旅のエンドロール

 生き延びた。


 ロサンゼルスを無事脱出した。

 生き延びたというのは大げさだが、アメリカ本土での22日間を苦しい懐具合で何とか乗り切った。

 その安堵感が正直あった。日本に帰ったら美味いもんを腹いっぱい食べたい。

 長かったかな。

 いや、あっという間だった。

 ひもじい思いもしたが、こんなに刺激に満ちた時間を過ごしたことが、僕はそれまでなかった。


 ロサンゼルスを飛び立った大韓航空機は常夏の島に到着した。

 日本の若者たちが多く滞在するワイキキのアパートメントホテルで2泊し、ほとんど自炊だけでその間過ごした。

 初対面の旅仲間たちと材料を買い出し、焼肉したりカレーを炊いたり。

 連日ビーチで寝転んで、心も身体も解き放った。太陽が全身に染み入ってきた。

 ハワイに着いたその日から僕は日記を書くのをやめてしまった。

 様々なものからの解放感と、帰国までの金銭の目処が立った安堵感と、総ての緊張を弛緩させる南国の陽気がそうさせたのだと思う。

 買物によく使った一番近所のスーパーマーケットは、再開発により去年取り壊されてしまった。


 機中泊した後、せっかくの乗り継ぎだからと、軽い気持ちで1泊したソウルではめったにない貴重な体験をした。

 現在とは異なり、軍事政権下でのピリついた空気感の中、街中を散策中に突然空襲警報のようなサイレンが響き渡った。

 直ちに無言で走り出す人々。皆、ビルの中などに駆け込んでいく。


 なに?

 まさか戦争?

 戦争が始まった?


 警官に激しく笛を吹かれた僕たちも、訳がわからないまま、近くのビルに走り込んだ。

 月に何度かあった防空訓練の日だったと後で知った。と同時に“休戦中”とはこういうことだと学んだ。




 僕はこの旅を通じて重い病気にかかってしまったようだ。

 病気の名前そのものを、どうやら“旅”というらしい。

 いや、この病は完治できないようなので、ちょっとした呪いのようなのかもしれない。


 ニューオリンズから引き返す時にニシカワと話した通り、この翌年に彼とアメリカ大陸を横断した。

 他にメンバーが3人加わり、ニューヨークからサンフランシスコまで。

 バスで3000km、レンタカーで8000km、合計11000kmを駆け抜けた。

 ニシカワはその旅を区切りに社会人になった。


 病気をこじらせていた僕は就職もせず、その翌年にバイトの後輩を連れて二度目のアメリカ横断に出た。前年とはルートを変えて。

 前二つの旅はニシカワの力に頼るところがあった。だから自分の力を試したかったのだと思う。

 その翌年はこれまた別の後輩と、ハワイで1ヶ月過ごしてみた。

 温暖な気候の居心地の良さに、社会復帰できない心配と将来への不安が頭をもたげた。

 26歳でアルバイト先の正社員になる覚悟を決めた僕は、最後にオーストラリアを一人で一周した。まだやったことがないのが、一人旅だと思ったから。

 それが遅すぎたかもしれない僕の旅のひとつの区切りだった。


 そんな何度かの旅を通じて僕は、行動力、対応力、計画性、臨機応変さ、度胸などを身に付けたと思っている。

 それは何かに夢中になって、一生懸命努力する経験がないまま10代を過ごしてしまった僕にとって、自信を身に付け自己肯定感を高める為に必要な、自分を形作っていく上で必要なプロセスだったと思っている。


 何をカッコつけて偉そうに。自分勝手に現実逃避してただけじゃないか。そんなことが許されたのは、お前が呑気で恵まれていたのだよ。

 そう思われても仕方ない。

 確かにそうかも知れない。

 しかし僕は、変えられない自分の過去を、ネガティブなものとして引きずるのではなく、前を向く為に“自分に都合良く”ポジティブに意味づけることで、ずっと自分を勇気づけて生きてきた。

 そういう生き方の方が幸せでいられると、今でも思っている。


 あれから長い時間が流れた。

 僕はその後、ずっとその会社で人生の大半の時間を過ごすことになった。

 苦しいこともそれなりにあったけど、出会う人に恵まれて幸運な時間だった。若い頃に描いていた人生とは全く違ったものにはなったけども。


 ニシカワはその後何度か職を変え、今はフリーの海外添乗員をやっている。

 バツ3の独身。自由を謳歌し、熊本に住んで今も国内海外を行ったり来たりしている。世界の乗りたい鉄道を乗り尽くすのが彼の夢だ。

 ナガノとはあの旅以降会うことはなかったが、ニシカワ情報によると地元で元気にしているらしい。


 ニシカワとはお互いの生活圏の違いから、しばらく会わない期間があったが、僕が福岡赴任時に再び会うようになった。

 ライター事件の再現ではないが、「あの頃みたいな旅に行きたいな」という話になり、10年前にペルーへ、8年前にモロッコへ二人で行ってきた。

 ペルーではナスカ、マチュピチュ、チチカカ湖へ。モロッコへはわざわざスペインから船でジブラルタル海峡を渡り、タンジェからマラケシュまで縦断した。

 バスや鉄道を乗り継いで安宿を渡り歩く、あの頃まんまの旅だ。

 扉が外れた共同トイレや、ビニールホースを繋いだだけの共同シャワーのホテルにも泊まった。

 昨年はネッシーが本当にいないことを自分の目で確かめようと、ネス湖に行こうとしたのだか、二人の予定が合わず取り止めた。

 彼とはこの先も、その気になればまたどこかへ行くかもしれない。



 “若者の海外旅行離れ”という言葉を聞いたりする。率直に勿体ないなあと思う。

 今は情報が簡単に手に入る。指先ひとつで動画や写真や文章が溢れ出てきて、見知らぬ場所のことも直ぐに知ることができ、行った気分にさせてくれる。

 本当に便利な時代になった。

 しかし、実際にその場所に行ってみないとわからないものもある。

 温度や湿度や匂いや雰囲気。風の心地良さや雨の冷たさ、雷の音。思いがけない人や物や事との出会い。

 旅とは知識を増やすことではなく、五感で感じる何かを経験しに行くことだ。


 何度かの旅を経験して、ひとつ確実に言えることは、「旅は自分と向き合う時間をくれる」ということだ。

 バスや列車や飛行機などでの移動時間、ちょっと休憩に入ったカフェでのひと時、いつものベッドから遠く離れた場所で眠りにつく時。

 日常のせわしさの中では、目の前のことに対応することで精一杯だったりする。

 ところがそこから離れた非日常の時間では、普段とは違う時間の使い方ができたりする。


「自分は何者なのか」

「何の為に生まれてきたのか」


 今日まで生きてきて、自分が納得をする生き方を実践するには、その問いに向き合うことが一番大切なことだと思う。

 そして自分について考える時、まず知らないといけないのは自分自身のこと。

 人はわかっているようで実は自分のことがわかっていない。わかったつもりになっているだけだ。

 或いはわかったつもりになりたいから、途中で思考や探索をやめてしまったりしていないだろうか。


 旅に出て多くの「不」と直面すると、普段取り繕っている仮面を見事に引っ剥がされ、ありのままの等身大の自分をさらし出してくれる。時に非情に残酷に。

 しかしそのことを恐れてはいけない。

 できない自分、未熟な自分を素直に認め、そんな自分を否定するのではなく、受け入れてあげることから一歩が始まるのだ。


 僕の時代の若者よりも今の若い人たちの方がよっぽど利口だ。利口で早い時期から自分の人生についてちゃんと考えている。これは嫌味ではなく、本当にそう思う。

 だけど利口が故に失ってしまっているものってないのかな。

 人生はうまくできていて、何かを掴んだら、必ず何かを手離している。両方なんて無理だ。そういうもんだ。

 手にした利便性や豊富な情報と入れ代わりに、失ってしまったものは何だろう。


 当然個人差があるけども、若い時期の方が素直で感性が鋭敏だ。何かを見たり、聞いたり、味わったりすることから、その人にとっての何かを感じ取るチカラ=感受性は、断然若い時期の方が高い。

