第6話 憶えてるから

  私が目を覚ましたのはいつも私が眠っているベッドの上だった。日は昇っておらず窓の外には少しだけ顔をのぞかせたお月様が見えた。

「ここは…私の部屋…」

  あれから数時間が経っているようで屋敷は既に静寂に包まれていた。

「誰か…いませんの?」

  廊下に問いかけてみるも声は返ってこない。

「ふぅ…夢では…ないですわよね…」

  主がいなくなったことできっと屋敷は混乱してしまっただろう。使用人たちは既に屋敷を出て各所に連絡に行ったに違いない。おそらくこの家の中は私を除きもぬけの殻となっているだろう。

「……私は、どうすればいいのでしょう」

  優乃ちゃんのところに行ってみる?…いや、多分もうあの子は私に会ってくれないだろう。何をしたかはわからない。しかしあの子が事件に関わっていることは確かなのだから。

  とにかく、明日を待つしかなさそうだ。私は軽く食べられるものを探すことにした。

「こんな時でも…お腹はすきますのね…」

  空腹で鳴く腹をさすりながらキッチンで食材を探していると、戸棚の奥の方にメモ書きを見つけた。

「なにかしらこれ…」

  おそらく人の目につかないように隠されていたそれは何か意味深な雰囲気を放っていた。私はそのメモを開いた。

「大樹崩落は為されてはいけない…。私が死んでも…それは始まりでしかないのだ…。これって…お父様が書いたものだわ…」

  その筆跡にも見覚えがあった。お父様は死を予見していたのだ。このメッセージはきっと、私に大樹崩落作戦を止めるように伝えるものに違いない。

「お父様の死を…嘆いている暇はないってことですわね…」

  私は拳を握りしめると必ず大樹崩落作戦を阻止するのだと決意した。例え紫雷様がこの事件に関わっていたとしても…私は優乃ちゃんだけでも守りたい。優乃ちゃんは助けを求めていたに違いない。罪がなければ私は彼女を助けることが出来るんだ。


  翌日学校に行くと、やはり優乃ちゃんはいなかった。当然のことだろうけど…きっと今頃は優乃ちゃんの家は警備が押し寄せているに違いない。…私が密告したから。優乃ちゃんと交わした会話はそういう意味だったのだと思う。

  大樹信仰には剪定という制度がある。もし家族が大罪を犯しても本人に罪がなければ不問とされる制度だ。

  優乃ちゃんはあの日家族と揉めていた。計画を強要されたのかもしれない。ならば優乃ちゃんに罪がなければ他の家族は裁かれても優乃ちゃんだけでも助けられるはずだ。

「おはようございます。ええっと…はい、全員いますね」

  朝のホームルームで先生が生徒の確認をする。

「え?」

「なんですか?」

「あのっ!優乃ちゃんは…網井 優乃がまだ来てませんけどっ!」

「……誰ですか、それは?」

  まだ教室に優乃ちゃんの姿はない。それなのに平然と進行されようとしている状況に鳥肌が立つ。そうしてまるで先生は優乃ちゃんを最初から知らないかのように問い返してきた。

「何を言ってるんですか!」

「あなたが何を言ってるんですか…聡明なローザさんが寝惚けているなんて珍しいですね」

  教室中のみんなが笑った。みんなが知らないってことだ。

「え…だって…なんで…」

「はい、もう座ってください。授業始めますから」

  その後も優乃ちゃんは来なかった。それどころか誰もそれを気にとめることもせず優乃ちゃんの名を口にする者はいなかった。

「ねぇ…あなたたち…優乃ちゃんのこと…知ってるわよねぇ…?」

「ローザちゃんおかしいよ…誰のことなの?」

  誰に訊いても優乃ちゃんを知っている人はいない。

「そんなはずない…そんなはず…」

「ローザちゃん、お父様が亡くなられたんだって…」

「あぁ…だから…」

  やめて…。私はおかしくなんてなってない…。みんながおかしいの。優乃ちゃんは確かにいた。みんなが…おかしいの…。


 学校が終わり、私は真っ先に優乃ちゃんの家に向かっていた。確かめなくては。優乃ちゃんがいないのならばその家だってないはずだ。

「うそ…」

  家は、なかった。あの陽だまりのような家のあった場所は、ぽっかりと開けた空間になっていた。

「こんなはずない!私が…私がおかしいんですの…?」

  諦めきれない私は優乃ちゃんの家があった場所を掘り返した。土ばかりが私の手を汚す。瓦礫ひとつない。まるでここにはもともと建物も何もなかったかのように。

「なんで…」

  私はその場に崩れ落ちた。優乃ちゃんは幻だったのか?それじゃあ私が過ごした日々はなんだったのか?消えてしまった親友とその存在すら知らない人々。私が信じるべきものはいったいなんなのか…。


