震える声
下東 良雄
震える声
戸神北高校の多目的体育館。そのステージ脇に私はいた。
私の目の前で、音楽研究部のバンドのステージが終わる。
高校生とは思えない素晴らしい演奏だった。
さぁ、次は私だ。
もうすぐステージが始まる。私が歌うステージが――
目をつむった私は、大きく深呼吸しながらこれまでのことを思い出していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一週間前――
「スミレちゃん。じゃあ、歌うのはやめるんだね?」
ここ数ヶ月、戸神西中学から毎日のようにここ、戸神北高校の音楽研究部の部室である音楽準備室に来ていた私。ずっと歌の練習を重ねていた。来週がそのお披露目の時。月例集会での文化部の活動発表に合わせ、私も一曲歌わせてもらえることになったのだ。
でも、そんな大舞台で歌うことで恥をかくのではないか。そんな思いが心から溢れ出て、止めることができない。
歌うのが嫌になった。歌うのが恥ずかしくなった。
私は音楽研究部の部長・二年生の駿さんにその旨を正直に伝える。
私の目の前には、五人の先輩方がいた。
部長でベース、長身でポニーテールの
リードギター、やんちゃっぽいけど優しい
キーボードとサイドギター、金髪美女の
ドラム、いつもニコニコ食いしん坊な
ボーカルで駿さんの彼女、小柄でそばかすがキュートな
その五人が心配そうな表情で私を見ている。
駿さんの問いに、私はゆっくりうなずいた。
「みんなの前で歌うのは怖いかい?」
優しく微笑む駿さんに見つめられ、私はうなだれる。
我慢していた涙が床にポタリと落ちた。
「大丈夫だよ、スミレちゃん」
「やめるっていうのも立派な選択肢だよ。泣くことなんてない」
幸子さんと亜由美さんが私を優しく抱き締めてくれた。
達彦さんと太さんは、少し残念そうだ。
「スミレちゃん、オレからも選択肢を示したい」
私に優しく語りかける駿さん。
「やって後悔するのと、やらないで後悔するの。どっちがいい?」
私はハッとした。
「今日は金曜だ。週明けの月曜日、答えを聞かせてくれ。亜由美が言ったように、やめることも立派な選択肢だ。決して恥じることじゃない。今週末によく考えてから答えを聞かせてほしい」
顔を上げると、駿さんはじめ、音楽研究部の先輩方は全員優しい微笑みを私に向けてくれていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数ヶ月前――
いた! 校門からおしゃべりしながら出てきた長身の男性と小柄な女性のカップル。あのふたりだ、間違いない!
去年来た戸神北高校の文化祭。そこで見た音楽研究部のバンドのステージ。物凄かった。心が震えた。特に最後のデュオ(後に駿さんと幸子さんのデュオだと分かった)は、これまでの私の中にある音楽をすべてひっくり返すほどのインパクトがあった。あのひとたちなら……
私は、あのデュオのふたりの前に飛び出した。長身の男性の方(駿さん)は超イケメンでカッコ良かった。小柄な女性の方(彼女の幸子さん)は顔がそばかすだらけで正直驚いたけど、よく見るとスゴく可愛くてキュート。そんなふたりは、何事かと驚いている。私は男性に手紙を無理やり手渡し、そのまま走って立ち去った。
その日の夜、男性からメールが来た! グループチャットに誘っていただき、あの小柄の女性も交えて自己紹介させてもらい、色々と会話させてもらうことができた。
『私に歌を教えてください』
手紙に書いたその一言を、駿さんも幸子さんもOKしてくれた。やったネ!
ただ、私が手紙を渡した後、駿さんは思わずデレデレな顔になったらしく、ヤキモチを妬いた幸子さんにお尻をつねられて痛い思いをしたとのこと。思わず笑ってしまったが、私みたいなどこにでもいる中坊が、幸子さんのような美少女に敵うわけがありません、ハイ。
こうして私は、学校が終わった後に、戸神北高校へ毎日のように通うようになったのです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二年前――
「
「病巣を取り除くためには、どうしても必要な措置となります」
病院での担当医による病状とその治療方針の説明。
母は泣き、私は言葉が無かった。
しかし、私の声は中学生で失われることになる。
歌を歌うのが好きだった。
歌が上手いと褒められることもあった。
それもすべてが夢の彼方に消えていく。
手術は無事終了。
術後、声の出ない私。
その事実に声だけでなく、もう涙すらも出なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戸神北高校 多目的体育館 ステージ脇――
私は目を開けた。
やるしかない。私ならできる!
「今回はスペシャルゲストを呼んでいます! 戸神西中学から来てくれた
駿さんの紹介に、私は意を決して大勢の高校生の前に出ていった。
想像以上に観客がいて、胸のドキドキが止まらない。
観客から拍手や指笛が飛んだ。
「このステージ、最後の曲をスミレちゃんが歌います! 歌は『さくら さくら』です!」
駿さんからマイクを渡される。
「……オレたちがついてるからな……」
最後まで私に勇気を与えてくれる駿さん。
そして、体育館が暗くなり、私にスポットライトがあたった。
亜由美さんが弾くグランドピアノから、あの聞き慣れたメロディが流れる。
私は歌う。歌うんだ!
『ざ ぐ あ〜 ざ ぐ あ〜』
(さーくーらー さーくーらー)
『お あ だ ぼ ざ ど ぼ〜』
(のーやーまーも さーとぉもー)
『い あ だ ず あ ぎ ぎ〜』
(みーわーたーす かーぎぃりー)
歌えてない! 練習ではうまく歌えていたつもりだったのに!
