第3話

 スルドゥージの父親は、片膝着いてうっとりとミズナを見上げる息子の頭を一つ叩き、まだ腰をっている若者二人に息子を抱えさせると、改めて詫びに来ると言い残してそそくさとその場を去った。


 簡易小屋に帰り着くと、父は盛大に溜息を吐いた。


「嫌な予感がしたんだ。ああ、こんなことになる前に、正式に挨拶を済ませておくべきだった」

「正式だろうが偶然だろうが、結果は変わらないだろうな。どんな出会い方をしても俺はあの人に惚れたよ。なあ親父、あの人は独り身かい?」


 息子の能天気な質問を無視し、父親は苛立った声で、


「浮ついた未熟な子供が、何故、状況にあてられているのではないと言い切れる。舐めてかかった獲物に返り討ちにされた初めての経験に、判断力が麻痺しているんだ」

「なら、親父は、あの人が魅力的じゃないって思うのか?」


 息子の言葉に父親は口籠くちごもった。きょろきょろと辺りを見回し、気を利かせて席を外している妻に聞こえていない事を充分に確認すると、頷いた。


「お前の言いたいことは分かる、無論、俺だって美しい方だと思ってるさ。だが、厄介な相手だ。賢く度胸もあり、魔術使いだ。魔術使いは、決して我々と同じ感覚では生きてはいない。大地や海の様なものだ。気を抜いて良い相手ではないし、あちらもお前を相手にするほど暇でもないだろう」


 父親は息子の両肩にぽんと手を置き、


「幸い、ミズナさんは後に引くような方では無い。この村での売り上げなどたかが知れてるが、魔術使い同士の繫がりは軽視すべきじゃ無いからな。お前も商売人なら判るな?」

「…………」


 足元に目を落とし反論しない息子の肩をぽんと叩くと、父親は満足気に小屋を後にした。

 が。

 薄暗い小屋の中、俯いた顔を上げたスルドゥージの表情は、反省とは程遠いものだった。


(ついてるぞ。親父のあの様子だと、あの人に決まった相手は居なさそうだ。や、しまった、俺はまだ名乗ってもないじゃないか)


 確信があった。


(あの人は親父が言うような『魔術使い』とは違う。もっと血の通った『命』だ。美人だけど、あの存在感があってこその魅力なんだ。あの人が俺を相手にしていないのは、あの人と俺達が違うからでも忙しいからでもない。俺が未熟だって見抜いてるからだ)


 独り頷く。


(商売と一緒さ。双方に益があれば流通は上手くいくし、偏った損益では長く続かない。俺は魅力的な商品にならないといけない。確かに今の俺じゃあの人、いや、ねえさんには釣り合わない)


 スルドゥージが考え込んでいると、先程ミズナに投げ飛ばされた二人の若者が、簡易小屋を訪れた。

 思いの外けろりとしている友に胸を撫で下ろし、


「俺等も商団長と親にこっぴどく叱られちまったけど、何がどうなったのか、今一つ分からん。結局、何だったんだ? あの別嬪べっぴんは魔術使いで、彼女がお前を投げ飛ばしたってのは本当なのか?」


 スルドゥージが頷くと、もう一人の若者が呆れ顔で言った。


「あの時のお前、様子がおかしかったぞ。本気であの女に惚れたのか? 片手で男を投げ飛ばす女だぞ?」

「大いに結構だね、それも魅力だ。どんな美女でも、大人しいだけじゃあいずれ飽きる」


 珍しく真剣な面持ちのスルドゥージに、二人の若者は顔を見合わせ、


「止めとけ。悪いことは言わねえ」

「女なんて他にいくらでもいるだろ。お前に惚れてる子だって、一人や二人じゃないんだぞ」


 口々に忠告する友人達の言葉を黙って聞いていたスルドゥージが、先程父親に訊いたのと同じことをもう一度口にした。


「ならお前等は、あの人が魅力的じゃないって思うのか?」


 二人はもう一度顔を見合わせ、同時に「いいや」と言って苦笑した。


「本気なんだな。なら、俺達が口をはさむことじゃない」

「そうだな。他の奴等にも、あの姐さんにちょっかい出さない様に言っておくぜ。でも、これからどうする心算つもりだ? 魔術使いとどうこうなったなんて話、周りで聞いたこと無いもんなあ」


 三人は腕組みしてを額を突き合わせ、結局は、正攻法が一番いいだろうとなった。魔術使いに虚勢は通じないし、仮にあの迫力に虚勢を張った処で、己が惨めになるだけだろう。


「お前はすこぶる美男子って訳じゃないけど、普段は礼儀もわきまえてるし、愛嬌がある。年上の相手と相性はいいだろう」

「だな。後は、どれだけ顔を合わせるかだ」


 それからは作戦通り、この村で商売する時は、出来る限りスルドゥージが表に出ることにした。接客も、配達も、商品の買い付けもやけに積極的な息子の目論見もくろみに気付いた商団長が他の用を言いつけようとすれば、スルドゥージの友人達がさり気なく阻む。親子の静かな攻防は、それに気付いている者達の間では、喜劇舞台を見るような密かな楽しみになりつつあった。

 勿論、商団としてだけではなく、スルドゥージ個人として、時間が空けば商売抜きで村を訪ねたりもした。尤も、ミズナは魔術使いの中でも忙しい立場なのか、村を留守にすることも多く、村を訪れればいつでも会えるわけではなかった。

 それでも顔を合わせれば、スルドゥージはミズナに自分を売り込んだ。何年も名前すら憶えて貰えなくても、飽きることなく口説き続けた。


『決して損はさせません。姐さん、俺と取引して下さい』

『何だか知らんが断る』


『姐さんの人生を下さい。俺の人生と交換ってことでどうです?』

『やらんし、要らん』


『俺の全てを受け取って下さい』

『押し売りはお断りだ』


 挨拶代わりの遣り取りを村の誰も気にしなくなった頃、ようやくくミズナが彼を名前で呼ぶようになった。幾つかの大きな取引を独力で成功させ、商人としての心構えもしっかりしてきたスルドゥージに、両親は溜息を吐きつつも次第に何も言わなくなっていった。


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