した。「めいぢ名古屋」と「めいぢ東京」と書かれた、博物館の列車の乗車券。
「あいにくと鉄道に落し物は付き物だが、こうして役に立つこともある」
車掌は少し屈みながら私にそれを差し出した。少し近づいた顔の黒々とした眉、その右の眉尻に大きな黒子があるのが見えた。え、という私の声は彼ではない別の声にかき消された。「ご乗車、誠にありがとうございます。名古屋、名古屋、終点です」
私の親指は切符の切り取られた部分をしっかりと塞いでいた。
あれきり、私は列車での居眠りを止めた。時間が少しかかったが、主治医に減薬による不調を打ち明けた。「話してくださってありがとうございます」と主治医は言った。もしかすると、全て分かっていたのかもしれない。それでも待ってくれていたのだとしたら、私はこの弱さを捨てずに持っていようと思った。博物館に通うのは続けたが、労働に復帰するための手続きや作業が少しずつ進むに連れて、足は自然と遠のいた。
私は長財布の奥のポケットから、年間パスポートを取り出す。知らないうちに期限は切れていた。受付で入場券と列車の乗車券を買った。
小雨降る中、「めいじ名古屋」駅のホームに機関車は停車していた。なぜか機関車は進行方向と逆を向いた状態で客車に繋がれていた。
逆機運転というのだそうだ。
見覚えのある眼鏡をかけた若い車掌が説明してくれた。「めいじ名古屋」駅側の転車台が故障してしまいしばらく運休していたが、諸々の勘案の末にこの形態で運行することにしたらしい。これは明治期にはまれにあることで、名古屋周辺で逆機運転をする姿が描かれた錦絵もあるという。加えて車掌は、博物館に二両ある機関車のうち古い方がオーバーホール作業から戻り、今は新しい方が点検作業に出されている、と説明をした。丁寧で親しみを感じさせる解説だった。あの了解するような視線はどこにもなかった。あの頃より私の髪が伸び、眼鏡を止めてコンタクトレンズに替えたからだと思う。「修理作業を基金で支えてくださる皆さまに感謝します」と大きく書かれた大きなポスターが駅舎に掲示されていた。私は客車に乗り込む。一番始めにうたた寝をした中央の客車に。
発車時刻になった。若い車掌が案内と確認の声を上げる。独特の節回しが懐かしい。目を閉じて列車に揺られた。眠気は全く訪れなかった。列車は粛々と博物館の縁をなぞるように走る。すぐに東京に着く。
客車を降りると、あの老齢の車掌がホームにいた。
「こことは別の場所に行くことにしたのか」
ええ、と私は首肯した。
「博物館行きです」
彼はフッと鼻を鳴らして「戻る場所がどこかわかっているなら、それでもいいだろう」と答えた。
来月から、地元の小さな民俗博物館で働くことになった。三年間の任期付き雇用、つまりは非正規職員として。三年後どうなっているかは分からない。それでも、この先、私が博物館の収蔵品から見えてくる「ありえたはず」の過去に身を委ねることはないだろう。博物館の中にあるのは懐古や逃避のための過去ではない。それを私はよく知っている。
雨に降られながら職員たちはつつがなく進路変更作業を行う。私は少し立ち止まってそれを眺めてから、ひとり駅を立ち去った。
〈了〉
博物館行き 長尾たぐい @220ttng284
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