スピーカーを通すとはっきり分かる!
きちんと発音できてない! 音程もめちゃくちゃだ!
――食道発声法
喉頭全摘などで声帯を失ったひとが用いることの多い、声帯を利用しない発声方法のひとつ。
食道内に空気を取り込み、ゲップをする要領で空気を逆流させて食道の粘膜を震わせて発声する。補助器具などを必要としないのでコストがかからず、自然な会話ができるが、かなり高度な技術やコツが必要であり、流暢に話すには長期の発声訓練が必要(かんたんな会話をするのに一年から一年半程度かかる)。この技術を極め、歌を歌える達人も実際にいる。
スミレは、駿が通っていた病院を紹介してもらい、数ヶ月間に渡り発声訓練をしながら、その発声を歌に昇華できるように血の滲むような努力をしてきたのだ。
『あ ず い あ ぐ お あ〜』
(かーすーみーか くーもぉかー)
『あ ざ い ぃ ………………』
(あーさーひーに にーおぉうー)
もう恥ずかしくて声が出せない。
『…………………………………』
(さーくーらー さーくーらー)
涙が溢れ、目を拭う。
ただマイクを持って泣くだけの私。
情けなさ過ぎる……
『…………………………』
(はーなーざぁかーりー)
間奏を弾いている亜由美さん。
もう歌えない。もう無理だ。
駿さん、幸子さん、皆さん、ごめんなさい……
「がんばってー」
観客からの声。
「いいぞぉ、ガンバレー」
「大丈夫、大丈夫!」
観客からたくさんの応援の声や拍手が飛ぶ。
きっと私の声を聞いて、察してくれたのだろう。
みんな優しいな。みんな暖かいな。
恥ずかしいからって、そんなみんなを裏切っていいわけがない!
歌えないかもしれない……でも、今のベストの自分を見せるんだ!
私が顔を上げると、駿さんが笑顔で頷いた。
真剣な表情で頷き返す私。
その時だった――
ディストーションの利いたリフを達彦さんと亜由美さんが刻み始める。ステージの上で美しい金髪を振り乱しながらギターをかき鳴らしている亜由美さん。カッコイイなぁ。達彦さんはステージの端で渋くギターを弾いている。
太さんのパワフルなドラミングにのって、駿さんは大股開きのまま抱えたベースでスラッピング。何をやっても絵になる駿さん。
「YEAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAH!」
幸子さんが観客に向かってシャウト。観客もノッてきた。えっ? 今のマイクなしの生声!? ウソでしょ!? 驚く私に笑顔でピースサインを返す幸子さん。スゴすぎる!
ヘビーメタル調にアレンジされた強烈な『さくら さくら』。観客の中にはヘッドバンギングしてるひともいた。
さぁ、私だって負けない! 最後まで歌うんだ!
『ざ ぐ だ〜 ざ ぐ だ〜』
(さーくーらー さーくーらー)
『あ お い ど ぞ だ あ〜』
(やーよーいーの そーらぁはー)
『い あ だ ず あ ぎ ぎ〜』
(みーわーたーす かーぎぃりー)
声にエフェクトがかかって、発音を少しごまかしてくれてる!
そういえば太さんの持ってたボーカルエフェクターを後半使うって亜由美さんが言ってた! 発音の補正になるかもしれないからって! 亜由美さん、ありがとう!
『あ ず い あ ぐ お あ〜』
(かーすーみーか くーもぉかー)
『ぎ お い ぞ い ず う〜』
(にーおーいーぞ いーずぅるー)
『ぎ ざ あ〜 ぎ ざ あ〜』
(いーざーやー いーざーやー)
『ぎ い う あ ぅ〜』
(みーにーゆぅかーんー)
歌い切った……
バンドの演奏も綺麗に締まった。
私の目に映ったのは、スタンディングオベーションだった。
全員が私に笑顔を向けて、大きな拍手を送ってくれている。
そんな光景が涙でぼやけていった。
私の右手を駿さんが取り、そのまま持ち上げた。
そして左手を亜由美さんが取り、そのまま持ち上げた。
バンザイした格好の私。
「
幸子さんの言葉に、体育館が大きな拍手の音で埋め尽くされていく。
私は深く深く頭を下げ、戸神北高校への入学と、駿さんが率いる音楽研究部への入部、そしてもっと上手に歌ってみせることを心に誓った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一ヶ月後――
今日はお母さんと病院に来ている。「シャント発声」という今とは別の発声方法についての説明を聞きに来たのだ。「食道発声法」とは異なり、かなりかんたんに発声できるようではあるけど、改めての手術が必要なようだし、日々のメンテナンスも必要とのことで、一長一短という感じかな。
医学だってどんどん進歩しているし、私自身「食道発声法」を極めるほどの努力は出来ていない。つまり、私の未来にはまだまだ選択肢がたくさんあるってこと! それに気がついた時、心を覆っていた黒い霧がさぁっと晴れたような気がした。
声を失った私がボーカルとして音楽に青春をかける。そんな青春があったっていいじゃない! 駿さんや幸子さんたちと一緒なら、きっと素敵な未来を見出だせるはず。
私の頭上に広がった限りない深さを湛える青空は、無限の選択肢が待ち構えている私の明るい未来を予感させていた。
震える声 下東 良雄 @Helianthus
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