金山慈姑
エモリモエ
花言葉は「おしゃべり」
「……花がため息ついてる」
テニス部の後輩で同室のタクがそんなことを言いだした。
大学の寮でのことである。
「なに急に乙女なこと言ってんの。ビビるんだけど」
「だって、『はー』って聞こえたんスよ」
「ンなわけないだろ」
「でも、昨日だってなんか話しかけられたし」
「大丈夫か、おまえ」
「嘘じゃないッス。ほんとに花がため息ついたンですって」
「気のせいだろ」
「うーん……、まあ、そーっスよねえ」
腑に落ちない、という顔でタクはしばらく窓辺の花を見つめていたが、その時はそれで終わったのだ。
ところが次の日にまた、
「センパーイ」
やっぱり腑に落ちない、という顔をしたタクが、
「今日はなんか唸ってたんスけどー」
と報告にきた。
「ふーん」
「あの花、ちょっと気味悪いッス」
窓辺に咲く赤い花。
水耕栽培のアマリリスの花だ。
二月前に大学を辞めた加藤が引っ越す時に置いていった。
近所の商店街の福引で当てたらしい。
セットのガラス瓶に水をいれて、球根をセッティングするだけのほったらかし栽培。
加藤本人は球根から根が出ているのにも気づかなかったくらいだったので、さして愛着もなかったのだろう。わざと置いていったというよりは単に花の存在など忘れて引っ越したのだと思われる。
俺も花になんか興味はないので、やっぱりほったらかしていたのだが、加藤の入れかわりにタクが越してきてからは水だけは時々替えてくれている。
ひょろりと白い根が目立つだけだった球根から、いつの間にか芽が出て、ニョキニョキ育っていく様がタクには珍しかったらしい。
見るうちに可愛くなってきたようで、茎がアスパラガスほどの太さに育ったと浮かれ騒ぎ、茎の真上に大きな蕾をつけたと踊りだす。
数日前にめでたく真っ赤な花を咲かせてからは、楽しそうに眺めているのを毎朝見かけていた。
そんなタクが「気味悪い」と言うなんて。
余程のことなのだろう。
が。
植物が唸ったりため息ついたりするなんて、いきなり言われても……。
やっぱ、気のせいだろ、そりゃ。
「いーや、センパイ。気のせいじゃないッス」
その次の日、タクはまたしても報告に来た。
「やっぱ、あの花、変ッスよ」
「今日はどうした?」
「ハイ、今日は『でー』ってしゃべったッス」
「ふーん」
「まじヤバイですって、あれ。地獄の声ッスよ、地獄の声」
「ソレハタイヘンダ」
「明日はいっしょに聞いてくださいよ。聞いたらセンパイもヤバイって分かるンだから」
「そうねえ」
俺は相槌を打ちながら、タクのそれが幻聴だったらどうしよう……、なんてことを考えていた。
うちの大学のテニス部は、その辺の遊び半分のサークルと違って、かなり本気度が高いので、当然、練習もキツイ。高校テニスの強豪校と比べてもかなり厳しいし、まだ一年生のタクにはオーバーワークなのかもしれない。他の一年連中に比べたら大丈夫そうに見えるから、ちょっと安心しすぎてた。
少し練習メニューを見直したほうがいいか、様子をみてコーチに相談するか。
タクは粘りがあっていいテニスをするし、性格もいいから潰したくない。
翌朝。
部屋に戻った途端、
「どこ行ってたんスか」
タクに詰られる。
「お、おう」
おちおちトイレにも行ってられない。
「今日は『まー』でしたよ」
「ま?」
「ほんと怖い声なんスからー」
「あ、花か」
「もー、頼みますよー」
うーん……。
タクは真面目ないい奴だ。
それにアマリリスのこと以外は問題行動もな
い。
タフだし。
幻聴とかじゃなくて。
あの花、本当に何かあるのかな?
なんとなく、そんな気もしてきた。
タクはまだアマリリスにこだわっているらしい。
「あの花って、たしか、加藤先輩からもらったんスよね?」
真面目な顔して聞いてくる。
「もらったって言うか、越す時に忘れてったんだよ。わざわざ送るほどのものでもないし。かといって捨てるのもなあ。なんとなくそのままになってただけで」
「もしかして、もしかしたら、加藤先輩になんかあったってコト、ないッスよね?」
「えー、そりゃないだろー」
「ちょっと、電話してみてもらえないッスか」
あんまり言うので、電話してみることにした。
「どーッスか?」
「うーん、出ないねえ」
通話を切る。
不在で良かった。出られても、なにをしゃべっていいか分からない。
実はおまえが置いてったアマリリスがしゃべるもんだから、電話してみたんだー、てか?
