第4話

 そうして数年経ったある日。


 ミズナが酷く体調を崩しているらしいという噂が、別の街で商いをしていたスルドゥージの耳に届いた。専門的な事はさっぱり分からなかったが、特別な勤めの代償ではないか、という話だった。

 五日も陸路を行けばミズナの村に行ける距離に滞在していた彼は、迷うことなく早馬を調達し、可能な限りの速度で馬を走らせた。


 予定よりも早く到着したスルドゥージを、初めて訪れた時と変わらない静かな村が出迎える。


(姐さんなら、大丈夫だ。あれから悪い噂も聞いてない。ほら、村だって長閑なもんだ)


 スルドゥージは村の入り口で馬を預け、早足でミズナのいおりを目指した。じわじわとした恐怖に、身の内を締め上げられる様な錯覚を覚える。幾人かの村人とすれ違い声を掛けられたが、御座形おざなりに挨拶を返すのが精一杯だ。早足は増々早まり、最後は殆ど全力疾走になっていた。ミズナの庵の前に着た時には、心臓も肺も痛みに悲鳴を上げていた。


(落ち着け。大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫……)


 何度も大きく息を吸い、伸ばした手が引き戸口に触れるか触れないかで、


「そんなに慌てなくてもいいですよ」


 若い男の声と共にガラリと開き、ミズナの弟子のヒナガが顔を覗かせた。

 何故、自分が到着した事が判ったのか不思議そうなスルドゥージに、ヒナガが笑う。


「そりゃあ、あれだけ足音やら気配やらがすれば、魔術使いじゃない僕にでも判りますよ。さあ、どうぞ」


 土間の上がり縁にある囲炉裏の前で、ミズナが二人を見ていた。血の気が無い顔色ではあるが、思いの外元気そうだ。

 へたり込みそうになる脚に力を込め、無意識に寄っていた眉頭を揉むスルドゥージに、ヒナガが優しく声を掛けた。


「あっちで座ってて下さい。今、お茶をお持ちしますね」

「おい、勝手に決めるな……はあ、まあ、こっちに来て座れ」


 ミズナは弟子に文句を言いながらも、突然の来客の為に敷物を用意してやった。挨拶もそこそこに、スルドゥージはずかずかと三和土を横切り、敷物に腰を下ろすと、真向いのミズナの青白い顔をまじまじと見詰めた。


(良かった、少し痩せたみたいだけど、思ったより元気そうだ……でも、何だろう? 姐さんは、こんな顔だったっけ?)


 スルドゥージの視線を気にする風でも無く、ミズナはぶっきらぼうに訊ねた。


「で、今日は何の用だ?」


 問われて初めて、スルドゥージは手土産一つ持参していないことに気付き、顔を赤らめた。


「え? あ、いや、あの、用って言うか」


 珍しくしどろもどろのスルドゥージに、茶を運んできたヒナガが助け舟を出す。


「先生の噂を聞いて、心配で来てくれたんでしょ? 態々わざわざ有難うございます。幸い、狼の数頭位なら素手で追い返せる程度に元気ですよ」

「何でアタシの事をお前が答えるんだ。しかも、何だ、その言い種は」

「はいはい。スルドゥージさん、申し訳ないんですけど、僕、ちょっと席外してもいいですか? 畑を見てきたいんです」


 頷く客に丁寧に頭を下げ、ヒナガはミズナの庵を出て行った。

 静かだった。

 村の顔役であるミズナの自宅には、始終、相談事のある村人が訪れる。だが、ミズナの体調をおもんぱかってか、それともヒナガが気を使って言い含めてくれたのか、訪ねてくる者は現れなかった。


「言いたいことがあれば聞こう」


 ミズナが唐突に口を開いた。

 今迄聞いたことの無い静かでそっと突き放すような声に、スルドゥージは魔術使いとしてのミズナを初めて意識し、同時に、その姿に違和感を抱いた。その思いは言葉となり、口から漏れる。


「姐さんは本当に魔術使いだったんですね」


 慌てて口を噤む。ミズナが静かに笑った。


「何だ突然?」


 沈黙が流れ、やがて、スルドゥージが口を開いた。


「何時もの姐さんは何処に行っちまったんですか? やっぱり、まだ具合が悪いんですか?」

「言いたいことが分からん」


 ミズナとスルドゥージの視線が交わる。スルドゥージは、これまでミズナから一度も向けられたことのない全てを透過している様な独特な視線に、言い知れぬ不安を覚えた。


「一体、どこを見てるんです? 俺とヒナガ君の区別、ちゃんとついてますか? もしかして、茶椀と俺が同じに見えてません?」


 ミズナは苦笑し、案外目利きだな、と呟いた。


「確かに、以前と世界の見え方が変わった。今のアタシは、お前と茶碗の区別はあるが、同じものにも見えている。お前の言う通りだ。これは、『魔術使いの眼』さ」


 スルドゥージの魂のそのまた奥を覗いているような、底知れぬ夜の海の様なミズナの瞳。

 魔術使いの眼は、人や動物の感情や深く繋がり合うもの同士の魂の結びつき、父母や更にそれ以前の魂すらも、色とりどりの糸や光として認識する。「眼」を持たない者がそれらを聞けば、神秘的で美しい世界の話と感じるだろう。

 だが、神秘の世界の知覚はあくまで副次的であり、「眼」の本質は、世界を支配する法則を捉えるというところにある。人も岩も世界を構成する要素の一形態に過ぎないなら、それを見る者にとって人と岩の本質的な区別は難しい。多くの者が感じる、魔術使い達の全てに平等で、時に冷徹に過ぎる程の穏やかさは、この眼がもたらすすものだ。

 ミズナは何かを考え込むように顔を横に向け、暫くしてスルドゥージに向き直った。


「アタシは魔術使いとして重大な欠陥があった。長いこと『魔術使いの眼』が機能してなかったんだ」


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