エピローグ
わたしが王都に来て二週間が過ぎた。
王都に来てからずっと社交で忙しそうにしていたリヒャルト様だったけれど、昨日で必要な社交は全部終わったそうだ。
昨日の夜、もう大丈夫だから明日は出かけようと言われて、何が「大丈夫」なのかわからないまま、わたしは二つ返事で了承した。
リヒャルト様とのお出かけを、断る理由なんてない!
ベティーナさんがお腹を締め付けないけれど可愛いドレスに着替えさせてくれて、シャルティーナ様に買ってもらった白い方の帽子をかぶり、わたしはリヒャルト様と馬車に乗り込んだ。
わたしが途中でお腹をすかせたらいけないからと、お菓子がたくさん詰まったバスケットも馬車に積んである。
今日は、王都の東の端っこに向かうそうだ。
……王都の端っこに、美味しいお店でもあるのかな?
シャルティーナ様と、商店がたくさん並ぶ通りには行ったけれど、王都の東の端っこにはまだ行ったことはない。
馬車に揺られて一時間。
濠の近くの、長方形に長い大きなお邸の前で馬車は停まった。
……レストランじゃないよね? というか、ここ、誰も住んでないんじゃ……?
大きなお庭は整えられているし、門番さんもいるので管理はされているのだと思うけど、なんだか人が住んでいる気配がない。
門番が開けてくれた門をくぐって、馬車はお邸の玄関前に向かった。
玄関前で馬車を降りても、中から誰かが出てくる気配はない。
「リヒャルト様、ここは?」
「百年ほど前まで使っていた古い王宮なんだ」
……王宮! なんか高貴な響き!
リヒャルト様は鍵を取り出すと、玄関の施錠を開ける。
「おいで」
手を差し出されたのでわたしは反射的に手を繋いで、リヒャルト様とともに玄関をくぐった。
「お邪魔します……」
誰もいないからか、わたしのつぶやきが広い玄関ホールに大きく響いて聞こえる。
……とっても豪華だけど、人がいないからかな。ちょっと怖いかも。
掃除が行き届いているのか、埃っぽさは感じない。
吹き抜けから玄関ホールに日差しが降り注いでいるので、薄暗いわけでもない。
……だけど、大きな建物ががらーんとしてるのは、何かよくないものが出てきそうな感じがして不気味だよね。わたし、夜の神殿も苦手だったもん。
この王宮に何の用事があるのかはわからないけど、リヒャルト様はわたしの手を引いて二階に上がっていく。
いくつかの部屋を見せてもらったけど、家具のほとんどにカバーがかけてあって、部屋を見て回る行為に何の意味があるのかは理解できなかった。
「あの、リヒャルト様。もしかしてここにお引越しするんですか?」
すると、リヒャルト様は楽しそうに笑った。
「ああ、違うよ。ほら、スカーレットがこの前言っていただろう? 聖女を神殿の外でも生活させられないかって」
……あ、わたしの思い付き!
シャルティーナ様とお買い物に出かけた時にふと思いついたことは、その日の夜にリヒャルト様にご報告した。
リヒャルト様は優しいから、わたしのふとした思いつきも真面目に聞いてくれて、「考えてみようか」と言ってくれたのだけど、それとこの王宮に何のつながりが?
「あの話だけど、兄上にも相談してみたんだ。そうしたら、ここを使ったらどうかって」
「え? ええええええええ⁉」
「下に行こうか」
二階を見て回ったので、リヒャルト様は今度は一階のダイニングにわたしを連れていく。
ダイニングもとても広い。
三十人くらいは座れそうな巨大なダイニングテーブルにはカバーがかかっていて、椅子も上に上げられていた。
「兄上……陛下とも相談したんだけど、聖女の無償奉仕の原則を、やめようと思ってね」
リヒャルト様はわたしの手を引いて庭に出ると、鳥かごのような形の四阿へ向かう。
四阿の椅子に座って、持ってきていたバスケットをテーブルの上に置くと、中からカヌレを出してわたしに渡してくれた。
渡されたので、わたしはもちろん食べますよ!
もぐもぐもぐ、カヌレ、美味しぃ!
夢中でカヌレを食べているわたしに優しいまなざしを向けて、リヒャルト様が続ける。
「神殿と敵対するのは変わらないけど、君に危険が及ばないように、君の意見を参考に多少の緩和策を考えたんだ。まず、聖女の無償奉仕をやめる。そもそも、聖女を保護する代わりに無償で働かせるというのは間違っていると思うからね。だけど、いきなり働いて金を稼げというのも、酷な話だ。だから、聖女の仕事場は国が用意することにした。そして、発案者が私ということを全面的に打ち出して、神殿側の敵意が兄上とイザークに向かないように調整する」
ほうほう、なんだか難しい話になってきましたよ?
