第13話



 雪次郎様の葬式以来、年に一度。久次郎達は、私に顔を見せるようになった。


 健は、まるまる太った可愛い子供だった。その顔には、どこか雪次郎様の面影もあった。


 美雪にも子供が出来た。双子の可愛い女の子だ、前世のいとこ姉妹である。あまり面識無かったけど。


 私は日々、花を生けて周囲を散策していた。余生真っ只中、と言った感じだ。


 雪次郎様を失った私は、美雪や久次郎達が里帰りして孫の顔を見せる日だけを楽しみに生きる日々が続いている。


「健ちゃん、可愛いねぇ」


 孫、という生き物は可愛い。娘や息子も可愛がったが、孫はまた格別だ。


 私を溺愛した爺様の気持ちが分かった。手塩をかけて育てた子供が、大人となって子を作ったと言う達成感。自分から連なった、命の灯火。


 その、象徴とも言えるのが孫なのだ。


「おばあちゃん、あまり健を甘やかさないで」

「うるさいですね。……お菓子はいりませんか、健ちゃん」

「ほしいー」


 ああ、愛くるしい。


 桜は健が太ってきたのを気にしているらしいが、子供はこれくらいな方が健康なもんよ。


「あの母さんが、こんな孫馬鹿になるとはなぁ」

「何か言いましたか、久次郎」

「いえいえ」


 そんな久次郎も、どこかオッサンの風格を帯びてきた。そういや、30歳越えてるのか久次郎も。年月の流れは早いものである。


「次は何時来るのですか?」

「また、長期休暇が取れたら連絡するよ」

「ええ、待ってますから」


 彼等はそう言って、古ぼけた屋敷で見送る私と別れた。


 ……前世の記憶が確かならば、私ももう長くはないだろう。


 彼らの言う「次」の休暇まで、私は生きているだろうか。



















「お母さん!! お母さん!!」

「おふくろっ!!」


 やはり、「次」は来なかった。


 心筋梗塞。突然の胸痛で悶絶し救急搬送された私は、集中治療室で点滴まみれになって居た。


 それは運命なのか、雪次郎様と同じ病院の同じ病室だった。


「嘘だろ、やっと和解出来たのに!」

「お母さん、目を開けて、お母さん!!」


 目が霞む。意識が朦朧としてくる。ああ、これがきっと私の最期。


 連絡を受けて駆け付けてきた、美雪と久次郎。それぞれ、双子姉妹と健を連れて私の病室に来ていた。


 子供二人に囲まれて。孫も死に目に顔が見れて。これ以上無い、死に際だ。


「────っ」


 声が出ない。体が言うことを聞かない。


 ああ、最期だ。これが私の、伊勢みくの最期だ。


 何とか振り絞った力で、目を開ける。悔しそうな顔をしている久次郎に、涙を流している美雪。


 その後ろで、双子姉妹は父親と手を繋いで固唾を見守って。一文字桜とその息子は、ぼんやりした目で私を眺めていた。


 そういや、前世でばあちゃんが死んだ時、その場に居たっけ。思い出した思い出した、そーだったな。


 無表情に、ボケッと突っ立っている一文字健。可愛い可愛い、私の孫。









 ────そんな彼は、18歳で自殺する。



「っ!!」

「お母さん!? どうしたの、苦しいの!?」

「おふくろっ! 医者だ、医者を呼んでくれ!」


 忘れていた。何をやっていたんだ私は。


 どうして、ただ愛でるだけだった。どうして、両親に釘を刺しておかなかった。


 死ぬんだ。彼処で何も分からず立っている一文字健は、たかが受験に失敗しただけでビルから飛び降りてしまうのだ。


「────っ!! っ!!」


 伝えねば。救わねば。運命を変えねば。


 嫌だ。あの子は、一文字健は、私の紡いだ大切な命の脈。死んでしまうなんて耐えられない。


「母さん、母さん!!」


 手を伸ばす。愛すべき孫に、一文字健に。


 だけど、動かない。私の体は、最早言うことを聞かない。


 死なないで。死なないでくれ。お願いだから。


 私が言えた義理ではない。それは重々承知している。だけど、だけど─────

















 そこで。『私』の意識は、途絶えた。
















「そこで何をやっている!!」


 全身を包み込む浮遊感。


 無機質に立ち並ぶビル群。


「馬鹿野郎!! まだ若いってのに何考えてんだ!」


 次に目が覚めた瞬間。『私』は巨漢の男に腕を握られ、ビルの屋上にぶら下がっていた。


「おい、マコト!! 人を集めろ、コイツは俺が引き上げる!」

「は、はいぃ! 分かりました!」


 何が起きた? どうして、『私』はまだ生きている?


 完全に死んだ筈だ。もう助からない体だった筈だ。


「おい、抵抗するなよ! 俺の目の前で自殺なんて許さんからな!!」



 ────自殺?



 下を見下ろす。そこには、遥か彼方に地面があって。


 上を見上げる。そこには若々しい自分の腕と、ゴツいマッチョな警備員の顔が見えて。



「よし、そうだ。しっかり捕まっていろ」



 そのまま。『私』……、いや俺はそのオッサンに引き上げられた。





「全く! 何で飛び降りなんかしたんだお前!」

「……」


 信じがたい。信じがたい事に、俺は────一文字健だ。


「とりあえず、警察呼んでるからな。親にも連絡が行くだろう、たっぷり説教してもらえ」

「……てる」



 時刻は、俺が受験に失敗して飛び降りた直後。


 俺は誰だ? 伊勢みくか? いや、そんな筈はない。俺は生まれた時から一文字健だ。


 ……だったら、今の記憶はなんだ?


 夢? まさか、そんな筈はない。信じられないくらいに現実感のある景色だったぞ。でも……冷静に考えると、夢だったのか?


 伊勢みく。俺のばあちゃんにあたる人の、人生丸ごとの記憶。あれは、自殺間際の俺の見た白昼夢だったとでも言うのか?


「どうした、何を黙ってる」

「……生き、てる」

「あん?」


 分からない。分からないけれど、だとしても。あれが全部、全部俺の妄想だったとしても。


 俺が、此処に居るという事実だけは絶対に変わらない。


 俺は震える手で自分の体躯を自ら抱き締めて。静かに嗚咽をこぼした。


「生きてる、俺は生きてる───」

「あん? ……何だよ、飛び降り直後に命が惜しくなったのか。2度とこんな馬鹿な事すんなよ」

「生きてる────」


 良かった、生きている。


 一文字健は、ばあちゃんから連なった命の灯火は、まだ消えていない。


 激動の時代を生き抜いて、俺に渡してくれた命のバトンは失われていない。


 だって俺は、まだ生きて此処にいる────



 涙と鼻汁でぐしゃぐしゃになりながら。俺は、その場にうずくまって自らの無事を歓喜した。

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「みく」の灯火 まさきたま(サンキューカッス) @thank_you_kas

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