2‐5


「イヌちゃんも座っとけ」


 アーレンスが椅子に掛けたのを確認すると、リオンも同じように椅子に腰を下ろした。そうして、アーレンスの背後に立ったシアンにも着席を許可する。困惑しているシアンに、アーレンスが改めて許可を出してやれば、ようやくシアンは腰を下ろした。椅子ではなく、床に。その様子に笑うリオンだったが、アーレンスはシアンの内心を理解できた。いくら自国の王子達との距離が近いコンラッドの騎士であっても、他国の王子と同じ目線で座ることなど、非公式の場とはいえ抵抗を覚えないものはいないだろう。


「シアンまで座らせるなんて……相当長くなるのか?」

「ああ。始まりは百年以上前になるらしいからな」


 だが、わざわざ騎士であるシアンを座らせるほどだ。この話は相当長くなるのだろう。そう問いかければ、あっさりと肯定が返ってくる。


「アーレンス、てめぇは大陸戦争についてどこまで知っている」


 リオンの問いに、アーレンスは記憶を探る。

 大陸戦争の歴史は長い。アーレンス達が生まれるよりもずっと昔から行われてきた。とうに本来の名は忘れ去られた大陸は、人間族の保有するヒュームニアと獣人族が保有するベスドゥールに名を分けてなお、争いが収まることはなかった。むしろ、そこからが長かったと聞いている。様々な種族が多く存在するフェレファーブルという世界は、大きく人間側と獣人側に二分され、更に戦火が広がっていったそうだ。獣人側がやや優勢だった戦況は、転生者が現れ始めたことで変化していった。


「中でも俺と同じ言語翻訳を持った人が優秀だったんだっけ?」

「そうだ。ソイツの存在のおかげ獣人と人間の間でも会話がスムーズに出来るようになった。ま、アーレンス程の魔力はなかったらしいからな。自分と、その周囲くらいしか適用できなかったらしいが……手探りで会話をしていたからすると、それだけでもすげぇ進歩だろ」

「で? 俺と大陸戦争がどう関係するんだ? 実は俺がその人物の生まれ変わりでもあります、とか?」


 前世の記憶にある物語の展開を思い出し、辛うじてあり得そうなことを述べるアーレンス。その言葉に目を丸くしたリオンは何度か瞬きをすると、両手を叩いて笑い出す。


「面白れぇ考えだが、惜しいな」

「惜しくてもなぁ……」


 別にアーレンスは特別な何かが欲しいわけではない。

 中途半端に記憶が混じっているせいで不便に感じるようになってしまったこともあるが、望めば兄や姉がなんとかしてくれることも多いので、アーレンスは自身の立場が非常に恵まれていることを知っていた。だから、その大陸戦争におけるキーパーソンと何かの繋がりがあったところで嬉しくもなんともない。アーレンスは否定してほしかった考えが、そう遠いものではないらしいことに内心で落胆する。アーレンスはただ兄や姉のサポートをしながら生きていくだけで良かったというのに。知らない間に、とんでもないことに巻き込まれているような気がする。


「それで?」

「言語翻訳の力を持った転生者はな、珍しく能力を二つ持っていたんだと」

「……! それはまた珍しい」


 転生者の存在が一般的になり、また数もそれなりに増えている現在では複数能力持ちも少なくはない。だが、過去、転生者が現れ始めた頃では転生者を百人集めても見つからないような、非常に珍しい存在だった。それ故に、そんな彼等を保護しよう――という名目で恩恵に与ろう――とした人々の間でも、ちょっとした戦になったと文献には記されている。


「どんな能力か、文献に残ってるのか?」

「いや、文献には残ってねぇ」

「? なら、どうやって知ったんだ」


 アーレンスの問いは何もおかしいものではないはずだ。だというのに、リオンはまたもにやりとした笑みを浮かべながら口を開く。


「てめぇから聞いたんだよ、アーレンス」

「……はぁ?」


 アーレンスの記憶にないものを、どうやって他人に教えるというのだろう。だが、口角こそ上がったままのリオンの瞳は真剣なものだった。


「まず、前提として、だ。アーレンス、てめぇの能力はなんだ」

「は? 言語翻訳と能力封じだろ」

「ちげぇ」

「……は?」


 アーレンスはもう理解が追い付かなかった。

 転生者であるアーレンスに与えられた能力は、言語翻訳と能力封じのはずだ。少なくとも、記憶を取り戻してからというもの、アーレンスはその認識で生きてきた。だが、リオンは違うという。


「だったら、なんだって言うんだよ」

「てめぇの能力は『能力の複製』と『器』なんだとよ」


 アーレンスの思考は完全に停止した。

 今まで自身の能力だと思って使っていたものが実はそうではなかったこと。そして、アーレンスが知らないそれを、違う国の友人であるリオンが知っている――つまり、兄姉も知っていると想像がつく――こと。更に、『器』という言葉からして嫌な予感しかしないものが、本来の能力の一つであること。どれも理解しようと思ってもすんなりと理解出来るものではなかった。そんなアーレンスがなんとか絞り出せた言葉といえば。


「なにそれ……意味分からん……」


 ただ、それだけだった。


「……いやいやいや!? なんなんだよ、この急展開は!?」


 そうして少しの間を置いて、自身の前提がひっくり返ることだけを理解したアーレンスは大声を上げる。上げずにはいられなかった。今までのんびりとした生活を送っていたというのに、公務が決まった途端に様々な出来事が起こり過ぎている。


「急展開だと思ってんのはてめぇだけだけどな」

「なんでだよぉ!!!」

「アーレンス様、落ち着いてほしいっす! ねっ?」


 頭を抱えて叫ぶアーレンスをシアンが宥める。そんなシアンの表情からも困惑がにじみ出ていたのは、当然と言えば当然のことだった。なにせ、コンラッド国の住民の多くはアーレンスが転生者であることも、その能力も知っている。公務への参加が少なくとも表立って文句を投げかけられなかったのは、転生者として目覚めた結果体が弱くなってしまったため――実際は記憶の混濁によって、記憶が飛んでしまうことが原因である――とも公表してしまっている。アーレンスの持つ能力が実は違うのだと知れ渡れば、立場が危うくなることも考えられた。


「説明してやっから落ち着けよ」

「……くっ! 絶対長くなるやつだろ、これ!」

「最初に長くなるっつったろ」


 呆れた様子のリオンに、アーレンスは口を噤む。確かにリオンはそう言っていたからだ。しかし、完全に夜も深まり月が真上に移動しそうな時間までかかりそうな気配が漂ってきて、アーレンスは説明など無視して帰りたくなっていた。


「……聞かないとダメ?」

「ハ、今更許すわけねぇだろ」


 肩を落とすアーレンスを無視して、リオンはどこからか鏡を取り出した。その鏡には複雑な紋様が施されており、恐らく魔法が施されているのだろうことが一目で推測できた。


「それは?」

「てめぇの姉上に作ってもらった特注品だ。……覚悟は良いよな、アーレンス?」


 リオンは、アーレンスの目の前に鏡を置く。すると、鏡に施された紋様が光り出し、徐々に光は明るさを増していく。そのあまりの明るさに思わず目を瞑ってしまったアーレンスは声に出したところでもう遅いことを知りつつも、叫ばずにはいられなかった。


「……良いわけがないだろ!!!」

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