2‐6


『いつまで目を閉じてんだよ、アーレンス』


 あまりの眩さに目を開くことの出来なかったアーレンスは、リオンでもシアンでもない誰かに名を呼ばれ、驚きで目を開いた。


「……は? ……えっ?」

「ど、どうなってんすか。これ……」


 目を開いたアーレンスの前には鏡があった。その中には当然アーレンスの姿が映っている。だが、鏡の中のアーレンスは自由に動き回っていた。にやにやと笑みを浮かべて、こちらの反応を観察する姿はまるで別人のようだ。困惑するアーレンスとシアンに対して、事情を知っているリオンと鏡の中のアーレンスは楽しそうに笑っていた。


『よぉ、久しぶり……と言っても、だ。お前は覚えてないから、初めまして、だな?』

「は? どういう……まさか、俺二重人格……?」

『あっはっは! 甘やかされてんな~やっぱ』

「今更過ぎんだろ」


 鏡の中のアーレンスとリオンとは、どうやら顔見知りらしい。だが、アーレンス自身も初めましてではないらしい。当のアーレンスの記憶の中には該当するような出来事はない――いや、一つだけあったことを思い出し、アーレンスは声を上げた。


「あっ!? もしかして……ボケカス冒険者ってお前の言葉か!?」

『おう、あんときは助かった。あのボケカス見てたら腹が立って仕方なくてよォ』

「ど、どうなって……」


 あっさりと肯定された言葉に、かえって混乱が深まる。そんなアーレンスをひとしきり笑った鏡の中の存在は、落ち着いて座りなおすように声を掛けた。


『まず、だ。俺のことはアレンとでも呼んどけ。区別できないと厄介だが、はっきり区別するには混じりすぎてっしな』


 鏡の中の存在は自らをアレンと呼ぶように要求する。アンゼルムがアーレンスを呼ぶそれと同じであることに少しだけ複雑な心境を覚えたアーレンスだったが、今はその感情は不要であると気付くと小さく頭を振って掻き消した。


「……分かった。アレン、聞きたいことがたくさんあるんだ。答えてくれ」

『嫌だね』

「……ん!?」


 予想外の返事に、アーレンスはリオンを見る。リオンは愉快だとでも言うように笑うだけだった。


「そこは普通首を縦に振るところじゃ……?」

『俺だって振ってやりたいさ。だが、この状況はアンゼルムの独断だろ? 俺はアレクシスを敵に回したくはねぇ』


 頭が痛いとでも言うようにこめかみを抑えてみせるアレンに、アーレンスはどう対応するべきなのか分からない。ただ一つ理解出来たのは、長兄と次兄で考えが異なっているのだろうことだけだった。


「……ハ。アーレンスがてめぇの存在を認識した時点でもう手遅れだろ。諦めて全部話せ」


 そんなアーレンスに助け船を出してくれたのはリオンだった。リオンの言葉ももっともだと判断したのか、アレンは大きく溜息を吐いて、渋々と口を開く。


『……仕方ねぇ。ここから先はアーレンスの力が必要だからな。なんでも答えてやる、聞けよ』

「なんで偉そうなんだ……? まぁ、いいけど。なら、まずはアレンのことについて聞きたい」


 鏡の中でアレンが笑う。

 どこか儚さを感じさせるソレは、今のアーレンスには到底出来ない表情だった。


『俺は数百年前に、転生者としてフェレファーブルに誕生した。持って生まれた力は言語翻訳と能力封じだな』

「俺と同じ……いや、俺がアレンの能力をコピーしてるのか?」

『そうだ。だが、そこを語るには……まず、アーレンスが前世の記憶を取り戻したところまで遡る必要がある』


 アーレンスが前世の記憶を取り戻したのは、齢七つの頃のことである。アーレンス自身は大きなきっかけはなく突如として記憶が蘇ったと記憶している。しかし、アレンから語られるものは、アーレンスの認識を大きく覆すものであった。


『あの日、お前達四兄弟は公務でヴリエンドに来ていた。過去の大戦で犠牲になった獣人へ祈りを捧げるために』


 アーレンスは記憶の中を探ってみるが、そこに該当するものはない。

 しかし、アレクシスやアンナマリーが数年に一回の頻度でヴリエンド国へと赴いていること、その理由が慰霊のためであることは、アーレンスも知っていた。


『俺は人間だが、共同墓地に葬られた。それは人間族でありながら獣人側として戦ったことに由来する』


 アーレンスとは異なり、アレンには生まれつき前世の記憶があった。過去の人間である彼だが、前世で生きていた時代はアーレンスとそう変わらないという。それはアレンだけではなく、転生者と呼ばれる者達全てがほぼ一定の時代からの転生という驚きの事実まであった。