 その感受性は経験を重ねることで更に豊かになるし、磨いておかないと時間と共に鈍くなっていく。

 ここで言う“若さ”とは年齢的なことだけを言っているのではない。考え方であり生き方であり人生への向き合い方だ。

 僕はいつまでもワクワクドキドキを大切にし、最後の日まで人生を面白がって生きていきたい。

 それが正しいか否かではない。僕はそうしたいのだ。


 生きたいように生きればいい。

 それはそれぞれ置かれた立場や境遇が許す範囲で、という条件がつきまとうが、人は生きたいように生きればいい。

 いつかやろう。また今度やろう。

 いつかも、また今度も、来るかどうかはわからない。明日が来るなんて、当たり前のことじゃないってことを、何度かの天災やパンデミックから痛いほど学んだ。

 他人に迷惑をかけない限り、どう生きようがその人の人生だ。その人が生きたい生き方を実践すればいい。


「生まれてきたことに理由などない どう生きるかに意味がある 要はどう生きれば幸せだと思うかじゃ」


 拙著『夜明けのスー』の銀河の狩竜民の長“ホシヨミ”に語らせたこの台詞は、このことを示したつもりだった。

 ついでに自白すると、同話の中に出てくる自分探しがやめられずに旅を続ける男“さすらいジョニー”は、一歩間違っていればそうなったであろう僕自身に他ならない。

 危なかった。人生は本当に紙一重だと、殊にそう思う。


 更に言わせてもらうなら、『ワカンナをさがして』の主人公、自分は何者なのかを考え始める14歳の少年の話は、そんな幾度もの僕の旅の経験が下地になっている。


 他人にどう思われるか、世間からどう見られるかとか、そんなことに何の意味も価値もない。

 気にするほど他人は他人に興味を持ち続けないし、好き勝手なことを言ってきたとしても、その言葉に最後まで責任など持ちっこない。

 そういう大前提に立って、共に過ごす時間を心地よく共有できる人が少しでも近くにいれば、僕はそれで充分だ。

 全員に好かれようと無理をしたり、自分を犠牲にして周りに振り回されるのではなく、その人自身が感じる幸せを、どれだけ実現できるかの方に、意識を働かせた方がいいと僕は考える。


 いよいよ人生の幕を閉じるとなった時、「あー楽しかった」そうつぶやいて僕は旅立ちたい。


 そうか、ここでも“旅立つ”という表現を使うのか。

 この世から去る時、まだ体験したことがないもうひとつの大きな旅が待ち構えているってことか。

 こりゃあ、楽しみだ。

 その先に何があるのか、或いは何もないのか。

 ドキドキワクワクしながら、あっちの世界とやらを自分の目で確かめに行きたい。




 今回が最終話となります。

 取り留めのない物語を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

 基本事実に基づき、実際に体験したことだけを書いてきました。有ったことで書かなかったことはあっても、無かったことを書いた箇所はひとつもありません。

 長い旅の話とはいえ、そうそう毎日突飛な事件が起こるわけではなく、1日1話の体裁をとったが為、話を紡ぐのに苦労した日もありました。

 創作話ではないが故、起承転結の無い締まりの悪い連載になったと思います。

 ひとつの価値観を押しつける考えなど毛頭ないし、星の数だけある他人の半生の一部を垣間見たと思っていただければ、僕はそれで充分です。



 僕もそして皆さんも、それぞれの旅の途中です。

 これからの旅が皆さんにとって、より良き旅となりますように。




 それでは100円ライターから始まった40年前の旅の結末を皆さんにお伝えして、この連載を締めくくりたいと思います。


 いつも想像の斜め上を行き、思い出深い旅を更に味わい深く彩ってくれたナガノという男。

 この男、やはり最後の最後にオチまで準備してくれていたのです。




  

✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤



 3月22日



 ソウルを出た搭乗機が伊丹空港に降り立った。

 刺激に満ちた旅を終え、1ヶ月ぶりとなる日本に無事戻って来れた。

 帰国手続きなどさっさと終わらせて、早く外に出たい。


「あー腹減ったなあ」

「最初に何食べよ」


 荷物検査場に並んでニシカワと会話を交わしていると、隣のレーンからやや怒気を含んだ係官の声が響き、二人で振り向いた。


「これ、何ですか!」


 周りの注目を集めるような、意図的に張りのある大きな声だった。

 見ると係官が右手に持った何かを頭の上に掲げ、見せしめのように周囲に示している。

 係官の前には「あ、いや、その……えへへ」としどろもどろになっているナガノの姿。

 周囲の人たちも何事かと一斉にのぞき込んでいる。


 係官が掲げていたのは、日本で発売禁止となり話題になっていた、歌手マドンナのヌード写真集。



 はずっ

 いつの間にそんなもの買うてたんや

 カッコわるぅ


 ほんまに、この男は……




 いやちょっと待てよ


 これは神様のつじつま合わせちゃうやろか

 行きの見逃し分を帰りで回収、って……


 よう出来た話やないか




 長かった旅のエンディング。

 ナガノが始末書を書かされ、僕とニシカワが笑い転げているシーンでエンドロールが流れ始めました。


 嘘のような本当の、忘れられない1ヶ月の旅でした。




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 special thanks


 Mr.Thuy

 Thuy’s Family

 Ms.Nancy

 Brandon Hotel

 Greyhound Bus

 Korean Air Line

 many Backpackers


 and


 All American people


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 The End


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 さあ、また次はどこへ

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