背徳症状-愚者の瘡蓋-

アトナナクマ

第1話。愚者と包帯

 自分の顔と腕に巻かれた包帯。火傷の痕は手術をすれば今よりもマシになると言われたが、この姿には意味があるように思えた。


 生活のほとんどを在宅ワークと宅配便で済ませれば他人と関わらなくても済む。自宅に引きこもっていると、綺麗に包帯を巻くことすら止めてしまった。


「……」


 洗面所の鏡が割れ、ガラスの破片が溜まっている。その上にハサミで雑に切り落とした髪が乗っているが、そのうち髪を切るのも面倒になった。


 人間であることを少しづつやめていき、心が腐っていくようだった。このまま残りの人生を無駄に浪費して、世界に何も残せないのだとしたら、既に自分は人ではないのかもしれない。


「これは……」


 そんなある日、一通のメールが届いた。


 家族も友人も居ない。孤独な男に届くメールのほとんどがいつ登録したかもわからないサイトからのお知らせと、詐欺に関するものだった。


 普段なら中身を確認したりはしない。だが、連絡先は個人的なものと仕事用と分けており、今回メールが届いたのは仕事用の連絡先だった。


 仕事用の連絡先に届くメールは詐欺の類であっても、必ず確認するようにしていた。今回も同じようにメールの中身を確かめることになったわけだが。


「過去に火事に巻き込まれたことが……」


 たった一度、紛れ込んだメールの中に自分に関するものがあれば偶然と思えなくなる。そうやって世の中に騙される人間がいると理解しながらも、宛先のアドレスに別のアドレスでメールを送ることにした。