わたしの脳はもう半分くらい限界です。
「聖女も国の方針に振り回されるのは大変だろうから、これまで通り、神殿で面倒を見てもらって無償奉仕を続けるやり方と、国が用意した仕事場で仕事をし、金を稼いで自力で生活するやり方、好きな方を選んでもらおうと思う。聖女の力の使い方も、神殿以外で学べる場を作ろうと思う」
「ええっと、つまり……、聖女は強制的に神殿に引き取られなくてすむってことですか?」
「ああ。そうなるな」
……うん、それは、メリットしかないね。
わたしは孤児だったけど、聖女仲間の中にはそうでない人もたくさんいた。
家族に会うことは禁止されていなかったけれど、洗礼式で聖女の力があるとわかると生活拠点を神殿に移されるから、家族と一緒に生活できなくなる。
でも、聖女が「仕事」になったら、家族と離れ離れにならなくてもいいよね?
「聖女の無償奉仕をやめ、神殿以外でも聖女の癒しを受けられるとわかれば、神殿も高額な寄付金を徴収するようなことはしなくなるだろう。寄付金の方が何十倍、何百倍も高くつくとわかれば、誰も神殿に助けを求めなくなるからね。やがて適正価格と言うものが生まれるはずだ」
テキセイカカク……。うん。わかんないからスルーしよう。
「えーっとつまり、わたしもここでお仕事をすることになるんですね」
いつまでもただ飯ぐらいのままリヒャルト様のところでごろごろするわけにはいかない。
……あれ? でも、ここで働くなら、わたしは王都が生活の拠点になるのかな? リヒャルト様と一緒に領地に行けない?
「そのことなんだが……」
リヒャルト様は、言いにくそうに眉を寄せた。
「君は、ここで働いてほしくないと思っている」
「え⁉」
ってことは、もしかして神殿に戻れってこと⁉
さーっと血の気が引いたわたしを見て、リヒャルト様は慌てた。
「すまない、言い方が悪かった! 君を追い出そうというわけではなく……あー、その、君は私の家にいたいと、そう言っただろう?」
「言いました!」
わたしはぶんぶんと首を縦に振った。
お願いだから追い出さないでほしい。お仕事でも何でもするから!
養女計画改め妻計画は、参謀ベティーナさんの指示により「様子見」になっていて、特に何もしていないが、これは、今ここで跪いてお願いした方がいいのではなかろうか?
やだやだ、出ていきたくないと、反射的に手を伸ばしてリヒャルト様の手に触れると、リヒャルト様が握り返してくれる。ホッ。
「君がこのままずっと私の側で生活するための、方法が一つある」
「なんですか⁉」
わたしが食い気味に訊ねると、リヒャルト様はちょっとだけびっくりしたように目を丸くしてから、わたしの手を握っていない方の手で頬をかきつつ続けた。
「ええっとだな……、君が、私の妻になれば、その、この先もずっと一緒にいられる」
「わかりました! 妻になります!」
「ちょっと待て! 即答していい問題ではないだろう⁉」
即決したわたしに、何故かリヒャルト様が慌てだした。
だが、もともと妻計画を練っていたわたしである。断る理由なんてないし、むしろ渡りに船だ。
「提案した私が言うのも何だが、もっと考えて返事をしなさい」
「大丈夫です考えています。妻になります。妻にしてください。リヒャルト様の妻になりたいです!」
このチャンスを逃してなるものかと、わたしは必死で訴えた。
それなのに、リヒャルト様の顔がどんどん胡乱気になっていく。
「あー……、スカーレット。君は『妻』という単語の意味を知っているか? いや、それ以前に、結婚が何か理解しているか?」
「いくら何でもそれくらいわかります!」
わたしは確かに非常識だが、そこまでなにも知らないわけじゃない。
「結婚とはずっと一緒にいると誓いあって子供とかも作って楽しく暮らすことです!」
「内容は間違ってはないんだが……君が言うとなんだか違う意味に聞こえてくるから不思議だ」
何故に?
むーっと口をとがらせると、リヒャルト様が苦笑する。
「君がいいのであれば、そうだな、一年くらい婚約期間を設けたのちに結婚することにするが、それでいいのか?」
「いいです、むしろ結婚は今日でもいいですよ!」
「それはさすがにまずい」
「世間体とか言うやつですか?」
「どこでそんな言葉を覚えた……」
「サリー夫人に教えてもらいました!」
わたしだって日々進歩しているのだ。出会った頃のまんまの非常識なわたしではないのである。
自慢するように胸を張ってみせたが、リヒャルト様はこめかみを指先でぐりぐりしながら首を横に振る。
「確かに世間体と言うものもあるが、それだけじゃない。ひとまず、幾人かは君を狙っている証拠を突き止めて処罰しておいたが、まだ全部じゃないからな……」
「わたし、狙われていたんですか⁉」
そう言えば、シャルティーナ様がわたしのことを調べていると人たちがいるって言ってた!
