千の星は知っている

朝吹

千の星は知っている


 風がごおんと唸る夜だった。天守閣は戦の炎に包まれた。

「若君、お早く」

「こっちだ、トワ」

「兄上。若君」

「トワ、二年後だ。田に水を引く頃、星が流れる夜に萩山で落ち合おう。元気な子を生んでくれ」

 交錯する声はすぐに絶えた。草藪をかき分けて城を落ち延びる者の背に、敵方の勝鬨かちどきの声が陰々と闇の奥からいつまでも被さった。


 

 石を積んだ罠をのぞく。仕掛けにかかっていた魚を手で掴もうとしたカイは、川底の苔に足を滑らせ、腰まで水に漬かってしまった。

「若いの。釣りはやらんのか」

 里の者に声をかけられた。

「釣りは下手だ」

 着物の裾を絞りながら、むっつりとカイは応えた。

「魚と交換してやろう」邑人たちは担いでいた籠から菜っ葉を取り出した。

「連れにはたんと食べさせんとな」

 交換と云いながら、いつものように邑人は魚も菜っ葉もその場に残して立ち去った。

 流れ着いた夫婦について不審がられると、邑人たちは素直に応えた。

「落城後に落人狩りがあったろう。足弱で置いていかれた侍女を、狩りに混じっていた若いのが見つけてな。行くところがないという女をこの邑に連れてきた。それから夫婦になって暮らしておるのよ」

「ほう。それはええの」

 田の代搔きをしながら里の者たちは、「それでもお城がらみは物騒だで、お尋ねがあっても知らん顔をするんだぞ」と申し合わせた。

 

 山小屋に戻ったカイは、出迎えた白髪の婆に菜っ葉と魚を渡した。この婆は、邑長からの頼みで彼らの世話をすることになった後家で、麓の里から山に通っている。

 婆が野菜を洗いに行くのを待って、カイは板間にあがった。石置き屋根の山小屋は元は猟師小屋であったものを、邑人が住めるようにしてくれたものだ。

「トワ、兄が戻ったぞ」

「……意外でした、兄上」苦笑を隠した女の声が応えた。

「兄上がここまで山の暮らしに馴染むとは」

「子どもの頃は野山を走り回っていたからな」

 臥せっているトワを気遣ってカイは笑みをみせた。

 兄妹と名乗れば、トワが孕んでいることの説明がつかない。里向きには別の話を通した。

 悪阻つわり中の女は眼を閉じて長い息を吐くと、若君と約束した二年は長いですね、と呟いた。


 

 カイの釣りが上達した頃には、赤子の泣き声が小屋からするようになっていた。

「残党狩りだ」

 霧のような小雨が降っていた。婆と話している山立やまだち(猟師)の声が大きいのは、耳の遠い婆の為でもあるが、トワにきかせているのだ。

「探しているのは若い女だそうだ。落城と共にご自害なされたご正室さまの侍女だった女だ」

 赤子に乳をやりながら、トワは小屋の奥で身を固くしていた。

「若君の手がついていた。女が子を為していたら、亡きご城主のお血筋ということだからな。三日ほどは里に近寄らんほうがええぞ。赤子なら、どんな赤子でも褒美目当てに殺されかねん」

 山立が行ってしまうと、婆が赤子の風呂湯を桶に入れて持ってきた。


 夜がきた。トワは眠りについた幼子を膝からおろし、外に出た。樹が黒々と枝葉を伸ばし、山際に残った雨雲を月が青く照らしている。

 カイは窯で炭を焼いていた。煙が白く変わったら、焚火口と煙突を塞いで一晩おくのだ。

「炭づくりは愉しいぞ」カイはトワを傍に呼んだ。

 田に水をはる時期が近い。

「最近、お城に居た頃のことばかりを想い出します」トワは襟元を寄せた。

 天守閣に駈け上がり、若君とトワは星を繋いでは、あれに似てるこれに似てると笑い合っていた。

 カイを手伝い、トワは窯の口を土で塞いだ。

 


 落ち延びた先で、亡骸になっている若君が見つかったそうだ。

 山桜を散らす風がそんな噂を里に伝えた。

 


 深夜に小屋を訪れる者があった。

「ご無事で」

 薄汚れた旅人にトワは抱きついた。水田は鏡となって星空を映し、どちらが天地か分からぬほどに夜は澄んでいた。

「よせ」

 旅人は照れ笑いをしながらトワの腕をほどいた。

「それより、子は」旅人は訊ねた。

「元気です」

「では無事に」

「はい。おのこを」

 小屋から洩れる明かりに旅人の顔が耀いた。トワは微笑んだ。

「どうぞ中へ。遊び疲れて寝ております」

「うん」

 掘立柱の小屋の中に踏み入った旅人は、板張りの奥に眠っている幼子を見た。そしてその隣りには、隠していた刀を引き寄せて片膝を立て、夜の稀人を睨むようにしているカイの姿があった。

 旅人は、いまはその正体を隠すことなく平伏した。

「若君」

「長いあいだ苦労をかけた。カイ」トワの夫は刀をおいた。


 二年目の星の夜。

「兄上のお姿を今か今かと、毎晩外に出てお待ちしておりました」

 トワは小袖で涙をぬぐった。落城の夜、兄のカイは若君の影武者となって闇に消え、若君はカイに扮した。

「行き倒れに、若君の衣を着せて、死んだように見せかけました」

「うまくいったな、カイ」

 城も人も多くを失った。だが若者たちは満たされ、倖せだった。

「きれいですね」

 氷水のような流れ星が盛んに落ちていた。小屋の中から三人は夜空を眺めた。眼をさました赤子も澄んだ眸をして星を見ていた。



[了]

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

千の星は知っている 朝吹 @asabuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