第12話
「今さら、何のつもりで顔を見せたのですか久次郎」
「あ。いや、その……」
久次郎と、その妻である桜。縁を切った筈の二人が、揃って雪次郎様の病室を訪れていた。
「お、お母さん。今はこういう事態だし、久次郎だって本当は────」
「おだまりなさい、美雪。私は久次郎と話をしているのです」
流石に、父親の死に目が気になったのか。
しどももどろになりながらも、久次郎は私の目を見返してきた。
「父さんに、謝りたくて」
「何をですか?」
「い、色々」
要領を得ない、久次郎の言葉。あの傑物たる雪次郎様の子供とは思えない。
だけど。
「色々、俺は拙かった。桜が好きで、それ以外の事が何も見えてなかった。でも、謝りにいく勇気がなかった」
「それで」
「……親父が倒れたって聞いて。それで俺、訳がわかんないくらいに混乱して。気付いたら、桜と一緒に此処まで来てた」
久次郎は、よく考えないままに此処まで駆けて来たようだ。だけど、覚悟だけはしっかり決まっていたらしい。
「勝手でごめんなさい、お母さん。どうか、どうか俺に、父さんに謝る機会をください」
「今の状態の雪次郎様に、ですか?」
「今のお父さんにだろうと、届く言葉で謝ります」
あやふやな言葉とは裏腹に。久次郎は、しっかりと母たる私の目を見つめて頼み込んだ。
……ふむ。
「───やってみなさい」
「ありがとう、母さん」
久次郎は歩く。
まっすぐ、痩せ細り真っ白になった雪次郎様の枕元へ。
汚い病室の床。彼はそこに座り込み、静かに土下座を決め込んだ。
「親父、ごめん」
ぽつり、ぽつりと久次郎は言葉を紡ぐ。
「俺はあんたを古臭い男だと思ってた。俺の気持ちなんか理解せず、上から目線で価値観を押し付けてくる老害だって思ってた」
それはきっと、久次郎の本音なのだろう。
「でも。親父は、ただ俺に真っ直ぐ育って欲しかっただけなんだよな。俺が道を踏み外さないよう、親としてしっかり責任を果たしていただけなんだよな」
久次郎の声が、少しずつ震えてくる。
「親父。俺さ、親になったんだ。桜も煙草止めてさ、ちゃんと子供作ろって話になってさ」
みれば。一文字桜の抱えるその手に、小さな赤ん坊が居た。
……ついに、子供が出来たのか。
「怖い。子供育てるって怖いんだな親父、全然知らなかったよ。俺は、親父とは違う理解のある親になろうと思っていたけど……」
その、赤ん坊はすやすやと眠っている。
母親の手の中で、静かに揺られながら。
「……どうやって子供育てたら良いのか。どうやって教育したらいいのか。そう考え始めた時、俺は小さい頃にぶつけられた親父の言葉の意味が全部理解できてさ。あんた、偉大だったんだな」
その言葉と共に、静かに久次郎は泣き始めた。
「あんた、凄く俺の事を考えてくれてたんだな。たまの休日に、キャッチボールする時間作ってまで俺に関わってくれてたんだな」
「……久次郎」
「好きだったよ、あの時間。親父が一緒に遊んでくれた、あのかけがえの無い時間。ごめんよ親父、俺は何も分かってなかったんだ」
ああ。そっか、あの子も親になって気が付いたのか。
子育ての難しさに、父親の重圧に。
「……こんなどうしようもない俺を。育ててくれてありがとうございました」
久次郎は頭を下げる。病室の床に擦り付けんばかりに。
息子の謝罪は、これで終わった。この言葉が雪次郎様に届くかは分からないけれど、真摯な謝罪だったと私は感じた。
……せめて。今、この病室に滞在することは許してやろう。そう考えるくらいには。
「……お父さんっ?」
その時。私は、目を疑うような景色を目にする。
「親父っ!?」
雪次郎様の手が伸びて。床に座る、久次郎の頭を優しく撫でたのである。
「意識、意識が戻られたのですか雪次郎様!?」
私は慌てて駆け寄った。だけど、相変わらず雪次郎様には何の反応もない。
「う、ああっ……」
偶然なのだろうか。たまたま、手がずり落ちて久次郎の頭を撫でたように見えただけなのだろうか。
「親父、親父ぃ……」
いや。きっと届いたのだ。
もう意識など無いだろう雪次郎様に。息子の、久次郎の謝罪が届いたのだ。
その日の夜。とうとう、雪次郎様は目を覚ますことなく逝去した。
享年、58歳。人生まだまだ、半ばとも言える年齢だ。
だけど、そのお葬式は。息子、娘を含め数十人が参列する盛大なものとなったのだった。
「久次郎。貴方への勘当を解きます。雪次郎様はきっと、貴方を許したでしょう」
「ありがとう、母さん」
「……孫を。たまに、その子を連れてウチに遊びにいらっしゃい」
別れ際。私は久次郎を許した。
雪次郎様が許したのだ。これ以上、彼を出入り禁止にする意味はない。
「そのこの名前は、何と言うのですか?」
「健。一文字、健」
「良い名です」
……そして、気付いては居たけれど。その、一文字桜の腕の中で眠る男児こそ。遠い記憶の彼方たる、前世の『俺』だった。
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