「くだらないな……」


 待ってみても、すぐに返事が来なかった。


 リビングのソファで仮眠を取ろうとしたが、玄関の呼び鈴が鳴った。いつもの配達なら呼び鈴を鳴らすことはないはずだ。


 玄関前にわざわざ置き配用のスペースを用意したのは対応をしないで済ませる為。それでも映像モニターで外の様子を確かめることにした。


「故障か?」


 モニターの画面が真っ暗だった。


 そうなれば直接外を確認するしかないが、念の為に玄関の棚に置きっぱなしの熊よけスプレーの位置を確かめた。


 今度は玄関扉の覗き穴から外を見る。


「……っ」


 思わず、顔を離したのはそこに立っている人物を見たからだ。背丈が小さなソレ。見覚えのない子供が玄関先に立っているという状況が理解出来ない。


 子供が隣の部屋と間違えている可能性はある。家の中に居ても外で騒いでいる子供の声が聞こえてくる日もあり、近所には多くの子供が暮らしていることはわかっている。


 直接外を確かめることも考えたが、今は顔に包帯を巻いていない。自分は気にしないが、他人に見られでもしたら騒ぎになる。


 一度、リビングに戻ったが、ケータイにメールが届いていることに気づいた。先程の返事が来たのかと確認をするが、わたしは初めから選択肢を間違えていたと理解した。


「早く開けろ。だと……」


 玄関の扉を叩く音が聞こえてくる。


 このメッセージを送っているのが、外に居る子供だとしたら。目的はなんだだろうか。仕事用の連絡先を知っているというのも不気味だ。


 警察に通報したところで、子供のいたずらとして片付けられる。ならば、自分が取るべき行動はなんだというのか。


「これもわたしに与えられた苦難というものか」


 問題の解決を優先しよう。


 冷静に落ち着いて、顔に包帯を巻き直す。


 覚悟は必要ない。ただ、馬鹿な子供を追い返すだけだ。怯える必要はない。わたしに失うものなんて何も無いのだから。


 玄関まで歩いて行き、扉の鍵を外した。


 ドアノブを回して、扉を開け放った。


「キミ達は……」


 やはり、そこに立っていたのは子供だ。


 しかし、一つだけ見落としていた。


「やっと出てきた。どれだけ待たせるのよ」


「お姉ちゃん。よかったね」


 子供は二人いた。それも同じ顔の子供。双子であることは似たような格好をしている以外にも雰囲気から伝わってくる。


「キミ達。部屋を間違えていないか?」


「いいえ。間違っていないわ」


 姉と呼ばれた子供の方が近づいてくる。


「私達はアナタに用があって来たのよ」


「わたしに何の用かな?」


 子供二人が顔を合わせる。そして、もう一度目が合った時、記憶の奥底が刺激されるような感覚があった。


「私達を養ってください」


 その瞬間、平和な日々が終わる予感がしていた。


 この出逢いは偶然ではない。


 誰かの手によって仕組まれた必然だった。




「……」


 数日前。家を訪ねてきた子供を何とか追い返すことが出来たが、あれから毎日のように家に来るようになった。


 モニターの電源を切って、ヘッドホンを付けていれば気にする必要もなくなる。常識はあるのか、夜になれば帰って行く。


 メールの方もブロックをして、メッセージを送れないようにした。他のアドレスを使うという選択を子供だから思いつかなかったのか、今は何も届いていなかった。


「何も思い出せない」


 あの子供二人には見覚えがあった。


 しかし、この数年で子供どころか、他人とろくに関わったこともない。もし、顔を合わせていたら確かな記憶として残っているはずだ。


 なら、もっと昔か。その時期は治療の為に長い間薬を飲んでいたせいか、記憶がかなり曖昧になっている。


 もし、誰かの子供なのだとしたら。親と連絡を取って今すぐ子供のいたずらを止めてもらうように頼むつもりだった。


 近所の人間に見られたら、あらぬ誤解を招く可能性もある。その前になんとかしたいという気持ちがあった。


「……メールか」


 仕事用の連絡先に新しいメールが来た。


 しかし、内容は仕事に関するものではない。今直面している問題について、丁寧な文章で内容が書かれていた。


 メールの内容を見て、外に出る準備をしたのは子供と話す為じゃない。既に日が暮れており、外に出たところであの子供に会うこともないはずだ。


 玄関の扉を開け、そこで待っていた人物と顔を合わせた。


「はじめまして。私の名前は望月もちづきです」


 高校生くらいの女性が玄関先に立っていた。


「あの子供達の……姉か?」


「私はそのつもりです。二人は私の大切な家族。でも、二人にとって、私は他人でしかありませんけど」


 どうにも話が見えてこない。


「キミもあの子供達も。いったい何者だ?」


「私達は同じ施設で暮らす家族です」


「施設……」


 家庭に問題を抱えた子供が預けられる施設。存在を知らないわけではないが、そんな施設と自分が関わったことは一度もないはずだ。


「施設で暮らす子供のほとんどは似たような境遇で育ってきました。同じ過去を持つ者同士。自然と家族のように仲良くなります」


「その話とわたしに何の関係が?」


「どうでしょう。ただ、お兄さんの家に毎日足を運んでいるあの二人は他の誰かと仲良くする気はないみたいです」


 つまり、望月も手を焼いているというわけか。


「施設の方もお兄さんの家に行く二人を何度も止めようとしています。でも、言葉だけでは二人を拘束することは難しいですから」


「わからないな。何故、あの子達はうちに来るんだ?」


「私達も詳しい理由を聞いていません。だから、お兄さんに事情を聞きに来たんですけど、その様子からしてお兄さんの方も理解していないみたいですね」


 望月が来たのは理由を確かめる為か。正直、話の通じる相手で助かった。いきなり子供の件を責め立てられでもしたら、感情的になっていた可能性もある。


「そのうち二人も飽きると思うので、今は我慢してください。もし、困ったことがあれば、この連絡先に電話してくれたら、出来るかぎり駆けつけます」


 渡された紙には確かに連絡先が書かれていた。


「出来れば、二度と来ないようにしてほしいが」


「それが出来れば苦労しませんよ」


「……キミにやる気がないだけじゃないのか?」


「そうですね。結局、私達は他人ですから」


 最後に望月の本音が見えた気がする。


 そんな本性を隠しているから。


 二人は逃げ場所を求めていたのではないか。

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