3月13日 オーマイガー
スワップミート最終日。
歳は10歳ぐらいだろうか。ぽっちゃりとした白人少年。
例えるなら『スタンドバイミー』でチェリーパイ事件を得意気に話していたバーン役の子。
さっきからしゃがみ込んで、ずっとゲームウォッチに夢中。
「Wow」とか「Oh」とか声まであげている。
ゲームウォッチとは任天堂が数年前に発売した携帯型液晶ゲーム機。
スーパーファミコンがまだ世に出る前、電池式で時計機能も付いていた画期的な流行の最先端。
スマホゲームが当たり前の世代には想像できないかも知れないが、持ち歩きができる電子ゲーム機はここから始まった。世の子供たちがこぞって欲しがった。
ひょっとしたら売れるかもと、ニシカワが私物の中古品を他の商品と一緒に並べていた。
確かソフトはドンキーコング版だった。1端末に1ソフト。それが当時の最先端。
さっきから少年がそれを手にし、夢中になっている。
最初は微笑ましくも思い、放おっておいた。
少年は僕たちのことを気にする素振りも見せず、手元のゲームに熱中だ。
5分、10分が経過。
まだ止めない。
ずっとやってる。
親はどこにいるんだろう。
近くにはいない。
「Wow!」
「Oh No!」
声がデカくなってきた。
興奮状態が更に高まっている。
ニシカワが何か言いたげだが、目の端で黙って見ている。
あのー、一応売り物なんで
多少でもこっちに気遣いするとか……
まあ子供じゃ無理かあ
15分、20分が経った。
少年のヒートアップはまだ続いている。
ついにニシカワがキレた。
日本語で叫んだ。
「いつまで遊んどんねん!」
「電池無くなってまうやろ!」
その声に驚いた少年、言葉はわからずとも自分が叱られたことを理解したのだろう。ゲームウォッチから顔を上げてこう叫んだ。
「Oh My God!」
初めてナマで聞いた。
アメリカ人のリアルオーマイガー。
少年は逃げるようにしてどこかへ走っていった。
「電池切れたら売りもんにならんやろ」
「買えへんのやったら遊ぶなっちゅうねん」
「ほんまにもう」
ニシカワがブツブツ言いながら並べ直している。
そうよな
金に換えたいもんな
でも、ほんまに言うんや
オーマイガーって……
話には聞いていたそのフレーズを今目の前で聞けて、僕はちょっとした感動を覚えていた。
ところがそれから1時間もしないうちに、その少年がまた戻って来たではないか。
黙ってまたゲームウォッチをやり始めた。
ニシカワ VS 少年
日米決戦第2章……
ニシカワが叫んだ。
「親連れてこい!買ってもらえ!」
脱兎のごとく逃げ出した少年は二度と姿を現さなかった。
スワップミート最終日で一番記憶にあるのはこの出来事。
無邪気な少年と、金銭的逼迫から余裕をなくしていたニシカワとのバトルでした。
この日は昨日と同じ会場でしたが、5時起きして並んだので、まずまずの場所を確保しました。
結果から言うとこの日の売上は160ドル45セント。一人当たりの分け前、53ドル少々。
閉店セール価格50セントで叩き売ったライターは100個ほどが売れました。それでも800個以上残っています。
ライター以上に目論見違いだったのが和紙財布。
赤や金銀の和紙を折り込んだ、京都の土産物屋にでも並んでいそうな純和風の長財布です。
ニシカワが「間違いなく売れる」と、自信を持って50個ほど仕入れてきた商品。
1個も売れませんでした。
「売れると思たんやけどな」
肩を落とすニシカワがぽつりと漏らしました。
とにもかくにも僕たちの“スワップミート事業”はこの日で終了。
1000個の100円ライターを持ち込んだのは、半分本気(売れると思った)、半分シャレ(旅の口実)でしたが、店じまいをしながら複雑な思いが交差していました。
世の中そんなに甘くはないか
残りの日数、金大丈夫かな
でもこれはこれでおもろかったよな
そやけど残りのライターどうしよう……
そんな僕たちを、トゥイさんはまた自宅に招いてくれました。
「お疲れさん、どうだった?」
リビングのソファに座り込んで、初のスワップミート体験の感想を聞いてくれました。
僕たちはなんとも整理のつかない気持ちを、3人それぞれ歯切れ悪く話したと思います。
「で、あれどうするの?」
ライターのことです。
どうするって、どうしよう。3人顔を見合わせ思案していると、トゥイさんはこう申し出てくれました。
