3月12日 笑うしかない

 100円ライターをアメリカに持ち込んで売り捌く。

 大金にはならないが、旅の資金の補填には充分なるだろう。

 だって50円で仕入れたものが500円で売れるんだから。

 それが僕たちの完璧な夢の計画だった。

 こんないいこと思いついたのは俺たちぐらいだろうと、得意気にもなっていた。


 無知、安直、浅薄、短慮、バカ。

 何とでも言ってください。

 否定しません。


 僕たちはそこに何の疑問も抱かなかった。

 そして実行した。

 頭に浮かんでも実行しなかった人との違いがあるとしたら、そこだけだ。

 行動したか、しなかったか。

 自慢してるわけではない。


 強制送還も辞さない覚悟をした上で決行したんだ。 

 いやいやとんでもない。ただ深く考えていなかっただけ。

 いや、“深く”ではないな。“ちゃんと”考えなかっただけだ。

 思慮浅さに気づいた時には現実に直面。

 ところがただただ運良く、半端ない緊張は経験したものの持ち込みには成功。

 そこまでは良かった。


 しかし、やはり。

 現実は甘くなかった。


 まずフリーマーケット(スワップミート)は土日しか開催していないなんて知らなかった。

 そんなの聞いてない。

 前半で売り切って、後半は遊びまくるぞ。そう考えていた。


 初の土日は悪天候と寝坊で商売にならず。

 次の土日はバス旅行を優先。


 さていよいよ最後の土日。

 泣いても笑ってもここが土壇場、最終決戦。



 この日もトゥイさんと一緒にロサンゼルス郊外のスワップミート会場へ。


 この日は大規模な駐車場で開催されたものだったので、僕たちも店番を交代しながら広い場内を散策しました。

 会場内には様々なものが売っていました。


 中古レコード、古着、アンティーク品、カジュアル衣料、アクセサリー、絵画やアート系、野菜や果物の農産物、チーズなど乳製品。

 キャンピングカーやレジャーボートまでありました。


 なかでも果物類が安くて新鮮。リンゴが7個1ドル、グレープフルーツが6個1ドル。

 リンゴは日本のものより小ぶりでしたが、適度な酸味でジューシー。たちまち僕たちの朝食兼昼食兼おやつになりました。


 肝心の商売の方はどうだったかというと。

 ライター以外にも売れそうな商品を持ち込んでいました。売れそうと考えたのは、日本的なものやアメリカでは珍しそうなもの。

 カラー軍手、折り紙、紙風船、日本の観光地土産や民芸品、日本食インスタント食品などなど。


 中で意外と売れたものがありました。

 当時発売されたばかりの使い捨てカイロ。

 立ち止まってくれた人は、もの珍しげに手に取ってくれます。しかしまだアメリカにはなかったのでしょう。ビニールの小袋を何度も裏返したり、英語の説明文を探しています。


 ありったけのイングリッシュを駆使し、身振り手振りで熱烈トークセールスを展開しました。


「シェイク シェイク」

「ホット ホット」

「ワンデー OK」


「シェイク シェイク」

「ホット ホット」

「ワンデー OK」


 当時発売されたものは、開封し袋を振って発熱させるものでした。


 振ったら温かくなって1日もつよ!


