3月11日 赤か黒か
映画『未知との遭遇』は高校生の時に観に行って、衝撃を受けたスピルバーグ監督作品。
未確認飛行物体、地球外生命体との遭遇劇が、それまでのSF映画とは全く異なるリアリティとスケール感で描かれていました。
2時間スクリーンに釘付けになったのを覚えています。
中でも圧巻は、人類が宇宙人とのコンタクトの為、極秘で研究施設を設営していた高台の上空に、彼らの母船が出現する場面。
真っ暗な夜空に遂に姿を現した光り輝く超超大型母船は、その高台を覆い尽くすほどの想像を遥かに越える大きさで、それは自然や未知なるものへの敬意や畏敬の念を忘れかけている、愚かな人類への警告を象徴しているかのようでした。
数年前に観た映画のそのワンシーンが、思いがけず突然頭の中で蘇りました。
ソルトレイクシティを出たバスはラスベガスへ向けて南下しました。
その間、大きな街はひとつもありません。ロッキー山系沿いに並ぶ幾つもの国立公園を抜けて、ユタ州からネバダ州へと荒野の砂漠地帯を走り抜けます。
同じくラスベガスを目指しているであろう南に向かう車は、カジノへの気持ちが逸っているのか、どの車も心持ちスピードを上げているようでした。
やがて日没を迎えると、街灯のないフリーウェイは窓の外に目を凝らしても何も見えません。家一軒ない砂漠地帯。時間の経過と共に、真っ黒の墨汁を流し込んだような世界が広がっていくだけです。
自然と視線はヘッドライトが照らすバスの前方へ。バスを追い抜き小さくなっていく何台もの赤いテールライトを目で追っていました。
その時です。
墨汁の海を走ってきたバスが小高い丘を登り切った時、嘘のような眩いばかりの光の洪水に溢れる街が、前方にいきなり出現したのです。
座席から身を乗り出し、ウォーっと声を上げました。
日記には「まるで未知とのソーグーのよう」と書いてあります。“遭遇”を漢字で書けませんでした。
数え切れないほどの白い光の粒が明滅し、赤や黄色の光もチラチラと見え、数本のサーチライトが夜空に向かって伸びていました。
突然現れた闇の中に浮かぶその大きな光の固まりは、あの巨大母船が地上に着陸しているかのように見えたのです。
不夜城、ラスベガス。
人間の欲望が砂漠の中に創り出した眠らない街が、目の前にその姿を現しました。
23:30、バスディーポに到着。
03:45発のロサンゼルス行きに乗り込むまで、約4時間の滞在です。
ダウンタウンのディーポを出ると、すぐにメイン通りのフリーモント・ストリートに出ました。
通りは立ち並ぶカジノのネオンサインの光の渦。
4Queens、Golden Nugget、Pioneer Club、Mint……
道頓堀の看板もハデハデですが、ちょっとちゃうな。いや全然違う。
カニもフグもグリコマークもいません。王冠が光の滝を流し、スペードのエースが明滅し、カウガールがセクシーに片足を伸ばしています。
めっちゃカッコイイ。
ラスベガスは1980年代末から巨大テーマホテルの建設ラッシュが始まり、今ではすっかりファミリーで楽しめるエンタテイメントシティに変貌しましたが、元々はマフィアが暗躍したギャンブルの街です。
僕たちが訪れたこの頃はまだその空気が残っていて、背徳感のようなものと少し危険な香りが漂う“大人の街”という印象でした。
「すげえ」
「すっげえなあ」
二人ともそれ以上の言葉が出てきません。
バスの中で“巨大母船”の姿を見せられてから、ずっとテンションが上がっています。
一番賑わう時間なのでしょう、多くの人たちが行き交っています。一獲千金を狙っているのか、皆ギラギラした感じで、僕たちの身体にも射幸心を煽るように変な電流が流れてきました。
どこのカジノだったかは覚えていませんが、ニシカワと二人、一軒のカジノに入りました。
入口付近に並ぶスロットマシーン。ピコピコ、プルルンプルルンの電子音に、時々ジャラジャラとコインの音。
