第2話
(なんて綺麗な人なんだ!)
自分より、五つかそこら
スルドゥージは、咄嗟に目の前を通り過ぎようとする人影に声を掛けた。
「あの、お嬢さん」
緊張で掠れたスルドゥージの声が耳に届かなかったのか、女は彼を一瞥することもなく、優雅に歩き続ける。
ごくりと唾を飲み、スルドゥージはもう一度、今度ははっきりとした声で話し掛けた。
「初めまして、お嬢さん。何方においでですか?」
女はスルドゥージを無視し、彼の前を通り過ぎる。少しむっとして、女に手を伸ばす。
「ちょっと待ってよ。挨拶位してくれても良い……」
最後まで言う事は出来なかった。彼の手が女の腕に触れたと思った次の瞬間、何故か目の前には青空が広がっていたのだ。背中に衝撃を感じ、呻きが聞こえ、その呻きが自分のものだと気付いた時には、スルドゥージは地面に転がっていた。
己の身に何が起きたのか、全く理解出来なかった。
畑で作業中の農夫が異変に気付き、慌てて走って来る。
「おいあんた、大丈夫か? ミズナ、やりすぎだよ!」
地面に転がるスルドゥージを美しい顔が覗き込んだ。形の良い唇が動く。
「お嬢さんってのはアタシのことか。そんな呼ばれ方するとは思ってなかったから、気付かなかった」
「他に人影は見当たらんだろうが。ほれ、あんた、起きられるかい?」
農夫は呆れた様に呟き、地面に転がったままのスルドゥージに手を差し出す。農夫の手を借り、上半身をおこしたスルドゥージは、背中の痛みに、
女の一連の動きはあまりにも素早く、澱みなく行われた為、周囲にはスルドゥージが勝手に転がったように見えてもおかしくなかった。だが、女をよく知る村人は何が起こったか見ていなくても、状況を正確に理解していた。
何とか立ち上がったスルドゥージに、農夫が気の毒そうに、
「兄さん、この村は初めてだろう。ミズナにちょっかい出すなんて、何も知らない奴だけだ。彼女は、泣く子も黙るこの村の魔術使いさ」
ミズナが農夫に反論した。
「人聞きの悪い言い方をするな。アタシが乱暴者みたいじゃないか」
「乱暴者って言われてもしょうがないがね、投げ飛ばすなんて、ちとやり過ぎだろうよ。まったく、大人げない。この兄さんが怪我したらどうするんだ」
ミズナはスルドゥージを横目でじろっと眺め、鼻を鳴らした。
「考え事をしてたもんだから、身体が勝手に動いたんだ。でも、怪我なんぞさせてない。途中で加減したからな。そもそも、突然女の腕を掴む男にも非があるだろうさ」
普通ならそうかもしらんが……と、農夫がぶつぶつ呟いていると、騒ぎに気付いた他の村人が市場に人を呼びに行ったらしく、
「兄さん、迎えが来たようだぞ。まあ、ミズナもやり過ぎたが、兄さんも礼儀に難があったってことでさ、腹立たしいかも知らんが、余り大事にはしないでくれるとありがたいんだが……おい兄さん、どうした? やっぱり、どこか怪我してるのか?」
何を言われてもぼんやりとしているスルドゥージの目の前で、農夫が手をひらひらと振る。
「…………」
息を切らして彼等の元に辿り着いた商団の若者に、農夫が事情を説明している間も、スルドゥージはミズナを見つめ続けていた。
次第に若者達の額に青筋が立つ。あちこち
若者の一人が、農夫に詰め寄った。
「こいつに何かしたのは、あんたか? 仲間が居るなら、隠し立てするな。俺等が相手になってやるよ」
「いや、俺は何も……」
焦る農夫に、もう一人の若者が手を伸ばす。
「こんなお嬢さんが、こいつをどうこう出来る筈ないだろ。言い訳なら、もっとましな嘘を吐……」
若者が最後まで言い切る前に、農夫に伸ばしていた腕に細くしなやかな腕が絡みついた。若者が小さく呻く。ミズナが軽く腕を振るうと、若者は先程のスルドゥージ同様地面に転がった。ミズナはゆっくりともう一人に歩み寄る。
「へ? な……え?」
地面で呻く仲間と、近付いてくるミズナに交互に目をやり、混乱する若者にミズナの腕が伸びた。
「ここはアタシの縄張りだ。大人しくして貰おう」
「ミズナ、待て!」
農夫が慌てて止めに入ったが時遅く、若者の身体は宙に舞い、あっさりと地面に転がった。農夫が天を仰ぐ。
ここに来てようやく、村人と共に商団の責任者であるスルドゥージの父親が息せき切って駆け付けた。
スルドゥージの父は、村人から在る程度の事情をすでに聞いていたこともあり、茫然としている息子と地面に転がる若者二人の様子に、息の乱れを整える間も無く深々と頭を下げた。
「身内の者達がご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございません。こちらは、手前の息子でございます。躾が至らず、親としてお恥ずかしい限りでございますが、どうか、まだ子供故の無知とお許し願えないでしょうか」
村人達は、転がったままの若者達に手を貸し乍ら、ミズナを窘めた。
「こっちこそ、うちの魔術使いがやり過ぎて申し訳ないねえ。ほれ、ミズナさん!」
「ふん。まあ、若造相手に大人気無いことをしたかな」
「こらミズナ。兄さん達済まんな、ミズナは、決して悪い奴じゃないんだ。ただ、獣みたいな
農夫の言葉にミズナはそっぽを向き、何も言わず自分を見詰め続けているスルドゥージをじろりと睨んだ。
「何か言いたいことでもあるのか?」
「きちんとお詫び申し上げんか、馬鹿者! 愚息が申し訳ございま……」
スルドゥージの父親が、慌てて頭を下げさせようと、己より背の高い息子の頭を掴もうと手を伸ばすが、スルドゥージはその手を躱し、ミズナの前で片膝を付いた。
「惚れました」
「は?」
明瞭すぎるスルドゥージの言葉に、其処に居た全員が動きを止めた。
「貴女の全てに惚れました。嵐の夜も晴れた朝も、常に貴女の傍らに居たい」
ミズナは、スルドゥージの父親に、初めて申し訳なさそうな顔を見せた。
「済まない、アタシとしたことが手元が狂ったようだ。頭を強く打ったのかもしれん」
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