第2話

(なんて綺麗な人なんだ!)


 自分より、五つかそこら年嵩としかさだろうか。長い黒髪に縁取られた小さな顔。切れ長の大きな瞳に、通った鼻筋と赤い唇。ゆったりとした服の上からでも判る均整のとれた肢体。だが、なによりもスルドゥージの心を打ったのは、その圧倒的な存在感だった。

 スルドゥージは、咄嗟に目の前を通り過ぎようとする人影に声を掛けた。


「あの、お嬢さん」


 緊張で掠れたスルドゥージの声が耳に届かなかったのか、女は彼を一瞥することもなく、優雅に歩き続ける。

 ごくりと唾を飲み、スルドゥージはもう一度、今度ははっきりとした声で話し掛けた。


「初めまして、お嬢さん。何方においでですか?」


 女はスルドゥージを無視し、彼の前を通り過ぎる。少しむっとして、女に手を伸ばす。


「ちょっと待ってよ。挨拶位してくれても良い……」


 最後まで言う事が出来なかった。彼の手が女の腕に触れたと思った次の瞬間、何故か目の前には青空が広がっていた。背中に衝撃を感じ、呻きが聞こえ、その呻きが自分のものだと気付いた時には、スルドゥージは地面に転がっていた。

 己の身に何が起きたのか、全く理解出来なかった。


 畑で作業中の農夫が異変に気付き、慌てて走って来た。


「おいあんた、大丈夫か? ミズナ、やりすぎだよ!」


 地面に転がるスルドゥージを美しい顔が覗き込んだ。形の良い唇が動く。


「お嬢さんってのはアタシのことか。そんな呼ばれ方するとは思ってなかったから、気付かなかった」

「他に人影は見当たらんだろうが。ほれ、あんた、起きられるかい?」


 農夫は呆れた様に呟き、地面に転がったままのスルドゥージに手を差し出す。農夫の手を借り、上半身をおこしたスルドゥージは、背中の痛みに、ようやく己が女に投げ飛ばされたのだと把握した。

 女の一連の動きはあまりにも素早く、澱みなく行われた為、周囲にはスルドゥージが勝手に転がったように見えてもおかしくなかった。だが、女をよく知る村人は何が起こったか見ていなくても、状況を正確に理解していた。

 何とか立ち上がったスルドゥージに、農夫が気の毒そうに、


「兄さん、この村は初めてだろう。ミズナにちょっかい出すなんて、何も知らない奴だけだ。彼女は、泣く子も黙るこの村の魔術使いさ」


 ミズナが農夫に反論した。


「人聞きの悪い言い方をするな。アタシが乱暴者みたいじゃないか」

「乱暴者って言われてもしょうがないがね、投げ飛ばすなんて、ちとやり過ぎだろうよ。まったく、大人げない。この兄さんが怪我したらどうするんだ」


 ミズナはスルドゥージを横目でじろっと眺め、鼻を鳴らした。


「考え事をしてたもんだから、身体が勝手に動いたんだ。でも、怪我なんぞさせてない。途中で加減したからな。そもそも、突然女の腕を掴む男にも非があるだろうさ」


 普通ならそうかもしらんが……と、農夫がぶつぶつ呟いていると、騒ぎに気付いた他の村人が市場に人を呼びに行ったらしく、いちが立つ方から、商団の若者二人が走ってくるのが見えた。


「兄さん、迎えが来たようだぞ。まあ、ミズナもやり過ぎたが、兄さんも礼儀に難があったってことでさ、腹立たしいかも知らんが、余り大事にはしないでくれるとありがたいんだが……おい兄さん、どうした? やっぱり、どこか怪我してるのか?」


 何を言われてもぼんやりとしているスルドゥージの目の前で、農夫が手をひらひらと振る。


「…………」


 息を切らして彼等の元に辿り着いた商団の若者に、農夫が事情を説明している間も、スルドゥージはミズナを見つめ続けていた。

 次第に若者達の額に青筋が立つ。あちこち土埃つちぼこりまみれで呆然としている彼の様子は、何やら酷い目に遭わされたせいで、農夫はその言い訳をしているように見えたのだろう。

 若者の一人が、農夫に詰め寄った。


「こいつに何かしたのは、あんたか? 仲間が居るなら、隠し立てするな。俺等が相手になってやるよ」

「いや、俺は何も……」


 焦る農夫に、もう一人の若者が手を伸ばした。


「こんなお嬢さんが、こいつをどうこう出来る筈ないだろ。言い訳なら、もっとましな嘘を吐……」


 若者が最後まで言い切る前に、農夫に伸ばしていた腕に細くしなやかな腕が絡みついた。若者が小さく呻く。ミズナが軽く腕を振るうと、若者は先程のスルドゥージ同様地面に転がった。ミズナはゆっくりともう一人に歩み寄る。


「へ? な……え?」


 地面で呻く仲間と、近付いてくるミズナに交互に目をやり、混乱する若者にミズナの腕が伸びた。


「ここはアタシの縄張りだ。大人しくして貰おう」

「ミズナ、待て!」


 農夫が慌てて止めに入ったが時遅く、若者の身体は宙に舞い、あっさりと地面に転がった。農夫が天を仰ぐ。

 ここに来てようやく、村人と共に商団の責任者であるスルドゥージの父親が息せき切って駆け付けた。

 スルドゥージの父は、村人から在る程度の事情をすでに聞いていたこともあり、茫然としている息子と地面に転がる若者二人の様子に、息の乱れを整える間も無く深々と頭を下げた。


「身内の者達がご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございません。こちらは、手前の息子でございます。躾が至らず、親としてお恥ずかしい限りでございますが、どうか、まだ子供故の無知とお許し願えないでしょうか」


 村人達は、転がったままの若者達に手を貸し乍ら、ミズナを窘めた。


「こっちこそ、うちの魔術使いがやり過ぎて申し訳ないねえ。ほれ、ミズナさん!」

「ふん。まあ、若造相手に大人気無いことをしたかな」

「こらミズナ。兄さん達済まんな、ミズナは、決して悪い奴じゃないんだ。ただ、獣みたいなたちってだけなんだ」


 農夫の言葉にミズナはそっぽを向き、何も言わず自分を見詰め続けているスルドゥージをじろりと睨んだ。


「何か言いたいことでもあるのか?」

「きちんとお詫び申し上げんか、馬鹿者! 愚息が申し訳ございま……」


 スルドゥージの父親が、慌てて頭を下げさせようと、己より背の高い息子の頭を掴もうと手を伸ばすが、スルドゥージはその手を躱し、ミズナの前で片膝を付いた。


「惚れました」

「は?」


 明瞭すぎるスルドゥージの言葉に、其処に居た全員が動きを止めた。


「貴女の全てに惚れました。嵐の夜も晴れた朝も、常に貴女の傍らに居たい」


 ミズナは、スルドゥージの父親に、初めて申し訳なさそうな顔を見せた。


「済まない、アタシとしたことが手元が狂ったようだ。頭を強く打ったのかもしれん」


  *

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る