いやいや、普通に気まずいわ。
「センパーイ、明日こそ一緒に聞いてくださいよ?」
「分かった、分かった」
流石にちょっと気になってきた。
それに、もし本当に植物がしゃべるんだったら、面白いしな。
そして、次の日。
朝も早よから固唾を飲んで花を凝視する男ふたり。
「おい、タク。しゃべらないぞ」
「もうちょっと。いつも今くらいの時間にしゃべるんスよ」
と言うので、待つこと、しばし。
花弁の内側から、
『つー』
声がした。
ぞっとする声だ。
「うわ、本当にしゃべった」
「でしょ」
「確かに人の声に聞こえるな」
「なんスかね、これ」
「うーん」
心なしか加藤の声に似ている気がする。
「花の中に虫でも入って音がしているのかって最初は思ったんスけど。そういう感じでもないし」
「どっかで誰かがいたずらしてるんじゃないのか」
「んー。どう聞いても、あれ、花の中から聞こえてたッスよね?」
「だな」
花の中に小型スピーカーでも入ってやしないかと覗いてみるが、それらしいものは何もない。
ついでに虫もついていなかった。
仮に、声帯を持たない植物が声を発するのを確認したとなれば、ノーベル賞クラスの発見では?
「……昨日が『まー』、その前が『でー』だったか。何か意味があるのかな」
「意味ッスか。そういや一日一音縛りだから、連続したら? って事スかね」
「うん。たしか最初はため息とかって言ってたよな?」
「ッスね。でも、今思えばあれは『はー』かもしれないッス」
「なるほど?」
「で、次が『んー』。順番につなげると」
「はーんーでーまーつー?」
揃って首をかしげてしまった。
「意味わかんねーな。メッセージかと思ったんだけどな」
「うーん」
首をかしげること、再び。
「そういや、最初の日は『はー』じゃないッスね」
と、タク。
「その前の日に『ねー』って話しかけられたって思ったんスよね。だからはじめは『ねー』」
「あ、待って」
着信音。見ると加藤からだ。
そうか、昨日の不在着信だな。特に伝言とかはしなかったけど、わざわざかけ直してきてくれたんだ。
嬉しくなって通話に出た。
「もしもし、俺」
加藤と俺は中学から一緒だった。
同じテニス部。中学のはじめの年にダブルスを組んで、高校、大学も同じ進路を選んだ。
一緒にテニスをするために。
剛腕の俺は典型的なパワーテニス派。加藤は頭脳プレイを得意とする華麗なテニススタイル。全く違う俺たちは良いコンビだったと思う。
でも。
一年前。加藤の怪我でなにもかもが変わった。
長引く入院生活。思うようにいかないリハビリ。以前の選手生活に戻るのは絶望的な怪我だった。どんどん自分を追い詰めていく加藤に、俺はなにもできなかった。慰めるどころか会ってさえもらえない日々。
加藤不在の夏、俺はシングルで成績を残した。
加藤以外の誰かと組むつもりはなかった。だってそうだろう? 中学からずっと加藤としか組んだことがないんだ。二人でテニスをするために全てを投げうってきた。
だから、どんなに困難でも加藤を待つつもりで、その夏、俺は一人でがんばったんだ。
けど、加藤はテニスをやめる選択をした。
気持ちは分かる。
たとえ復帰できても以前のようにトップを目指せる選手にはなれない。
どうせ俺の足を引っ張るとか考えたんだろう?
でも俺はその選択をした加藤が許せなかった。
「テニスをやめるなよ」
長年、加藤とダブルスを組んできた。
だから誰より知っている。
奴のテニスに対する情熱を。
パートナーの俺に対する執着も。
俺は知っている。
ずっと二人でやってきた。
二人でしか目指せないテニスがあるってことを。
「テニスを捨てるなよ」
俺は。
卑怯だった。
加藤がどんな痛みを乗り越えてその決心をしたのか。
俺は分かっていたのに、言った。
「俺を捨てるなよ」
加藤は学校もやめて、黙って寮を出て行った。
それが二か月前のことだ。
ずっと心にかかっていたのに、怖くて連絡できなかった。
それでも俺は信じていたのだ。
テニスのパートナーは解消しても、それでも俺たちは親友だって。
今はちょっと気まずいけど、近いうちに友達として再会しよう、って。
なのに。
「加藤の奴、事故で死んだって」
「え」
通話を終えた俺は震えていた。
「電話、加藤の親父さんだった。明日が通夜で明後日が葬式だって」
「加藤先輩が……嘘でしょ?」
俺は悲しく首を振る。
「六日前、通学途中に。後続のトラックとぶつかったって」
六日前。
アマリリスが喋りはじめた日だ。
朝の通学時間なら、事故にあったのは、まさに今くらいの時間だったろう。
「……あ」
「なに?」
「どうしよう、センパイ。俺、分かっちゃった」
見ればタクは真っ青な顔をしている。
「なんだよ。言えよ」
「加藤先輩って自殺じゃないっすよね? 事故っすよね?」
「だからなんなんだよ」
「言っていいのかな……」
「いいから、言え!」
「メッセージ」
「うん?」
「ねはんでまつ、って」
「ねはん?」
「あの世のことッス」
「あの世?」
「だから。『涅槃で待つ』って」
そう言ってタクは震える手でアマリリスを指さした。
指した途端。
真っ赤な花が、役目を終えて、ぼとりと落ちた。
金山慈姑 エモリモエ @emorimoe
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