『単純に異世界転生って概念を理解してるヤツのが楽だったんだろ、女神様もさ』

「ハ。その言い方だとマジで女神が存在してるみてぇだな」

『してるさ。過去には姿を現したこともあるからな。ま、今は余談だ。話を戻すぞ』


 アーレンスもリオンも、この世界に女神が本当に存在していることについても聞きたいところではあったが、それを察しつつもアレンは無視して話を続ける。


『俺は一度死んだ。だが、俺の魂は大地に還ることが出来ずにいる。今もな。しかし、俺はアーレンスに出会った。あの日、墓地で』

「俺に記憶はないんだけどなぁ」

「当然だろ。あの日、てめぇは……」


 リオンはその日を思い出したのだろう。

 苦々しい表情になったかと思うと、そのまま口を噤む。


『あの日、俺はアーレンスの体に憑いた。予想では、そのままゆっくりと精神に干渉して転生者を恨むように仕向けるつもりだった』

(とんでもないこと言っているな……)

『だが、予想外のことにアーレンスは転生者で、器だった。器ってのはな、ようは霊媒体質みたいなもんだ。多少語弊はあるけどな、今はその認識でいい』


 亡霊の魂が憑いたことによって、眠っていた前世の記憶が刺激されてしまった。『器』という特殊な力が同時に目覚めたことが悪い方向へと作用した。器故に複数の魂をその身に宿せてしまったアーレンス。膨大な記憶が流れ込み混乱するアーレンスは自覚なく能力を使った。その結果、アレン同様に大地に還ることの出来ない魂を数多く取り込んでしまった。


『そして、お前の中で複数の――本来の前世の記憶や俺のものだけでなく、墓地を彷徨っていた獣人の魂が持つ記憶までもが複雑に混ざってしまった』

「じゃあ、記憶の混濁って……」

『そうだ、前世だけじゃない。俺やその他の魂まで含めた状態のことだな。お前に自覚はないだろうが、いまだに喋り方に影響が出てる』


 それだけではないと、アレンは続ける。

 今でこそ安定しているように見えるアーレンスの記憶だが、当時はアーレンスの意思に関係なく人格が入れ替わっていたという。そのせいで、アーレンスは大きなダメージを受けた。体にも、脳にも。記憶に穴が多いのはそのせいのようだ。


『人格の切り離しは困難だった。だが、俺には目的があるからな。他の魂より自我のようなものが強かった。お前の体を一時的に借りて、魂を統合することにしたんだよ。ちなみに能力の複製はそんときにしたぞ』

「ああ、なるほど。……ん? なら、お前の魂は……?」

『半分はお前の中に、もう半分はあの棺の中に、魂を分けた。というより、分けさせられた。お前の兄姉達にな』


 そうして少しずつ少しずつアーレンスの人格は落ち着いていった。だが、それでも記憶の混濁が無くなるわけではなく、公務などに参加させることは厳しかったという。ここ二年程でようやく記憶も人格も安定してきたこともあって、事情を知るヴリエンド国の公務にまずは参加させることにしたようだ。


『でもな~あのボケカスがまんまとアレクシスの策にハマるから計画が前倒しになっちまった。アンゼルムも約束破るしよ~』


 鏡の中の顔が呆れた表情になる。それを見てリオンはけらけらと笑う。


「ここまでがアレクシスの計画だったらどうすんだ?」

『可愛い弟を自ら危険に晒すかね? 多分、今回の公務は』

「あ~すいません。一回休憩挟んでもらっていいすっか? アーレンス様が固まってます……」


 アーレンスが把握しきれていないことについて文句を言い出したアレンと、事情を知っているリオンの会話がどこか遠くに聞こえている。そんなアーレンスの様子を見かねて、これまで黙って話を聞いていたシアンが口を挟んだ。その声に、アーレンスの脳がパンクしていることを確認したリオンとアレンは一度小休憩を取ってやることに決めたのだった。

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転生者ですが、転生者捕縛するお仕事始めます! 佐倉那都 @natsu2sakura

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