第7話。愚者と双子

「やっぱり、お父様の態度に問題があると思うのよ」


 ファミレスから自宅に帰りソファーで休んでいると、そんなことを莉鈴りずに言われた。既に包帯を外しているが、莉鈴同様、わたしの素顔を見ても玲音れいんが怯えることはなかった。


「わたしは普通にやっているがね」


「そうやって威圧的な態度を取るから、子供に泣かれて慌てることになるんじゃないかしら?」


「わたしは慌ててなどいない」


 先程の件は警察を呼ばれたところで説明をすれば済む話だった。手間はかかるが、無実の証明は簡単だ。


「お父様。なるべく平凡に暮らすんじゃないのかしら?」


「確かに、警察はマズかったね」


 今回は穏便に済ますことが出来た。しかし、問題が大きくなり、彼女のことを探られでもしたら、結婚の偽装に気づかれる可能性もあった。


 二人が小学校に通うことになれば、必然的に他人と関わる機会も増えてしまう。だから、莉鈴の言っていることは本当に正しいと感じていた。


「何があっても、私達はお父様の味方よ」


 それは先程の出来事でハッキリとわかった。


「ところで、キミ達はいつまでわたしに養ってもらう予定なんだい?」


望月もちづきお姉ちゃんが言うには高校か大学までは養ってもらいなさいって。言っていたかしら」


 今から多少のお金を貯めれば二人を大学に行かせることくらいは出来る。しかし、そこまで面倒を見る義理はあるのか。


「つまり、十年以上は一緒というわけか」


 十年共に過ごすのなら、わたしも二人を信じるべきだ。でなければ、家族ごっこが上手くいくとは思えない。


「ふ、笑えるな」


 まさか、わたしが子供を立派に育てあげることになるとは考えてもなかった。これも人生だと。受け入れるしかないのだろう。


「お父様って、独り言が多いわよね」


「冷静に考えをまとめる為だよ」


「不気味だからやめた方がいいと思うわ」


 こうして独り言を拾ってくれる人間がいるのも新鮮な感覚だ。これでは独り言ではなく、二人ごと。いや、三人ごとになってしまうが。


 そんなことを話していると、お風呂が沸いたようだった。


「お風呂、先に二人が入るといい」


「お父様は一緒に入らないの?」


「わたしにキミの髪を洗わせるつもりかい?」


「あら。気づいたのね」


 莉鈴の長い髪を洗うなんて想像するだけでも苦労しそうだ。玲音が短く髪を切っているのは、莉鈴の長い髪が苦労の塊であると知っているからではないのか。


「玲音。行きましょ」


「うん。お姉ちゃん」


 二人がリビングから出て行った。


 どこまで莉鈴の発言が本気だったのか。気にはなるが、あらためて確認をして墓穴を掘るような真似はしたくない。


 わたし達は親子であっても、血の繋がらない他人同士だ。莉鈴と玲音が大人になった時、過去の過ちとして後悔を残さない為にも、わたしなりに距離感を考えるべきだと思った。


 人生に絶望をした時から、わたしの欲望は欠けてしまった。故に二人に何からの強い欲望を抱くことはないとは思うが、すべては二人の為だ。


 今だけは、愛情というものを抱くべきだった。




「こうなるのも久しぶりだ」


 真っ暗なリビング。ソファーに横になり、天井を見上げているのは風呂を上がってから、ずっと眠ることが出来ずにいたからだ。


 寝室に行けばベッドがあるが、わざわざソファーで寝ようとするのは。やはり、こっちの方が慣れていたからだった。


 それでも眠れないということは、なんらかの原因があるせい。原因を突き止めるよりも、無理やり解決する方が手っ取り早い。


 起き上がって、キッチンの方に置いてある薬を飲むことにした。手元にあるとつい、飲みたくなるから、普段はキッチンに置いている。


夜凪やなぎ君。わたしは本当にキミの娘を幸せに出来る人間なのだろうか」


 コップに水入れたのは、いつも使っている薬を飲む為。しかし、コップは手の中から抜け落ち、中身を撒き散らしながらシンクに転がった。


「……っ」


 顔を押さえたのは先程の出来事が頭に過ぎってしまったからだ。酒を飲んでいるうちは他人からの罵声なんて気にもならかったが、久しぶり味わった敵意というのは簡単に受け入れられるものではない。