 その説明でも不審そうな顔を見せるお客さんには実物を見せるのみです。ポケットに忍ばせていたカイロを触らせました。


「Wow!」

「Yeah!」

「Good!」


 意味がわかると破顔一笑。オーバーリアクションを見せて買ってくれました。中にはまとめ買いも。

 当時は家電や車など、MADE IN JAPANがもてはやされ始めていた時代。

 見たことがないものを初めて見たような、目の前で“ミラクル・ジャパニーズマジック”を見せられたような、多くの人の驚いた顔と笑顔が忘れられません。



 しかしこの日は場所が悪かった。

 会場入口からは遠くメイン通路から離れた場所で歩行者が少ない。

 結局夕方まで粘り、ライターも1個1ドルに値下げし、途中からは1個50セントの叩き売りを始めましたが、売れたのは30個ほど。


「今日は場所が悪かった」と日記に書いてある。

 いや今となれば、それは場所のせいではないとわかる。

 まだ何かのせいにして、現実の受け入れに抗おうとしていた見苦しい自分が痛いほどわかります。


 お客さんたちの反応を見ていて、この日初めて悟りました。

 使い捨てライターってそもそも頻繁に買うようなものではない。ガスが無くなったら買い替える程度のもの。それも喫煙者のみが。

 少々安いからって飛びついて買うものでもないし、安いからまとめ買いしとこうってものでもない。


 現地の値段が2ドルと知ってそれを円換算し、金鉱脈を発見したかのように興奮した、あの居酒屋の夜を思い出す。

 それは記憶の彼方の夢まぼろしか、空に揺らめく蜃気楼かのようでした。


 結局、この日の売上。

 30ドル。

 目の前には950個ほどのライターの山。



 ・・・


 はー


 ・・・



 この日の夕食が日記に書いてある。


 “サトウのごはん、フジッコ、食パン2枚”



 小さなテーブルを囲んで、黙々と口を動かしていた。

 ビールは飲んでたはずだ。


 “サトウのごはん、フジッコ、食パン2枚”


 販売目的で持ってきた商品が緊急非常食。

 ロサンゼルスのホテルの一室で今それを食べている。


 ほろ酔いもあったのだろう。

 なんとなく笑けてきた。

 3人とも肩が揺れ出した。


「俺ら何やってんねん」


 ボソッと言った僕の言葉に、3人大爆笑になった。


 ほんまに俺ら何やってんねん


 笑い転げた。

 一度笑い出すとなかなか収まらなかった。


 甘い考えでアメリカにやって来て、こんなものでなんとか食いつないでいる自分たち。

 我が身を笑うしかなかった。


 それでも悲壮感は全くなかった。

 それは強がりでもなんでもなく、ひもじい思いはあったが、それを上回る幸福感のようなものがあった。

 幸福感?ちょっと違う気もするけど、なんかそんな満たされてる思い。

 具体的にじゃあ何がと問われると、明確には答えられなかっただろうが、何ものにも代え難いものを手に入れたような気がしていた。



「これ持って来たん俺やからな。感謝せえよ」


 ニシカワがサトウのごはんを口に運びながら自慢げに言った。


「ほんまやな」

「これ無かったと思ったらゾッとするな」


 先見の明とでも言っとくわ


「俺の危機管理能力すごいやろ」

「はいはい」


 今日のところは突っこまん

 そういうことにしといてやる


「明日がんばろ」

「がんばろな」


 どこまでも前向きさは失わなかった。

 きっとそれが若さだったのだと思う。



 去年観た映画『AIR/エア』は、ライバル社に差をつけられていたシューズメーカーのナイキが、エアジョーダンという大ヒット商品の開発で逆転躍進した実話をマット・デイモン主演で描いた作品です。

 物語の舞台が丁度この旅をした1980年代で、髪型、ファッションや登場する車や小物に至るまで時代再現されており、映画を観ながら懐かしさが込み上げてくるシーンが多々ありました。

 中でもあるモノを目にし、鮮烈にフラッシュバックした場面があります。


 主人公がスーパーで買い物をするシーン。

 陳列棚に並ぶ当時の時代考証に基づいた商品の数々。その中に“あれ”がありました。

 赤と黄色の包装袋に入った食パン。

 一番安くて量が多かったのでよく買った、やや小ぶりの一斤食パン。

 この旅の僕たちの胃袋を支えた、あの懐かしい食パンの袋がスクリーンに映りました。


「あ」


 小さく声を上げていました。


 あれあれ、あれ

 あれだよなあ

 間違いなくあの袋だったよなあ


 当時の僕はコンバース派で、この旅にも黒のハイカットを履いていましたが、映画館のシートに座ったまま、頭の中にはブランドンホテルのあの部屋が蘇っていました。


 ひょっとするとこのナイキの映画が、この旅の記憶を刺激し、今回の連載に繋がったかも知れません。



 これだけは付け加えておきたい。

 若さとは年齢的なことだけではない。

 考え方であり姿勢であり、大げさに言えば生き方だ。

 何かに挑むことを諦めた時から老いが始まり、ひがみっぽく他人に批判的になっていく。

 どんな小さなことであろうとも、何かにチャレンジし続けている限り、心の中は青春真っ只中なのだ。





 連載、いよいよあと2話です!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る