商人と魔術使い

遠部右喬

第1話

 スルドゥージが初めてミズナを見たのは、まだ十代終わりの頃だった。


 商団筆頭の息子スルドゥージは、ミズナの住む村から単騎たんきせて二十日程の街を本拠地に、年の三分の一は街で、もう三分の一を馬上で、残りの三分の一は海の上という生活をしている。彼の父が率いる商団は、中規模ながら陸路も海路も利用していて、その際に海沿いにあるミズナの住む村に立ち寄ったのがすべての切っ掛けだった。

 出会いからこっち、スルドゥージは顔を合わせるたびに魔術使いであるミズナに絡み、飽きもせず愛を囁き続けている。うんざり顔の魔術使いを見るにつけ、その弟子である神官のヒナガは、「僕の知る限り、唯一の猛獣使い希望者ですよ」と彼の勇気を冗談半分に称えたものだ。

 そしてそれは出会いから幾年も経った今も、変わらず続いている。


  *


 スルドゥージがまだ幼かった頃、両親は年の半分以上を留守にしていた。両親に代わり、まだ幼かった彼の面倒をみていたのは、彼の祖父母と街の魔術使いだ。特に祖父母は、本拠地に構えた店を切り盛りしながら、商売の大変さや醍醐味を幼い孫にしっかりと叩き込んだ。そのお陰か元々の気質なのか、スルドゥージは愛想が良く物怖じしない、利にさとい子供に育った。

 当初は小規模だった商団は徐々に大きくなり、荷の増加と共に、当初は陸路だけだった移動手段は、海路にも広がっていた。

 その頃になると、両親は息子を旅に連れだすようになった。それまで街から出たことの無かったスルドゥージは、委縮するどころか大はしゃぎで、瞬く間に商団の大人達に馴染み、年の近い子供達の兄貴分に収まった。

 旅の生活は大変なことの方がよほど多いが、見知らぬ商品や人との出会いは、スルドゥージにとって何にも代えがたい魅力に満ちている。つまり、彼はこの生活をいたく気に入っていた。


 その日、商いの為に訪れた海沿いの村は、佇まいも露店に集まった住人も素朴で、既に旅慣れていたスルドゥージの目には少々刺激が足りなかった。退屈だったが、それを分かり易くおもてに出すほど迂闊では無い。だが、客足が落ち着いた所でこっそりと吐き出された生あくびに、父はしっしっと片手で追い払う仕草で、


「他の店を見て来い。それも立派な勉強だ。ただし、羽目を外さないことだ。この村には、中々恐ろしい方がいらっしゃるぞ」


 父の言葉に肩眉を上げた。


(羽目を外すな、か。こんな長閑のどかな村に、羽目を外せるような場所なんて無さそうだが。恐ろしい方なんて、本当に居るのか?)


 決して腕っぷし自慢な訳では無いが、時には荒っぽい相手と商売することもあり、場数はそれなりに踏んでいる。父親は尚更だ。その父に「恐ろしい方」と言われるような人物が、平和そのものの村に居るとは俄かには信じがたい。


 ともあれ、折角の空き時間だ。商団の仲間以外が開く露店を見物し、良い匂いを漂わせる屋台で貝の煮込みを買い求め、屋台の近くに適当に積まれた木箱に腰掛けた。

 まだ熱い煮込みは、かなり美味しかった。満足し、機嫌よく屋台に器を返す為に一歩踏み出そうとした時、向かいの屋台と屋台の間の細い路地が目についた。


 スルドゥージの口元がにやっと持ち上がった。父親の言いつけを破るつもりは毛頭なかったが、ただ言う通りにするのもつまらない。言い訳のきくぎりぎりが良い、そう考え、器を店に返した彼は、向かいの路地に足を踏み入れた。


 路地を抜け少し歩くと畑が連なり、作業をしている人影がちらほらと目についた。街で育ち、旅暮らしのスルドゥージには馴染みの薄い景色だ。これ以上行っても退屈しのぎになりそうもないと考え、それでも何とはなしに歩き続けていると、前方に小さな人影が見えた。

 自分の畑にでも向かってるのかな、等と考えながら道の端に避け、近付く人影を眺める。


(土地に縛られて生きるのは、どんな気分なんだろう? 生まれた地で育ち、結婚して、子を育てて、最後はその土地に還る……)


 旅暮らしに慣れてしまうと、一か所に留まる生き方が退屈に思えてしまう。何方どちらが良いという事では無いことは分かる。ただ、スルドゥージにとっては今の暮らしが性に合っていて、他の暮らし方の想像がつかないのだ。


(その良さは、きっと、俺には永遠に解らないだろうな)


 珍しく考え込んでいたスルドゥージは我に返った。

 遠くに見掛けていた人影は、何時の間にか、目鼻立ちが判る程近づいて来ている。


 スルドゥージの心臓が跳ね上がった。

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