……狙われてたのか~。どんなふうに狙われていたのかは知らないけど。
ほへーと聞いていると「わかってないな」と笑われた。
「私を王にしたい人間にとっては、君が邪魔だったようだ。私が養女にしてイザークの新しい婚約者にすれば、私が王になる芽はなくなると考えていい。そうならないために、君を攫って神殿に引き取らせようという作戦があったようだな」
「私を神殿に連れて行っても嫌がられるだけだと思いますけど」
「事情を知らない貴族はそうではないんだ」
なるほど。わたしが追い出されたことを知らない貴族たちにとっては、わたしを神殿に引き取らせてしまえば、いくらリヒャルト様でも手が出せないと思ったのかな。神殿は聖女の引き渡しを拒否すれば、強引なことはできないもんね。
リヒャルト様がここのところ忙しそうに社交をしていたのは、わたしを攫おうとしていた人たちの情報をかき集めていたからだそうだ。
そして証拠を見つけて罰しておいたと言う。
……すごいね! わたしたちが王都に来てから三週間も経ってないのにね? 早い!
「君と結婚式を挙げるまでに、残っている残党たちもどうにかしておきたい。君を養女ではなく妻にすると言っても、やはり妨害はあるだろうからな」
「ベティーナさんが言ってましたけど、わたしを妻にしたらリヒャルト様は王様にはなれないんですよね?」
「君を貴族の養女にせずに妻にした場合、そうなるな」
ここ、アルムガルド国では、貴族以外の王妃は認められていないのだ。
わたしは「国の子」として洗礼式を受けているので、貴族の養女になれば貴族になれるけれど、貴族にならずにリヒャルト様の妻になれば、貴族だけど貴族じゃないような扱いになるという。
貴族は結婚しても実家の立場が大きいので、実家がないわたしは、リヒャルト様の妻という貴族でありながら、同時に純粋な貴族ではないと認識されるのだとか。
うん、ややこしくてわけわかんないから、スルーしよう!
「君と結婚することで私は王にはなれなくなる。私を王にしたい人間にとっては面白くないだろうからな。必ず妨害してくる。逆にそれを利用して、君を傷つけようとする人間を一網打尽にしておきたい。そのための婚約期間だ」
「なるほど~」
「わかっていないな。まあ、君はそれでいいよ」
リヒャルト様は、わたしとつないでいる手を握りなおした。
「それで、君は本当に、私の妻になっていいのか?」
繋がれている手が温かくて、そしてリヒャルト様の綺麗なラベンダー色の瞳がびっくりするほど真剣で、わたしの心臓がドキドキしてきた。
……ああっ、わたし、やっぱり病気かも!
あいている手を胸の上において、なんだか不安になって来たわたしは、リヒャルト様を見つめ返してその不安を口にする。
「わたしはリヒャルト様の妻になりたいので妻にしてほしいですけど……、あの、わたし、あんまり長く生きられないかもしれません」
「なに⁉」
リヒャルト様が大きく目を見張って息を呑んだ。
「どういうことだ⁉」
「心臓がおかしいんです」
「病気か? いやだが、たいていの病気は、聖女であれば自分の力で治せるだろう」
「そうなんですけど、これにはどうしてか効かなくて……」
胸に当てた手のひらで鼓動の早さを確かめながら、わたしはしょんぼりと肩を落とす。
「よくわかんないんですけど、こうしてリヒャルト様に触れられていたりすると、胸がドキドキしてきゅーって苦しくなっておかしくなるんです。ベティーナさんに言ったら病気じゃないって言ってたけど、絶対におかしいと思うんですよ。きっと未知の病気なんです。だから聖女の力も効かないと……リヒャルト様?」
わたしが必死に説明しているというのに、リヒャルト様はぽかんと口をあけてしまった。
どうしてそんな顔をするのだろうと口をとがらせると、今度はリヒャルト様の顔がどんどん赤くなっていく。
「君は……!」
何故か怒ったように言って。
リヒャルト様は四阿のテーブルに突っ伏すと、小声で「勘弁してくれ……」とつぶやいた。
わたしは真剣なのに、なんでそんな脱力してしまうんだろう。
首をひねったわたしが、その意味を知るのはまだ少し先のことで。
「リヒャルト様、これ、何の病気でしょうか?」
早死にするかもしれないと不安で仕方がないわたしは、リヒャルト様にしつこいくらいに何度も訊ねてみたのだけれど、リヒャルト様はテーブルの上に突っ伏したまま、全然教えてくれなかった。
……むー。いいもん。生きている間に美味しいものをたくさん食べてやるんだから!
わたしは突っ伏したままのリヒャルト様を不満げに見下ろして、バスケットから二個目のカヌレを取り出したのだった。
次の更新予定
【書籍化・第一部完結】燃費が悪い聖女ですが、公爵様に拾われて幸せです!(ごはん的に♪) 狭山ひびき @mimi0604
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