  家に帰り使用人たちにきいてみた。

「ねぇ、私先日友人と遊んだはずですけれど、誰の家に行くと言っておりましたか?」

「お忘れですか、お嬢様?その日は気が向かないと言って御自室でお眠りになっていたではありませんか。」

「嘘よッ!」

「お嬢様…お父様が亡くなられて気がたっていらっしゃるのはわかります…。どうかよくお休みになってください…」

「やめて!そんな人を狂人みたいにッ!優乃ちゃんはいるの!私の親友なのッ!」

「おやめください!どうか…どうか…っ!」

「うわぁあぁあ!」

  私は泣き叫び辺りにあったものを手当たり次第に掴んでは投げた。

「お嬢様…」

「……お腹…すいた…」

  ひとしきり暴れて私はおとなしくなった。

「…すぐにご用意いたします」

「……うん」

  力が入らない身体を何とか動かし、夕食を食べ入浴を済ませた。

「おやすみなさい…」

  そうして私は早々に床に就いてしまった。


  それから数日後、警備から連絡が入った。お父様を襲った犯人がわかったのだという。

「あなたは…この前の」

「おや、覚えていてくれたのですか」

  家の前で会った髭面の男だった。

「グラジオ様を殺害した犯人がわかりました」

「…私も知っています」

「本当ですか?」

「…優乃…網井優乃でしょう?」

「ふむ…違いますな」

「違うんですの?」

「しかし惜しいところではありますな。お嬢様がどこから調べてきたかはわかりませんが、今回の犯人はその兄である網井紫雷の可能性が高いのです」

「紫雷様が!?」

「そうです。彼は大樹崩落作戦を支持する連中の仲間だったようです」

「…ということは…優乃ちゃんは…無実だ!」

「しかしお嬢様、どこでその名を仕入れたんです?私でさえ相当苦労したんですよ」

「…友達なの。その子」

「それはまた奇妙な縁ですな。 住む場所も学校もてんで違うのに」

「それがおかしいんですの!私ついこの間までこの子と同じ学校に通っていましたのに!家だってすぐ近くにあったはずなのに!」

「昔知り合いだったと?」

「いいえ!事件が起きたその日まで彼女たちはこの街に暮らしておりました!しかし…みんなが言うにはそんな子は知らないと…。私の中の記憶だけを残して優乃ちゃんは消えてしまったのですわ…」

「ほう…興味深いですな」

  男は髭をさすりながら私を見る。

「え?」

「実はこういった例はお嬢様だけではないのです」

「そうなのですか?」

「本来ならば錯乱で片付けられてもおかしくはないのですが少し目につくほどの報告件数でして…我々も認めがたいものですがこれは超自然的な事象なのではないかという見解がされつつあります」

「超自然的…非科学的ですわね…」

「しかしそれではお嬢様はこの現象を科学的に説明できることだとお思いですか?」

「……それは…」

「そうです。みなそうやって言葉に詰まるのです」

「…でもどうして私だけ記憶があったのでしょう?」

「それがまた不思議なのです。これほどはっきりと憶えている者はおそらくいなかったでしょう。他の者はしばらく経ってからムジュンしていることにごく一部が気づくのみですから。報告件数以上にあることも強く考えられます」

「じゃあもしかして…」

「心当たりがあるのですか?」

「その優乃ちゃんが私に記憶が残るように図ったのかも…」

「なぜそう思うのです?」

「私、事件の直前に会話をしたのですけれど…優乃ちゃんは家族と口論していて…私はこれから酷いことをすると言ったのです…。そうしてあの子は私を許さないでと言った。私に何かを止めて欲しいということなのではありませんか?」