奥へ進むと、ポーカーやブラックジャックのカードゲームのテーブル。更にその奥ではルールがよくわからないバカラの一画が一番盛り上がっています。
ニシカワが一台のルーレットの前で足を止めました。幾つかの台が並んでいましたが、どこも人だかりができています。
グリーンのテーブル台の上、1から36の数字、奇数か偶数か、赤か黒か。客が好きなところにチップを置き、ディーラーが白い玉をホイールに投げ込みます。
カラカラカラという音と共に玉はひとつの穴へ。その都度上がる歓声と溜め息。
「おもろそうやな」
ニシカワが真剣に見始めました。何度か玉が投げられ、その度人垣から声が上がります。
そのうち前のテーブル席がひとつ空きました。
ニシカワはすっとその席に座り、迷うことなく財布から出したドル札を何枚か「黒」に置きました。チップに交換しなくても現金でもOKのようです。
「さっきから4回連続で黒が続いてる。そろそろ赤や思うやろ。次も絶対黒や」
自信ありげな解説に、真剣な目つき。
赤黒のオッズは2倍。黒に来れば賭け金が倍になります。
「ひもじい食生活はもうイヤや」
それは僕も全く同感です。
注目する中、蝶ネクタイ姿のディーラーがホイールを回転させてから、少し遅れて運命の玉を投げ入れました。
来い、来いっ
注目する二人とテーブル周りの客たち。
クルクルと回るホイール。
ホイールの縁を勢いよく回った白い玉が、乾いた音を立てながら転げ落ちるようにしてひとつの穴へ。
来いっ!
カラカラカラカラカラ
コツン コツン
コッツン
コッツン
ココツン
ポト
赤。
目の前のドル札が即座に回収されました。
固まって動かないニシカワ。
「なんぼ賭けてん?」
僕の問いかけに答えません。
黙って席を立つニシカワ。無言でフラフラと出口へ向かいます。
「なんぼ賭けてん?」
追いかけながらもう一度聞きましたが、やはり答えません。
こいつ、なんぼ負けよったんや……
「えーーーっ!」
僕の大きな声がバスディーポに響きました。
待合室の椅子に座り込んだニシカワがやっと口を開きました。
なんと持ち金180ドルのうち130ドルを賭けたというのです。
手元には50ドルしか残っていません。あと帰国まで10日以上あります。
どうすんねん……
でも彼は戦った。
そして負けた。
責める気にはなりません。
よくもまあ思い切ったと讃えるべきか……
しかし、この先ホンマにどうすんねん……
「黒や思てんけどな」
力無く笑ったニシカワは放心状態で、しばらく会話はありませんでした。
約束通り現れたナガノも30ドルほど負けたとのこと。
ニシカワの状況にタイミングを逃したというか、僕は結局カジノで賭けませんでした。
3人の様々な思いを乗せてラスベガスを出たバスは、10:20、無事ロサンゼルスに到着。
ブランドンホテルへと戻ると、ナンシーさんが前と一緒の402号室を空けて待ってくれていました。
長旅を終えて無事帰り着いたという安堵感、多過ぎて整理できていない訪れた街の記憶、まだ収まっていない興奮と高揚感、そしてずっと抱えている空腹感とこの先の経済的不安。
どこか懐かしささえ感じる部屋に腰を下ろすと、様々な思いと感情が交差しました。
サンディエゴを出てから9日間のバスの移動距離を計算すると約7,700km。
よくもまあ一回もホテルに泊まらず、走り抜けたもんです。
乗車してただけですから、自分たちの力で走り抜いたという意味ではありませんが、見知らぬ土地をこの目で見て来たという大きな満足感は間違いなくありました。
トゥイさんに連絡をすると、預けていたライターはほとんど売れていないとのこと。
明日は土曜日。
「がんばろ」
ニシカワがボソッと言いました。
さて、連載を続けてきたこの話もあと3回となりました。
最後まで引き続き、お楽しみください。
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