第14話。愚者と玲音

莉鈴りず君。すまなかった」


 寝室。既に布団に入っている莉鈴に声をかけたのは先程のことをちゃんと話しておきたかったからだ。


 ちょうど今は玲音れいんがリビングの方に居る。


「あの写真を見るまでわたしは気づけなかった。夜凪やなぎ君が幸音さちね君の兄であると知っていたら、あの家に莉鈴君を連れて行ったりはしなかった」


 莉鈴と玲音は夜凪が家族に隠して作った子供だ。


 もし、その事実を幸音が知っていたら、病院に居る二人の母親にも会いに行っているはずだ。それが無いということは、夜凪は二人のことを誰にも話していないということだ。


「幸音君はキミと血の繋がった人間だ。もしも、莉鈴君が望むなら、すべてを話して、引き取ってもらえるように頼むことも出来るとは思うが……」


「そんなの嫌かしら」


 ようやく莉鈴が言葉を返してくれた。


「莉鈴君は夜凪君のやったことが許せないのだろ?しかし、幸音君は莉鈴君には優しい人間だったはずだよ」


「お父様に怒鳴っていたわ」


「ああ、幸音君の父親のことかい」


 莉鈴が幸音を受け入れられても、その家族を受け入れられるかは別だ。大声を出すような人間がいることを知り、その環境を望むのは難しいのかもしれない。


「あの人は莉鈴君のおじいちゃんだよ」


「そんなのどうでもいいわ」


 どうやら、先程の件で莉鈴に悪い印象を残したようだ。もし、莉鈴が自分の孫だと知れば、あの男も幸音のように優しさを向けてくれる可能性もあったが、それを莉鈴に言っても無駄だろう。


「私にはお父様と玲音がいればいいのよ」


 莉鈴は諦めているわけではない。手を伸ばせば触れられる場所に莉鈴の本当の家族がいる。それを莉鈴が望まないのなら、わたしから出来ることは何も無かった。




「玲音君……?」


 莉鈴がベッドで眠ったことを確認した後。わたしはリビングの方に行くことにした。


 真っ暗なリビング。風の音が聞こえ、カーテンが揺れているのが視界に入った。窓が開けられ、その先に人影が見えた。


 近づいてみると、玲音が鉄柵の向こうにある景色を眺めていた。空に浮かぶ綺麗な月が近くの川に映し出されている。


「眠れないのかい?」


「うん」


 そういえば最近、莉鈴がわたしの部屋で寝ることが増えている。つまり、玲音が一人で寝ることになるわけだが、そんな状況でも、わたしの部屋に玲音が来たことは一度もなかった。


「莉鈴君と一緒に寝たいのなら、わたしの部屋を使うといい。わたしはリビングでも寝れるからね」


「どうして、私がお姉ちゃんと一緒に寝るの?」


「玲音君は一人で寂しくないのかい?」


 玲音の短い髪が風に揺られる。


「よく、わからない」


 嘘をついてるわけじゃない。玲音の言葉は裏表が無いように聞こえる。それでも裏側には玲音という人間が隠している意思が隠れているはずだ。


「眠れない理由に心当たりはあるかい?」


「考え事をしてる」


「わたしでよければ相談に乗るよ」


 玲音のことを知るいい機会だと思った。


「学校が楽しくない」


 二人が入学してから少しの時間が過ぎた。しかし、学校のすべてを知るにはあまりにも短い。最低でも一年は学校に通ってみるべきだとわたしは思う。


 ただ、それはわたしの考えであって、玲音を納得させる答えではない。玲音が求めているのは、もっと単純で。もっと、他人が口にするような言葉だとわかった。


「玲音君は学校に行きたくないのかい?」


「そう。かも」


 わたしに話せば、それを叶えてくれると玲音もわかっている。ただ、今のうちから不登校を経験させるのは子供にとってもよくわない。


 そう。よくないとわかっていたはずなのに。


「夜凪。大丈夫?」


「ああ。わたしは平気だよ」


 わたしは一つの家庭を崩壊に導いた。父親はわたしに怒鳴り込み、息子は不登校に。母親からは相変わらず金銭を振り込むようにと連絡が届いていた。


 もし、一番の被害者がいるとすれば、それは息子だろう。莉鈴に怪我をさせられ、不登校にもなった。もし、立ち直ることが出来なければ、彼の人生は永遠に閉ざされてしまう。


「玲音君。キミは何が不満なんだい?」


 他人の結末を勝手に想像しながら、わたしは玲音に与えるべき選択を考えていた。


「お姉ちゃん。昔は全然笑わなかった」


「そうなのかい?」


「ずっと怒った顔してた。でも、最近のお姉ちゃんはあまり怒らないし、よく笑うようになった」


 玲音の言っていることは理解出来る。だが、玲音の不満とやらがわからない。何故今、姉の話をしているのか。


「私は知ってる。あれが幸せな顔って」


「……玲音君は莉鈴君が幸せだと困るのかい?」


 双子で姉妹だからと言って、仲がいいとは限らないと知っている。だからこそ、わたしは玲音に質問することが出来た。


「もう。お姉ちゃんにママは必要ない」


「それは……どうだろうか……」


 どれだけ幸せな人間だとしても、ふとした瞬間に思い出してしまう。自分が持っていないモノ。他人が持っているモノ。それは簡単には埋められない大きな存在で、莉鈴も同じように忘れるようにしているだけだ。


「お姉ちゃんがパパとママのことが嫌いなこと知ってる。パパとママが私達を置いて行ったことも知ってる。でも、でも……」


 莉鈴と比べて玲音はより子供らしい。玲音は正しい答えを出せずに悩んでいる。まだ踏み入るべきではない選択を玲音は求めているように見えた。


「私はパパとママのことを忘れたくない」


 もしかして、玲音は父親のことを覚えているのではないか。赤ん坊だった時の莉鈴がわたしのことを覚えていたように、玲音にも父親の記憶が残っている。


 そう考えた時、玲音が今でも新しい生活を受け入れられない理由がわかった。思い出は積み重ねるほど過去が曖昧になる。ほとんどの人間は美化して記憶に残すだろう。


 しかし、それは本当の記憶だといえるのか。


「玲音君。わたしはキミの父親と話したことがある」


 わたしの思い出を玲音に分ける。そう決めたのは玲音の記憶が本当に大切だと思ったからだ。夜凪のことを忘れないように玲音に話すことにした。


「莉鈴君には内緒にしてほしい。きっと、わたしがこれからする話は彼女は受け入れないだろう」


「わかった」


 玲音の生きる希望の炎を絶やさない為に。


 わたしと夜凪の出逢いから、最後の瞬間まですべてを玲音に話した。でも、本当に伝えるべき真実は言葉にするのは躊躇ってしまう。


「玲音君の父親は……」


 せめて、玲音の中の夜凪は本当の父親でいてほしいのと願うのはわたしのわがままだろうか。


 最後まで夜凪は父親らしくはなかったが、娘のことを思う気持ちは間違いなく本物だったはずだ。


「二人の幸せをわたしに託したんだ」


 莉鈴と玲音と過ごすうちに気づいた。


 わたしの心に満たされる感情は金を稼ぐだけでは手に入れられない。人間と関わることで得られるかけがえのないものだと。


 夜凪はわたしの未来をわかっていた。その未来に必要な存在が自分の娘であると理解をして。娘達がわたしのところに行くように仕向けていた。


「パパは私達に幸せになってほしかったの?」


「ああ、そういうことだろうね……」


 都合のいい話だ。そう考えた時。


 頭の奥から染み出すような違和感があった。


 確かに夜凪の計画通りにことが進んでいる。


 しかし、夜凪が亡くなった後。その計画が確実に成功すると言えるのか。二人は母親が入院をして施設に入ることになった。


 そして、送られてきた手紙を読んでわたしのところに来た。その手紙。いったい誰が今になって手紙を二人に渡したというのか。


 わたしは玲音の肩を掴んだ。


「玲音君。お母さんの病室に誰かがお見舞いに来たことがあるかな?」


「ない」


 やはり、莉鈴と同じ答えか。


「私達と一緒ならある」


 玲音の言葉は隠されていた事実を暴く。

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