「…そうかもしれませんね」

「お願いがあります。私にもこの事件の進捗を教えていただけませんか?」

「知ってどうするのです?」

「私が優乃ちゃんを守るのです。あの子が無罪であることを証明できるのは私です。誤解されて剪定の対象外にされてしまったら優乃ちゃんは裁かれてしまいます…」

「……もしその優乃ちゃんが罪人だったとしたら?」

「その時は覚悟しております。罪は罪。優乃ちゃんが私の親友であることでそれが揺らぐことはありません」

「それがわかっているのならば協力しましょう」

「ありがとうございます。今後も連絡を取りたいのであなたのお名前をうかがってもよろしいですか?」

「私はギリアムと申します。今後ともよろしくお願いします」

「ギリアム様。こちらこそよろしくお願いします」

  こうして私はギリアムと事件を追う約束をした。優乃ちゃんの無実を証明してまた2人で学校に通うんだ。その思いを胸に強く刻んだ。


  そしてその報せは案外早く訪れた。

「お嬢様。優乃様が見つかりましたぞ」

  あれから数日後にギリアムが屋敷を訪ねてきた。

「本当ですの!?」

「星の検討がついていたのでこの程度の時間で見つかりました」

「ギリアム様はすごいんですのね」

「私自身にはそんな力はございませんよ」

「それで…どうだったんですの?」

「やはり紫雷殿が首謀者のようでした」

「そうですか…紫雷様が…」

「安心してください。優乃様はこの事件には関与していないようです」

「本当ですの!?」

「えぇ。ですからおそらく剪定の対象にもなり得ましょう」

「よかった…!」

  私は力が抜けてしまった。もっと長く会えなくなると思っていたものだから優乃ちゃんとまた会えることを思うと途端に今までの気苦労が私からふっと抜けていったのだった。

「しかしおそらくしばらくは彼女と会うことは出来ませんよ」

「そうなのですか…」

「そもそも見つかったのがここよりかなり遠い場所なのです。そこでの暮らしや学歴なども存在しており…正直私も数日前までこの街で暮らしていた人間の経歴とはとても思えません」

「なんて擬態能力…。記憶を改竄されては手の出しようがないですわね…」

「だからこそ優乃様はあなた様に気づいて欲しいことがあったということでしょう」

「それで…紫雷様はやはり…」

「…極刑は免れないでしょうね」

「……仕方の無いことです…罪人には罰を…ましてやあの大樹様に手を出そうとした者ですから…」

「お察しします…」

「…今後とも崩落作戦の件については引き続き連絡頂けますか?」

「まだ何かあるのですか?」

「父に頼まれているのです…崩落作戦を完遂させてはいけないと…だから私が止めなきゃ…」

「焦ることはないでしょうがいいでしょう。私の知ることならなんでも教えます。しかしあまり無茶はしないように。いくらお嬢様でも厄介な連中に目をつけられてはいけませんから」

  ギリアムは釘を刺すように強く私に言った。

「わかりました。ところで優乃ちゃんにはいつ頃会えるのですか?」

「数週間後に車を手配致しましょう」

「ありがとうございます!」

「私もグラジオ様には多くの御恩がございました。せめてローザお嬢様は私を存分にお使いください」

「心より感謝して甘えさせていただきますわ」

「光栄でございます」

  ギリアムは私に一礼すると去っていった。優乃ちゃんはやはり存在した。色々と不思議な出来事があるが優乃ちゃんが確実に存在することだけでも私の心を取り繕うのに十分だった。

「よかった…」

  依然として事件は闇の中。しかし私はこの一時の安堵に身を預けるのだった。


  相変わらず周囲は優乃ちゃんのことを思い出す様子もない。しかし今日は先生がホームルームで驚くことを言い出した。

「みんな、聞いてください。先日ローザさんの家を襲いグラジオ卿を狙った者たちの正体が判明しました」

「えっ…!」

「網井家の紫雷という人物です。なお、剪定も同時になされ、網井詩織および網井優乃には無実の判定がなされました。ですから…みんなもしこの者たちを見つけても…罪を問うようなことはしてはいけませんよ?」

  先生はそうは言っているがどうにも冷たい顔をしていた。それを聴くみんなもだ。周りから口々に、許せない、どこのどいつだ…といった声が聞こえてくる。そう…剪定の対象になった人間は宗教上は無罪になるだけ…。こうして周りの人間は優乃ちゃんを罪のある存在として蔑む。むしろ先生はそれを煽っているようにさえ感じた。

「待ってください!優乃ちゃんは私の友達なんです!悪い子じゃないんです!」

「またあなたですか…父を殺した仇にそんなことをよくも言えたものですね。みなさん、ローザさんはその子に唆されているのです。かわいそうですねぇ…」

「ほんとだね…」

「かわいそう…」

  だめだ…この子たちに何を言っても全く聞く耳をもたない…。

「……とにかく、優乃ちゃんには罪はありません…それだけはわかってください」

  教室のざわめきは止まなかった。周囲から聞こえる言葉からそれを理解した様子は微塵も感じられなかった。

  そして瞬く間に背信者として彼らの名は広がった。優乃ちゃんは今は遠い街にいるというのに私の学校にまで先生がわざわざ言うのだから大樹信仰全域に伝わっているのだろう。遠回しに剪定者を追い詰める…そんなやり方に違いない…。

「優乃ちゃん…大丈夫かしら…。きっと色んなところで指を指されているに違いないですわ…」

  ギリアムさんが会わせてくれるというから待っているけれど…やはり心配だ。早く行かなければ優乃ちゃんは立ち直れなくなってしまうかもしれない…。私は早く会えるようにギリアムさんに頼んでみることにした。


「ギリアムさん、優乃ちゃんの件なのですが…」

「会いたいという話ですね」

「できればすぐに会いたいのですが…」

「…わかりました。しかしひとつ訊いておくことがあるのです」

「なんですの?」

「あなた様を疑うわけではございませんが…優乃様とは本当に面識があるのですか?」

「あります!親友ですわ!」

「お嬢様がそういうのならば私も疑うことはいたしません。…それでは行きましょうか」

「はい」

  ギリアムさんは私の記憶違いを未だに疑っているのかもしれない。…あの日々が嘘だったなんて言わせない。


「さあ、つきました」

  そこは街を3つほど越えた先にある家だった。あの暖かみのある家とは少し違ったけれど、やはり木造の謙虚かつ豪奢さの隠された特徴的な家だった。

「あれは…!」

  その家から出てきたのは優乃ちゃんだった!

「優乃ちゃんッ!」

 私は優乃ちゃんの方へ走り飛びついた。

「うわっ…!」

「優乃ちゃん!私ですわ!ローザです!みんなあなたのこと忘れちゃって!私本当に心細くて…やっと会えました…良かった…本当に…」

「………」

「優乃ちゃん…どうしていなくなっちゃったんですの?私、あの約束の意味もよくわからなくて…」

「あの…あんた……誰?」

「……え?」

  全く予想もしていない言葉が返ってきた。目の前にいるのは確かに優乃ちゃんなのに、その視線からは嫌悪が伝わってくる。

「あんたも…私をバカにしに来たの…?」

「な…何を言ってるんですの…?私です!ローザです!」

「だから知らないッ!」

「優乃ちゃん…」

「あぁ…頭が痛い…なんなのほんと…私の記憶が曖昧だからって…みんなそうやって友人を偽っては嫌がらせをしてくる…!もう嫌だ…」

  優乃ちゃんは頭を抱えて苦しそうにうずくまる。

「違います!私は本当に優乃ちゃんの親友なんですっ!」

「…はいはい。……みんなそう言ってた。それで私が喜んだらバカにして逃げるんでしょ?はは…もうわかってる…」

  虚ろな目でそういう親友は、心身ともに疲れ切っているようだった。

「話をきかせてくれませんか?記憶が曖昧って…」

「……わかんないのよ。気づいたら大事なことがすっかり思い出せなくなってて…」

「それって…」

「みんなは私を裏切り者の魔女だという…私は何をしたのかも憶えてない…」

「じゃあ優乃ちゃんは…私を忘れてしまったということなのね…」

「もうそういうのいいから…」

「いえ!よくありません!いいですか優乃ちゃん!あなたは私ととても仲良しのお友達だったのです!それが記憶を失って全て忘れてしまったのです!」

「…はぁ」

「今は思い出せなくてもいいですわ!私が必ずあなたの記憶を元に戻します!絶対に!私の周りの人間は、あなたでさえ、あなたのことをすべて忘れてしまった…それでも!私だけはあなたのことを忘れていない。これまでのことも…これからも…私は全部のあなたを憶えてるから…ッ!だから絶対に思い出させてあげますわ!」

「なんだかよくわかんないけど…わかったわ。…勝手にやるといいわね」

  そう言うと優乃ちゃんは家の中に入ってしまった。…自分でも変なことを言ってるとは思っている。記憶を元に戻す方法だってわからないし本当に私が優乃ちゃんが友達だったと思い込まされているだけかもしれない。それでも優乃ちゃんはここにいた。やっと見つけたんだ。もう絶対にこの子を忘れたりなんてしない。私は優乃ちゃんを守るんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 木曜日 10:00 予定は変更される可能性があります

大樹信仰系列聖ザヴァルテリ学園 瀬戸 森羅 @seto_shinra

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