番外編
包帯(トワ+雪椿)
トワの人生で頭部の強打による気絶は二度あった。
一度目は落馬、本来の人格を殺して入れ替わり。
二度目は殴打、また別の誰かが来ることなく免れた。
身を守る為に頑なに隠していた素顔を晒す羽目になってしまったが、仕方あるまい。
「えぇ……鳥兜さん、あの時そこ何で黙ってたん……?」
「そこ訊かれなかったから」
返答は単なる屁理屈、自分でも分かっている。
頭を抱えたのは雪椿の方。
その溜息の重さがトワには刺すような痛み。
寮のリビングで熱々のお茶を飲みつつ、雑談の最中にぽろりと溢れてしまった発言だった。
それに対して聞き捨てならぬと反応したのが医者の雪椿である。
あの出来事というか事件は、ヴィヴィアが来た日でもある11月だったか。
年が明けると随分と昔に感じるもので、今は1月。
トワだって晩秋のことを新年に叱られるとは思ってもみなかった。
患部は軽く出血したが、頭痛や吐き気や数時間後に急変することも無し。
色々な意味で慌ただしくそれどころではなかったもので、手当てが済んだらつい動き回ってしまった。
包帯を巻かれた後は氷嚢で冷やして横になるくらいはしたけれど。
「あんなぁ、そこまでの頭部の強打なら病院行って48時間は経過を見んと駄目なんよ……頭の中で出血してて、急変で死ぬこともあるから」
急性硬膜下血腫、急性硬膜外血腫、外傷性くも膜下出血、脳挫傷、脳浮腫、その他諸々。
呆れた目を向けられながら指折りで一つずつ症状の恐ろしさを細かく説明される。
雪椿は月華園所属の医者。
近隣で怪我人や病人が出たら運ばれてくることもあるが、飽くまでも応急処置の面が強く病院までの繋ぎということも多々。
初動が運命の分かれ目でもあるので、やるやらないでは大違い。
加えて従業員達の体調管理なども。
SMは身体を使う大変過激な遊びなので、万全で挑まねば。
特に蜘蛛蘭は練習で怪我が多い。
「ちょっと気絶と出血しただけで済んだのはめちゃめちゃ運良いわぁ……でも、僕もちゃんと訊かなかったのは悪かったんね。眠かったとかは言い訳にならんわ」
そうして雪椿が神妙な顔で頭を下げる。
ここで反省と謝罪を向けられるとは思わなかった。
彼なりの誠意なのだろう。
ただし優しいか、は果たしてそうだろうか。
実のところ別にトワ個人に対する心配ではない。
何しろ雪椿という男は他人にあまり興味が無いのだ。
故に顔と名前を覚えず、うまく誤魔化しながら当たり障りなく会話を進めることも多々。
傍から見ていると、何だか冷や冷やしてしまう。
「いやぁ、ここで働いてる皆のことは同僚くらいには思っとるよ?」
「そりゃそうだろうよ」
「お客さんは名札見んと毎回"誰だっけ?"になるけど」
「雪椿お前、つくづく接客業向いてないな……」
ここで客を覚えるのは、通常の酒場とは勝手が違うので無理もないのだが。
月華園では従業員も客も顔と本名を伏せる。
仮面を変えられたら判別出来ないので、ここでの通り名を書いた札を胸に付ける決まり。
素顔を知っている者だって別人になってしまうことも。
正体を隠しての行動はそうした危うさがある。
雪椿の眼鏡も地味に見せかけるアイテムか。
もともと艶々したアッシュシルバーの長い髪に、垂れ目が淑やかな美しい顔立ち。
こんな彼は意外なことにMの客から人気が高い。
人当たりが良さそうなようで、時折ふと挟まれる色香や冷たい雰囲気で魅了する。
加えて、そのしなやかな身体中が穴だらけという意外性。
服を脱がすとも髪を搔き上げれば耳にコルセットピアス、口を開ければ舌ピアス。
これでも昔は大変可愛かったらしく、当時を知るノエは「雪の妖精のようだった」と語る。
子供の頃の方が色素が薄いことはよくあるので輝く銀髪、少女じみた甘さを残した中性的な美少年。
そのあどけない少年を変えてしまったのも彼女だが。
人格なんて巡り合いにより無限の可能性。
例えば百戦錬磨のSが居たとして、運命のSに出逢ってしまったら呆気なくMに転じてしまう。
そしてその相手が自分よりも経験豊富かというと、そうとは限らず。
それが赤い糸ならばハッピーエンドで終われたのに。
「別に、ノエさんの隣なんて誰でも良えんよ。飼い犬って立場は僕だけの物だから関係無いです」
「忠犬だな」
赤い糸は自分でなくても良い。
さりとて、首輪も要らないと拒絶した。
お揃いが欲しいからとラベンダーブルーのリボン。
ノエは髪に、雪椿は耳と背中に。
宿命でなく望んだ繋がり、儚いからこそ何度も結ぶ蝶々。
とはいえ、世界にただ一人だけ居れば良いなんて訳がなく。
縁の形はそれこそ様々。
医者という立場で雪椿自身も月華園に根差すことを選んだのだ。
トワを含めて彼ら彼女らとも包帯で繋がっている。
それは情こそ乾いていても、丁寧な手で巻き付けられた物。
自覚はあろうと、無かろうと。
悪役令嬢がS嬢って、天職なのでは? タケミヤタツミ @tatumi-takemiya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。悪役令嬢がS嬢って、天職なのでは?の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
スキマニュース日記/にゃべ♪
★72 エッセイ・ノンフィクション 連載中 2,644話
音楽、映画、美術、舞台、食事、文学、観光についての体験感想文集最新/酒井小言
★25 エッセイ・ノンフィクション 連載中 2,918話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます