第8話。愚者と幸音

「綺麗な桜が咲いているね」


 季節は春。莉鈴りず玲音れいんの父親となり、三人での生活にも慣れ始めたかと思えば。あっという間に二人の入学式を迎えることになった。


「お父様。遅刻するわよ」


夜凪やなぎは置いて行こ」


 二人との関係は相変わらず。お互いにちょうどいい距離感を見つけてからは、喧嘩をすることもなく平凡な日々を過ごせていた。


「莉鈴。玲音。次からは二人だけで学校に行くことになるからね。よく道を覚えておくといい」


 学校は家からそれほど遠いわけじゃない。それでも二人だけで通うとなれば、心配事も増えてしまう。


「二人とも少し待ってくれないか」


 学校に着いた時、写真を撮っている人の姿を見かけて真似することにした。他の人のように立派なカメラは持っていないが、最近のケータイに付いてるカメラであればそれなりのものが撮れる。


「私達の写真なんて必要なのかしら?」


「撮った写真を彼女に送ろうと思ってね」


 二人の母親とは時々顔を合わせている。まだわたしのことを夜凪と勘違いしており、今も子供達のことは認識から外れたままだった。


 おそらく、彼女は過去に囚われている。


 夜凪が生きていて、赤ん坊の娘が二人。そんな幻想を見続けているからこそ、彼女は病院から出ることが出来ないのだろう。


「お父様はお母様のことを治したいのかしら?」


「さあ、どうだろうね」


 夜凪から受け取った金。それは本来、彼女が受け取るべきだと今でも考えていた。もし、彼女の心が元に戻った時にはすべてを返そうと考えていた。


「莉鈴。玲音」


 二人がカメラの前に並んだ。


「入学。おめでとう」


 まだわたしは娘達の成長を喜べるほど、二人に寄り添うことが出来なかった。だから、せめて父親らしい言葉を送ることにした。




「……」


 学校での生活について。教師が丁寧な説明をしているというのにわたしの周りに居る人間が落ち着かない様子だった。


 わたしの隣には玲音が座っている。特に席が決まってるわけではないが、莉鈴がわたしの膝に座っているのは明らかに間違いだろう。


 しかし、周りを見れば親にべったりな子供もいるようだ。そのうちの数人がわたしを見ては、すぐに顔を逸らしていた。


「用があるならハッキリ言ったらどうかしら?」


 最近、周りからの視線はわたしよりも莉鈴の方が気にするようになっていた。それは莉鈴に向けられたものではないが、今のように攻撃的になってしまう。


「莉鈴。話はちゃんと聞いておくんだよ」


「大丈夫よ。話なら玲音が聞いてるから」


「玲音君なら寝てるよ」


「え、ちょっと玲音……」


 相変わらず玲音はマイペースのようだ。ただ、これから学校で生活をするとなれば、玲音には辛い環境になるかもしれない。


「夜凪。ちょっと」


 ようやく説明が終わり、今日はとりあえず二人を連れて帰ることになった。一度、校内に入ったのは玲音をトイレに連れて行く為で、莉鈴はそれについて行った。


「もしかして、黒瀬くろせさん?」


 トイレから少し離れた場所。そこでケータイの操作をしている時に急に名前を呼ばれて驚いた。


「……キミは誰だ?」


 顔をよく見てみるが、思い出せない。


「えーと。昔、コンビニで働いていたことありませんか?」


「コンビニ……」


 火事に遭う前。複数やっていたバイトの中でコンビニの経験もあった。あまり楽しい記憶もなかったが、言われて思い出すことくらいは出来た。


「キミ……幸音さちね君か」


「やっぱり、黒瀬さんなんですね!」


 よく同じシフトだった、なんとか幸音。名前は制服の名札で確認しただけで直接確認したわけではないが、幸という文字が印象に残っていた。


「よく、わたしのことがわかったね」


「そのストラップ。覚えてますから」


 ケータイに付けているクマのストラップ。これは人から貰ったもので、勝手に付けられたものだ。


 わたしの過去を知る人間。彼女は警戒するような関係ではないが、こうして声をかけるほどの仲だとは思っていなかった。


「幸音君は子供の入学式かい?」


「い、いえ、違いますよ。私はお母さんが仕事で来られない代わりに妹の入学式に来ただけです」


「その妹とやらの姿が見えないようだが」


「さっき、仕事を急いで終わらせたお母さんが迎えに来ましたから。私は黒瀬さんを見かけたので一緒には帰りませんでしたけど」


 おかしな話だ。わたしとの会話を優先する必要はないと思うが。久しぶりということで気を使っているのだろうか。


「ところで、黒瀬さんは家族の入学式ですか?」


「ああ。娘のだ」


「娘……娘って、黒瀬さん娘ですか?」


「わたしの娘だ」


 今さら戸惑うこともない。莉鈴と玲音が自分の娘であるという事実は確かにある。


「結婚されたんですね……」


 幸音は悲しげな表情をする。わたしが結婚をしたところで彼女が悲しむ理由はないと思うが。それとも結婚というものに何らかの考えを持っているのか。


「お父様」


 莉鈴が帰って来た。後から玲音も来たが、どういうわけか顔が水浸しになっていた。


「便器に顔でも突っ込んだのかい?」


「それは違うわ。前髪を直そうとしたのよ」


「それはまた」


 玲音の髪に触ろうとしたが、幸音がハンカチを差し出してきた。適当に手で水を散らそうと思ったが、ハンカチがあるならそっちの方がいいだろう。


 幸音にハンカチを借りて玲音の顔を拭く。濡れていた前髪もなるべく丁寧に拭いていく。


「玲音君。どうしたんだい?」


 拭いてる間、ずっと玲音と目が合っていた。


「その人、誰?」


「ああ、彼女は……」


 元同僚と言って伝わるだろうか。バイトという言葉を使っても玲音に理解されるかわからない。


「はじめまして。私は幸音です」


 悩んでいるわたしに助け舟を出すように幸音が話に入ってきた。しかし、予想外の反応したのは莉鈴の方だった。莉鈴は動き出し、わたしの後ろに隠れた。


「あれ、どうしたの……?」


「お姉ちゃんは恥ずかしやがりだから」


 いつもなら逆の反応を示す二人が、何故幸音相手に今みたいな反応をしたのか。


「お父様。浮気は許されないわよ」


 どうやら、幸音を敵と判断したみたいだ。


 わたしは浮気をするような人間ではないが、本能とは時に予想外の行動を取る。まだわたしは人生で出逢ったことはないが、運命的な出逢いをすればもう少し理解出来るようにもなるのだろう。


「もしかして、お父さんが取られると思ったのかな?この子ってば可愛い!」


「ちょっと、やめて。近寄らないで!」


 そういえば幸音は昔から可愛ものに目がなかったことを思い出した。どうやら、それは子供も一緒のようで、莉鈴が普段は見せない態度を取っていた。


 結局、莉鈴は最後まで抵抗をしていた。


 幸音が満足して立ち去った後、わたしは二人を連れて帰ることにした。


「夜凪。これ」


「おや、ハンカチ。返し忘れたようだね」


「ごめん」


「気にすることはない。わたしも出来れば洗ってから返すつもりだったからね」


 玲音からハンカチを受け取った。


「お父様。さっきの人って」


 今後は莉鈴から質問をされた。


「わたしが火傷を負うよりも前のこと。働いていた時に同じ仕事をしていた人だよ。つまり、ただの顔見知り。それ以上の関係はないさ」


「顔見知りにしては仲良さそうだったわ」


「キミ。最初から見てたのかい?」


「お父様が管理人さん以外と話すのが珍しかったからよ」


 家からほとんど出ないのだから当然だ。二人のことを改めて管理人に紹介したのは勘違いされては困るからだ。


 今ではわたしの娘として認識されている。その結果なのか、時々管理人が二人を構うことが増えてしまった。


「わたしは過去にこだわらない」


「未来にはこだわるのかしら?」


 わたしの進む道は暗く、先を照らす光はない。


 だから、莉鈴の質問には答えられなかった。

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