「お父様」


 近くに莉鈴が居たことにも気づけなかった。


 少し離れたところに玲音も立っていた。


「酷い顔をしてるわ」


「醜い顔の間違いじゃないのかね」


「確かに暗くて見えにくいわ」


 こんなものは無駄なやり取りだ。わたしが何も言っても莉鈴は拒絶したりしない。彼女達を追い払うなんて不可能だ。


「何故、キミ達はわたしを恐れない?」


「その傷が私達のモノだから」


「それは聞いたよ。この火傷の痕を見た人間は医者だろうと同じ顔をする。なのに、キミ達は平然としている。それが納得出来ない」


 目を背けたくなるような醜い傷跡だと。


 そんな言葉が正しいだろう。


「すべてを話すつもりはなかったわ」


 莉鈴が傍まで歩いてきた。


「私達がお父様のことを知ったのはずっと前なのよ。その時は声をかけずにお父様の姿を見るだけだったわ」


 家に引きこもっていても、ゴミ捨ての為に家を出ることはある。その時に二人に見られていたとしたら、気づかなかった可能性はあった。


「お父様を姿を見て、私は夢に見るほどショックを受けたわ。その時、玲音は何も言わなかったけど、私と同じ考えだったと思うわ」


 莉鈴の手がわたしの体に触れてくる。


「それを罪悪感と言うのかしら。私達のせいでお父様が癒えない傷を負ってしまった。その事実を知って、私達はしばらく悩んでいたのよ」


「あの火事はキミ達のせいじゃないよ」


「望月お姉ちゃんにも同じことを言われたわ。だから、私達がお父様のすべてを受け入れることを決めた時から、恐怖なんて忘れてしまったわ」


 莉鈴の顔がわたしの体に押し当てられる。


「私達の為に自分を犠牲に出来る人のこと。何があっても、嫌いになるわけがないわ」


 二人と初めて出会った時から、ずっと違和感のようなものがあった。その正体が同情や偽りではなく、純粋な感謝の気持ちであると知ってしまった。


 わたしは莉鈴の体を抱きしめる。これまで何度か二人が近づいてくることがあっても、わたしの方から抱きしめ返すことはなかった。


 それは自分のやるべきとでない気がしたから。わたしは二人の父親にはなれず、父親と呼ぶにはあまりにも出来損ないなのだから。


「もし、お父様が望むなら。私達はずっとお父様の傍に居るわ」


 きっと、莉鈴に覚悟がある。子供の軽い言葉だと受け取り、返事をすれば。望まない結果になる可能性はあった。


「わたしは誰かを縛る鎖にはなりたくない」


 わたしは莉鈴の体をゆっくりと離した。


「もし、キミ達がわたしに父親としての振る舞いを求めるなら。これはわたしなりの答えだよ」


「お父様……」


 ようやく大きな悩みが解決した。そんなことを考えた時、ずっと黙っていた玲音が近づいてきた。


「夜凪はパパじゃない」


「ちょっと、玲音。アナタ何を言って……」


 莉鈴の言葉を最後まで聞かずに玲音がリビングから出て行ってしまった。突然の出来事で莉鈴も扉の方を眺めたまま、黙っていた。


「莉鈴君。キミとあの子は違う人間だよ」


 双子だからと言って、同じ考えを持っているとは限らない。莉鈴がわたしを父親として受け入れたとしても、玲音が同じように受け入れるかは別の話だった。


「ええ、よく知ってるわ」


 莉鈴が扉の方に歩いて行く。


「おやすみなさい。お父様」


 そんな言葉を残して、莉鈴もリビングから出て行った。音の聞こえ方からして、二人とも部屋に戻ったのだろう。余計な心配をする必要はない。


 莉鈴との関係は少しだけ進展した。しかし、玲音の方は悪化した可能性はある。最初から玲音は父親という存在に対して何かしらの考えを持っているようだった。


 本当の父親である夜凪。彼が子供にしたことを考えれば、恨まれていても仕方ない。子供からすれば自分達は父親から無責任に捨てられたと考えるのは当然のことだ。


 だからこそ、軽々しく玲音の父親を名乗ることは許されない。本気で父親を演じるなら、玲音とも向き合う覚悟を決めなければならなかった。

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