「買い取ろうか。高くは無理だけど」
渡りに船。
僕たちに断る理由なんてありません。
仮に日本に持ち帰るとした場合の煩わしさとリスクを考えると、タダで引き取ってもらえるだけでも有り難いです。
確か原価相当額(仕入れ値の50円換算)だったと思いますが、残りのライター総てを買い取ってくれました。
腐ったりするものではないし、少しづつなら売り切れると考えたのだと思います。
そんなトゥイさんが神様に見えました。
おまけに「ご飯食べていってよ」と言ってくれ、僕たちは図々しくも、またまたお言葉に甘えることにしたのです。
リビングで待つ僕たちの耳に、キッチンで話すトゥイさん夫婦のヒソヒソ声が漏れてきました。
「なんでそこまでするのよ」
「どこのだれだかわからない人たちに」
「うちだって生活楽じゃないのよ」
「いつだっていい顔ばっかりするんだから」
「まあまあそう言わずに作ってやってよ」
そう聞き取れたわけではありません。全くの想像です。しかし語気や会話の雰囲気で、僕たちには確かにそう聞こえてきました。
ああ、本当にごめんなさい。
そう言いながらも、出してもらったフライ物とご飯をペロッといただきました。
3月17日のロサンゼルス脱出まで、この翌日からの3日間はさして書くようなことがありません。
昼間は3人それぞれ別行動としました。
僕は餞別をもらっていた友人たちへの土産物を求めて、ダウンタウンやサンタモニカなどをウロウロし、ナガノはCBSスタジオ見学など一人観光へ。
部屋でふて寝していたニシカワは、売れ残りの和紙財布をリトルトーキョーの雑貨店に持ち込み、買い取ってもらうことに成功。悪運強く、残りの日程への金銭的メドが立ちました。
この連載中パリオリンピックが開催されていました。
閉会式の最後、次回開催地であるロサンゼルスからの映像。
西海岸の青い海をバックに、レッチリ、ビリー・アイリッシュらのライブ。
その後ろに眩しく輝いていた太平洋の大海原が、あの時訪れたサンタモニカの残像と重なりました。
この遥か向こうに日本があるんだよなと、一人郷愁に浸り眺めていたことを思い出しました。
17日は08:45発のホノルル行きに搭乗でしたが、5時起床の予定が1時間の寝過ごし。
タクシーを飛ばしてなんとか間に合いましたが、この旅何度目の寝坊だ。本当に。
最後の最後まで、緊張感に欠けるというか、いい加減というか、他人任せというか。
オーマイガー
僕たちこそがオーマイガーやん
ほんまに
海沿いにある国際空港を飛び立った飛行機の窓からは、小さくなっていくロサンゼルスの街並みと眼下に広がる太平洋が見えました。
人生初の海外体験。アメリカ大陸での22日間。
まだまだ居たい気持ちと、正直どこかホッとした気持ちが渦巻き、何とも言えない感傷的気分だったことを思い出します。
今考えると、多くの人の善意や好意、偶然や幸運に恵まれ、幾度ものピンチをなんとか切り抜けられたことに間違いありません。
特にトゥイさんには感謝しかありません。
初対面の3人をイヤな顔ひとつ見せずに迎え入れてくださり、親切丁寧な対応をしていただいたことで、僕たちは無謀な旅を破綻させることなく終えることができました。
入国はできても、もしもトゥイさんに会えていなかったか、断られてでもいたなら、全く違った旅になったはずです。
ひょっとするとその失敗がトラウマとなり、大の旅嫌いになっていたかもしれません。
トゥイさん、あの時は本当にありがとうございました。
できればあの時のお礼を直接伝えたいです。
《お願いと追記》
1983年当時カリフォルニア州サンタアナに住み、現在65〜75歳ぐらいのベトナムにルーツを持つThuyさん。ファーストネームはわかりません。日本留学経験があり、画家を志していたはずです。
当時結婚されていて、ロングビーチに妹さんが住んでいらっしゃいました。
インスタグラムにも顔写真付きで投稿させていただきます。
@korogaruneko.yk
ご存知の方か、僅かな情報でもいいのでお持ちの方、もしいらっしゃったらご連絡いただけると嬉しいです。
次週、いよいよ最終話です。
最後までお楽しみください!
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